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後編3の目録

旧記雑録 文禄5年~慶長9年の文書・記事です。

全1,990件中 1601~1700件・17 / 20ページ

  1. 後編3-No.1600 山口直友書状

    山口直友が新春を祝い、天下は静謐で内府は正月十三日に江戸から上洛する予定だと伝える。龍伯もこの機に上洛するのがよいと勧め、前年冬に上る予定だった図書頭の到着を伏見で待つとした。

  2. 後編3-No.1601 島津龍伯義久詠草

    島津龍伯義久が慶長七年正月二十三日の月待の夜、余興として即興で詠んだ五十八首のいろは歌。仏教・儒教的な倫理、忠孝、勤労、節制、学問、人生の無常などを仮名順に説く教訓歌である。

  3. 後編3-No.1602 島津家久譜

    島津家久譜は、前年冬の鎌田政近帰国時、本多正信・井伊直政・山口直友が島津家との和睦を変えないとの誓紙を龍伯と忠恒へ贈ったことを記す。その真意を確かめるため、図書頭忠長を春に京都へ派遣した経緯を述べる。

  4. 後編3-No.1603 山口直友書状

    山口直友書状の正文が存在することを示すが、本文は後掲No.2600文書と同文であるため省略されている。

  5. 後編3-No.1604 本多正信書状

    本多正信が島津忠恒の書状に答え、前年に鎌田政近へ伝えた内容から事情は変わらないと述べる。内府が正月十九日に上洛し、正純も供奉するため用向きを命じてよいこと、図書頭の件は近日申し入れることを伝えた。

  6. 後編3-No.1605 新納旅庵長住譜

    新納旅庵長住が島津忠恒の命を受けて今春再び上京することになり、その奉公を賞して三百石の地を与えられた経緯を記す。知行高の詳細は別記された。

  7. 後編3-No.1606 島津忠恒家久感状

    島津忠恒が、新納旅庵長住が和睦実現のためたびたび上洛した忠節を賞し、知行三百石を与える。今後も一層奉公に励むよう命じた感状。

  8. 後編3-No.1607 新納旅庵譜

    島津家が徳川方の真意を確かめるため島津忠長を京都へ派遣し、新納旅庵も随行した経緯を記す。旅庵は本多正信から家康に異心がないとの説明を受け、福島正則の懇切な説得もあってこれを信じ、家康が四月十八日に神文を与えたとする。

  9. 後編3-No.1608 本多正信書状

    本多正信が田中吉政へ、前年の下向に際する尽力への礼を述べる。島津義久・義弘父子への入魂により今後の不安はないとの見通しを伝え、島津方から礼使を遣わす件を伊奈昭綱と相談するよう求めた。

  10. 後編3-No.1609 山口直友書状

    山口直友が前年十一月二十六日付の書状を受領したと報じ、図書頭に先方の書状を渡したこと、忠長の上洛後に面談して協議する意向を伝える。使者の帰国を急がせたことも詫びた。

  11. 後編3-No.1610 島津惟新義弘書状案

    島津義弘が山口直友へ、和久甚兵衛尉を介した返書が遅れた事情を説明する。図書頭忠長の上洛後に相互の合意を得て誓紙を交換するよう求め、今後も疎意なく取り計らうよう依頼した書状案。

  12. 後編3-No.1611 島津義久譜注記

    『義久公御譜中』の注記。前掲No.1610書状の真本は野添氏が所蔵し、掲出された本文のとおり島津義弘の直書とみられる旨を記す。

  13. 後編3-No.1612 島津義久書状案

    島津義久が溝口秀勝へ久しく音信を欠いたことを述べ、秀勝が秀頼に召され大坂に滞在しているとの風聞に触れる。秀頼の御前で機会があれば島津家のため取り成すよう頼み、黒絹一端を贈った書状案。

  14. 後編3-No.1613 井伊直政書状

    井伊直政書状の正文が存在することを示すが、本文は後掲No.2476文書と同文であるため省略されている。

  15. 後編3-No.1614 島津義久書状案

    島津義久が山岡道阿弥へ、享徳院下国時の書状に礼を述べ、先方の無事な上京を喜ぶ。自身の上洛について、御前で会う機会があれば適切に取り成すよう求め、度々の音信にも謝意を示した書状案。

  16. 後編3-No.1615 徳川家康起請文案

    徳川家康が島津義久へ、薩摩・大隅・日向諸県の所領を従来どおり安堵し、少将忠恒への家督譲与にも異議を差し挟まないと誓う。兵庫頭義弘についても取り決めを守る旨を神仏にかけて保証した起請文案。

  17. 後編3-No.1616 島津義久譜

    徳川家康の誓書を島津忠長が受領し、厳重に封じて和久甚兵衛尉に薩摩へ送らせた経緯を記す。六月上旬に龍伯へ届き上洛を決意したが、伊集院忠真の党が再び蜂起したため、出立できなかった。

  18. 後編3-No.1617 島津惟新書状

    島津義弘が忠恒へ、土持大膳を通じた申し入れへの返事と、求められた河原毛の馬を送る旨を伝える。法華千部読誦中のため馬追いへ多人数を出せないとし、乱暴な追い立てを止めるよう求め、五次左衛門尉へも申し含めた書状。

  19. 後編3-No.1618 伊勢如貴貞知書状

    伊勢如貴が、門跡の病気を遠路から見舞われたことに礼を述べ、曲直瀬道三の薬で回復したと報じる。内府への礼について相談を求め、鹿皮十枚を贈った書状。

  20. 後編3-No.1619 島津惟新書状案

    島津義弘が本多正信へ、龍伯・少将の今後をひたすら頼むと述べる。図書頭忠長から正信が供奉しないと聞いたため、供奉する子の上野介正純と十分相談し、島津家の件をよい形に取り成すよう求めた書状案。

  21. 後編3-No.1620 大工大夫注文

    大工大夫が公文所へ提出した注文で、家中・御老中・諸国から下された馬・太刀・金銀・反物・食料・装身具などの品目と数量を列記する。贈答・下賜品の受納記録。

  22. 後編3-No.1621 昭高院如雪道澄書状

    昭高院道澄が島津忠恒へ、太刀・銀子の贈答に礼を述べ、都鄙和与の成立を祝う。今後も関東へ働きかけること、惟新らへの書状を託すこと、旅庵の急な下向のため詳述できないことを伝えた書状。

  23. 後編3-No.1622 恒吉八幡法楽和歌

    恒吉八幡宮への法楽として島津一門・家臣らが詠んだ和歌集。卯の花や夏日などの題をめぐり、龍伯・少将をはじめ多くの詠者が季節の景物と信仰を詠み連ねる。

  24. 後編3-No.1623 恒吉八幡法楽和歌

    恒吉八幡宮への法楽和歌。首夏風・早苗・村雨・夏月・夕立・旅恋・後朝恋などの題で、島津家臣らが初夏の景物や恋情を詠み連ねる。

  25. 後編3-No.1624 恒吉投谷八幡法楽和歌

    恒吉投谷八幡宮への法楽和歌。寄神祇祝および夏日同詠松間郭公を題に、久高・図書頭忠長らが神徳、夏夜、郭公などを詠んだ歌群。

  26. 後編3-No.1625 山口直友書状

    山口直友が島津忠恒へ、図書頭忠長が上洛し本多正純と協議していることを伝える。内府が関東へ下向すれば対談が難しくなるため、在洛中に急ぎ上洛して懇談するよう促し、太刀・馬・硫黄・砂糖の進上披露も報じた。

  27. 後編3-No.1626 山口直友書状

    山口直友が、図書頭忠長の上洛時に島津両殿の意向を内府へ申し上げ、直書を得て懸案が解決したと報じる。内府が八月に関東へ下向するため、龍伯は六月二十日以前に出船し急ぎ上洛すべきだと促した。

  28. 後編3-No.1627 島津家久譜

    島津忠長が京都で和議を決し、徳川家康が龍伯へ誓紙を与えた経緯を記す。薩摩・大隅の従来所領を安堵し、忠恒への家督譲与および義弘の扱いにも異議を差し挟まないとした。

  29. 後編3-No.1628 寺沢正成広高書状

    寺沢広高が、図書頭忠長の上洛によって懸案が解決し内府の神文も確認したことを喜ぶ。内府が八月に鷹野のため関東へ下向するので、龍伯は六月中に急ぎ上洛するよう勧めた書状。

  30. 後編3-No.1629 本多正純書状

    本多正純が贈答に礼を述べ、龍伯・少将の願いが解決したことを祝う。この機会に龍伯の上洛を急ぐよう相談すべきだとし、佐渡守宛の巻物を受け取って届けること、今後も用向きを申し付けるよう伝えた。

  31. 後編3-No.1630 山口直友書状

    山口直友書状の正文が存在することを示すが、本文は別掲文書と同文であるため省略されている。

  32. 後編3-No.1631 本多正純書状

    本多正純が鎌田政近へ、前年以来の相談に礼を述べ、龍伯・少将の願いが御前で解決したことを報じる。龍伯の上洛を急ぐよう求め、佐渡守宛の硫黄五十斤を受領して届けると伝えた書状。

  33. 後編3-No.1632 某追悼文・和歌

    連歌師里村紹巴の生涯と業績を回顧する追悼文。若年から奈良・京都で和歌・連歌の道に励み、宗祇の遺風を継いだこと、八十歳で没したことを悼み、辞世・追悼の和歌を添える。

  34. 後編3-No.1633 島津龍伯書状

    島津義久が中性院へ、惟新の看経の次第について、失念したため中性院へ問い合わせたと聞いた旨を述べる。儀式・伝承の内容を詳しく教示してほしいと依頼した書状。

  35. 後編3-No.1634 福島正則書状

    福島正則が島津忠恒を迎える書状を送り、上洛があまりに遅いため心配していること、山口直友とも度々話していることを述べ、急いで上洛するよう促した。

  36. 後編3-No.1635 加藤清正書状

    加藤清正書状はNo.1506文書と同文であるため、本文が省略されている。

  37. 後編3-No.1636 徳川家康御内書

    徳川家康が島津忠恒から年頭の祝儀として太刀一腰と馬一疋を受け取り、喜悦の意を示した御内書。

  38. 後編3-No.1637 島津忠長外三名連署加増目録

    島津忠長・鎌田政近・比志島国貞・樺山久高が連署し、薩摩国川辺郡田部田村・鹿籠村内の諸地、合計百四十三石余を加増として宛行った目録。

  39. 後編3-No.1638 島津氏譜抄

    島津氏譜抄は、和久甚兵衛が鎌田政近らと同行し、慶長七年六月三日に下着したことを記す。島津忠長・鎌田政近・比志島国貞・樺山久高の名を掲げる。

  40. 後編3-No.1639 島津惟新書状

    島津義弘が忠恒へ、当地方への移動予定を承知したと述べる。龍伯から申し出があっても、詳しい連絡が届くまでは即答を控えるよう助言し、比志島紀伊守にも同地へ参るよう伝えた書状。

  41. 後編3-No.1640 山岡景友書状

    山岡景友が龍伯へ、享徳院の上洛に伴う書状に礼を述べる。図書頭忠長が上洛し、内府の龍伯に対する意向に変わりはないため、早い上洛を待っていること、現況は山口直友から報告されると伝えた。

  42. 後編3-No.1641 島津忠長譜

    島津忠長譜は、慶長七年春に龍伯が忠長と旅庵を京都へ遣わした経緯を記す。前年の誓約を踏まえ、井伊直政・本多正信らを介して徳川家康との盟約を再確認し、島津家の和議成立を進めた。

  43. 後編3-No.1642 島津図書久通蔵正文注記

    「正文在島津図書久通」とのみ記し、関係する正文が島津図書久通のもとに所在する旨を示す注記。本文・日付・宛所などは掲げられていない。

  44. 後編3-No.1643 島津惟新書状

    島津義弘が図書頭忠長へ、和久甚兵衛尉が六月三日に到着したことを告げる。上方での交渉を心配していたが、内府の御前で異議なく神裁も示され、義弘自身の処遇まで明確になったことを喜んだ書状。

  45. 後編3-No.1644 島津龍伯起請文

    島津義久が、報告・伝達事項を隠さず申し出ること、秘密を漏らさず相手を裏切らないことなどを誓う起請文。梵天・帝釈・八幡大菩薩ほか諸神仏の罰を掲げて誓約の履行を保証する。

  46. 後編3-No.1645 島津龍伯書状

    島津義久が又四郎へ、しばらく音信を欠いたことを詫びる。京都から上洛を急ぐよう催促されているため翌月には必ず出立する覚悟であり、相手の到着も近々待ち受けると伝えた書状。

  47. 後編3-No.1646 島津惟新書状

    島津義弘が金蔵坊へ、前日の日没前に現れた亥・子・丑・卯方の気について見解を尋ねる。自らは夏秋冬の死火と見たとし、秋冬の兆しや弟子衆の判断を詳しく知らせるよう求めた書状。

  48. 後編3-No.1647 島津惟新書状

    島津義弘が、前夜七つ時に一筋の気が立ったことを知らせ、その性質について金蔵坊の観察と判断を求める。あわせて弟子衆の見解も詳しく報告するよう依頼した書状。

  49. 後編3-No.1648 時任義高系図

    時任義高の系譜記事。初名・法号、生年を記し、高原城攻めや大友軍との戦いで軍功を立てたこと、慶長十年に六十八歳で没したことと法名を掲げる。

  50. 後編3-No.1649 島津惟新書状

    島津義弘が、翌日の移動予定を違えれば面目に関わるため、ほかの用事を差し置いてでも早朝に必ず出発するよう強く求める。関係者へも当日中に伝達して準備を整えるよう指示した書状。

  51. 後編3-No.1650 和田氏譜

    和田氏譜は、関ヶ原後に島津忠恒が帰国し、山口直友らの仲介で徳川方との和議が成立して上洛を企てた経緯を記す。領内が不安定ななか、重臣らに結束と忠誠を誓わせた。

  52. 後編3-No.1651 白坂為安外四名連署起請文前書

    白坂為安ら五名が連署し、内府との交渉以来、惟新を見捨てず忠恒へ命を懸けて奉公すること、外部の策謀に従わず直ちに報告すること、主家のためになる事柄を隠さず申し上げることを神仏に誓った。

  53. 後編3-No.1652 島津惟新書状

    島津義弘が忠恒へ、寺沢志摩守への使者が阿久根境の西方という場所に留め置かれていると、本田六右衛門尉から報告があったことを伝える。事情を確認し、舟を手配して対応するよう求めた書状。

  54. 後編3-No.1653 本田親次・同元親連署起請文

    本田親次・元親父子が連署し、主君に背かず命を懸けて奉公すること、外部の計策に従わず直ちに報告すること、主家のためになる事柄を隠さず申し上げることを神仏に誓った起請文。

  55. 後編3-No.1654 本田親次・同元親連署起請文

    本田親次・元親父子が、主君への忠節、陰謀への不参加、重要情報の即時報告を誓約した連署起請文。違反時には諸神仏の罰を受けるとする。

  56. 後編3-No.1655 昭高院如雪書状

    昭高院如雪が島津義弘へ、病気見舞への礼を述べ、図書頭忠長の上着を喜ぶ。龍伯が近日上洛するとの知らせに触れ、内府が翌月東国へ向かう前に到着することを望み、祈祷にも油断しないと伝えた。

  57. 後編3-No.1656 福島正則書状

    福島正則が龍伯へ、徳川家康から島津家に異儀なしとの神文が遣わされたことを祝う。この機会に龍伯は急ぎ上洛すべきであり、正則も書状の趣旨に従って上洛すること、詳細は兵庫頭から口上で伝えるとした。

  58. 後編3-No.1657 島津惟新書状

    島津義弘が忠恒へ、有方某の上洛を協議中であると伝える。交渉内容が漏れれば使者が困るため、三原諸右衛門尉ら協議参加者に口外しない旨の神文を提出させ、道中の供人が離脱しないよう備えることを求めた。

  59. 後編3-No.1658 山口直友書状

    山口直友が龍伯へ、六月十三日付書状を受け、図書頭忠長の申し入れに対する内府の直書を旅庵へ渡したと報じる。内府が翌月関東へ下向するため、道中に注意して上洛を急ぐよう強く促した。

  60. 後編3-No.1659 本多正純書状

    本多正純が島津義弘へ、旅庵の帰着と島津家の懸案が異議なく整ったことを喜ぶ。龍伯が近日上洛するとの知らせを祝し、従来申し合わせた方針どおり慎重に進めるよう伝えた書状。

  61. 後編3-No.1660 島津惟新書状

    島津義弘が忠恒へ、上之山城普請を見分した所見を伝え、兵部少輔にも意見を含めたと述べる。城・屋形の移転や普請方法、家臣の配置と費用負担について独断を避け、関係者の意見を聴いて慎重に決めるよう諫めた。

  62. 後編3-No.1661 本田助丞元親証文

    本田助丞元親が、財部伝内・中馬甚右衛門尉との三人組で菊屋宗可から京都で購入した小袖代の未進銀六十八匁について、返済責任と精算方法を記した証文。

  63. 後編3-No.1662 本田助丞証文

    本田助丞が、曽木五兵衛・中馬甚右衛門尉との三人組で菊屋宗可から京都で購入した小袖代の未進銀二百四匁について、自分の負担分を算用して精算するよう求めた証文。

  64. 後編3-No.1663 島津忠長外三名連署加増目録

    島津忠長ら四名が連署し、薩摩国日置郡伊集院下神殿村の浮免五石二斗五升を安藤左近允へ加増した目録。先年の川内行幸時、途中で大閤の輿を担ぎ上げた働きへの褒美とする。

  65. 後編3-No.1664 島津龍伯書状

    島津義久が安藤左近允へ、翌日に必ず出立するので準備を怠らないよう告げる。伊集院久治(抱節)と喜入大炊助を帖佐へ派遣して懸案を解決させ、上方へ持参する使者の選定や愛宕山への取次も依頼した書状。

  66. 後編3-No.1665 島津龍伯書状案

    島津義久が少将忠恒へ、度重なる上洛命令を受けて準備したものの、前年以来の病気が悪化したため、急きょ又八郎を上京させると説明する。名護屋在陣以来の厚意を忘れず、公儀へ別心はないこと、病を仮病と疑われるのは迷惑であることを神仏に誓い、この趣旨の取次を頼んだ書状案。

  67. 後編3-No.1666 島津忠恒起請文

    島津忠恒が山口直友へ、願意を受け入れて神文をもって違背しないこと、忠節を尽くす者には特別に懇意にすること、疑わしい事柄があれば糺明することを誓った起請文。

  68. 後編3-No.1667 旧記

    旧記は、関ヶ原退陣後に島津家中で続戦か和睦かを協議した経緯を記す。龍伯の抗戦論に対し惟新らが慎重論を唱え、三州の支配、家臣団の結束、誓紙・人質、国分・谷山での会談などを通じて内紛回避と和議を模索した。

  69. 後編3-No.1668 樺山紹剣自記

    樺山紹剣の自記は、島津忠恒が八月末までの上洛出立を予定し、野尻に滞留した間に伊集院忠真とその弟・母らを各地で討ったことを記す。これにより上洛の障害が除かれたとする。

  70. 後編3-No.1669 某自記

    某自記は、慶長七年八月一日に島津忠恒が鹿児島を出立し、北郷三久らを従えて日向野尻に滞在した経緯を記す。十七日に伊集院忠真とその兄弟・母らを各地で誅殺し、上洛へ向かった。

  71. 後編3-No.1670 新納旅庵譜

    新納旅庵譜は、島津忠恒が慶長七年八月一日に鹿児島を出立し、野尻で伊集院忠真を討ったのち上洛した経緯を記す。関ヶ原後の家中不安を収め、徳川方との和議を実行するための行動として述べる。

  72. 後編3-No.1671 新納旅庵起請文

    新納旅庵が、龍伯・惟新・少将の三君に永く二心なく奉公し、今後も忠節を尽くすこと、主家に不利益な情報を隠さず報告することを諸神仏に誓った起請文。

  73. 後編3-No.1672 三輪先達良盛書状

    三輪先達良盛が少将忠恒へ、僧祇補任の仰せにより進上したことを報じ、祝儀の銀子を頂戴した礼を述べる。錫杖の寄進は国宝として末代まで相続するとし、詳細は有方坊・大泉坊から申し上げると伝えた書状。

  74. 後編3-No.1673 三輪先達良盛書状

    三輪先達良盛が龍伯へ、書状を拝受し、衆中で命じられた大護摩を吉日に執行すると報じる。銀子二百目を受領し、札巻と守矢を進上して、国家安全・武運長久・子孫繁昌を祈祷すると伝えた書状。

  75. 後編3-No.1674 島津宗恕以久起請文

    島津宗恕以久が、協議内容を一切漏らさないこと、肥後方面からの書状を隠さず提出し今後は計策に同心しないこと、前年の佐土原交渉で三殿に不利な言上をしていないことを神仏に誓った起請文。

  76. 後編3-No.1675 某起請文前書

    差出人不詳の起請文前書。龍伯が又四郎を少将に替えるとの風聞や京都からの朱印をめぐり、事実を隠さず申し上げ、虚偽・讒言・私曲を行わず主家に忠節を尽くすことを誓う。

  77. 後編3-No.1676 某起請文前書

    差出人不詳の起請文前書。本文は別掲の同趣旨文書と重複するため省略され、起請文の存在と所蔵情報のみを示す。

  78. 後編3-No.1677 島津惟新起請文前書

    島津義弘が、和議交渉の内容を隠さず報告したこと、今後いかなる讒言があっても腹蔵なく熟談し島津家長久を図ること、京都からの御暇を勧めたのは私曲ではないことを神仏に誓った起請文前書。

  79. 後編3-No.1678 島津龍伯書状

    島津龍伯が島津忠恒(又八郎)へ、出立の際に贈るつもりで細工屋へ仕立てを命じた長刀が遅れて完成したため、改めて一腰を贈ると伝えた書状。原典には「家久公御譜中」とある。

  80. 後編3-No.1679 島津龍伯書状

    島津龍伯が島津忠恒(又八郎)へ、六月以来の病気療養で上洛が延引したことを詫び、養生を尽くして翌月には必ず上洛する覚悟であると述べる。事情説明のため飛脚を差し上せたので披露するよう頼んだ書状。

  81. 後編3-No.1680 島津忠恒書状案

    島津忠恒が龍伯へ差し上げる書状案。本文はNo.1681と同文であるため原本掲載では省略され、同文書を参照する旨だけが注記される。

  82. 後編3-No.1681 島津忠恒書状案

    島津忠恒が龍伯へ、富隈衆の制止を退けて上洛するのは島津家への忠節と龍伯への奉公のためであり、龍伯に背く意図はないと弁明する。忠孝を欠くとの叱責に驚き、家の長久を願って意見を申し上げたと述べた書状案。

  83. 後編3-No.1682 島津忠恒書状

    島津忠恒が惟新へ、先に伊勢平左衛門尉を通じて申し上げた件の進捗を問い、有方が山へ向けて出立し逃亡する可能性があるため注意するよう急報する。当地のことは安心してよく、詳細は使者に託した。

  84. 後編3-No.1683 旧記

    旧記は、慶長七年八月十七日に伊集院源次郎忠真が島津忠恒の命で成敗されたことを簡潔に記す。

  85. 後編3-No.1684 伊地知季安愚考

    伊地知季安愚考は、伊集院忠真が加藤清正の威を頼んで再び謀反を企てたことが露見し、川田国鏡の内命を受けた押川則義と渕脇平馬が、慶長七年八月十七日に野尻大津の狩倉で待ち伏せたと記す。案内者の誤りで則義は平田新四郎を鉄砲で射殺し、続いて平馬が忠真を射殺した。忠真は三十三歳で、墓は野尻にあり、法名を法山道機…

  86. 後編3-No.1685 伊地知季安愚考

    伊地知季安愚考は、渕脇平馬が押川則義とともに内命を奉じ、慶長七年八月に野尻大津の狩倉で伊集院忠真を待ち伏せたと記す。平馬が忠真を鉄砲で射殺した一方、忠真が平田新四郎と馬を乗り替えたため案内者が取り違え、則義は平田を射殺した。則義は人違いを恥じて自害したという。

  87. 後編3-No.1686 島津龍伯書状

    島津龍伯が忠恒へ、小吉ら使者二人の到着と書状披見を報じる。直ちに返答せず惟新と相談してから伝えるとし、有方からの先の早打が慌ただしく通過した事情を詳しく尋ねて知らせるよう求めた。

  88. 後編3-No.1687 島津惟新書状

    島津惟新が忠恒へ、別府と飛脚の到着時刻を報じ、伊勢平左衛門尉を介した案件に異状がないか尋ねる。有方が山へ出たことを案じつつ、別儀はないだろうとして吉報を待つと伝えた。

  89. 後編3-No.1688 島津家久譜

    島津家久譜は、伊集院忠真が再び謀反を企て、加藤清正との通謀などが露見したため、忠恒が上洛の途次、野尻で狩を催して忠真を誘い出し誅殺した経緯を記す。忠真方の者は各地で捕縛・処断され、伊集院一族や関係者の配置・知行、忠真討伐に関わった押川則義らの動向も列挙し、上洛の障害を除いたとする。

  90. 後編3-No.1689 伊集院忠真科条々

    伊集院忠真を処断する根拠となった科条。主命・家中の裁許への違背、加藤清正ら他国勢力との通謀、忠恒・龍伯・惟新への逆心、家臣や人員の隠匿、虚偽の申告、軍役・知行処理の不正、殺害・騒乱など多数の罪状を列挙し、忠真と関係者を処罰して上洛前の不安を除くことを正当化する。

  91. 後編3-No.1690 島津忠長譜

    島津忠長譜は、伊集院忠真の陰謀が露見して国中が不安定ななか、忠恒が島津家の大難を救うため上洛を決意した経緯を記す。関ヶ原での責任を徳川家康へ謝するため、鹿児島を発し、播磨室津・大坂・伏見へ進んだ。

  92. 後編3-No.1691 北郷忠能譜

    北郷忠能譜は、島津忠恒が上洛途上に野尻城へ滞在し、八月十七日に伊集院忠真を誅したことを記す。忠能は野尻で忠恒に拝謁し、家中の疑念が除かれて島津家の安泰が定まったとする。

  93. 後編3-No.1692 北郷三久譜

    北郷三久譜は、関ヶ原合戦後、島津忠恒が初めて山城国伏見へ上洛した際、北郷三久が供奉の列に加わっていたことを記す。

  94. 後編3-No.1693 北郷久村譜

    北郷久村譜は、慶長七年八月の野尻で伊集院忠真を討った際、島津右馬頭が率いる軍勢に久村が加わったことを記す。忠真方の激しい抵抗を破って攻撃し、久村の家臣十余人が戦死した。

  95. 後編3-No.1694 伊集院忠真譜

    伊集院忠真譜は、島津忠恒が京都へ向かう途中に日向国野尻へ滞在し、忠真の隠謀が露見したため、慶長七年八月十七日に当地で忠真を討ったことを記す。

  96. 後編3-No.1695 島津惟新書状

    島津惟新が本田六右衛門尉へ、忠恒の出船後に音信がなく案じていたが、三原諸右衛門尉から無事を聞き、二度の大風にも遭わず到着したことを喜ぶ。供奉衆に油断なく奉公させ、忠恒へ伝言するとともに、旅先の様子を詳しく知らせるよう求めた。

  97. 後編3-No.1696 雑抄

    島津惟新が忠恒へ、弓箭の時節で人手が減ったため、伊集院忠真旧臣や祁答院の百姓・流浪者を召し抱え、離散防止の誓紙を出させたと報じる。助九から忠恒側の様子を聞いたこと、忠恒の上洛をめぐる世評を案じ、友賢に占わせた結果と心構えを記した書付を送ることなどを伝えた。

  98. 後編3-No.1697 山田四郎左衛門聞書

    山田四郎左衛門の聞書は、龍伯・惟新・忠恒の関係が疎遠となり、家臣も三方に分かれて不穏な風聞が広がった時期を回想する。忠恒の船行に供衆が緊張したことや、のちに押川強兵衛・中村氏へ命じて平田太郎左衛門を鉄砲で討たせたことを記す。

  99. 後編3-No.1698 島津龍伯書状

    島津龍伯が忠恒へ、書状を披見し、小伝次に関する加藤主からの書状を探したが、謡本の類しかなかったと報じる。白石宗右衛門尉と伊地知甚左衛門尉にも調査を命じ、事情を相談したうえで知らせるとし、総右衛門尉の件も有方と相談して処置するよう述べた。

  100. 後編3-No.1699 某起請文前書

    白石豊三と同名惣右衛門尉に対する糺明に関連し、知り得た内密の内容を決して口外しないことを誓った起請文前書。違反した場合は神罰を受けるとする。