HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
鎌田政近
異名・検索語:鎌田政近/鎌田出雲守政近 入道玄朗法印
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:生年は天文十四年に一説四年の注があり、一方を確定しない。享年六十一歳は本文の値を保持する。/関ヶ原後の評議は政近・志島紀伊守らの共同の働き。脇指の拝領と正信・直友の誓紙を区別する。/伏見の葬所寺名の細字は追加校合を要する。福昌寺は招魂葬の記載で、本人の没地ではない。
DESCRIPTION
本文内容説明
鎌田出雲守政近、入道玄朗法印は政勝の嫡子。天文十四年生とし、一説に四年と注記する。政良の譲りを受けて嫡家を継ぎ、使役や向島・都於郡などの地頭を務めた。天正六年、大友勢の侵攻に際し二百人を率いて高城に加勢し、水俣・八代・島原・岩屋にも出陣。同十九年に家老となり、高麗の陣にも供奉した。関ヶ原後は志島紀伊守らと家の存続を図る方針を協議し、使者として上洛。本多正信・井伊直政・山口直友を介して島津方の意を伝え、家康から脇指を拝領し、正信・直友の誓紙を得た。のち忠恒の上洛に供奉し、家康との対面が首尾よく済んだことを伝える。慶長十年九月朔日、伏見で病死、六十一歳。法名明義道清庵主。伏見への埋葬と福昌寺の招魂葬を付記し、末尾に向島地頭時の和歌を載せる。
系譜・人物関係
政勝嫡子。又七郎、図書介、出雲守、入道玄朗法印。政良の譲りを受け嫡家相続。
奉公・役職
御使役、向島・新城・志布志・都於郡・野尻・田布施・指宿等地頭。天正十九年家老。関ヶ原後の上洛使者と忠恒上洛供奉。
軍役・事績
高城加勢二百人、水俣・八代・島原・岩屋、高麗供奉。諸家臣と家続を協議、本多正信・井伊直政・山口直友を介する交渉。家康より脇指、正信直友より誓紙。向島地頭時の和歌。
生没・法名等
天文十四年生、一説四年。慶長十年九月朔日伏見病死、六十一歳。法名明義道清庵主。伏見葬所寺名留保、福昌寺招魂葬。
- 統合人物ID
- HP-0230
- 原人物ID群
- 05-082-04
- 氏・分類
- 鎌田
- 掲載巻頁
- 巻5:82
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 政勝嫡子。又七郎、図書介、出雲守、入道玄朗法印。政良の譲りを受け嫡家相続。
- 検索キーワード
- 天文/元亀/天正/家老/地頭/御使役/使役/出陣/関ヶ原/島原/高城/岩屋/八代/嫡子/子/法名/歳/家系・役職・奉公
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊82頁上下段・拡大・修復候補全頁確認済。
- 公開判定根拠
- 生年異説を注記し、交渉主体と誓紙の差出人、没地と招魂葬を区別して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 冊子82頁上段〇鎌田出雲守政近から同頁下段の絶恋の和歌と政近署名まで全2頁。上段末御弓と下段冒頭箭が接続。元亀三年の舟行・和歌は本人付記。次の〇鎌田左京亮政虎は別条。第1頁右端192.296629から200ptへ拡張し初称と生年異説小注を保持。隣条混入なし、第2頁不変、新規IDなし。
- 判読保留
- 生年は天文十四年に一説四年の注があり、一方を確定しない。享年六十一歳は本文の値を保持する。/関ヶ原後の評議は政近・志島紀伊守らの共同の働き。脇指の拝領と正信・直友の誓紙を区別する。/伏見の葬所寺名の細字は追加校合を要する。福昌寺は招魂葬の記載で、本人の没地ではない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』