HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
入来院重嗣
異名・検索語:入来院重嗣/入来院加賀守重嗣/入来院加賀守重嗣 又五郎/加賀守/重嗣
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
降参年次は巻一永禄十二年冬、巻十三元亀元年正月五日と異なり統一しない。/清色/清敷、碇山の字形などは巻別表記を保存。没年・没地は本文不記載。/証書は重豊らの連署で重嗣本人の発給にしない。年月は永禄の後が記されず具体年を推定しない。大山外記と刑部左衛門の具体的続柄はここでは確定しない。 証書宛先大山外記殿を復元し、重豊と祁答院家長三人の署判を保持。巻十三の掲載範囲を248~249頁へ訂正。
DESCRIPTION
本文内容説明
重朝の子。加賀守、初め又五郎。天文十五年八月十四日、串木野松木尾で初陣し、家臣種田新右衛門秀高に軍功があった。父の出仕停止中にも貴久から褒美・感状を受けたと巻一に記す。巻十三では永禄九年、良重没後の祁答院領を兼帯。東郷重尚の降伏を仲介し、自らも百次・平佐・隈之城・碇山・高江の五城を進上した。清敷・山田・天辰・田崎・寄田などは引き続き領した。降参は巻一が永禄十二年冬、巻十三が元亀元年正月五日とする。巻一によれば十二月二日没、定観寺に葬る。法号は応山定観大禅定門。没年・没地は記されない。同条の大山外記への水田二町給付証書は、子の重豊らの連署として本人の事績と区別する。
系譜・人物関係
重朝の子。加賀守、初又五郎。重豊は重嗣の子と巻十三割注。家臣種田新右衛門秀高の軍功と区別する。
奉公・役職
父重朝出仕停止中にも褒美・感状・犬追物の名拝領等を巻一に記す。巻十三は永禄九年正月十五日良重没、二月廿八日入来院と祁答院兼帯。
軍役・事績
天文十五年八月十四日串木野松木尾初陣。永禄二年十二月廿三日感状付記。東郷大和守重尚入道喜俊の降参を仲介、重嗣も五城を進上。巻一列挙では隈之城が直前列末から次列先頭に連続するので脱落させない。清色(巻十三清敷)山田天辰寄田田崎を領す。巻十三永禄十年九月十九日の串木野坂ノ下は渋谷衆五十三人打死の記述で、敵五十三人討取や本人戦死にしない。大山刑部左衛門殉死の賞として外記へ二町給付、重豊と祁答院家長三人連署。
生没・法名等
巻一十二月二日卒、定観寺に葬る、応山定観大禅定門。没年の特定・没地の明記なし。
- 統合人物ID
- HP-1401
- 原人物ID群
- 01-012-01/13-248-18
- 氏・分類
- 入来院
- 掲載巻頁
- 巻1:12/巻13:248~249
- 主題・活動
- 串木野初陣・祁答院領兼帯・東郷降伏仲介・五城進上
- 人物関係要約
- 重朝の子。加賀守、初又五郎。重豊は重嗣の子と巻十三割注。家臣種田新右衛門秀高の軍功と区別する。
- 検索キーワード
- 入来院重嗣/重朝の子。家臣種田秀高。祁答院領兼帯。/加賀守・又五郎。東郷重尚降伏の仲介。/天文十五年串木野で初陣。五城進上。降参年次に巻間相違。/巻一は十二月二日没・定観寺葬。没年不記載。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 巻一1頁・巻十三2頁を全頁確認、原冊照合済。巻十三証書宛先の復元を全頁表示確認。
- 公開判定根拠
- 人物別AI全3頁と原冊を照合。降参年次の巻間相違と没年・没地不記載を明示し、証書発給者を区別して本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全3頁追加精読・巻別校合・境界修復
- 本文境界判定
- 巻一全1頁は本人条から其子まで、次の重豊見出しとは分離。巻十三は本人記事と子重豊らの関連証書で新規独立人物見出しなし。巻十三第2頁を原冊249頁上段から再切出し、旧PDFに欠落していた証書宛先大山外記殿を復元。重豊・大井実勝・高城重治・久富木重全の署判、永禄の年号、行鉄の法名注を保持。左隣の一族見出し・村尾蔵人本文は含めない。通常AI各全2頁を確認、第1頁は旧内容不変。
- 判読保留
- 降参年次は巻一永禄十二年冬、巻十三元亀元年正月五日と異なり統一しない。/清色/清敷、碇山の字形などは巻別表記を保存。没年・没地は本文不記載。/証書は重豊らの連署で重嗣本人の発給にしない。年月は永禄の後が記されず具体年を推定しない。大山外記と刑部左衛門の具体的続柄はここでは確定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』