HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
島津忠朝
異名・検索語:島津忠朝/島津豊後守忠朝/忠頼/二郎三郎/豊州家/島津忠廉/島津忠国/島津忠昌/飫肥/福島城/串良城/肝付兼興/新納忠勝/北郷忠相/三俣院/高城/梶山城/志布志/安楽/夏井/末吉/松山/古今集/真存法師/夢庵肖柏/天文九年/常春院月舟道海大禅伯/安楽寺
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
島津豊後守忠朝(忠頼、二郎三郎)は豊州家二代忠廉の子で、母は島津忠国の娘。文正元年、帖佐生。文明十八年、父の飫肥移住に伴い福島城を守った。明応四年、忠昌の命で串良城を攻略して同地を拝領。肝付兼興・新納忠勝・伊東氏と抗争し、大永元年には鹿屋原で勝利した。天文年間、北郷忠相らと三俣院高城・梶山を攻め取り、さらに志布志・安楽・夏井などへ進出。嫡子忠広を飫肥本城に置き、自身は志布志へ移った。飫肥・福島・志布志など七か所を領し、周辺・他国の大名とも書状や使者で交わった。幼少から歌道を学び、真存法師を師として古今集の伝授を受けた。天文九年三月三日没、七十五歳。同十四日、飫肥八竜精舎に葬られた。法名は常春院月舟道海大禅伯。安楽寺に月舟の二字を刻む墓があると記す。
系譜・人物関係
忠廉の子、母は太守忠国の娘。嫡子忠広を飫肥本城に置く。北郷忠相・北原氏らと共同作戦。冒頭の豊州家成立、忠廉の上洛と宗祇からの伝授は父祖に関する付記で、忠朝自身の経歴と分ける。
奉公・役職
父の下知で福島城を守り、明応四年忠昌の命で串良を攻略して拝領。叔父平山忠虔を串良へ置く。飫肥・福島・志布志・安楽・松山・末吉・梅北の七か所を領したと記す。志布志へ移住、城名の字形は留保。朝廷・幕府等との書簡往来の記事あり。
軍役・事績
大永元年の鹿屋原合戦、肝付・新納との抗争。天文期に北郷忠相・北原氏らと高城を攻め、続いて梶山攻略。志布志横峯合戦、安楽・夏井等への進出。味方の忠相・忠閏らの攻略と忠朝本人の行動を区別。軍務で上洛の暇がなかったと記し、真存が宗祇没後に肖柏から伝授を受けて下向、忠朝は真存を師として古今集を学ぶ。
生没・法名等
文正元年、帖佐生。天文九年三月三日没、七十五歳。同十四日飫肥八竜精舎に葬る。常春院月舟道海大禅伯。飫肥安楽寺に月舟の二字を刻む墓があるとの末尾注。没地そのものは直接記載がなく、出生地・居城・葬所から推定しない。
- 統合人物ID
- HP-1313
- 原人物ID群
- 10-181-01
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻10:181
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 忠廉の子、母は太守忠国の娘。嫡子忠広を飫肥本城に置く。北郷忠相・北原氏らと共同作戦。冒頭の豊州家成立、忠廉の上洛と宗祇からの伝授は父祖に関する付記で、忠朝自身の経歴と分ける。
- 検索キーワード
- 島津忠朝/島津豊後守忠朝/忠頼/二郎三郎/豊州家/島津忠廉/島津忠国/島津忠昌/飫肥/福島城/串良城/肝付兼興/新納忠勝/北郷忠相/三俣院/高城/梶山城/志布志/安楽/夏井/末吉/松山/古今集/真存法師/夢庵肖柏/天文九年/常春院月舟道海大禅伯/安楽寺
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 人物別AI用PDF全4頁を再読し、原PDF第2~3頁で始終端を照合。冊子181頁上段の一島津豊後守忠朝から182頁下段の〇今猶飫肥安楽寺墓所注まで。父祖の由緒・歌道伝授の系統を含む忠朝条で、後続の忠広見出しは含まない。PDF変更・新規採番なし。
- 判読保留
- 各城攻略の細かな月日と朱注、細字の将士名・書簡差出人、本文の城名「広朝城」の字形は追加校合対象。公開文では志布志への移住とし城名を省き、戦死数を一括して本人の戦果としない。没年・法名・葬日と葬所は確認済み。父忠廉の宗祇からの直接伝授と、忠朝の真存を介した伝授を区別して公開可と判断。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』