HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納久有
異名・検索語:新納久有/九右衛門/亀三郎/四郎二郎
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
新納久永の子で、母は柳元壱岐の娘。寛永10年2月7日生。亀三郎、四郎二郎、九右衛門を称した。幼少から「中納言」の側に召し仕え、綱久に奉仕して殉死を約束したと記す。しかし天下一統の殉死禁令により、綱久の死後は弟の宅右衛門忠丘へ家督を譲り、その後は奉公せず病死した。末尾には子孫を新納宅右衛門とする注がある。父祖の殉死とは異なり、禁令下で家督譲渡・退仕を選んだ経緯が本条の中心。没年月日・享年・没地・法名・墓所は記されない。
系譜・人物関係
父は新納久永、母は柳元壱岐の娘。弟は宅右衛門忠丘で、綱久没後に久有から家督を譲られる。末尾此子孫新納宅右衛門ナリは久有条の子孫注として保持し、実子の個人名とはしない。
奉公・役職
亀三郎・四郎二郎・九右衛門。幼少より中納言様御側へ召し仕え、綱久公へ奉仕と別に記す。旧説明の中納言島津綱久という同一視を撤回し、中納言の実名は本条だけで補わない。
軍役・事績
綱久への殉死を約束していたが、天下一統殉死御大禁により実行せず。綱久没後、弟宅右衛門忠丘へ家督を譲り、以後御奉公不仕候テ病死と記す。父祖の殉死を本人へ転用しない。殉死禁止令の西暦・法令名など外部情報は追加しない。具体的軍功や別の役職は無記載。
生没・法名等
寛永10年2月7日生、母柳元壱岐女は朱注。死因は病死、綱久没後の家督譲渡と退仕に続く記事。没年月日・享年・没地・法名・墓所は無記載で判読不能という意味ではない。
- 統合人物ID
- HP-0815
- 原人物ID群
- 02-033-01
- 氏・分類
- 新納久有
- 掲載巻頁
- 巻之二33頁
- 主題・活動
- 側仕え・綱久奉仕・殉死禁令・家督譲渡・退仕
- 人物関係要約
- 父は新納久永、母は柳元壱岐の娘。弟は宅右衛門忠丘で、綱久没後に久有から家督を譲られる。末尾此子孫新納宅右衛門ナリは久有条の子孫注として保持し、実子の個人名とはしない。
- 検索キーワード
- 新納久有/九右衛門/亀三郎/四郎二郎/久永/柳元壱岐/寛永十年二月七日/中納言/側仕え/綱久/奉仕/殉死約束/天下一統/殉死御大禁/殉死禁令/弟/宅右衛門忠丘/家督譲渡/退仕/病死/子孫/新納宅右衛門
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全1頁と原冊照合済み。生年月日・異名・側仕えと綱久奉仕の書分け、禁令と家督譲渡・退仕・病死を確認。
- 公開判定根拠
- 本文の系譜・生年月日・通称、奉公と禁令による家督譲渡・退仕・病死を確認。中納言の名や無記載の生没詳細を補わず本文の範囲で公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 通常・AI各全1頁と原冊33頁上段を照合。〇新納九右衛門久有から病死・此子孫新納宅右衛門ナリの関連注まで一条。次の一仁礼蔵人頼景は別条02-033-02。忠丘・子孫の記述は家督譲渡の経緯と追記で、新しい独立紹介ではなく新番号不要。見出し右側と母生年月日朱記を保持し上下余白を調整、修復後の通常・AI全頁を確認。02-033-01/HP-0815維持。
- 判読保留
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出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』