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HP-0217巻5:78注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

樺山忠助

異名・検索語:樺山忠助/樺山兵部大輔忠助 入道紹剣・初忠知/兵部大輔/忠助/忠知/紹剣

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:旧説明の法名大代忠宏紹剣は原字と一致を確認できないため採用しない。法名全体の細字は追加校合を要する。入道名紹剣は見出しと和歌署名で確認。/高城番と忠副の跡目継承は嫡子規久の記事で、忠助本人の事績と区別する。初読メモの親久は仮読を撤回し、次の独立見出し樺山規久とも照合。/肝付氏との戦いの地名、所領移動・岩屋攻めの細字日付と諸将名は追加校合余地を残す。本文の軍功叙述として整理し、外部史実で補わない。

DESCRIPTION

本文内容説明

樺山兵部大輔忠助、入道紹剣は善久の二男。母は日新公の第二女で、天文九年生。十八歳で蒲生に従軍し、父に従って平泉城を守り、根占重長の救援や高原・水俣・岩屋・豊後利満などの戦いに加わった。岩屋攻めでは大石で兜を砕かれ、多くの矢玉を受けたと記す。犬追物の射手をたびたび務め、穆佐地頭となった。天正六年の大友侵攻時は病気で出陣せず、嫡子規久が高城番を勤め、忠助の兄忠副の跡を継いだ。のち二重の番手を依頼され、松之城の番も務めた。父玄佐から歌道を伝授され、和歌と自記の一節が収められる。慶長十四年五月十三日、出水で病死、七十歳。法名の細字は判読を留保する。

系譜・人物関係

善久の二男、母は日新公第二女。兄忠副、嫡子規久。初忠知、兵部大輔、後安芸守、入道紹剣。

奉公・役職

穆佐地頭、犬追物射手、二重の番手・松之城番。父玄佐から歌道を伝授。

軍役・事績

蒲生・平泉城守備・根占重長救援・高原・水俣・岩屋・豊後利満等。岩屋攻めの兜破損と矢玉。天正六年の高城番は病気の本人に代わる嫡子規久。和歌と紹剣自記。

生没・法名等

天文九年生。慶長十四年五月十三日出水で病死、七十歳。法名細字留保。

統合人物ID
HP-0217
原人物ID群
05-078-02
氏・分類
樺山
掲載巻頁
巻5:78
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
善久の二男、母は日新公第二女。兄忠副、嫡子規久。初忠知、兵部大輔、後安芸守、入道紹剣。
検索キーワード
天文/弘治/天正/慶長/地頭/城番/出陣/合戦/豊後/肥後/高城/岩屋/子/父/母/女/法名/歳/軍役・家督・系譜
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊78頁・細字拡大確認済。
公開判定根拠
母・軍役・弓馬歌道・没地を具体化し、父子の事績を分離。法名細字等の疑義を注記して公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
冊子78頁上段〇樺山兵部大輔忠助入道紹剣から同頁下段の軍役・病没・和歌・紹剣自記まで通常AI各2頁。上段末尾忠助兄と下段冒頭ノ忠副は接続。嫡子規久・兄忠副と諸将列挙は関係者記事で別見出しではない。下段次の〇樺山兵部大輔規久は含まれず、境界変更・新規IDなし。
判読保留
旧説明の法名大代忠宏紹剣は原字と一致を確認できないため採用しない。法名全体の細字は追加校合を要する。入道名紹剣は見出しと和歌署名で確認。/高城番と忠副の跡目継承は嫡子規久の記事で、忠助本人の事績と区別する。初読メモの親久は仮読を撤回し、次の独立見出し樺山規久とも照合。/肝付氏との戦いの地名、所領移動・岩屋攻めの細字日付と諸将名は追加校合余地を残す。本文の軍功叙述として整理し、外部史実で補わない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』