HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
喜入久正
異名・検索語:喜入久正/喜入大炊介久正/大炊介/善昌庵主
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
喜入大炊介久正は川上九郎左衛門久光の長子で、天文十九年生。男子なく没した喜入忠道の後を、季久の願いにより継いだ。菱刈攻めに供奉し、国分財部地頭を務め、義久の富隈在城時には老中だったと記す。慶長四年の庄内陣では忠恒の使者として伏見へ赴き、家康に伊集院忠真の十二城の図を示して地勢や兵糧事情を説明。急攻による損害を避け、翌年三月の兵糧切れを待つよう諭した家康の言葉を持ち帰り、義久に賞賛されたという。元和四年に野村意閑から古今集の伝授を受け、家久へ古今集・伊勢物語を伝授して信国の脇差、白銀五十枚、五十石を受けた。本文には和歌数首も収める。寛永九年五月十九日没(十八日の異記あり)、八十三歳。法名善昌庵主、墓は国分竜昌寺。没地の記載はない。
系譜・人物関係
実父は川上九郎左衛門久光で長子。喜入忠道の養子。忠道が男子なく没し、季久が後を立てることを願い、主君が久正を後嗣としたと記す。季久を実父・養父としない。天文十九年生。入道号の細字は公開異名に確定登録せず、旧緬嘉表記を保留に戻す。
奉公・役職
国分財部地頭。御家老記によるとして、義久が富隈にいた時に老中だったとする追記がある。元和四年八月、野村権楽入道意閑から古今集を受伝、三鳥三木等の切紙を受けたと記す。家久へ古今集・伊勢物語を伝授し、終了時に信国の御脇指・白銀五十枚・御高五十石を拝領。旧説明の刀を脇差へ具体化。家久への伝授年を独立して明記しないため、元和四年と一括断定しない。
軍役・事績
永禄年中菱刈退治に供奉。西藩野史家久公記の慶長四年庄内陣条の補記では、忠恒が久正に書を託し内府家康へ知らせる。久正は伏見で忠真方十二城の図、城の広狭、地の険易、川の浅深を説明。兵数、作毛、農民、糧と塩の流入経路を問答する。恒吉・山田は忠恒に属し、他の作毛は城内、農民は妻子を連れて入城、道は既に遮断されると久正が答える。その後、急攻は人を損ない来年三月には兵糧が尽き敵が自敗するという見通しを述べるのは家康で、久正本人の予測とはしない。家康は忠恒の急な性向を制するよう龍伯へ伝言を命じ、久正が帰国復命すると龍伯義久が廟勝・良将と賞賛したとする。末尾は本伝脱落を補うための引用と明記。和歌数首、竜山公御旅館での詠歌、慶長三年十月の歌を収めるが新たな人物伝ではない。
生没・法名等
天文十九年生。寛永九年五月十九日卒、八十三歳。十九日の九に朱イ八の異記があり、十八日説も併記する。法名善昌庵主。墓は国分竜昌寺にありと明記される。国分を没地と推定しない。
- 統合人物ID
- HP-0294
- 原人物ID群
- 09-169-03
- 氏・分類
- 喜入
- 掲載巻頁
- 巻9:169~170
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 実父は川上九郎左衛門久光で長子。喜入忠道の養子。忠道が男子なく没し、季久が後を立てることを願い、主君が久正を後嗣としたと記す。季久を実父・養父としない。天文十九年生。入道号の細字は公開異名に確定登録せず、旧緬嘉表記を保留に戻す。
- 検索キーワード
- 喜入久正/大炊介/川上九郎左衛門久光/喜入忠道養子/季久/天文十九年/菱刈/国分財部地頭/義久/富隈/老中/慶長四年庄内陣/忠恒使者/伏見/家康/伊集院忠真/十二城図/地勢/兵糧/急攻戒め/復命/元和四年/野村意閑/古今集/伊勢物語/家久/信国脇差/白銀五十枚/五十石/和歌/竜山公/寛永九年五月十九日/十八日異記/八十三歳/善昌庵主/国分竜昌寺墓
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- AI全4頁を400dpiで全頁視読し、原冊169~170頁・第2分冊104~105頁と照合。原冊169頁の600dpi拡大で元和四年受伝先・三鳥三木・脇指・没日異記・法名墓所を再確認。第1頁の古今集ヲ野から第2頁の村権楽へ接続、第3頁和歌から第4頁の和歌・御家老記・西藩野史補記・本伝脱落を補う末尾まで同一人物の記事。前忠道と次の喜入久供の独立見出しを含まない。既修復PDFの境界を維持し、今回はPDF変更・新規採番なし。
- 判読保留
- 入道号は絢嘉にも見えるが、従来の緬嘉を確定異名として残さず字形保留とする。古今集受伝先の意閑、信国の脇差、善昌庵主・国分竜昌寺は確認。没日は十九日に十八日の異記を併記。庄内陣の兵数の細字と和歌の一部は公開文で無理に確定しない。翌年三月の兵糧切れを予測し急攻を戒める発言者は家康。久正の説明・復命と区別し、従来の主語混同を修正。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』