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HP-0832巻之二32頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

新納忠朝

異名・検索語:新納忠朝/式部少輔/源八郎/紀伊守/蘭室宗馨居士

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:本家忠臣の代数は本文二代に三イの傍記、祖先久民には武イの傍記がある。系譜の異同を一方へ確定しない。実父の諱は忠衝に見えるが末字の字形を留保し、公開説明では式部大輔とする。

DESCRIPTION

本文内容説明

永禄9年生。新納式部大輔の嫡子で、母は新納氏。紀伊守久景の養子となった。初め源八郎、紀伊守を称し、式部少輔。19歳の頃、島津義久に後世のお供をすると約束したと記す。慶長16年、義久の死後、国分から遺骸に付き従って鹿児島へ移り、本御内に宿を命じられた。同年2月20日の茶毘に際し、福昌寺門前で殉死、46歳。法名は蘭室宗馨居士。福昌寺の義久廟前に並ぶ殉死者石塔の第一番と記される。また、義久の遺骸を運ぶ途中で用いた棺を賜り、自身の葬礼に用いたという朱注がある。冒頭の祖先の戦死記事は忠朝本人の軍役ではない。

系譜・人物関係

養父は紀伊守久景で旧久公を訂正。実父は新納式部大輔、嫡子。実父名は忠衝に見えるが末字を留保、朱注に新三郎。母は新納氏。本家忠臣の三男四郎三郎忠作から七郎左衛門忠辰、安芸守忠興、四郎三郎久民(武イ傍記)、紀伊守久景へ続く養家系譜。忠臣の代数は本文二代に三イの傍記があり異同として保持。

奉公・役職

初源八郎・紀伊守、式部少輔。竜伯公すなわち義久への奉仕を記す。十九歳之時分御後世之御供御約束申上ルとあり、単に若年から御用に関わったという旧要約では内容が落ちるため約束の内容を明示。具体的な職務や軍役は本条にない。

軍役・事績

義久没後、国分から遺骸に御供して鹿児島へ罷越、本御内へ宿を仰せ付けられたと記す。御途中ノ御棺ヲ賜ヒテ其葬礼ニ用ケルトソの朱注がある。祖先忠作の長禄3年12月3日二俣戦死、久民の薩州永吉戦死は本人の軍役ではない。殉死を称賛する表現は加えず史料の記載として整理。

生没・法名等

永禄9年生、母新納氏。慶長16年辛亥、竜伯公没後の2月20日御茶毘之節、福昌寺門前で殉死46歳。法名蘭室宗馨居士。朱注に福昌寺御廟前地蔵石塔一番目也。義久廟前殉死者石塔の第一番として説明するが、遺骨埋葬位置の断定はしない。生月日・出生地は無記載。

統合人物ID
HP-0832
原人物ID群
02-032-02
氏・分類
新納忠朝
掲載巻頁
巻之二32頁
主題・活動
義久奉仕・後世の供の約束・遺骸随行・殉死と葬礼
人物関係要約
養父は紀伊守久景で旧久公を訂正。実父は新納式部大輔、嫡子。実父名は忠衝に見えるが末字を留保、朱注に新三郎。母は新納氏。本家忠臣の三男四郎三郎忠作から七郎左衛門忠辰、安芸守忠興、四郎三郎久民(武イ傍記)、紀伊守久景へ続く養家系譜。忠臣の代数は本文二代に三イの傍記があり異同として保持。
検索キーワード
新納忠朝/式部少輔/源八郎/紀伊守/久景/養子/新納式部大輔/嫡子/母新納氏/永禄九年/義久/竜伯/十九歳/後世の供/約束/慶長十六年/二月廿日/国分/遺骸/御供/鹿児島/本御内/茶毘/福昌寺門前/殉死/四十六歳/蘭室宗馨居士/御廟/石塔/御棺/葬礼
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常・AI各全2頁と原冊照合済み。養父久景へ訂正、実父母・初名・19歳の約束・遺骸随行・茶毘時殉死と棺の朱注を整理。
公開判定根拠
系譜・主君・後世の供の約束と遺骸随行、殉死の日時場所年齢・法名・石塔を確認。父名細字と系譜異同を注記し本文へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
通常・AI各全2頁と原冊32頁上下段を照合。上段の一新納式部少輔忠朝と祖先系譜から下段の其子紀伊守久景之養子忠朝也へ続く同一条。末尾の御途中ノ御棺を葬礼に用いたという朱注までが本条。次の〇新納式部少輔久治は別条02-032-03。第1頁右端の初名・祖先年次注を回復し上下段余白を調整。第1候補は先祖戦死注の左端が狭く不採用、第2候補の通常・AI各全2頁で文字保持と隣条不混入を確認。既存02-032-02/HP-0832維持、新番号不要。
判読保留
本家忠臣の代数は本文二代に三イの傍記、祖先久民には武イの傍記がある。系譜の異同を一方へ確定しない。実父の諱は忠衝に見えるが末字の字形を留保し、公開説明では式部大輔とする。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』