HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
石谷梅久
異名・検索語:石谷梅久/石谷伊賀守梅久/伊賀守/梅久/入道伝心/伝心
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:墓誌の日付は年号が天正五年、日が七日と読める。月の数字は印刷がかすれ、十一月・十二月の確読を留保する。本文表記を別年号へ置換せず、年代の歴史的確定も留保する。/墓誌中の戦没地点に関わる字と松の標に続く細字の一部は留保。付記は表松の所在を水上街道二里塚付近と記すもので、現代の位置や墓所を別地点へ比定しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
石谷梅久は伊賀守を称し、入道名は伝心。墓誌によると、大中公の命で鹿児島を去り石谷へ帰る際、島津実久に襲われて戦没し、その地に葬られ、松を標とした。十二世の孫・町田久視が墓誌を記し、表松は水上街道二里塚の辺りにあると付記される。町田監物久視は町田家十四代の家督と記されるが、これは梅久本人の家督代数ではない。詳しい経歴は町田家伝を参照する旨がある。墓誌の日付は本文表記で天正5年の7日だが、月の数字と年代の確定は留保する。具体的な襲撃地点、享年、知行は記されない。
系譜・人物関係
十二代之孫に町田監物久視を挙げ、続く町田家十四代之家督は久視にかかる。梅久本人を町田家十四代とした旧説明を撤回。墓誌末尾にも十二世孫町田久視誌とある。詳しくは町田家伝参照。
奉公・役職
伊賀守、入道伝心。墓誌は奉大中公命去鹿児島帰石谷と記す。主命による石谷帰還を整理し、知行・個別の役職は加えない。
軍役・事績
島津実久に襲われ戦没しその地に葬ったという墓誌を引用。松を標とし、表松ハ水上街道二里塚ノ辺ニ有之との所在地付記。十二世孫町田久視誌。戦没地の字と墓誌の細字を留保。
生没・法名等
墓誌本文の天正五年・七日を確認、月の数字はかすれにより十一/十二の確読を留保。旧十二月七日を確定日として扱わない。年号は本文表記を保持し歴史年代として未確定。戦没してその地に葬られ松を標としたと記す。享年なし、入道名伝心。
- 統合人物ID
- HP-0903
- 原人物ID群
- 01-021-10
- 氏・分類
- 石谷
- 掲載巻頁
- 巻1:21~22
- 主題・活動
- 主命帰還・戦没・墓誌・子孫系譜
- 人物関係要約
- 十二代之孫に町田監物久視を挙げ、続く町田家十四代之家督は久視にかかる。梅久本人を町田家十四代とした旧説明を撤回。墓誌末尾にも十二世孫町田久視誌とある。詳しくは町田家伝参照。
- 検索キーワード
- 石谷梅久/伊賀守/入道伝心/大中公/鹿児島/石谷/島津実久/戦没/墓誌/松/表松/水上街道/二里塚/町田監物久視/十二世孫/町田家十四代/町田家伝/天正五年/日付留保
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI・通常各全2頁と原冊21~22頁を確認。家督代数の帰属を訂正、墓誌日付の月と年代確定・細字を留保。
- 公開判定根拠
- 本人の帰還途上戦没と葬地・松の標、久視の墓誌を確認。家督代数の誤帰属を訂正し日付等の留保を付して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 現用AI・通常各全2頁と原冊21頁下段・22頁上段を照合。第1頁末尾為島津実久から第2頁所襲へ続く一記事。町田久視は十二世孫・墓誌筆者として登場し、独立新人物紹介ではない。第2頁の表松所在地注記を含み、次の一石原佐渡は含まない。各列と末尾有之まで確認でき、PDFの余白は大きいが本文欠落・前後記事混入は認めず維持。新規採番不要。
- 判読保留
- 墓誌の日付は年号が天正五年、日が七日と読める。月の数字は印刷がかすれ、十一月・十二月の確読を留保する。本文表記を別年号へ置換せず、年代の歴史的確定も留保する。/墓誌中の戦没地点に関わる字と松の標に続く細字の一部は留保。付記は表松の所在を水上街道二里塚付近と記すもので、現代の位置や墓所を別地点へ比定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』