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HP-1319巻10:195公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津忠隣

異名・検索語:島津忠隣/島津三郎次郎忠隣/島津歳久/島津義虎/島津義久/遠矢信濃守/鷹取城/岩屋城/根白坂/羽柴秀長/島津家久/鎌田囚獄/島原勘助/村松弥太郎/貴島源四郎/永禄十二年/天正十四年/天正十五年/桂山昌久大禅定門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津三郎次郎忠隣は義虎の二男で、母は義久の娘。歳久の養子となった。天正十四年、十八歳で筑紫出征の副将を務め、若年のため遠矢信濃守・木脇伊賀入道を補佐に付けられた。七月六日の鷹取城攻めでは城門から二十間ほどまで進み、自ら槍を合わせて負傷。家臣脇元城之介は忠隣の前に立って攻め入り戦死した。同月二十七日には岩屋城の搦手で軍功を挙げる。翌十五年四月十七日、日向に侵攻した秀長方の根白坂陣を攻め、家久とともに先陣に進んだ。敵陣へ突入した際、銃弾が兜の前輪を貫いた。水を求めた忠隣に鎌田囚獄が青梅の枝を折って差し出すと、一口嚙んで没したと記す。十九歳。家臣が遺体を楯板に載せて退き、義久は弓矢を折って嘆いた。法名は桂山昌久大禅定門。

系譜・人物関係

義虎の二男、母は義久の娘。歳久の養子。冒頭の姪養子と見える表記から婿養子までを本条のみで断定せず、公開文は養子とする。木脇伊賀入道・遠矢信濃守は補佐、脇元城之介・鎌田囚獄は家臣として区別。

奉公・役職

天正十四年十八歳で筑紫出征の副将。若年で合戦の進退に不案内として遠矢信濃守・木脇伊賀入道を付けられた。恒常的な役職・給地を本文外から補わない。

軍役・事績

天正十四年七月六日鷹取城門二十間ほどに接近。木脇が持参した水で脇元城之介が忠隣の顔を洗い、先に攻め入って戦死。忠隣も槍を合わせ負傷。七月二十七日岩屋搦手で軍功。翌十五年四月十七日、義久の軍が秀長方先鋒宮部善祥坊の根白坂陣を攻撃。忠隣は家久と同じく先陣に進み突入。旧説明の後陣を訂正。

生没・法名等

本文は永禄十二年の誕生なるべしと推定する。天正十五年四月十七日の根白坂攻撃で銃弾が前輪を貫き、水を求める。鎌田囚獄が青梅の枝を差し出すと一口嚙んで没したと記す。十九歳、桂山昌久大禅定門。家臣は遺体を楯板で搬出。島原勘助・村松弥太郎・貴島源四郎も戦死。額貫通・水を一口飲んだ・法名先頭の玄という旧説明を訂正。埋葬地の確定記事なし。

統合人物ID
HP-1319
原人物ID群
10-195-01
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻10:195
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
義虎の二男、母は義久の娘。歳久の養子。冒頭の姪養子と見える表記から婿養子までを本条のみで断定せず、公開文は養子とする。木脇伊賀入道・遠矢信濃守は補佐、脇元城之介・鎌田囚獄は家臣として区別。
検索キーワード
島津忠隣/島津三郎次郎忠隣/島津歳久/島津義虎/島津義久/遠矢信濃守/鷹取城/岩屋城/根白坂/羽柴秀長/島津家久/鎌田囚獄/島原勘助/村松弥太郎/貴島源四郎/永禄十二年/天正十四年/天正十五年/桂山昌久大禅定門
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
AI用PDF全2頁を再読。冊子195頁下段の忠隣見出しから196頁上段の戦死・法名・家臣戦死まで。旧第2頁左端の次項常久の文字片を除き、確認用・AI用2PDFを修復。旧2PDFは専用バックアップ保存。家臣の行動と義久の哀悼は忠隣に関連する記事。常久は既存の独立人物で、新規採番なし。
判読保留
見出し直後の養子関係の細字表記、生年の推定、小注の墓に関する文意は追加校合対象。生年を確定値として扱わず、墓所は記載しない。銃弾の前輪貫通を額そのものの貫通に置き換えない。一口嚙むという本文を飲水に置き換えない。確認した出自・副将・鷹取岩屋の戦功・根白坂での最期を採用して公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』