HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納忠秀(四郎左衛門)
異名・検索語:新納忠秀/四郎左衛門/宮内少輔/慶雲/高山宗明居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:野尻守備への出発地は本文で尚原城に見える。従来の高原城へ自動置換せず、字形と地名比定を留保。/祖先系譜の中間世代の諱など細字を留保。八代後殿の記事は新納忠元・伊集院肥後守・樺山城守の名に続き両将と記すため、その対応を断定しない。朝鮮記事の二公も本条のみで個人名に置換しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊勢守康久の三男で、新納忠貞の養子。初め宮内少輔、四郎左衛門を称し、入道慶雲。若年から新納忠元に付属して軍功を挙げた。天正5年、伊東氏から離反した福永丹波守の野尻城を守り、同8年には坂元源一郎と肥後宝之川内の塁を偵察して攻略に寄与。同14年、豊後への使いとして案内人を得て潜入し、志賀薩摩守へ密かに謀を告げて帰報した。同15年の撤退では帰路を塞ぐ敵を破って負傷し、八代では両将の旗を預かって殿軍を務めた。朝鮮では急行する「二公」に新納久宣ら15人で従ったと記される。帰朝後は納殿役。元和年間の鹿児島高帳に320石とある。寛永17年7月22日没、法名は高山宗明居士。生年・享年・没地・墓所は本条に記されない。
系譜・人物関係
本家三代近江守忠臣の五男因幡守忠時の七世孫。忠秀自身は伊勢守康久の三男で忠貞の養子。忠貞は五郎左衛門忠佐の三男。先祖の文明16年飫肥楠峯戦死、吉田戦死、天正12年島原戦死43歳は本人の事績・享年としない。
奉公・役職
初宮内少輔、四郎左衛門、入道慶雲。若年より新納忠元へ相附し諸所軍功。帰朝後納殿役。元和年間鹿児島高帳三百二十石新納四郎左衛門とあり、旧322石余を320石へ訂正。
軍役・事績
天正5年11月6日、野尻城主福永丹波守が伊東氏に叛き来降、忠秀は本文尚原城と見える城から入り野尻城を守る。天正8年夏、忠元の差図で坂元源一郎と肥後宝之川内の塁を忍見、報告により人数が差し越され攻落、合志玄宅を討取と記すが本人単独討取とはしない。天正14年豊後使節では川内勘右衛門を案内とし、雨中蓑笠で入田へ入り吉良甲斐守宅に3日潜伏、管迫城主志賀薩摩守に密謀を伝え帰報。鎌田甚兵衛の僕を私殺して肥後へ出奔したのは案内人であり忠秀ではない。天正15年撤退では岡・坂梨二城の賊徒が塞ぐ帰路を先登して破り負傷、その後八代で後殿を願い両将の旗を預かり殿軍。負傷と後殿の場面を区別。朝鮮軍役朱注は急行して唐島に至った二公に同氏久宣等15人で従ったと記す。
生没・法名等
寛永17年、朱補記7月22日卒。法名高山宗明居士。生年・享年・没地・墓所は無記載で、判読不能という意味ではない。先祖の天正12年3月24日肥前島原戦死43歳などを本人に転用しない。
- 統合人物ID
- HP-0826
- 原人物ID群
- 02-031-04
- 氏・分類
- 新納忠秀
- 掲載巻頁
- 巻之二31~32頁
- 主題・活動
- 野尻守備・肥後偵察・豊後潜入使節と殿軍・朝鮮軍役・納殿役
- 人物関係要約
- 本家三代近江守忠臣の五男因幡守忠時の七世孫。忠秀自身は伊勢守康久の三男で忠貞の養子。忠貞は五郎左衛門忠佐の三男。先祖の文明16年飫肥楠峯戦死、吉田戦死、天正12年島原戦死43歳は本人の事績・享年としない。
- 検索キーワード
- 新納忠秀/四郎左衛門/宮内少輔/慶雲/高山宗明居士/康久/三男/忠貞/養子/忠元/野尻/福永丹波守/伊東氏/尚原城/坂元源一郎/肥後/宝之川内/合志玄宅/豊後/川内勘右衛門/入田/吉良甲斐守/管迫城/志賀薩摩守/岡/坂梨/負傷/八代/後殿/殿軍/朝鮮/唐島/久宣/納殿役/元和/鹿児島高帳/三百二十石/寛永十七年七月廿二日
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全2頁と原冊照合済み。三男・養子関係、偵察潜入と後殿、朝鮮・納殿役、320石、没年月日・法名を確認。
- 公開判定根拠
- 本人の野尻守備・肥後偵察・豊後使節と殿軍、朝鮮軍役・納殿役を確認。出発城名・祖先細注・二公等の比定を注記し本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 通常・AI各全2頁と原冊31頁下段・32頁上段を照合。忠元ノ差図ニテへ頁をまたいで同一記事が続き、末尾元和年間鹿児島高帳三百二十石新納四郎左衛門トアリまで本条。次の〇新納二右衛門久親は既存別条02-032-01。第1頁右端の初宮内少輔を保持し余白を調整、両PDF全頁を確認。先祖関連記事を別人の独立紹介と扱わず新番号不要。02-031-04/HP-0826維持。同名の刑部大輔HP-0825とは別人。
- 判読保留
- 野尻守備への出発地は本文で尚原城に見える。従来の高原城へ自動置換せず、字形と地名比定を留保。/祖先系譜の中間世代の諱など細字を留保。八代後殿の記事は新納忠元・伊集院肥後守・樺山城守の名に続き両将と記すため、その対応を断定しない。朝鮮記事の二公も本条のみで個人名に置換しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』