HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
祢寝重長
異名・検索語:祢寝重長/禰寝重長/祢寝右近大夫重長/右近大夫/七郎/重長
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:天文十一年の種子島出兵は、三百余艘で攻めた説と戦わず帰った説を併記。直時・時堯の対応を本文自身が疑問視するため、外部知識で人物対応や経緯を確定しない。/元祖清重の建仁三年の地頭補任・下向は祖先の事績であり、重長本人の役職・奉公と混同しない。/生没年・没地・墓所は本条に記されない。指宿の負傷を戦死と扱わない。
DESCRIPTION
本文内容説明
祢寝重長は右近大夫、七郎。清年の子で、母は薩摩守忠興の娘。大禰寝・小根占・佐多・田代・辺津賀などを伝領した。伊東・肝付・伊地知氏に与し、永禄四年には伊地知氏と廻城へ入り、島津氏の攻撃を防いだ。元亀二年五月二十四日、指宿摺ヶ浜へ攻め入り、流れ矢に当たっても抜き捨てて戦ったが、勝てず帰った。天正元年春、義久が遣わした宝持院の僧と八木昌信の和議に応じ、肝付・伊地知氏を離れて降参した。天文十一年の種子島出兵については三百余艘で攻めた説と、計画が違って戦わず帰った説を記す。本文自身が種子島直時・時堯の対応に疑問を示しており、出兵経緯は確定しない。生没年・没地・墓所は本条に記されない。
系譜・人物関係
清年の子、母は薩摩守忠興の娘。元祖清重の十五代後胤。祖先の地頭補任記事と本人を区別。
奉公・役職
大禰寝・小根占・佐多・田代・辺津賀等を伝領。伊東・肝付・伊地知氏と連携し島津氏に抗戦、のち義久に降参。
軍役・事績
永禄四年廻城防守。元亀二年五月二十四日指宿摺ヶ浜で負傷しながら奮戦。天正元年春に和議・降参。天文十一年の種子島出兵は異説と本文の疑義を保持。
生没・法名等
生没年・没地・墓所は本条に記載なし。指宿戦で負傷し帰還。
- 統合人物ID
- HP-1406
- 原人物ID群
- 13-244-07
- 氏・分類
- 祢寝
- 掲載巻頁
- 巻13:244
- 主題・活動
- 大禰寝等の領主・廻城防守・指宿戦の負傷・義久への降参・種子島出兵異説
- 人物関係要約
- 清年の子、母は薩摩守忠興の娘。元祖清重の十五代後胤。祖先の地頭補任記事と本人を区別。
- 検索キーワード
- 祢寝重長/禰寝重長/清年/忠興/大禰寝/小根占/佐多/田代/辺津賀/伊東/肝付/伊地知/廻城/指宿/摺ヶ浜/義久/宝持院/八木昌信/種子島/直時/時堯
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全3頁・原冊244頁を追加照合済。種子島出兵の異説と本文の疑問を保持。
- 公開判定根拠
- 本人の軍役・負傷・降参を具体化し、種子島出兵の異説と人物対応への本文の疑問を注記して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 通常AI各全3頁を原冊244頁と照合。第1頁は上段末の系譜、第2頁は下段右の所領・軍役・降参、第3頁は同頁下段の種子島出兵に関する追記。間にある一族家臣見出し・野間志蔵守条と次の新納忠勝条の本文は含まれない。出兵追記は重長関連記事で新人物に分割しない。本文欠落・前後人物本文の混入は確認されずPDF変更不要。
- 判読保留
- 天文十一年の種子島出兵は、三百余艘で攻めた説と戦わず帰った説を併記。直時・時堯の対応を本文自身が疑問視するため、外部知識で人物対応や経緯を確定しない。/元祖清重の建仁三年の地頭補任・下向は祖先の事績であり、重長本人の役職・奉公と混同しない。/生没年・没地・墓所は本条に記されない。指宿の負傷を戦死と扱わない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』