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HP-1405巻1:12注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

入来院重豊

異名・検索語:入来院重豊/入来院弾正少弼重豊/弾正少弼/重豊

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

法号は従来「定永寺殿扇皇定永大禅定門」としたが、扇皇付近に「本ノ虚」と読める校注がある。字形と校注の対応を留保し、法号全文は確定しない。/分高一万六千七百廿斛の記載には地名付注がある。換算・所領構成の確定は行わない。天正二年の日付は本文と朱注の組合せがあるため概要では年のみ記す。/没地・生年月日の明記なし。前条末「其子」との接続により重嗣の子と整理。

DESCRIPTION

本文内容説明

重嗣の子。弾正少弼、初め千代五郎・又五郎。母は肝付兵部少輔兼興の娘。天正二年、野心の風聞に驚き、霊社への起請文と清色外拝領四か所の進上によって異心がないと訴えた。入来院七十五町と寄田については海辺の守備を理由に安堵された。同三年の犬追物で射手を務め、四年の高原城攻め、六年の大友合戦に出陣。八年十月十五日の肥後八代城攻めでは病気のため、家老山口筑前守重秋・種子田新右衛門秀高に数百人を付けて派遣したが、重秋・秀高以下五十余人が戦死した。九年の水俣城攻めには脇大将として出陣。十一年八月五日に没し、広瀬大明神として崇められた。没地は記されず、法号の字形・校注は留保する。

系譜・人物関係

前条重嗣末其子に続く重豊。初千代五郎・又五郎、母肝付兵部少輔兼興女。

奉公・役職

弾正少弼。天正二年野心風聞に起請文と清色外拝領四か名の進上で異見なしと訴える。入来院七十五町・寄田は海辺守備につき安堵。東郷宗左衛門を使者として木練椀十箇を進上したとの記載あり。

軍役・事績

天正三年三月十五日犬追物射手、二疋射中。四年高原城、六年大友合戦に出陣。八年十月十五日八代城攻めは病気で不参、家老山口重秋・種子田秀高に兵卒数百人を付け派遣、両名以下五十余戦死。九年水俣城攻め脇大将。

生没・法名等

天正十一年八月五日卒。広瀬大明神ト崇候。没地なし。法号扇皇付近に本ノ虚と読める小注、対応留保。

統合人物ID
HP-1405
原人物ID群
01-012-02
氏・分類
入来院
掲載巻頁
巻1:12
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
前条重嗣末其子に続く重豊。初千代五郎・又五郎、母肝付兵部少輔兼興女。
検索キーワード
入来院重豊/重嗣/千代五郎/又五郎/肝付兼興/起請文/清色/寄田/七十五町/犬追物/高原城/大友合戦/八代城/山口重秋/種子田秀高/水俣城/脇大将/天正十一年/八月五日/広瀬大明神
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全1頁と原冊12頁を追加照合。起請・所領安堵・軍役・家臣戦死・没日を確認、法号等の校注を留保
公開判定根拠
本人の野心風聞への対応・所領安堵・軍役・没日を全1頁で確認。家臣戦死と本人を区別し、法号校注等の疑義を明記して本文へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
○入来院弾正少弼重豊から広瀬大明神ト崇候まで全1頁確認。次の○入来院又六重時は含まない。山口重秋・種子田秀高の派遣と戦死は関連家臣記事で、重豊自身の戦死ではない。独立人物見出しなし、PDF修復・新番号不要。
判読保留
法号は従来「定永寺殿扇皇定永大禅定門」としたが、扇皇付近に「本ノ虚」と読める校注がある。字形と校注の対応を留保し、法号全文は確定しない。/分高一万六千七百廿斛の記載には地名付注がある。換算・所領構成の確定は行わない。天正二年の日付は本文と朱注の組合せがあるため概要では年のみ記す。/没地・生年月日の明記なし。前条末「其子」との接続により重嗣の子と整理。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』