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HP-1404巻1:11~12/巻13:248注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

入来院重朝

異名・検索語:入来院重朝/入来院石見守重朝/入来院石見守重朝 又五郎/石見守/重朝

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

巻一の「天正十三年」には「文カ」の訂正注があり、巻十三の天文十三年と照合した。没日は両巻七月十六日と確認したが、巻一に「年号シレス」とあり没年は不詳。法号は巻一「心応定安大禅門」、巻十三「心翁定安大禅定門」と異なる。軍功の日付・所領数量等は巻間で無断統一していない。

DESCRIPTION

本文内容説明

入来院重朝は石見守、又五郎。重聡の子で、母は白浜加賀守の女。巻十三では清敷城に居たとする。父重聡とともに市来に在陣し、本城攻め、百次城の夜襲、隈之城・山田城など川内方面の攻略に関わった。日新公への忠節により妹が貴久の夫人となったと巻十三に記す。東郷・祁答院勢への加担を疑われ、天文十三年夏に出仕停止。巻一は異心がないと度々訴えても許されなかったと記す。翌十四年八月に郡山城を召し上げられ、八日との付記がある。七月十六日に没し、巻一では定安寺に葬ったとする。ただし没年は「年号シレス」とあり確定しない。法号は巻一の「心応定安大禅門」と巻十三の「心翁定安大禅定門」で表記が異なる。

系譜・人物関係

石見守、又五郎。重聡の子。母は白浜加賀守の女(実名細字未確定のため説明では官途まで)。妹が貴久公夫人、日新公への忠節によると巻十三に記す。巻十三の渋谷定心等は祖先の由来で本人の行動ではない。

奉公・役職

巻十三は清敷城居住、日新公に忠節。川内周辺の討伐。天文十三年夏、東郷祁答院に同意という風聞により出仕停止。巻一は異心なしと反復訴訟したが許容なしと記す。

軍役・事績

巻一天文八年閏六月に父重聡以下と市来在陣、同廿七日本城攻め、重朝は大日寺口、荻原宗女池水十郎等家臣戦功。八月廿八日夜百次城攻略。再攻日付の一説等は留保。巻十三は天文八年八月廿七日百次城・八百人夜攻、山田城等の攻略を記す。両巻の数と日付を一致させない。翌十四年八月郡山城召上げ(巻一八日付記・巻十三八日本文)。

生没・法名等

両巻七月十六日卒。巻一に年号シレス、定安寺に葬る、法号心応定安大禅門。巻十三心翁定安大禅定門。妹の天文十三年八月十五日卒去・雪窓妙安大姉は妹の付記で重朝の没日法号に転用しない。

統合人物ID
HP-1404
原人物ID群
01-011-05/13-248-17
氏・分類
入来院
掲載巻頁
巻1:11~12/巻13:248
主題・活動
川内方面攻略・出仕停止・郡山城召上げ・定安寺葬
人物関係要約
重聡の子。母は白浜加賀守の女。巻十三には妹が貴久公の夫人となったと記す。
検索キーワード
入来院重朝/重聡の子。妹が貴久の妻と巻十三に記す。/石見守・又五郎。出仕停止、郡山城召上げ。/本城・百次城など川内方面の攻略。/巻一は七月十六日没・定安寺葬。巻間の年次・法名表記を校合保留。
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
巻一2頁・巻十三1頁を全頁確認、原冊照合済。巻十三末尾余白修復候補を確認。
公開判定根拠
人物別AI計3頁と原冊を照合。巻別相違を明示し、巻十三の没月留保を解消。没年不詳・法号異記を注記して原記事へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全3頁追加精読・巻別校合・境界修復
本文境界判定
巻一第1頁は○入来院石見守重朝から攻略記事、第2頁は城ニ移シテ鎮戍セシムから出仕停止・郡山城召上げ・没日法号、末尾其子まで。次の○入来院加賀守重嗣は既存別記事で、其子はそこへの接続。巻十三は○重朝から法号末尾門まで全1頁、次の○重嗣と分離。祖先渋谷氏や父重聡の付記を本人の事績としない。
判読保留
巻一の天正十三年には文カの訂正注があり、巻十三の天文十三年と照合して説明。表記差・校注そのものは保持する。/巻一の百次再攻略の日付・地頭討取り人名小注、巻十三の軍功日付や所領数量は無断統一しない。/巻一は心応定安大禅門、巻十三は心翁定安大禅定門と読める。異表記として保持。/没日は両巻とも七月十六日。巻一の年号シレス注記を優先し、天文十四年没と断定しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』