HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納久永
異名・検索語:新納久永/宅右衛門/久晴/亀三郎/一覚了心居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:没年注は万治3年の渡海に続く四年四月で元号を繰り返さない。文脈上の翌4年として読み、旧説明の寛文4年という補いは撤回する。/通称小注の亀三郎以外の別称は先頭字の判読を留保。光久からの切米15石の記事と、或記の寛永元年10月4日受禄注は記述の層を分け、授与時期を一つに確定しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
新納久治の子で、母は大炊掃部兵衛の娘。元和元年5月7日生。初名久晴、亀三郎、宅右衛門を称した。5歳の時、父が命に背いて殉死したため知行を召し上げられ、寺入りを命じられて家内は困窮した。後に祖父・父の奉公と先祖代々の戦死・殉死が評価され、光久から切米15石を永代に拝領したと記す。幼少で父を失い事情に不案内だったため、伊勢兵部貞昌の指図と世話で太刀を進上し、中納言に御目見した。御普請奉行として江戸へ召し連れられ、窮状を聞いた主君から白銀100枚を拝領。万治3年、屋久島奉行として渡海し、続く朱注に「四年四月」、同地で47歳で没したとある。法号は一覚了心居士。墓所は本条に記されない。
系譜・人物関係
父は新納久治、母は大炊掃部兵衛の娘。初久晴・亀三郎と記し、別の通称小注の先頭字を留保する。本文の父子殉死は祖父忠朝と父久治の奉公として区別し、本人久永の死は屋久島での卒とする。次頁の子久有は独立別条。
奉公・役職
元和元年5月7日生で旧5月17日を訂正。初久晴、亀三郎、宅右衛門。旧九右衛門を宅右衛門へ訂正。5歳時、父の殉死が命に違ったため知行召上げ・寺入りとなり家内難渋。後に父子殉死の奉公を賞して光久より切米15石、先祖代々の戦死・殉死により永代拝領と記す。或記として寛永元年10月4日受禄の朱注。伊勢兵部貞昌へ指図を得て御目見を願い、兵部の世話で太刀を進上し中納言へ御目見。
軍役・事績
御普請奉行として江戸へ召し連れられ、身上逼迫を聞き召され白銀百枚を拝領。万治3年、屋久島奉行として渡海。琉球役という旧主題分類は本条の内容と合わないため屋久島奉行へ改める。先祖の戦死や父の殉死は本人の戦功ではない。
生没・法名等
万治3年渡海に続いて朱注四年四月、彼地ニテ卒、年四十七、法号一覚了心居士。没地は屋久島。原文には寛文4年とはなく、文脈上は万治の翌4年と読むが年号補足と本文を区別する。本文の年齢47歳を保持。没日・出生地・墓所は無記載。
- 統合人物ID
- HP-0811
- 原人物ID群
- 02-032-04
- 氏・分類
- 新納久永
- 掲載巻頁
- 巻之二32頁
- 主題・活動
- 知行召上げ・受禄・御目見・普請奉行・屋久島奉行
- 人物関係要約
- 父は新納久治、母は大炊掃部兵衛の娘。初久晴・亀三郎と記し、別の通称小注の先頭字を留保する。本文の父子殉死は祖父忠朝と父久治の奉公として区別し、本人久永の死は屋久島での卒とする。次頁の子久有は独立別条。
- 検索キーワード
- 新納久永/宅右衛門/久晴/亀三郎/久治/忠朝/大炊掃部兵衛/元和元年五月七日/五歳/殉死/違命/知行召上げ/寺入り/家内難渋/光久/切米十五石/永代/寛永元年十月四日/伊勢兵部貞昌/太刀進上/中納言/御目見/普請奉行/江戸/身上逼迫/白銀百枚/万治三年/屋久島奉行/渡海/四年四月/四十七歳/一覚了心居士
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全1頁と原冊照合済み。宅右衛門・5月7日・初久晴へ訂正、知行召上げから奉公への経緯、江戸・屋久島と没年注を確認。
- 公開判定根拠
- 系譜、父の違命殉死後の処遇、受禄と御目見、普請奉行・屋久島奉行、没地年齢法号を確認。年次注と通称細字を注記して本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 通常・AI各全1頁と原冊32頁下段、次の33頁冒頭を照合。〇新納宅右衛門久永から一覚了心居士の朱注閉じ括弧まで32頁内で完結。33頁は〇新納九右衛門久有から始まる別条で、久永の続きではない。旧出典32~33頁を32頁へ訂正。右端の初名・朱注表示を保持し余白を調整、通常・AI全頁確認。既存02-032-04/HP-0811を維持し新番号不要。
- 判読保留
- 没年注は万治3年の渡海に続く四年四月で元号を繰り返さない。文脈上の翌4年として読み、旧説明の寛文4年という補いは撤回する。/通称小注の亀三郎以外の別称は先頭字の判読を留保。光久からの切米15石の記事と、或記の寛永元年10月4日受禄注は記述の層を分け、授与時期を一つに確定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』