HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
島津忠親
異名・検索語:島津忠親/島津豊後守忠親/北郷忠親/北郷尾張守忠親/豊後守/尾張守/次郎左衛門/二郎左衛門尉/泰心斎
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
生年は巻十永正元年、巻三永正九年。母方は忠廉女・忠広女注/忠康女の異記。単一説に確定しない。/養子継承は巻三の天文14年12月18日・同18年4月18日説、家督譲渡同18年4月18日と、巻十同18年4月16日家督が並立する。天文15年の記事との前後を推定統一しない。/巻十永禄11年飫肥明渡し8月8日に続いて福島没落7月19日と記す前後不整合を保持する。/法名天香寺殿の後の一字と巻十の傍注を留保。戦役細字の一部・平治記による末吉譲渡年次等の異注は無理に一本化しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
北郷忠相の嫡子で北郷家九代。尾張守・豊後守、入道泰心斎。父の隠居後十余年名代を務め、嫡子忠豊へ北郷家督を譲って島津忠広の養子となり、飫肥松尾城へ入り家伝文書・重器を継いだ。伊東・肝付氏と抗争し、新山・板敷田などで戦う。忠将戦死による本家の危機には、飫肥にいた忠平へ涙ながらに帰国を勧めた。永禄5年に飫肥・酒谷を失って福島へ退くが、日置忠充らと同年9月に奪回。末吉350町を太守へ献上し、梅北80町を北郷時久へ譲った。同11年は風疾を患い、援軍・兵糧輸送も敗れて籠城が困難となり、北郷の仲介で飫肥を渡した。福島も失い朝久と残兵を率いて都城篠池に住み、北郷・肝付間の和睦を仲介。元亀2年6月12日、都城で病没、68歳。西明寺葬、竜峯寺に石塔。生年・母方・継承年次と落城日順に異記がある。
系譜・人物関係
実父は北郷忠相、北郷家九代。家督を嫡子二郎忠豊へ譲り島津忠広養子となる。巻三は忠広養子賀久の病死と世継不在を養子縁組の契機とし、賀久を忠広従弟の武蔵守忠隅の子と注す。後嗣朝久、弟忠孝は関連人物。母は巻三忠康女、巻十本文忠廉女・小字忠広女(忠広従祖父注)の異記を保持。
奉公・役職
北郷尾張守、次郎左衛門(巻十二郎左衛門尉)、後島津豊後守・入道泰心斎。天文3年父が都城を譲り高城へ隠居、忠親が十年余名代を務める。忠広の懇望・太守沙汰に従い忠豊へ譲り養子となり松尾城へ入る。日置伊勢から文書重器を渡され平山越後が受領。巻三は天文14年12月18日の養子記事と同18年4月18日説を併記し、同18年4月18日家督譲渡、巻十冒頭は同18年4月16日家督とする。推定で一本化しない。
軍役・事績
巻十は伊東・肝付との戦闘を詳記。弘治年間日井浦・大崎・新山、永禄初年恒吉への加勢・志布志・新山・板敷田。忠孝や平山忠智父子等の戦死を本人へ転用しない。永禄4年忠将戦死による本家危機に忠平へ帰国を説く。5年飫肥・酒谷を失って福島へ退き、日置忠充らと9月17日夜から攻め18日飫肥復入、酒谷奪回。祖先の夢告と翌年の像・事績伝承を記す。末吉350町を太守、梅北80町を時久へ、太守から末吉も時久へ。11年風疾、北郷援兵・兵糧輸送失敗、老幼中心で籠城困難となり和睦。飫肥・福島を失い朝久と残兵を都城篠池へ率いる。北郷・肝付和睦のため餅原越後入道一路を末吉へ遣わす。末尾古今集伝授は妻の記事で本人に帰さない。
生没・法名等
巻十永正元年甲子生、巻三永正九年生。両条とも元亀2年6月12日都城没68歳、巻三は病死。巻十は都城篠池居住を記す。法名は天香寺殿の後の一字を留保し岡永寿居士の部分を確認、巻十傍注も留保。西明寺葬・竜峯寺石塔を区別。巻三傍記の天文19年正月11日卒・翁窓智鑑は忠広の記事で、忠親の没年法名ではない。
- 統合人物ID
- HP-1308
- 原人物ID群
- 10-184-01/03-036-01
- 氏・分類
- 島津
- 掲載巻頁
- 巻之三36頁/巻之十184〜186頁
- 主題・活動
- 北郷家督・豊州家養子・飫肥攻防・忠平帰国勧告・所領譲渡・和睦仲介
- 人物関係要約
- 実父は北郷忠相、北郷家九代。家督を嫡子二郎忠豊へ譲り島津忠広養子となる。巻三は忠広養子賀久の病死と世継不在を養子縁組の契機とし、賀久を忠広従弟の武蔵守忠隅の子と注す。後嗣朝久、弟忠孝は関連人物。母は巻三忠康女、巻十本文忠廉女・小字忠広女(忠広従祖父注)の異記を保持。
- 検索キーワード
- 島津忠親/北郷忠親/尾張守/豊後守/次郎左衛門/二郎左衛門尉/泰心斎/忠相/忠豊/忠広養子/賀久/飫肥松尾城/文書重器/伊東義祐/肝付/新山/板敷田/忠将/忠平帰国/日置忠充/酒谷/福島/末吉350町/梅北80町/時久/風疾/兵糧/朝久/都城篠池/餅原一路/和睦/元亀二年六月十二日/六十八歳/西明寺/竜峯寺石塔/妻/生田忠能/道徹/古今集
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 巻三全1頁・巻十全5頁、通常版計6頁・原冊を追加照合済み。
- 公開判定根拠
- 系譜・養子継承・軍役・仲介・退去・没日葬所を全6頁で確認。生年母方継承年次・落城日順・細字の異記疑義を明示して検索公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全2記事追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 巻三03-036-01全1頁・巻十10-184-01全5頁をAIと通常PDFで全頁照合し原冊36・184〜186頁を確認。巻三見出しの後島津・豊後守・泰心斎と系譜生没から既存HP-1308統合を維持。巻三末尾豊州家養子以後は彼伝参照という〇注、巻十末尾〇泰心妻の古今伝授と師承は関連注。次の島津朝久は別条。見出し傍注と妻の注の末尾まで保持され、他条本文の混入・欠落なし。PDFと原IDを維持し、新番号不要。
- 判読保留
- 生年は巻十永正元年、巻三永正九年。母方は忠廉女・忠広女注/忠康女の異記。単一説に確定しない。/養子継承は巻三の天文14年12月18日・同18年4月18日説、家督譲渡同18年4月18日と、巻十同18年4月16日家督が並立する。天文15年の記事との前後を推定統一しない。/巻十永禄11年飫肥明渡し8月8日に続いて福島没落7月19日と記す前後不整合を保持する。/法名天香寺殿の後の一字と巻十の傍注を留保。戦役細字の一部・平治記による末吉譲渡年次等の異注は無理に一本化しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』