HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納久徳
異名・検索語:新納久徳/三河守/楚弓/忠陸/孫四郎/安千代/四郎右衛門/松岩常清居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:弓法を伝えた日置越後守との関係は外伯父に祖イの傍記があり、朱注の名は忠充。本条だけで親族関係を一方へ確定しない。/父祖の細注には火柱に寺カの傍記、忠充名下の忠秋女に関する注があり、関係語・帰属の細部は留保。末尾の子の諱は忠郷に見えるが、一字の字体確認を留保し旧忠陳を確定名として継承しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
永禄11年、日向福島に生まれた新納忠充の嫡子。初名忠陸、三河守を称し、入道楚弓。父の遺志を継ぎ、伊集院幸侃からの千石での奉公の誘いを断り、慶長元年春、富隈で指宿壱岐守を介して義久に本家への帰参を願った。同3年に朝鮮へ渡り泗川で戦功を挙げ、翌4年の庄内合戦にも参戦。庄内では敵の山下次右衛門を矢で傷つけ、和議後にその矢を返された逸話を記す。同16年の義久没後は加治木で義弘に仕え、元和8年に鹿児島へ移って家久に奉仕した。日置越後守から弓法を学び、犬追物書・弓法書・源氏物語などを進上。明暦3年8月21日、90歳で没した。法号は松岩常清居士。没地・墓所は本条に記されない。
系譜・人物関係
父は四郎左衛門忠充入道栖雲斎、久徳は嫡子。祖父孫四郎忠常は本家八世近江守忠勝の二男。忠常・忠充の戦歴・領地と病没は父祖の経歴として区別する。末尾の四郎右衛門(号受徳)の子の記事は朱の括弧内の関連追記。子孫四郎右衛門安千代の頭注も本人と区別する。
奉公・役職
初忠陸、孫四郎、安千代、四郎右衛門、三河守、入道楚弓。本文にも忠陸則久徳ナリの注がある。父忠充は豊州家への助力のため福島に留まり、本家出仕の志を果たせず死去。久徳は伊集院幸侃の千石での奉公の誘いを父の遺言と本意を理由に退ける。慶長元年春、富隈へ密参して指宿壱岐守を通じ訴え、竜伯からまず富隈へ移り、その後鹿児島へ申し立てるよう命じられ、家人を暇とし自身は富隈へ移った。慶長16年竜伯没後加治木で惟新へ、元和8年鹿児島で中納言へ奉仕。義久・義弘・家久の順に説明する。
軍役・事績
慶長3年春、高麗渡海、泗川戦功、紺糸鎧着用。同4年庄内陣にも出陣、朱注に弓で多賊を射殺とし、敵山下次右衛門が矢傷を負い、和平後に久徳へ矢を返し感服の意を伝えた逸話が続く。負傷者は久徳ではなく、逸話の戦場は泗川ではなく庄内。寛永14年、曽祖父忠勝相伝の川上道安在判・小笠原刑部少輔光清在判の犬追物書各一部を仁礼頼景経由で中納言へ進上、後に源氏物語一部も進上。日置越後守から弓法を相伝し、弓法書閣本十八冊・巻本廿四巻ほかを本田源右衛門経由で惟新公へ備覧、その後中納言へ進上と記す。父祖の天文10年火柱戦・梅北病没は本人に転用しない。
生没・法名等
久徳は永禄11年日州福島生、明暦3年丁酉8月、朱補記廿一日、90歳卒。朱注法号松岩常清居士。旧常浩から常清へ訂正。出生月日は無記載で判読不能ではなく、泗川で射た人数も本条に数値なし。本人没地・墓所は無記載。父忠充は天正12年7月6日梅北で病死、50余歳とあり別人の最期。末尾の子は元和5年6月2日生、慈眼公小姓、元禄3年2月4日卒、秋澤独月居士の関連朱注で久徳の生没と混同しない。
- 統合人物ID
- HP-0814
- 原人物ID群
- 02-031-03
- 氏・分類
- 新納久徳
- 掲載巻頁
- 巻二:31
- 主題・活動
- 本家帰参・泗川庄内軍役・弓法と伝書進上
- 人物関係要約
- 父は四郎左衛門忠充入道栖雲斎、久徳は嫡子。祖父孫四郎忠常は本家八世近江守忠勝の二男。忠常・忠充の戦歴・領地と病没は父祖の経歴として区別する。末尾の四郎右衛門(号受徳)の子の記事は朱の括弧内の関連追記。子孫四郎右衛門安千代の頭注も本人と区別する。
- 検索キーワード
- 新納久徳/忠陸/楚弓/孫四郎/安千代/四郎右衛門/三河守/忠充/忠常/忠勝/日向福島/伊集院幸侃/千石/指宿壱岐守/義久/竜伯/富隈/帰参/慶長三年/高麗/朝鮮/泗川/紺糸鎧/慶長四年/庄内合戦/弓/山下次右衛門/矢/和平/義弘/惟新/加治木/元和八年/鹿児島/家久/中納言/寛永十四年/川上道安/小笠原光清/犬追物書/仁礼頼景/源氏物語/日置越後守/弓法書/本田源右衛門/明暦三年八月廿一日/九十歳/松岩常清居士
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全2頁と原冊照合済み。帰参、奉公順序、庄内での弓と負傷主体、法号常清を訂正し、末尾子朱注を区別。
- 公開判定根拠
- 本家帰参の経緯、泗川と庄内の軍役、三代への奉仕と伝書進上、90歳没を確認。親族細注等を注記して本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 通常・AI各全2頁と原冊31頁上下段を照合。上段末の其から下段冒頭心得可致へ同一条が続く。末尾は朱の開き括弧から四郎右衛門(号受徳)の子の記事が続き、法号秋澤独月居士後の閉じ括弧で終わる関連追記。独立見出しの一ではないため新番号不要。次の四郎左衛門忠秀入道慶雲は別条。第1頁右端初名・通称注を保持し余白を修復、両PDF全頁確認。既存02-031-03/HP-0814維持。
- 判読保留
- 弓法を伝えた日置越後守との関係は外伯父に祖イの傍記があり、朱注の名は忠充。本条だけで親族関係を一方へ確定しない。/父祖の細注には火柱に寺カの傍記、忠充名下の忠秋女に関する注があり、関係語・帰属の細部は留保。末尾の子の諱は忠郷に見えるが、一字の字体確認を留保し旧忠陳を確定名として継承しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』