HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
日野内膳資顕
異名・検索語:日野資顕/日野内膳資顕/日野監物資顕/日野弥七監物/田中堅尉/如琢/如宅
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:如琢/如宅、田中堅尉などの字形を保持。上洛年は天正十五年と文禄三年の異説。姫の個人名は本文に明記しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
日野内膳資顕は田中堅尉・弥七・監物とも称し、入道如琢(如宅)と記す。田中等林の子とされ、硫黄島へ流された日野国光を鹿籠の田中へ召し置いた家の後裔と伝える。義弘に従って朝鮮へ渡り、納殿役を務めた。義久の上洛に随行した際、古川久四郎・山県右衛門尉の取次ぎで日野大納言輝資に対面。資の字や紋付の証状を受け、日野監物資顕と改名したという。上洛年は天正十五年とし、文禄三年説も付す。義弘に親しく召し使われ、鹿児島から帖佐へ移った。元和五年、姫が江戸から桑名へ輿入れする際に奥家老となり、主従十二人で同行。所持高四百石に三百石を加増され、桑名で没した。
系譜・人物関係
田中等林の子とする注。日野国光の後裔との由緒。日野輝資に対面。子孫は加治木。
奉公・役職
義弘に奉公、朝鮮御供の納殿役。元和五年、姫の輿入れに奥家老。所持高四百石に三百石加増。
軍役・事績
朝鮮へ供奉。具体的な合戦・軍功は本文に記載なし。
生没・法名等
入道如琢、如宅とも記す。桑名で没。没年・享年・墓所なし。
- 統合人物ID
- HP-1397
- 原人物ID群
- 12-226-04
- 氏・分類
- 日野
- 掲載巻頁
- 巻12:226
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 田中等林の子とする注。日野国光の後裔との由緒。日野輝資に対面。子孫は加治木。
- 検索キーワード
- 日野資顕/日野内膳資顕/日野監物資顕/日野弥七監物/田中堅尉/如琢/如宅/義弘に奉公、朝鮮御供の納殿役。元和五年、姫の輿入れに奥家老。所持高四百石に三百石加増。/朝鮮へ供奉。具体的な合戦・軍功は本文に記載なし。/入道如琢、如宅とも記す。桑名で没。没年・享年・墓所なし。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 修正後全2頁。第1頁末「山県」から第2頁「右衛門尉」へ接続。旧12-226-05は独立人物ではなく続文。弥七・監物は資顕の別名なのでHP-1398をHP-1397へ統合。旧番号と旧データは退避記録・修正履歴で保持。
- 判読保留
- 如琢/如宅、田中堅尉などの字形を保持。上洛年は天正十五年と文禄三年の異説。姫の個人名は本文に明記しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』