HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
岩切善信
異名・検索語:岩切善信/岩切三河守善信 入道可春/三河守/善信/可春
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
入道号はAI・原冊・修復版で可春と確認し、従来の可巻を訂正。新助と見える脇小字の細部は留保する。/墓志引用の慶長三年と庄内・都城降伏時三月十五日の関係は他史料未照合。没年の記載ではなく、これを本人の没年に転用しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
岩切三河守善信、入道可春。可楽斉の子で、父から兵術を伝授され御役者を務めた。伊東氏との戦いの際も御役者であったと注記される。天正九年の水俣陣では忠平公(島津義弘)の御役者として従い、豊後入りでも同役を担った。没年は不詳、八月七日没、法名は心月聚仙庵主。引用された墓志には、慶長三年の庄内・都城降伏時、三月十五日に善信が凱歌を唱えたと記す。この年次は本文表記として保持する。知行・没地・墓所は本条から確定できない。
系譜・人物関係
可楽斉の子。三河守、入道可春。旧可巻は字形誤読として訂正。新助様の脇小字は留保。
奉公・役職
父の兵術を伝授され御役者。小注に伊東御退治之時御役者。水俣では忠平公の御役者、豊後入も同断。
軍役・事績
天正九年水俣陣・豊後入り。墓志引用に慶長三年庄内都城降伏時三月十五日、善信凱歌ヲ唱フと記載。引用年次を保持し別史料未照合、没年にはしない。
生没・法名等
年号不知八月七日卒、心月聚仙庵主。従来説明の八月十七日を訂正。没地・年齢・墓の具体所在地は記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0292
- 原人物ID群
- 01-014-02
- 氏・分類
- 岩切
- 掲載巻頁
- 巻1:14
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 可楽斉の子。三河守、入道可春。旧可巻は字形誤読として訂正。新助様の脇小字は留保。
- 検索キーワード
- 慶長/豊後/父/卒/墓/兵法伝承・軍役/可春/御役者/水俣/伊東/凱歌
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全2頁・原冊14頁拡大・修復通常AI各2頁を再照合済み。
- 公開判定根拠
- 役者としての軍役と本文没日を確認。墓志引用の年次・脇小字の留保を注記し検索案内を可能とする。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 全2頁。第1頁末の役者相勤を第2頁冒頭候が受け、伊東退治注、水俣・豊後軍役、八月七日卒・法名、墓志引用の凱歌へ続く。第2頁左端を2.5pt内側へ調整し、次の信房の文字片を除去、本人の時モ三月十五日善信凱歌ヲ唱フを全て保持。第1頁本文不変、新番号不要。
- 判読保留
- 入道号はAI・原冊・修復版で可春と確認し、従来の可巻を訂正。新助と見える脇小字の細部は留保する。/墓志引用の慶長三年と庄内・都城降伏時三月十五日の関係は他史料未照合。没年の記載ではなく、これを本人の没年に転用しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』