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HP-1333巻之三52頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

東郷重尚(大和守)

異名・検索語:東郷重尚/東郷大和守/大和守/重尚/喜俊

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

相模守重州入道天岩三男という本文と重治養子・実は菱刈という小字注の関係は留保。右小字は墓所の記載ではない。没年は天正十三年頃。

DESCRIPTION

本文内容説明

大和守、入道喜俊。小字に東郷大和守重治の養子、実は菱刈と記す。一方、冒頭には相模守重州入道天岩の三男とあり、養子注との関係は留保する。東郷氏は武蔵から薩摩へ下向した実重以来の家譜を載せる。重尚は天文年間に島津氏へ敵対したが、元亀元年、入来院と相談し、東郷・高城・水引・湯田・西方を進上して降参し、東郷の本領を安堵された。天正四年の高原城攻めに「東郷殿」とあると記し、天正十三年頃に没したとする。子孫として東郷九右衛門を掲げる。没地・享年・墓所は記されない。

系譜・人物関係

重治養子・実ハ菱刈という小字注。冒頭相模守重州入道天岩三男也との関係留保。子孫東郷九右衛門。祖先実重(異記重保)らは家譜。

奉公・役職

天文年中島津に敵対、元亀元年入来院と相談し五地進上降参、東郷本領安堵。

軍役・事績

天正四年高原城攻東郷殿ト有之という末尾注。本人の具体的戦闘行動を補わない。宝治二年下向は祖先実重らの由緒で本人の行動ではない。

生没・法名等

天正十三年頃卒。没地・享年・墓所不記。入道喜俊。右小字は養子で墓子ではない。

統合人物ID
HP-1333
原人物ID群
03-052-12
氏・分類
東郷
掲載巻頁
巻之三52頁
主題・活動
降参・本領安堵・東郷氏系譜
人物関係要約
重治養子・実ハ菱刈という小字注。冒頭相模守重州入道天岩三男也との関係留保。子孫東郷九右衛門。祖先実重(異記重保)らは家譜。
検索キーワード
東郷重尚/大和守/喜俊/重治/養子/菱刈/重州/天岩/元亀元年/入来院/東郷/高城/水引/湯田/西方/降参/本領安堵/天正四年/高原城/天正十三年/九右衛門
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁と原冊拡大照合。重尚・喜俊を確認。養子注と三男の関係留保、降参安堵と没年整理。
公開判定根拠
本人全記事と家譜を確認。父系・養子注の疑義を明示し、降参安堵と没年を具体化して公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
一東郷大和守重尚入道喜俊から天正四年高原城攻東郷殿ト有之まで。通常AI各全1頁と原冊64下段を照合。小字は子孫と養子実家注で墓所ではない。祖先家譜は関連叙述、別見出しなし。PDF修正・新番号不要。
判読保留
冒頭の相模守重州入道天岩三男也と、重治養子・実ハ菱刈の小字注の関係は本文だけでは確定しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』