HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
肝付良兼
異名・検索語:肝付良兼/肝付左馬頭良兼/左馬頭/良兼
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:系図注の没年より後の戦闘を本人の確定経歴として公開しない。兼輔の事績への自動振替も行わず、異同として明示。女アリ嗣子ナクを子女が一切いないと訳さない。
DESCRIPTION
本文内容説明
左馬頭。省釣(兼続)の嫡子で、母は日新公の娘、妻は伊東義祐の娘。永禄十一年、伊東義祐と飫肥・福島を攻め、忠親の撤退後に福島を取ったと記す。本文はさらに元亀三年の木崎での損害、小村海浜への舟行、天正元年の末吉住吉原での敗戦、同二年の牛根救援・早崎夜襲・根占方面での戦いを良兼の記事として載せる。一方、肝付系図を引く注は元亀二年七月二十日死去とし、後半の軍歴と矛盾するため、年代と人物への帰属は確定できない。娘はいたが嗣子を残さず没し、弟兼輔がその娘を妻として家督を継いだ。
系譜・人物関係
父は省釣(兼続)。母は日新公の娘。妻は伊東義祐の娘。娘を弟兼輔が娶り継嗣となることは兼輔条にも記載。
奉公・役職
左馬頭。肝付氏の継嗣。系図注は永禄五年四月五日松山、同五月二十九日志布志の知行を記す。
軍役・事績
永禄十一年に伊東義祐と飫肥・福島へ進攻。本文には元亀三年から天正二年までの木崎・小村海浜・末吉住吉原・牛根救援・早崎・根占方面の軍歴があるが、系図注の没年後に当たり本人の事績と確定しない。
生没・法名等
肝付系図注は元亀二年辛未七月二十日死去とする。本文は没年を明記せず嗣子なしと記す。没地・享年不記載。
- 統合人物ID
- HP-0270
- 原人物ID群
- 13-240-01
- 氏・分類
- 肝付
- 掲載巻頁
- 巻13:240~241
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父は省釣(兼続)。母は日新公の娘。妻は伊東義祐の娘。娘を弟兼輔が娶り継嗣となることは兼輔条にも記載。
- 検索キーワード
- 肝付良兼/左馬頭/良兼/左馬頭。肝付氏の継嗣。系図注は永禄五年四月五日松山、同五月二十九日志布志の知行を記す。/永禄十一年に伊東義祐と飫肥・福島へ進攻。本文には元亀三年から天正二年までの木崎・小村海浜・末吉住吉原・牛根救援・早崎・根占方面の軍歴があるが、系図注の没年後に当たり本人の事績と確定しない。/肝付系図注は元亀二年辛未七月二十日死去とする。本文は没年を明記せず嗣子なしと記す。没地・享年不記載。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID・頁数対応を確認。疑義を明記して記載箇所へ案内できるため公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 全2頁。第2頁の見ヘタリは、第1頁末の肝付系図にいう死去の注を完結させる続きで、白紙や別人の記事ではない。
- 判読保留
- 系図注の没年より後の戦闘を本人の確定経歴として公開しない。兼輔の事績への自動振替も行わず、異同として明示。女アリ嗣子ナクを子女が一切いないと訳さない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』