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HP-0820巻二:30注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

新納忠尭

異名・検索語:新納忠尭/新納忠堯/新納刑部大輔忠堯/刑部大輔/次郎四郎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:戦死日は本人条が天正11年6月23日、父忠元条は13日(23とも)と記す。本人条の23日を本文説明に採り、異説を併記する。/母方の種子島修理亮に添えられた実名の細字は留保する。修理亮を忠堯本人の官途に転用しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

新納忠元の嫡子で、母は種子島修理亮の娘。刑部大輔・次郎四郎と称し、天文23年生。弟は弥太右衛門忠増。天正6年10月、大友勢の日州侵攻に際して諸将とともに松山陣を切り崩し、高城に籠もって軍功を挙げた。同8年5月、肥後宝之河内城を忍び落とした際にも先に槍を合わせる働きをした。同11年、有馬氏を援けるため川上左京亮忠堅と渡海し、6月23日に深江で戦死、30歳。父忠元条には13日を主文、23日を異説とする記載もある。法名は大雄宗心居士、位牌には大仙寺殿大翁宗心と記す。墓は泉徳寺にあり、竜伯公から大口青木村の土地を与えられて同寺を建立し菩提所としたという。

系譜・人物関係

父は新納忠元、母は種子島修理亮女。忠元の一女二男のうち嫡子が忠堯、二男が弥太右衛門忠増、女は有川貞真の妻と記す。母方実名小注は留保。本文の父子・兄弟の説明で別人物見出しではない。

奉公・役職

刑部大輔、次郎四郎。修理亮は母の父・種子島氏の官途で、忠堯の官途とする旧説明を撤回。独立の地頭・家老などの役職は本条に記載なし。

軍役・事績

天正6年10月、大友勢の日州侵攻時、諸将と豊後勢の松山陣を切り崩して高城に籠もり軍功。天正8年5月肥後宝之河内城忍落の時、槍初の軍功。同11年、有馬への加勢として川上左京亮忠堅と渡海。同行者を上井忠堅とした旧説明は誤読。竜伯公から大口青木村の懸命地を与えられ泉徳寺建立、菩提所とした記事は戦死後の由緒で本人の生前創建行為としない。

生没・法名等

天文23年生。天正11年癸未6月23日、深江で戦死、30歳。忠元条は6月13日を主文とし23日ともと注記するため両出典を区別。法名大雄宗心居士、墓は泉徳寺。位牌の表記は大仙寺殿大翁宗心で、法名本文と異なることを保持。雌翁の石塔とある細注は位牌に添う原注として画像に保持。

統合人物ID
HP-0820
原人物ID群
02-030-01
氏・分類
新納忠尭
掲載巻頁
巻二:30
主題・活動
軍役・有馬救援・戦死・菩提所由緒
人物関係要約
父は新納忠元、母は種子島修理亮女。忠元の一女二男のうち嫡子が忠堯、二男が弥太右衛門忠増、女は有川貞真の妻と記す。母方実名小注は留保。本文の父子・兄弟の説明で別人物見出しではない。
検索キーワード
新納忠尭/新納忠堯/刑部大輔/次郎四郎/新納忠元/種子島修理亮(母方)/新納忠増/有川貞真/天文二十三年/松山陣/高城/大友/宝之河内城/肥後/槍初/川上忠堅/有馬救援/深江/天正十一年六月二十三日/十三日異説/戦死/大雄宗心居士/大仙寺殿大翁宗心/位牌/泉徳寺/大口青木村/竜伯公/懸命地/菩提所
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常・AI各全1頁と原冊照合済み。本人と母方官途を分離、同行者訂正、戦死日異説と位牌別記を保持。
公開判定根拠
本人の系譜・軍功・有馬救援・戦死と菩提所を確認。戦死日異説と母方細字を注記して本文へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
AI・通常各全1頁と原冊30頁上段を照合。〇新納刑部大輔忠堯から泉徳寺を建立して菩提所とする末尾まで一条。隣の忠元末尾および次の〇新納次郎兵衛尉忠光を除き、母方細注と位牌注を保持して余白を調整。既存02-030-01/HP-0820維持、新ID不要。
判読保留
戦死日は本人条が天正11年6月23日、父忠元条は13日(23とも)と記す。本人条の23日を本文説明に採り、異説を併記する。/母方の種子島修理亮に添えられた実名の細字は留保する。修理亮を忠堯本人の官途に転用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』