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HP-0827巻二:24/巻十三:244~245注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

新納忠勝

異名・検索語:新納忠勝/新納近江守忠勝 入道栖嵐斎/近江守・四郎・弾正忠/忠勝/新納栖嵐斎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

巻二は八世、巻十三は七世とする。飫肥で頼る島津豊後守は巻二忠朝、巻十三忠親と表記が異なり統一しない。 貴久方か伊東方かについて巻十三の本文自身が新納家譜の説明に疑問を示す。伊東義祐との兄弟関係とする史料内の議論を確定した系譜へ転用しない。 生年は巻二の原冊を延徳三年辛亥と読み、従来の二年読みに由来した不整合の指摘は撤回した。本人の没地・墓所は本条に明記されない。

DESCRIPTION

本文内容説明

近江守、入道栖嵐斎。父は忠武、母は北郷数久の娘、妻は伊東尹祐の娘。巻二は延徳3年辛亥生と記す。志布志を本拠に大崎・松山・末吉・恒吉・牛根・垂水などを領した。大永7年、本田薫親と宮内を侵して正八幡宮を焼き、享禄元年には中ノ郷冷水で伊東・北郷勢に敗れ、一族家臣七百余人を失ったという。豊州家・北郷・肝付氏の攻撃に際し貴久へ援軍を求めたが和睦を勧められ、天文7年に志布志を譲り、次男忠常と飫肥へ退いた。嫡子忠茂は母と伊東氏を頼った。川上義久入道道安への犬追物伝授や遊行上人を迎えた和歌会も記す。天文18年2月8日、59歳で没し、法名鳳林儀道庵主。七世・八世、飫肥の頼り先の忠親・忠朝には巻間の異同があり、所属勢力は本文自身にも異論がある。

系譜・人物関係

父忠武、母北郷数久女、妻伊東大和守尹祐女。嫡子忠茂、二男忠常。巻二に忠茂・武久・忠莫の系譜と活動が続く。先祖諸代を列記し巻二八世・巻十三七世の差がある。

奉公・役職

救仁院志布志在城。所領に大崎松山末吉恒吉高隈市成牛根垂水等。巻十三は百引平房廻福島梅北都之城岩川末吉安楽夏井志布志等も列記。父忠武の忠昌・忠兼への抗争は本人の活動と区別。

軍役・事績

大永7年11月28日本田薫親と宮内を侵し正八幡宮を焼く。享禄元年5月朔日中ノ郷冷水で伊東・北郷勢に敗れ一族家臣700余人戦死。天文5年閏10月28日横峯戦で敵兵18人を斬る。追因獄介・柴主殿介を使者として樺山善久を介し貴久へ援軍要請、和睦を勧められる。巻十三の天文7年2月26日、志布志を譲り二男忠常と飫肥へ。巻二は犬追物を川上十郎左衛門尉義久入道道安へ伝授、天文2年遊行上人他阿を迎え亭礼・和歌会と忠勝歌を記す。

生没・法名等

巻二は延徳3年辛亥生、天文18年2月8日59歳没、法名鳳林儀道庵主。旧二年の読みを三年へ訂正してそれ由来の不整合注記を撤回する。没地・墓所は本条に明記なし。後続の忠茂・武久の没年法名を転用しない。

統合人物ID
HP-0827
原人物ID群
02-024-03/13-244-09
氏・分類
新納忠勝/新納
掲載巻頁
巻二:24/巻十三:244~245
主題・活動
志布志領主。伊東・北郷勢との戦闘、貴久への救援要請、天文7年飫肥退去。犬追物伝授・和歌会。
人物関係要約
父忠武、母北郷数久女、妻伊東大和守尹祐女。嫡子忠茂、二男忠常。巻二に忠茂・武久・忠莫の系譜と活動が続く。先祖諸代を列記し巻二八世・巻十三七世の差がある。
検索キーワード
新納忠勝/近江守/四郎/弾正忠/栖嵐斎/志布志/救仁院/大崎/松山/末吉/恒吉/牛根/垂水/伊東/北郷/肝付/本田薫親/正八幡宮/中ノ郷冷水/横峯/貴久/飫肥/忠常/忠茂/犬追物/川上義久/道安/遊行上人/和歌/延徳三年辛亥生/天文十八年二月八日没/五十九歳/鳳林儀道庵主
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
2記事各全2頁・通常版各全2頁・原冊24/244/245頁を追加確認済み。
公開判定根拠
全4頁と原冊を再照合し、出自・所領・戦闘・救援要請と退去・文化活動・生没を確認。世代数・飫肥の頼り先・所属勢力の史料内異同を明示し、出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全2記事追加精読・原冊照合
本文境界判定
巻二は原冊24頁上段の新納忠勝見出し・仁之部標題・先祖系譜から下段へ続き、本人の生没・所領・犬追物和歌・子忠茂孫武久以下の続記末尾四郎忠莫まで。子孫続記は関連記事で新規採番不要。巻十三は244頁下段の忠勝見出し・父母妻・軍役から閏十で頁をまたぎ、245頁上段の月廿八日へ続く。援軍要請・家譜批判・退去と嫡子動向・以下新納家本伝ニ見ユまでを保持。修復候補attempt2は通常AI各2頁を全頁照合し、見出し細注を保持、巻二の次の忠影条・巻十三の前条文字片を除外。各既存IDを維持。
判読保留
巻二は八世、巻十三は七世とする。飫肥で頼る島津豊後守は巻二忠朝、巻十三忠親と表記が異なり統一しない。 貴久方か伊東方かについて巻十三の本文自身が新納家譜の説明に疑問を示す。伊東義祐との兄弟関係とする史料内の議論を確定した系譜へ転用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』