HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納忠秀(刑部大輔)
異名・検索語:新納忠秀(刑部大輔)/新納刑部大輔忠秀/刑部大輔/熊千代丸/次郎四郎/悟心金了居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:末注は孫新納次郎四郎忠秀、子次郎四郎忠継御用人と読めるが、子の係り先など世代のつながりは留保する。孫の同名忠秀と本人を合一せず、御用人を本人の役職としない。
DESCRIPTION
本文内容説明
新納忠清の嫡子で、母は新納忠光の娘。元和3年11月21日生。幼名は熊千代丸、次郎四郎・刑部大輔と称した。寛永4年に元服し、慈眼公(家久)が自ら加冠した。慶安3年5月8日、琉球で病死、34歳。清泰寺に葬られ、法号は悟心金了居士と記す。大口衆の田代諸右衛門と小者の源兵衛が殉死した。家来の西田亀右衛門は、忠秀の渡海時に勘当されていたが、その死を聞いて殉死したという。渡海の目的や琉球での具体的な職務は記されない。末注には孫・子と御用人に関する記述があるが、世代のつながりは注記に留保した。
系譜・人物関係
忠清の嫡子、母は忠光女。末尾には孫新納次郎四郎忠秀と子次郎四郎忠継御用人の注があるが、世代の係り方を留保。同名の四郎左衛門忠秀HP-0826は別IDとして維持し、本条の孫との同一性を自動認定しない。
奉公・役職
熊千代丸、次郎四郎、刑部大輔。寛永4年元服、慈眼公自加冠と記す。家久の加冠は確認できるが、本人の御用人就任・琉球での正式役職・渡海目的・渡海年月日は本条に明記されない。
軍役・事績
琉球への渡海と現地での病没を記す。大口衆田代諸右衛門と小者源兵衛の殉死に続き、家来西田亀右衛門が渡海時に勘当を受けていたが訃報を聞き殉死した記事がある。三人とも忠秀の最期に関連する記載で、独立人物条ではない。戦功や島原合戦を忠秀の事績とする根拠は本条になく、旧OCRに残る忠増記事を転用しない。
生没・法名等
元和3年11月21日生。慶安3年5月8日、琉球で病死34歳。清泰寺に葬る、法号悟心金了居士と確認。旧要約の信心金了を悟心金了へ訂正。生地、琉球内の具体的な没地、病名、墓の位置は明記されない。殉死者の死亡場所も補わない。
- 統合人物ID
- HP-0825
- 原人物ID群
- 02-030-04
- 氏・分類
- 新納忠秀
- 掲載巻頁
- 巻二:30
- 主題・活動
- 元服・琉球病没・葬所・殉死
- 人物関係要約
- 忠清の嫡子、母は忠光女。末尾には孫新納次郎四郎忠秀と子次郎四郎忠継御用人の注があるが、世代の係り方を留保。同名の四郎左衛門忠秀HP-0826は別IDとして維持し、本条の孫との同一性を自動認定しない。
- 検索キーワード
- 新納忠秀/刑部大輔/熊千代丸/次郎四郎/新納忠清/新納忠光/元和三年十一月二十一日/寛永四年/元服/慈眼公/島津家久/加冠/慶安三年五月八日/琉球/病死/三十四歳/清泰寺/悟心金了居士/大口衆/田代諸右衛門/小者源兵衛/西田亀右衛門/勘当/殉死/忠継(子孫注)
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全1頁と原冊照合済み。熊千代丸・元服・琉球病没・葬所・法号・殉死を具体化。孫子注の世代関係は留保。
- 公開判定根拠
- 本人の生没・元服・琉球病没・葬所と法号を確認。関連者殉死を区別し孫子注に留保を付して本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 旧通常・AI各全1頁と原冊30頁下段を照合。〇新納刑部大輔忠秀から琉球病没・殉死と末尾の孫子注まで本人条。右端で切れていた熊千代丸を保持するよう拡張し、左隣の忠増条の文字片を除外。通常・AI修復各全1頁を再確認。孫子注は関連者記載で新ID不要、既存02-030-04/HP-0825維持。
- 判読保留
- 末注は孫新納次郎四郎忠秀、子次郎四郎忠継御用人と読めるが、子の係り先など世代のつながりは留保する。孫の同名忠秀と本人を合一せず、御用人を本人の役職としない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』