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HP-0270巻13:240~241注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

肝付良兼

異名・検索語:肝付良兼/肝付左馬頭良兼/左馬頭/良兼

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:系図注の没年より後の戦闘を本人の確定経歴として公開しない。兼輔の事績への自動振替も行わず、異同として明示。女アリ嗣子ナクを子女が一切いないと訳さない。

DESCRIPTION

本文内容説明

左馬頭。省釣(兼続)の嫡子で、母は日新公の娘、妻は伊東義祐の娘。永禄十一年、伊東義祐と飫肥・福島を攻め、忠親の撤退後に福島を取ったと記す。本文はさらに元亀三年の木崎での損害、小村海浜への舟行、天正元年の末吉住吉原での敗戦、同二年の牛根救援・早崎夜襲・根占方面での戦いを良兼の記事として載せる。一方、肝付系図を引く注は元亀二年七月二十日死去とし、後半の軍歴と矛盾するため、年代と人物への帰属は確定できない。娘はいたが嗣子を残さず没し、弟兼輔がその娘を妻として家督を継いだ。

系譜・人物関係

父は省釣(兼続)。母は日新公の娘。妻は伊東義祐の娘。娘を弟兼輔が娶り継嗣となることは兼輔条にも記載。

奉公・役職

左馬頭。肝付氏の継嗣。系図注は永禄五年四月五日松山、同五月二十九日志布志の知行を記す。

軍役・事績

永禄十一年に伊東義祐と飫肥・福島へ進攻。本文には元亀三年から天正二年までの木崎・小村海浜・末吉住吉原・牛根救援・早崎・根占方面の軍歴があるが、系図注の没年後に当たり本人の事績と確定しない。

生没・法名等

肝付系図注は元亀二年辛未七月二十日死去とする。本文は没年を明記せず嗣子なしと記す。没地・享年不記載。

統合人物ID
HP-0270
原人物ID群
13-240-01
氏・分類
肝付
掲載巻頁
巻13:240~241
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
父は省釣(兼続)。母は日新公の娘。妻は伊東義祐の娘。娘を弟兼輔が娶り継嗣となることは兼輔条にも記載。
検索キーワード
肝付良兼/左馬頭/良兼/左馬頭。肝付氏の継嗣。系図注は永禄五年四月五日松山、同五月二十九日志布志の知行を記す。/永禄十一年に伊東義祐と飫肥・福島へ進攻。本文には元亀三年から天正二年までの木崎・小村海浜・末吉住吉原・牛根救援・早崎・根占方面の軍歴があるが、系図注の没年後に当たり本人の事績と確定しない。/肝付系図注は元亀二年辛未七月二十日死去とする。本文は没年を明記せず嗣子なしと記す。没地・享年不記載。
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID・頁数対応を確認。疑義を明記して記載箇所へ案内できるため公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
全2頁。第2頁の見ヘタリは、第1頁末の肝付系図にいう死去の注を完結させる続きで、白紙や別人の記事ではない。
判読保留
系図注の没年より後の戦闘を本人の確定経歴として公開しない。兼輔の事績への自動振替も行わず、異同として明示。女アリ嗣子ナクを子女が一切いないと訳さない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』