ARCHIVE DIRECTORY
本藩人物誌の目録
人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。
全2,174件中 101~200件・2 / 22ページ
HP-0101 井尻祐光
初め九郎次郎、のち佐渡守。祐徳の子で、子孫に伊藤権角を挙げる。曽我氏に発する系譜と井尻家の由緒を載せる。
HP-0102 井尻祐康
竜伯公に奉仕した納殿役。冨隈へ召し移され、国分で死去。井尻佐渡守の子とも伝え、子孫に伊藤孫兵衛を挙げる。
HP-0103 井尻祐宗
大中公の小野移動に母と供奉し、高原で65歳で戦死と記す。ただし祐雪の記事かとの注があり、人物比定に疑義を残す。
HP-0104 井尻祐秀
祐能の子。加世田で戦死。付記は、三人で下賜の手拭を分けて敵軍へ向かい討死し、追福の六地蔵が造られたと伝える。
HP-0105 井尻祐知
平兵衛と称する井尻祐知。国分衆の一人として朝鮮へ渡海したと記される。
HP-0106 井尻祐貞
祐康の養子で、税所但馬守の一男。伊藤姓に改め、家久公・光久公の御納戸役人を務めた。
HP-0107 壱岐助兵衛
永禄7年、忠平公の飯野在城時に移った60人の一人と記される壱岐助兵衛。
HP-0108 壱岐勝三郎
大坂出陣の軍役として賦高217石・人数6人・乗馬1疋を記された壱岐勝三郎。具体的な出陣年と軍功は記載されない。
HP-0109 壱岐少左衛門
五百石相当の軍役を負担して朝鮮へ渡海。帰朝後、残る二百五十石を請求したが、伊東方として敵対したとの理由で認められなかった壱岐少左衛門。
HP-0110 稲留左京亮
天文17年の合戦で軍功を挙げ、天正12年に肥前高木で戦死した稲留左京亮。小者弥助も戦死した。
HP-0111 稲留石見守
田布施の人と記され、永禄4年7月12日に隅州廻で戦死した稲留石見守、入道伝翁。
HP-0112 稲留長秀
入道隣松。図書頭忠長の後見を務め、竜伯公から千石を拝領した稲留長秀。長常の何男かは本文内に異記がある。
HP-0113 稲留長常
尚久の後見を命じられ、竜伯公の金銀御用に多額を献上した稲留丹後守。褒賞の千石は二男長秀に与えられた。
HP-0114 右松祐位
右松五右衛門祐位は伊東肥後祐昌の二男で、右松家の養子。地頭を務め、一度伊東姓へ改めた後、再び右松姓へ戻った。
HP-0115 宇都宮実宗
宇都宮対馬守実宗。島津義弘に供奉し、加治木から朝鮮へ渡海した。
HP-0116 阿蘇新九郎宇治惟永
肥後阿蘇大宮司家の人物。大友氏から島津氏に服属し、島津勢の撤退を支援した。天正十六年に薩摩へ移り千石を拝領。和歌に通じ、近衛信尹の帰洛に供をした。
HP-0117 宇多弥三右衛門
宇多弥三右衛門。直前条と同じく、朝鮮役に供奉した人物とみられる。
HP-0118 宇田氏女
貴久の乳母。小野村への潜行に供奉し、天文二十三年に加世田で八十七歳で亡くなった。
HP-0119 宇田弁
宇田弁。琉球入りの軍役に加わった人物。
HP-0120 宇都和泉守
宇都和泉守。天正十五年、豊臣秀吉の九州平定時に平佐城へ加勢し、籠城して負傷した。
HP-0121 雨田休三郎
雨田休三郎は島津豊久の家臣。忠栄の相続時に不服とみられる言動があり、討手を避けて佐土原から船で逃れ、行方不明となった。
HP-0122 浦川内蔵丞
浦川内蔵丞。貞秀の子で、島原陣では騎馬・足軽を率いた。
HP-0123 永井九兵衛
永井九兵衛は、附録に並記される五人の一人で、芸者として中納言様に召し抱えられたと記される。
HP-0124 永井大炊介
出水の兵として実久の命で谷山神前城を守った七人の一人。天文八年三月二十四日に貴久へ降参した。
HP-0125 永山半六
永山半六、のち十兵衛。関ヶ原からの島津義弘退却に随行し、知行を与えられた。
HP-0126 頴娃弥三郎久音
頴娃弥三郎久音は頴娃久虎の子。天正十一年生、母は相良氏の女。
HP-0127 頴娃左馬介久虎
頴娃左馬介久虎は肝付氏の系統を引き、永禄元年に生まれ、小四郎などと称した。家中争いを経て貴久公に出仕し、頴娃・指宿二郡を与えられたと記される。
HP-0129 益村頼清
益村頼清(式部)。朝鮮に供奉し、祖先は高城足軽大将を務め、大友勢との戦いで戦死した。
HP-0130 園田後藤兵衛
園田後藤兵衛。大永二年、島津実久の永吉城攻撃計画を察知し、島津忠良へ急報した。
HP-0131 園田佐渡守
園田佐渡守。上総国山田郡の所領から園田氏を称し、子孫が日向へ移った家の人物。
HP-0132 園田実明
園田実明(左衛門)。島津忠良・貴久方として谷山・鹿児島方面で働き、家の由緒を残した。
HP-0133 園田与左衛門
園田与左衛門。天文二十三年、帖佐脇本合戦で太刀初めを務めた。
HP-0134 園木治右衛門
忠真の一族・家臣の志和地城の人物群に、伊集院掃部介とともに記される。
HP-0135 猿渡順阿弥
猿渡順阿弥は猿渡信資の弟。初め出家したが、兄与市左衛門信資が戦死したため還俗して家督を継いだ。
HP-0136 猿渡勘解由
猿渡勘解由は猿渡信兼の弟らしいと注記され、島津日新斎の代に兄弟三人が戦死した家の一人として挙げられる。付載系図には与市左衛門信資、順阿弥、越中守信光、掃部兵衛信豊らの名が見え、猿渡一族の系統を示す。
HP-0137 猿渡将監
猿渡将監は猿渡宮内左衛門の子。国分富隈で奉公していたところ、曽於郡地頭となった税所休心が移る際に召し付けられ、同行したという。
HP-0138 猿渡喜右衛門
猿渡喜右衛門は初め監物と称し、猿渡与三郎の養子。実父は日野知宅で、その嫡子だった。
HP-0139 猿渡宮内左衛門
猿渡宮内左衛門は猿渡市郎左衛門の子。初め高尾野にいたが、のち庄内へ移されたと読め、子孫は曽於郡の士となった。
HP-0140 猿渡九郎
猿渡九郎は「右同断戦死」とだけ記される。直前の猿渡彦次郎の記事を受け、天文七年十二月二十九日に阿多宇野塚で戦死した人物と解される。
HP-0141 猿渡宗経
猿渡源五郎宗経は猿渡信孝の二男。肥後で戦死したと記される。
HP-0142 猿渡源太左衛門
猿渡源太左衛門は島津貴久の代、初めての犬追物が加世田で催された際、春山越中守と二人で射手奉行を務めた。本文はこの役務だけを記し、実名、系譜、知行、軍役、生没年、法名、墓所は載せない。
HP-0143 猿渡実昌
猿渡兵部少輔実昌は猿渡実明の子で、兵部左衛門とも称したらしい。四百石を持ち、加治木に居住した。
HP-0144 猿渡実明
猿渡備後守実明は、猿渡越中守が羽月地頭として移された際、二男家であったため召し付けられ、ともに移住したと記される。越中守との具体的続柄、役職、知行、軍役、生没年、法名、墓所は載せない。
HP-0145 猿渡信兼
猿渡与市兵衛信兼は、猿渡家十五代とされる刑部少輔信有の二男。島津日新斎の代に戦死した。
HP-0146 猿渡信光
猿渡越中守信光は初め掃部兵衛。猿渡信元・実信らの後裔で、加世田小湊を領し加世田地頭となり、のち羽月を与えられた。
HP-0147 猿渡信孝
猿渡大炊介信孝は猿渡信種の子。天正十年頃、上井覚兼を宮崎へ移す命を伝える使者を務めたと読め、羽月地頭でもあった。
HP-0148 猿渡信資
猿渡与市左衛門信資は猿渡勘解由の弟とされ、一説に大炊介。文明十七年、四歳の時、祖父筑前守信宗と父刑部少輔信有が日向飫肥で戦死して孤児となり、祖父以来の一所限之城にいた。
HP-0149 猿渡信種
猿渡大炊介信種は入道休覚とも称し、猿渡秀信の曾孫に当たる家筋。本文の系図では、秀信―信秀―彦次郎信甲と続き、信種は信甲の養子になったとされる。
HP-0150 猿渡信順
猿渡九郎左衛門信順は猿渡順阿弥の養子で、実父は井尻早左衛門、その二男。天文十二年生まれ。
HP-0151 猿渡信商
猿渡新助信商は猿渡信孝の子で、天正七年生まれ。慶長十九年十二月、加治木から来た使者と鹿児島の町人が駿河・大坂間の不和と義絶の風聞を伝えたため、鎌田左京亮とともに急使として江戸へ派遣された。
HP-0152 猿渡秀信
猿渡大炊介秀信は猿渡藤四郎実信の二男で、道胤の七男実善の後裔とされる。島津貴久の代、天文九年に行われた犬追物の射手組の名簿に名が見える。
HP-0153 猿渡信豊
猿渡掃部兵衛信豊は猿渡信光の嫡子で、羽月地頭。朝鮮役で渡海し、敷根仲兵衛とともに五奉行の使者として、足軽二百人を率い敵地を通って加藤清正の陣へ書状を届け、無事帰還した。
HP-0154 猿渡辰信
猿渡備前守辰信は吉信の子と記される。島津家久の兵具奉行を務め、朝鮮役、庄内の乱、大坂夏の陣に出陣した。
HP-0155 猿渡仲左衛門
猿渡仲左衛門は入道法楽。『咄老物語』では忠左衛門と記され、大坂の陣に出陣したという。
HP-0156 猿渡直信
猿渡喜之助直信は猿渡辰信の子。供十人を率いて島原へ渡り、軍功を挙げた。
HP-0157 猿渡肥前守
伊集院甚吉とともに財部城の人物群に載る。
HP-0158 猿渡彦次郎
猿渡彦次郎は天文七年十二月二十九日、阿多宇野塚で戦死したと記される。末尾には子孫らしい伊賀・兵衛などの名が付記されるが、系図の続柄は判読を要する。
HP-0159 猿渡民部左衛門
猿渡民部左衛門は「右同断戦死」とだけ記される。前頁末尾の猿渡彦次郎・猿渡九郎の記事を受け、天文七年十二月二十九日に阿多宇野塚で戦死した人物と解される。
HP-0160 猿渡与三郎
猿渡与三郎は猿渡信光の二男。戦死して実子がなかったため、養子を迎えたと記される。
HP-0161 遠矢軍兵衛
日向国高城衆。岩屋城攻めで戦死した。
HP-0162 遠矢重勝
対馬守。重良の養子、常栄の二男と記す。天文十四年に川辺で戦死。子・良兼の加世田城潜入記事が続く。
HP-0163 遠矢重珍
金兵衛、異記良珍。幼くして父良時を失い、竜伯御前で元服。上洛に供奉し、琉球の八重在番を命じられて渡海後に病死した。
HP-0164 遠矢重良
阿波守。隈之城で戦死した八郎成則の子。日新公に仕えて田布施に住み、子孫に遠矢金兵衛を掲げる。
HP-0165 遠矢良堅
下総守、重勝の二男。忠平公に従い、退却時の防戦・伏兵・加久藤城救援で軍功。御軍談衆の一人、墓は恒吉徳泉寺。
HP-0166 遠矢良時
信濃守、良兼の子。長野地頭として水俣の陣に供奉。忠隣の初陣に付き添い、豊後竹田駄原で戦死したと記す。
HP-0167 奥山左近
奥山左近(初め藤五郎)。山城の人で竜伯公の知人。老齢で薩摩への招きを辞退し、鼓の芸を持つ子藤五郎を差し出した。
HP-0168 奥甚助
島津久慶の家臣。久慶の死後、殉死した4人の一人として載る。
HP-0169 押川讃岐守
忠平公に従って飯野へ移った橘氏の人物。記事後半は公近の朝鮮・関ヶ原の軍功、代官役、晩年を記す家伝。
HP-0170 押川則義
穆佐の士。忠真成敗の待ち伏せで平田宗次を誤射し、人違いのため切腹した。
HP-0171 横山義貞
横山義貞(二郎兵衛)。河内源氏から続く横山氏の系譜と、日向へ下向した祖先・姶良で戦死した義道を伝える。
HP-0172 横山玄蕃允
横山玄蕃允(助八)。帖佐山田から各地へ移り、牛根城攻めなどで軍功を重ねた。
HP-0173 横山忠篤
横山忠篤(弓内)。朝鮮・庄内・伏見・関ヶ原に従い、関ヶ原では敵五人を討ち、島津義弘の鎧を守った。
HP-0174 横山長右衛門
横山長右衛門。横山主水左衛門とともに島津家久(慈眼公)の供を務めた。
HP-0175 横山平次
横山平次。関ヶ原からの島津勢退却に供奉した。
HP-0176 荻田随右衛門
島津久慶に殉死した4人の一人。氏名のほか法名の朱注を伴う。
HP-0177 屋兼長
屋兼長(壱岐守、初三左衛門)。天正十四年の筑紫城攻めで筑紫春門を討ち取り、朝鮮にも渡海した。
HP-0178 屋彦右衛門
屋彦右衛門。文禄三年、朝鮮で毛利壱岐守の陣が襲われた際、増水した川を越えて急報した。
HP-0179 有屋田左衛門久逸
有屋田左衛門久逸は伊集院氏の支流。有屋田氏の祖忠房から七世孫久耕を経て生まれたという。
HP-0180 乙守氏女
北郷相久の乳母。天正七年に相久が自害した際の、入棺に伴う悲痛な最期を記す。
HP-0182 下津佐林斎重尚
下津佐林斎重尚は島津義弘の茶道役を務め、朝鮮出兵に供奉した。
HP-0183 加治木和泉
加治木和泉。島津家久(慈眼公)に従い、朝鮮へ供奉した。
HP-0184 加世田家長
加世田家長(新兵衛)。慶長三年、朝鮮で番船が破損した際に二十六歳で戦死した。
HP-0185 家村住常
島原で戦功を挙げ、東郷重位に剣術を学び、歌道にも通じた家村清兵衛住常。
HP-0186 河野助七
河野助七は天正六年十月二十一日、新納院高城で戦死した人物。本文は戦死年月日と場所だけを一行で伝え、奉公先、役職、知行、合戦での具体的行動、家族関係、出生、法名、墓所は記載しない。
HP-0187 河野紹仙
河野紹仙は河野但馬の嫡子。先祖が合戦で多くの人を討った因果を恐れて出家したといい、二十一歳から盲目となった。
HP-0188 河野備前守清道
河野備前守清道は、天正年間に御使役を務めた人物。本文は官途と勤役時期だけを一行で伝え、具体的な使役の内容、奉公先、知行、軍役、家族関係、出生・没年、法名、墓所は記載しない。
HP-0189 河野孫作
河野孫作は、父も前条と同じく河野但馬であると記され、紹仙の弟かと注記される。朝鮮へ渡海し、現地で戦死した。
HP-0190 河野和泉守通久
河野和泉守通久は河野太郎左衛門通能の弟。惟新公に奉仕して近習を務めたと記される。
HP-0191 河野玄蕃通親
河野玄蕃通親は前条の河野玄蕃通之の子で、父に劣らぬ誉れの武士と評される。久保公の小田原陣に従い、騎馬十八騎の一人であった。
HP-0192 河野筑後守通泰
河野筑後守通泰は、谷山神前城主河野三太夫通能の子伊勢松丸に当たるとみられる。通能は実久方に属し、弟通吉が惟新公方へ誘おうとしたが、城内へ引き入れて殺害され、自害したという。
HP-0193 河野玄蕃通之
河野玄蕃通之は河野和泉守通久の子。武道の誉れが隠れない武士であったと評され、下大隅で戦死した。
HP-0194 河野通能
谷山神前城で実久方に属したが、日新公へ内通。露見して自殺し、里人に十一面観音として祀られたと伝える。
HP-0195 華堂大円坊
道釈伝に名を掲げ、霧島座主秀隆誅殺の記事を付記する。本人の役割は明記されない。
HP-0196 廻久元
廻城主の家系で、兵庫頭光清の子。永禄年間に盲目となり、幼い子の頼貞が肝付省釣に攻め滅ぼされたと記される。
HP-0197 廻三曲坊
廻三曲坊は鹿児島衆として武功があったとされ、天正六年十月十一日、新納院高城で戦死した。本文には頼貞に関係する短い系譜注記もあるが、続柄の字形は不鮮明である。
HP-0198 廻頼次
廻久元の玄孫。狩野介を称し、天正十五年に白坂で戦死したと記される。
HP-0199 海老原九右衛門
海老原九右衛門は朝鮮出兵に供奉した人物。本文は朝鮮渡海だけを一行で伝え、奉公先、役職、知行、現地での戦功、家族関係、出生・没年、法名、墓所は記載しない。
HP-0200 小川半介
都城内の人物群に載る。次の内村半平は弟と記される。
HP-0201 学之玄碩
日向都城出身の中島氏。文之の弟子で大竜寺二世。元和六年から二十八年間住職を務めた。
HP-0202 否笠氏
有屋田氏・関氏とともに実久の命で伊集院神殿塁を守り、天文五年十一月二十九日に降った。