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HP-1403巻1:11注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

入来院重聡

異名・検索語:入来院重聡/入来院弾正少弼重聡/弾正少弼/加賀守/重聡

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

竹之山加勢の年号は本文が「大文六年」に見える。従来説明の天文六年への解釈を確定せず、本文表記を示す。/法号は「陽中定祐居士」とした従来読みに対し、AI・原冊拡大では第二字が山にも見えるため「陽中/陽山」の判読を留保。没年の具体年・没地は不記載。/治平城は本文字形による読み。現在地や他の城名との同定は行っていない。祖先系譜中の細字異説は本人の確定事績へ転用しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

入来院領主。弾正少弼・加賀守、千代五郎・又五郎を称し、重豊(入道以心)の子。母は北原又五郎貴兼(入道昌宅)の娘。帖佐・岩剣も領知したと記す。本文「大文六年」の正月七日、日新公の伊集院竹之山城攻めに加勢した。家臣萩原采女には、貴久が市来で敵を退けた際、長瀬平左衛門を討ち取った軍功がある。同八年閏六月、治平城攻取の祝儀を述べに参陣したが、老齢で軍役が難しいとして暇を願い、嫡子又五郎重朝に人数を付けて在陣させた。娘は日新公に召し出され、貴久の夫人に迎えられたと記す。天文年間に病没し、没年の特定・没地の記載はない。年号表記と法号の字形は注記を参照。

系譜・人物関係

重豊入道以心の子。母は北原又五郎貴兼入道昌宅の女。嫡子又五郎重朝。娘は貴久夫人、義久公御兄弟御母堂と付記。祖先定心以降の軍功没日は重聡本人とは別。

奉公・役職

弾正少弼・加賀守。千代五郎・又五郎。入来院領主、帖佐岩剣をも領知。日新公へ加勢。

軍役・事績

本文大文六年正月七日、日新公伊集院竹之山城攻めに加勢。家臣萩原采女の長瀬平左衛門討取りは家臣の軍功。同八年閏六月治平城攻取に重聡参陣し祝儀。老齢につき軍労難成と暇を願い嫡子重朝に人数を付け在陣。

生没・法名等

天文年中病死。具体没年・没地なし。法号の陽中/陽山字形留保、定祐居士部分を確認。

統合人物ID
HP-1403
原人物ID群
01-011-06
氏・分類
入来院
掲載巻頁
巻1:11
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
重豊入道以心の子。母は北原又五郎貴兼入道昌宅の女。嫡子又五郎重朝。娘は貴久夫人、義久公御兄弟御母堂と付記。祖先定心以降の軍功没日は重聡本人とは別。
検索キーワード
入来院重聡/弾正少弼/加賀守/千代五郎/又五郎/重豊/以心/北原貴兼/昌宅/帖佐/岩剣/日新/竹之山城/萩原采女/長瀬平左衛門/治平城/重朝/貴久夫人/天文/病死
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全1頁・原冊11頁と細字拡大を照合。本人・祖先・家臣・嫡子の事績を区別、年号と法号字形は注記
公開判定根拠
AI全1頁と原冊を照合し、本人の領知・加勢・老齢による軍役交替を確認。年号・法号字形等の疑義を明記した上で本文へ案内可能なため注記付き公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
一入来院弾正少弼重聡から法号と其子までを全1頁確認。冒頭系譜の定心・明重・重門等は祖先記事で独立見出しではない。末の其子は隣の既存○入来院石見守重朝(01-011-05)に続く。家臣萩原采女と嫡子重朝は本人と関連した記事。前後本文の混入・新規独立見出しなし。PDF修復・新番号不要。
判読保留
竹之山加勢の年号は本文が「大文六年」に見える。従来説明の天文六年への解釈を確定せず、本文表記を示す。/法号は「陽中定祐居士」とした従来読みに対し、AI・原冊拡大では第二字が山にも見えるため「陽中/陽山」の判読を留保。没年の具体年・没地は不記載。/治平城は本文字形による読み。現在地や他の城名との同定は行っていない。祖先系譜中の細字異説は本人の確定事績へ転用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』