ARCHIVE DIRECTORY
後編3の目録
旧記雑録 文禄5年~慶長9年の文書・記事です。
全1,990件中 1501~1600件・16 / 20ページ
後編3-No.1500 島津忠恒書状
島津忠恒(家久)が龍伯に、上方使者との重要な談合のため鹿児島へ来るよう求める。使者には龍伯到着まで待つよう伝えており、今回の協議は一大事の決着に関わるため、早急な来訪を重ねて要請した。
後編3-No.1501 島津竜伯詠草
島津義久(龍伯)が慶長六年六月二十三日、大中追善の折に詠んだ和歌「夕立のやとりかなしの天つ空」を記した詠草。
後編3-No.1502 本多正信書状
本多正信が新納旅庵に、急な上京と雨中の難儀を気遣い、島津領国の処置が順調に整ったことを祝う。目録どおりの品を送り、近いうちに面会したいと伝えた書状。
後編3-No.1503 島津忠長外三名連署加増目録
島津忠長・比志島国貞・鎌田政近・平田増宗が、土持次郎九郎に南郷村内の五百石を加増し、所務を命じた目録。
後編3-No.1504 徳川家康直書
徳川家康が島津忠恒に、細川忠興を介して口上を伝えるので了承するよう求めた直書。
後編3-No.1505 安宅秀安書状
安宅秀安が島津義弘に、本田源右衛門を急ぎ上京させるよう求め、詳しい事情は本人の口上に委ねた書状。
後編3-No.1506 加藤清正書状
加藤清正が島津忠恒に、徳川家康へ提出した陳謝の処置や境目の衆への指示、水俣申越の停滞を問い、疑念を解いて返答するよう求めた書状。
後編3-No.1507 平田増宗寄進状
平田増宗が、唯怒参の墓所で酒肴を供え、後年も供養を絶やさないよう福昌寺へ田地を寄進した書状。
後編3-No.1508 島津忠長外三名連署知行目録
島津忠長ら四名が、白鳥権現の宮作成を理由に、白鳥山座主へ桑原之郡栗野之内など合計約二百石を付置した知行目録。
後編3-No.1509 有川貞政書状
有川貞政が本田助允に、銀子二百五十八匁の相渡しと、供の者六人へ三か月分の飯米・衣裳分を給したことを記し、銀子の用途を詳しく書き留めるよう求めた書状。
後編3-No.1510 本田助允覚書
本田助允が、有川貞政から受け取った銀子・米・銭・衣裳調料などの内訳と、その配分先・数量を列記した会計覚書。
後編3-No.1511 新納忠元領知目録
新納忠元が、大口の坂本周辺にある田地を複数の者へ割り当て、各筆の所在地・面積と領知人を列記した合計五石一合の領知目録。
後編3-No.1512 島津家久譜
宇喜多秀家が備前での中納言家断絶後に薩摩山川へ逃れ、島津義弘が伊勢平左衛門・相良新右衛門のもとへ匿ったとの伝承を記す。ただし記事末尾は、通説と異なり真偽不明としている。
後編3-No.1513 島津惟新書状
島津義弘が島津忠恒に、山川へ着船した京都方面の者を龍伯の意向に従って伊勢平左衛門・相良新右衛門に尋問させ、急ぎ報告するよう求めた書状。
後編3-No.1514 島津忠恒書状
島津忠恒が島津義弘に、京都方面から来た者について伊勢平左衛門・相良新右衛門を派遣して尋問させる案を了承し、その者を義久(龍伯)へ移すことも認めた書状。
後編3-No.1515 健軍惟古起請文
健軍惟古が伊勢平左衛門に、福島正則のもとへの使者として龍伯・惟新・少将の意向を伝えるにあたり、人数や相談内容などを他言しないと誓った起請文。
後編3-No.1516 宇喜多秀家書状
宇喜多秀家が島津義弘に、先に成元と名乗ったが今回休復と改名したと知らせ、庇護への謝意と今後も変わらぬ厚遇を願った書状。
後編3-No.1517 宇喜多休復書状
宇喜多秀家(休復)の六月二十九日付書状。No.1516と同文のため、本箇所では本文を省略している。
後編3-No.1518 伊集院久治・山田有信連署知行目録
伊集院久治(抱節)と山田有信(理安)が連署し、大隅国曽於郡財部日光神村内の田地・浮免など合計十石を日光神社の知行として定めた目録。
後編3-No.1519 山口直友書状
山口直友が島津忠恒に、先の使者から事情を詳しく聞いたことを喜び、島津忠長の上洛はもっともだと述べる。京都の情勢に変化はないが桑野が重病のため詳細を省き、井伊直政からも書状が届く見込みと伝えた。
後編3-No.1520 福島正則書状
福島正則が島津忠恒に、和久甚兵衛と鎌田政近の談合、伊勢平左衛門らとの協議、伊集院久治・山田有信の上方召喚について助言した書状。本文はNo.1566と同文のため本箇所では省略されている。
後編3-No.1521 島津惟新書状案
島津義弘が寺沢正成に、徳川家康の意向を承知した礼として、忠恒が鎌田政近を使者に上洛させたと報じる。京都への使者に船などを提供するとの寺沢の厚意に謝し、今後も支援を依頼した書状案。
後編3-No.1522 島津龍伯書状
島津義久が島津忠恒に、和久甚兵衛と鎌田政近の談合を急がせ、帰国後は伊勢平左衛門らと協議するよう指示する。伊集院久治・山田有信を軽々しく上方へ召さないことや、山口直友書状の扱いにも触れた。
後編3-No.1523 本多正信書状
本多正信が島津忠恒に、以前に義弘の内意を徳川家康へ伝えた経緯を述べる。謝礼使者を駿府へ同道する予定だったが普請役のため上野介へ取り次ぎ、良好な結果が期待できると伝えた。
後編3-No.1524 寺沢正成書状
寺沢正成が島津忠恒に、山口直友へ新納旅庵を副えた使者を送ること、上方へ直使を立てる際は船を用意することを承知したと伝える。牢岐八右衛門を天草久玉まで派遣し、渡海を支援するとした。
後編3-No.1525 島津惟新書状
島津義弘が島津義久に、懸案の相談がまとまったことを喜び、船を出して使者一人を七月二十三・二十四日頃に送ると知らせる。使者が鹿児島へ着く時には伊集院久治(抱節)を同席させる手筈であると伝えた。
後編3-No.1526 頴娃忠冨外九名連署起請文
頴娃忠冨ら十名が、命じられた軍事上の事項を他言しないと誓約した連署起請文。梵天・帝釈天以下の諸神仏を挙げ、違反時の神罰を誓う。
後編3-No.1527 三原重貞外五名連署起請文
三原重貞ら六名が、市来八左衛門尉に対し、命じられた弓稽古に関する事項を他言せず秘密を守ると誓った連署起請文。虚偽の場合の神罰条項を付す。
後編3-No.1528 伊集院久治・山田有信連署知行目録
伊集院久治(抱節)と山田有信(理安)が連署し、大隅国小根占村内の甚五郎屋敷二十石を園林寺へ新知として配分した知行目録。
後編3-No.1529 鎌田政近書状
鎌田政近が上洛後の状況を詳報する。細島出船から室津・京都・大坂・伏見への行程、諸大名・奉行との取次、城普請、島津家の進退交渉、伊集院久治・山田有信の扱いなどを記し、慎重な対応を求めた書状。
後編3-No.1530 島津忠恒書状
島津忠恒が本田源右衛門に、諸境目の普請は特に念を入れて進めるよう諸方へ命じたと伝え、担当する境でも油断なく実施するよう命じる。詳細は山鹿弥助の口上に託した書状。
後編3-No.1531 島津惟新書状案
島津義弘が島津忠恒に、談合のため富隈へ来るとの意向を喜び、風が強ければ義弘のもとへ直接来るよう伊地知主計助を介して伝える。面談して相談すべき事柄が多いため来訪を待つとした書状案。
後編3-No.1532 樺山紹剣自記
樺山紹剣自記は、鎌田政近が上洛し、山口直友の取次で本多正信らと島津家の赦免・上洛を交渉した経緯を記す。徳川家康の意向や諸士との折衝を受け、神慮を問うたうえで上洛する方針となり、準備が慶長七年秋まで延びた。
後編3-No.1533 旧記抄
慶長五年末、上方勢の薩州来攻や加藤清正の水俣進出との風聞を受け、蒲生城の普請・籠城準備を進めた経緯を記す。松岡勝兵衛の指図で矢倉を上げ、城内へ諸士を召し移した記事。
後編3-No.1534 島津龍伯・惟新・忠恒連署掟書
島津義久・義弘・忠恒が連署して家中統制を定めた掟書。武具、出陣時の自賄、殿役、普請・狩、喧嘩、地頭への服従、戦場規律、奉公人の勤務、縁者の加勢、飲食節制、出物の納期を規定し、違反者の所領没収・成敗を命じる。
後編3-No.1535 伊集院久治・山田有信連署状
伊集院久治と山田有信が鎌田政近に、龍伯を迎える上方使者の下向や龍伯帰国の風聞を報じる。当国衰微で諸式が整わない事情を述べ、情報収集と周到な対応を求めた連署状。
後編3-No.1536 鎌田政近書状
鎌田政近が徳川家康への拝謁と上方交渉を報告する。日向坂より下の所務を進め、龍伯の上洛を急ぐ一方、図書頭の上洛は不要と伝え、進物は唐物・金銀が適当であることや山口直友らへの働きかけを助言した書状。
後編3-No.1537 島津忠長外三名連署知行目録
比志島国貞・鎌田政近・平田増宗らが、薩摩国加世田小湊村の田畠を源兵衛尉へ安堵した知行目録。日新が以前寄進し、天下の命で召し上げられていた所領を、少将忠恒の命により再び付与した。
後編3-No.1538 島津義久譜
島津義久譜は、義久が鎌田政近を派遣し、本多正信・井伊直政・山口直友へ謝意を伝えた経緯を記す。逆乱に加わる意図はなかったとして内府の恩に感謝し、正信と直友の起請文によって疑念が解かれたとする。
後編3-No.1539 世録記
世録記は、島津義久が鎌田政近を通じ、本多正信・井伊直政・山口直友へ礼謝したことを記す。逆乱の渦中で負った罪を赦され上京を許されたことを天恩とし、正信・直友の誓文が疑念のないことを示したとする。
後編3-No.1540 山口直友・本多正信連署起請文
山口直友と本多正信の連署起請文。本文はNo.2547と同文のため本箇所では省略され、島津義久譜に収められていることだけが注記される。
後編3-No.1541 島津龍伯詠草
島津義久(龍伯)が伊作天神への法楽として「たつ霧も地にはのぼらぬ嶋ね哉」と詠み、署名を添えた詠草。
後編3-No.1542 平田増宗書状
平田増宗が本田助左衛門に、熊嶽へ日新が以前判物で付与した所領について、近年の中断を経て再び付与されたため滞りなく引き渡すよう命じ、細部を使僧の口上に託した書状。
後編3-No.1543 鎌田政近書状
鎌田政近が本田助左衛門の来訪と尽力に謝意を述べ、熊嶽へ使者を遣わして尋ねる事項を書き付けさせるよう求める。急ぎのため帰国後を待たずに依頼し、本多正信の当地来訪にも触れた書状。
後編3-No.1544 鎌田政近書状案
鎌田政近が上方の政治処理を詳報する書状案。島津父子は逆乱に関与しなかったため領国が概ね安堵されたこと、上杉景勝の降参、佐土原の知行処理、井伊直政との面会や病気による帰国延期、出船予定などを伝える。
後編3-No.1545 島津惟新願文
島津義弘(惟新)が、自身の悪名・災難の消除と、島津忠恒の国家泰平・武運長久・息災延命・子孫繁栄・諸願成就を祈り、太刀一振を奉納すると誓った願文。
後編3-No.1546 島津義久譜
島津義久譜の記事。本文はNo.1538と同文のため本箇所では省略され、同記事を参照する旨だけが記される。
後編3-No.1547 山口直友・本多正信連署起請文
山口直友と本多正信が連署し、龍伯・少将の身命と島津領国を約束どおり保障し、兵庫頭義弘についても両人と一体として取り成すことを神々に誓った起請文。違背時には諸神の罰を受けるとする。
後編3-No.1548 島津惟新書状
島津惟新が、肥後勢の芦北進出との風聞を受けて本田六右衛門らを派遣し、忠恒のため祈念札を用意したことを伝える。芦北・出水や日向方面の風聞について、現地の様子を詳しく報告するよう求めた。
後編3-No.1549 伊勢如貴貞知書状
伊勢如貴貞知が、忠恒から鹿皮三十枚を贈られた礼を述べ、和睦が速やかに成立したことを祝う。白蓮・秋菊・仙翁花の種、甘葛や薫物にも触れ、京都は静謐で、内府が鷹狩のため東国へ赴く予定だと伝える。
後編3-No.1550 昭高院如雪道澄書状
昭高院如雪道澄が島津家の和談成立を祝し、大峯での祈念を怠らないと伝える。上洛した鎌田政近が翌日帰国すると聞いたため書状を託し、松茸一折を贈り、詳細を倉水主水祐の口上に委ねた。
後編3-No.1551 近衛龍山前久書状
近衛龍山前久が、前日に龍伯法印の使者と初めて対面した喜びを述べる。もう一度雑談したかったが翌日帰国すると聞いて残念に思い、返書と松茸一折を託し、詳細を倉水主水祐に委ねた。
後編3-No.1552 昭高院如雪書状
昭高院如雪が、鎌田政近の上洛と懇書を受け、内府との和睦が速やかに整い島津家に有利な形で決着したことを祝う。兵庫頭についても異議はないとし、生糸の贈答に礼を述べ、大峯護摩などの祈念を続けると伝える。
後編3-No.1553 近衛龍山書状
近衛龍山が島津忠恒へ、鎌田出雲守を上洛させて懸案が無事に済んだことを祝い、島津家長久の基だと述べた書状。前年夏にもらった鳥犬を今も秘蔵し、雄犬は稀少であること、龍伯から贈られた犬との間に子犬が生まれ、重宝していると伝える。忠恒が馬・鷹を好むと聞いて尤もとし、自身は老齢ながら下国を念願しており、天下が…
後編3-No.1554 徳川家康直書
徳川家康が重陽の祝儀として小袖を贈られた礼を述べ、伏見・美濃方面の動向と旅庵の報告を承知したと伝える。佐土原への有馬入道派遣や軍勢の抑留を指示し、速やかな和平成立を図った直書。
後編3-No.1555 島津惟新書状案
島津惟新が、伊丹屋助四郎を死罪とする決定の実施状況を問い、内府の命と少将の墨付による禁制を厳守するよう命じた書状案。出船時の不審な動きも踏まえ、詳しい返報を求める。
後編3-No.1556 木下宗古書状
木下宗古が皮五十枚の拝領に礼を述べ、鎌田政近の上洛交渉が意向どおり整ったことを祝う。島津諸将の上洛・対面や帰国をめぐる近衛前久・内府側の見解を詳報し、早期の無事解決を促す。
後編3-No.1557 小出秀政書状
小出秀政が世上の混乱で無音となったことを詫び、兵庫頭義弘の早い帰国を祝う。内府の前で無事に案件が決着し、使者を上らせたことを喜び、贈られた銀子二十枚への礼を述べた。
後編3-No.1558 島津惟新書状
島津惟新が和談成立を祝し、旅庵・本多佐渡守・鎌田政近の働きで佐土原問題が調整されつつあると伝える。京都の判断を待つまで佐土原を堅固に守り、番手の人数を十分に配置するよう求めた。
後編3-No.1559 島津忠恒書状
島津忠恒が相手の療養を気遣い、上井甚六を派遣して容体の報告を求める。上方は静謐なので心配不要とし、旅庵や市正への取次、贈られた品への謝意、山本太郎右衛門からの伝言を記す。
後編3-No.1560 片桐貞隆書状
片桐貞隆が、前年以来の無音を詫び、島津側の案件が速やかに解決したことを祝って近日の上洛を待つ。伏見・美濃方面の動向と旅庵の口上を承知し、上方は静謐で、市正方への取次にも応じると伝える。
後編3-No.1561 島津惟新書状案
島津惟新が、異国人に関わる伊丹屋助四郎は当地で成敗され、その他の者は吉右衛門尉の船で帰帆する予定だと伝える。船が朔日に出る前に処理を済ませたか確認し、油断なく実施して報告するよう命じる。
後編3-No.1562 文珠院某書状
文珠院某が、奉行衆が内府へ逆心したため島津家には異議がないと見られていると伝え、早急に使節を上らせて釈明すれば解決できると助言する。近衛家の周旋にも触れ、出軍の動きが出る前の迅速な対応を促した。
後編3-No.1563 島津龍伯詠草
島津龍伯が「到時節、其利自露」という句意を追膳して詠んだ和歌。時節が到来すれば道理・利益はおのずから明らかになるという趣旨を歌に託した。
後編3-No.1564 島津龍伯書状
島津義久(龍伯)が島津忠恒に、鎌田政近の帰着と飛脚の鹿児島通過を伝える。和久甚兵衛への使者派遣について、先に真連坊へ申し置いた返答が届いたため、早々に使者を遣わすのがよいと指示した書状。
後編3-No.1565 島津忠長外三名連署加増目録
島津忠長ら四名が連署し、薩摩国祁答院の大村にある楠原弥七右衛門尉屋敷三十石二斗三升を、井尻伝次へ加増として宛行った目録。
後編3-No.1566 島津忠長外三名連署加増目録
島津忠長ら四名が連署し、薩摩国川内山田村の鹿地門三十石五升を、満尾越中守へ加増として宛行った目録。
後編3-No.1567 本多正信書状
本多正信が、島津義弘の件には心配がなく、ゆるやかに構えてよいと重ねて伝える。駿府の大御所への進物が喜ばれ、陸奥守との親交もあるため、関東・奥州へ下向しても支障なく、鎌田政近・旅庵との先の相談どおりだと保証する。
後編3-No.1568 山口直友書状
山口直友が、上方は静謐で内府は先月十二日に関東へ下向したが越年は伏見で行う予定と伝える。島津家の身上には内府前で別条がなく安心してよいとし、詳細は鎌田政近・旅庵から聞くよう述べた。
後編3-No.1569 伊勢貞成掟書
伊勢貞成が、平佐城普請などに関わる定められた負担・納入について、命令どおり遅滞や不足なく納めるよう宮路三之丞と鬼塚主税介へ命じた掟書。
後編3-No.1570 井伊直政書状
井伊直政の書状。本文はNo.2823文書と同文であるため原本掲載では省略され、同文書を参照する旨のみが注記される。
後編3-No.1571 吉武杢聾書状
吉武杢聾が龍伯・少将から尋ねを受けたことに謝意を示し、万事よい形に取り成してほしいと依頼する。当地の案件はまだ決着しておらず、両使にも伝えてあるため、面談して詳しく相談したいと述べた。
後編3-No.1572 島津忠長外三名連署加増目録
島津忠長ら四名が連署し、薩摩国指宿の拾町村にある塩入・下田などの田地を、山川熊野権現へ加増として宛行った目録。
後編3-No.1573 山口直友書状
山口直友の書状。本文はNo.2578文書と同文であるため原本掲載では省略され、同文書を参照する旨のみが注記される。
後編3-No.1574 近衛信尹書状
近衛信尹が、帰国する掃部兵衛に書状を託し、龍伯の上洛を待つ人々がいるとの京都の風聞を伝える。長十郎について玄旨からの依頼に応じ、慰めの言葉を添えるよう求めた。
後編3-No.1575 島津惟新書状案
島津惟新が、高橋右近からの使札を喜び、京都滞留後に無事帰国したことと、宮崎の件が従前どおり下知に任されたことを祝う。詳細は使者の口上に託した書状案。
後編3-No.1576 島津龍伯証状
島津龍伯が、先年在洛中に因幡堂で頼真房の灌頂が行われた際、自身が証人となって成就したことを証する。門流外・他国での灌頂を認めない旧例に対し、前代未聞の先例として有効だと確認した証状。
後編3-No.1577 霧島六所権現造立棟札
島津忠恒を大檀那として、霧島六所大権現下宮の宝殿一宇を造立したことを記す棟札。正行院法印看信、法印淳有・有賢、大工白尾常陸守国有らの名を列記する。
後編3-No.1578 山口直友書状
山口直友が、鎌田政近・旅庵の帰国後の様子を尋ね、上方は静謐で内府は江戸到着後に鷹狩を楽しんでいると伝える。龍伯の上洛を油断なく相談して進めるよう強く勧めた。
後編3-No.1579 村田雅楽助署判加増目録
村田雅楽助が署判し、屋敷三畝や法楽寺内の田地などを羽嶋藤右衛門尉へ加増として宛行った目録。各田地の面積・石高を列記する。
後編3-No.1580 殉国名蔽
殉国名薮は、井尻早左衛門祐雪が慶長六年十一月二十五日に没したと記す。戦死との記載がある一方、加世田で餓死したとも注記される。
後編3-No.1581 島津惟新書状案
島津惟新が茶器・馬具などの贈答に礼を述べ、龍伯との旧交に基づく取次が滞りなく行われたと伝える。内府の江戸下向、相手の上洛・帰国にも触れ、京都の情勢と家中の振る舞いについて慎重な対応を求めた。
後編3-No.1582 島津惟新書状
島津惟新が家の行末をよく吟味するよう諭し、図書殿の上洛をめぐって鹿児島衆が三原諸右衛門尉宅で武力行使を相談したとの風聞を問題視する。騒動を止め、船・酒宴・喧嘩などにも油断なく統制を徹底するよう命じる。
後編3-No.1583 近衛龍山書状
近衛龍山が島津忠恒から寄せられた多数の質問へ、追伸形式で項目ごとに答えた長文書状。五字・八字の題を短冊上部に記す作法や、『庭松有春色』、源氏物語絵、神祇祝・祈祷早春などの歌題を説明し、鹿皮三枚への礼も述べる。さらに鷹・馬の飼育、馬の体格や調教、鷹の薬、書物について答え、夢想では橋を題とする連歌と『賦…
後編3-No.1584 島津惟新書状
島津惟新が、本多正信・井伊直政・山口直友から身上に別儀はないとの保証を得たことを喜ぶ。少将忠恒は早々に上洛すべきだが、自身は困窮のため上洛を少し延引し、図書頭忠長を先に派遣して事情を説明すると伝えた。
後編3-No.1585 山口直友書状
山口直友が、新納旅庵の上洛時に事情を詳しく聞き、内府前では別条がないと重ねて伝える。龍伯の上洛を旅庵と相談して進めるよう求め、本多正信宛ての書状も届けて返報するとした。
後編3-No.1586 山口直友書状
山口直友が、鎌田政近の上洛時の相談どおり龍伯の上洛が妥当と伝える。図書頭を先に上らせることはよいが、龍伯自身の上洛を延引せず、早速実行するよう強く勧めた。
後編3-No.1587 山口直友書状
山口直友が、島津側の上洛は急いで実施するのがよいと重ねて勧め、上洛に関する事情と取次を簡潔に伝えた書状。
後編3-No.1588 近衛信尹書状
近衛信尹が島津側の書状を受け、図書頭を先に上洛させることを了承しつつ、龍伯本人の上洛も延引せず急ぐのがよいと勧める。図書頭の上洛後に詳しく相談するとした。
後編3-No.1589 伊勢如貴書状
伊勢如貴が、内府は江戸で越年する予定で、詳細は使者から聞くよう伝える。少将から門跡への書状を披露したが使者の急な下向で返書が間に合わず、図書頭の上洛を待つこと、龍伯の上洛を寒気のため来春まで延ばす意向を記す。
後編3-No.1590 山口直友書状
山口直友の書状。本文はNo.2339文書と同文であるため原本掲載では省略され、同文書を参照する旨のみが注記される。
後編3-No.1591 島津龍伯・忠恒連署起請文
島津龍伯と忠恒が連署・血判し、前年の不慮の事態を赦され国家を存続させるとの処置に感謝し、今後いっさい別心を抱かないと誓う。図書頭を先に上らせ、必ず本人も上洛して家の相続を願う起請文。
後編3-No.1592 島津義久譜
島津義久譜は、図書頭忠長の上洛に際し、義久と少将忠恒が徳川家康へ違心のないことを血判の誓紙で示し、提出した経緯を記す。No.1591の起請文の由来説明に当たる。
後編3-No.1593 島津龍伯書状案
島津龍伯が図書頭忠長を上洛させたことを伝え、鎌田政近の上洛時に本多正信らから示された親交・支援を今後も続けるよう依頼する。贈物として砂糖壺一つを添えた書状案。
後編3-No.1594 島津龍伯書状
島津龍伯が倉光主水佑へ、先日の返書を拝見し、猫の件を承知したので今度六匹を送り、田舎細工で見苦しいながら「ゑふくろ」二つも進上すると伝えた書状。猫とゑふくろの進上先は相手の判断に委ねる。自身は老衰しているものの、度重なる上洛要請を受けて翌年上洛する覚悟を固め、相模に関する件もその時に申し上げるので、…
後編3-No.1595 比志島国貞・平田増宗連署宛行状
比志島国貞と平田増宗が連署し、白鳥山の造営中に知行二百石を付与し、造営期間中に得る収益には諸公役を課さないと定めた宛行状。
後編3-No.1596 島津義弘書状案
島津義弘が、高畠新蔵を通じた申し入れへの返書に礼を述べる。内府は江戸で越年し、正月早々に上洛する予定だと伝え、近日使者を遣わしてさらに連絡するとした書状案。
後編3-No.1597 島津忠恒書状
島津忠恒が、惟新からの連絡として、十二日から福昌寺・帖佐で大中公追善の法華三部読誦を行う予定を伝える。忠恒自身の帰国や出水見廻りも含め、今後の移動日程を相談した書状。
後編3-No.1598 得能某記録
「得能某記録」との標題だけを掲げる。本文・日付・人物名などの記載は収録されていない。
後編3-No.1599 新納忠元勲功記
新納忠元の勲功に関する長文記録。関ヶ原合戦後、家康の伏見出立、島津領周辺の軍勢・諸城の動向、加藤清正方などへの警戒、国境・城郭の守備と兵員配置、和睦交渉や使者往来、忠元らによる家中統制・訴訟処理・知行措置などを列挙し、領国防衛と島津家存続に向けた働きを記す。