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HP-1323巻11:213公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津明久

異名・検索語:島津明久/島津次郎四郎明久/次郎四郎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津次郎四郎明久は出羽守忠明の子で、忠泰の養父。享禄二年、羽月の大島村で戦死した。戦死日は本人条では九月三日、大島忠泰条では九月二十三日と異なり、後者は十六歳と記す。父と同様に若宮として祀られ、本文は奇瑞があったと伝える。そのため龍伯公が大口地頭の新納忠元に命じ、戦死した大島村にも社を建立させたという。忠泰はのち明久の跡を継ぎ、大島休左衛門と称した。明久自身の役職・知行、合戦の具体的な経緯、生年、法名、墓所は記載されない。

系譜・人物関係

出羽守忠明の子。忠泰の養父で、島津忠泰条に明久養子と明記、大島忠泰条にも其養子忠泰と明記。忠泰の還俗・家督相続・朝鮮出陣は明久本人の事績ではない。

奉公・役職

明久本人の主君・役職・知行の具体的記載なし。大口地頭は建立を命じられた新納忠元の役職であり明久に付けない。

軍役・事績

享禄二年、大島村で戦死。本人条は羽月ノ大島村、忠泰条は大口大島村と記す。本人条は九月三日、忠泰条は九月二十三日と記述差あり。父同様に若宮として崇められ、奇瑞があったため龍伯公が新納忠元に戦死地の社建立を命じたという由緒。奇瑞を史実として断定しない。

生没・法名等

享禄二年戦死。月日は九月三日(本人条)と九月二十三日(大島忠泰条)の異記。忠泰条には十六歳と記載。生年・法名・墓所は記載なし。享年から生年を計算して本文記載としない。

統合人物ID
HP-1323
原人物ID群
11-213-03
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻11:213
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
出羽守忠明の子。忠泰の養父で、島津忠泰条に明久養子と明記、大島忠泰条にも其養子忠泰と明記。忠泰の還俗・家督相続・朝鮮出陣は明久本人の事績ではない。
検索キーワード
島津明久/次郎四郎/忠明/忠泰養父/享禄二年/九月三日/九月二十三日/十六歳/羽月/大島村/戦死/若宮/龍伯公/新納忠元/社建立
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
本人AI全1頁を400dpi原寸で視読し、忠泰の島津条全1頁と大島条第1頁を照合。忠明子・戦死・若宮祭祀から大島村社建立まで連続。龍伯公・新納忠元は祭祀由緒の関連人物。次の忠泰見出しは混入なし。PDF変更・新規採番なし。
判読保留
戦死日は両条で異なり、どちらかに統一せず明示。享年十六は忠泰条の情報として補足。祭祀地は本条で四ノ原に見える字形、父忠明条は大口西ノ原と明記するため、公開説明では地名を省き若宮祭祀のみ採用。奇瑞は本文の伝承として記述。確認済み父子・養嗣・戦死・祭祀で公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』