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HP-1402巻1:12~13注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

入来院重時

異名・検索語:入来院重時/入来院又六重時/又六/重時

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

戦死日・場所は本文の九月二十三日、江州水口勢田之辺として提示。近代地理上の一点や一般的な関ヶ原当日の戦死へ置き換えない。/婚姻の具体時期、明人との交渉注の人名・細目、一部家臣小字は未確定。初妻の母と本人の母を混同しない。/太刀トクリの由来は本文伝承として整理し、独立した事実検証を経た断定にしない。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津以久の次男、母は北郷時久の娘。入来院重豊の養子となった又六重時で、天正元年生。豊臣軍来攻時に平佐城へ援兵を送り、歳久没後は孫の袈裟菊を祖母とともに入来院坂中へ引き取った。文禄四年の所領替えで湯之尾へ移る。初回の朝鮮出兵は病気で渡れず、一族・家臣を派遣し、慶長元年に回復して渡海した。安骨浦への使者として帰航中、敵船を鉄砲で防ぎ、南原・泗川・撤退時の番船戦にも参加。慶長四年に高原・竹崎の地頭となり、山田城攻めの搦手を指揮。翌年は伏見城松丸口の仕寄惣奉行。関ヶ原敗戦後は残兵を率いて包囲を突破したが、本文は九月二十三日、江州水口・勢田の辺で主従七人が戦死、二十八歳と記す。法名は寿昌寺殿雲稀定暁居士、墓は入来の寿昌寺。日吉大明神、後に重来大明神と称した。家臣に太刀を託して帰国させた伝承も載せる。

系譜・人物関係

島津右馬頭以久二男、母北郷時久女、重豊養子、天正元年生。初妻重豊嫡女の母は島津忠将女。離別後の妻を歳久長女と記す。袈裟菊の保護と養嗣重高の後条は区別。

奉公・役職

又六。文禄四年秋、三か国所領交替で入来院召上げ湯之尾へ移る。慶長元年正月廿日忠恒から本領安堵証文。慶長四年高原竹崎地頭・山田城搦手大将、翌年伏見松丸口仕寄惣奉行。

軍役・事績

天正十五年平佐援兵。文禄元年朝鮮は病気で不参、一族重興と東郷重影らを派遣。歳久没後袈裟菊と祖母を坂中へ保護。慶長元年病気快気後朝鮮渡海。安骨浦使者帰路の敵船阻止、二年南原、三年泗川と番船戦、四年庄内山田攻め、五年伏見攻めと関ヶ原後退却。関ヶ原時の家臣二十余戦死と、その後の本人含む七人戦死を区別する。

生没・法名等

本文同廿三日江州水口勢田之辺にて主従七人戦死、二十八歳。寿昌寺殿雲稀定暁居士、墓は入来寿昌寺。日吉大明神のち重来大明神。勝田弥二右衛門に家伝太刀を託す伝承。

統合人物ID
HP-1402
原人物ID群
01-012-03
氏・分類
入来院
掲載巻頁
巻1:12~13
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
島津右馬頭以久二男、母北郷時久女、重豊養子、天正元年生。初妻重豊嫡女の母は島津忠将女。離別後の妻を歳久長女と記す。袈裟菊の保護と養嗣重高の後条は区別。
検索キーワード
入来院重時/又六/島津以久二男/北郷時久/入来院重豊/袈裟菊/湯之尾/安骨浦/南原城/泗川/高原/竹崎/山田城/伏見城松丸口/関ヶ原/水口/勢田/慶長五年九月二十三日/寿昌寺/日吉大明神/重来大明神/トクリ/勝田弥二右衛門
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全3頁・原冊12~13頁・戦死記事拡大を追加照合。婚姻小字、所領替え、軍役、生没、太刀伝承と境界を確認
公開判定根拠
全3頁と原冊を確認し、系譜・軍役・戦死記事・墓所・神号を本文として提示。細字等の疑義を公開注記に明示して検索案内を可能とする。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
全3頁を確認。第1頁は又六重時見出しと重豊養子・婚姻小字、第2頁冒頭へ婚姻注が続いた後、以久二男・北郷時久女と本人出自が始まる。第2頁末の高原竹崎は第3頁冒頭両所之地頭へ連続。第3頁末○関ヶ原合戦利アラサルヲ察シは本人の太刀伝承で新人物ではない。末尾国ニ帰ル因テ名ツクまで保持し、次○入来院伯耆守重高は除外済。PDF修復・新番号不要。
判読保留
戦死日・場所は本文の九月二十三日、江州水口勢田之辺として提示。近代地理上の一点や一般的な関ヶ原当日の戦死へ置き換えない。/婚姻の具体時期、明人との交渉注の人名・細目、一部家臣小字は未確定。初妻の母と本人の母を混同しない。/太刀トクリの由来は本文伝承として整理し、独立した事実検証を経た断定にしない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』