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HP-0828巻二:24~25注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

新納忠澄

異名・検索語:新納忠澄/新納能登守忠澄/能登守/又八/左衛門/右衛門/魚隠斎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:再嫁先は本文の島津相模守幸久、僧名は頼僧法印の表記を保持する。従来説明の運久などに本文を無注記で置換しない。/日新公母堂についての没日等の細注は一部の字形・省略年号を留保し、忠澄本人の没年・法名へ転用しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

能登守、入道魚隠斎、初め又八と称した。父は伊勢守友義でその二男、祖父は駿河守是久、母は三原氏。是久の娘が日新公(島津忠良)の母に当たると記す。島津久逸が櫛間から伊作へ帰城した際、忠澄も随従して伊作へ移った。善久の死後、幼い忠良の母の島津相模守への再嫁に伴い田布施へ移り、忠良の後見を務めた。明応7年、忠良7歳の時には母の意を受けて海蔵院の法印に依頼し、忠良が登山して学問するよう手配した。永禄2年己未、田布施で病没した。子孫は新納五郎と記す。本文は再嫁先を「幸久」、海蔵院の僧を「頼僧法印」と表記しており、そのまま注記して残す。

系譜・人物関係

祖父駿河守是久は新納家四代忠治の二男、父伊勢守友義は是久の嫡子。忠澄は友義の二男、母三原氏。是久の娘が日新公母堂で、忠澄は忠良の母方親族。子孫新納五郎。

奉公・役職

島津久逸が櫛間から伊作へ帰城する際に扈従して伊作へ移住。善久死後、日新公母堂が相模守幸久と再縁する際に田布施へ御供し、幼い日新公の後見を務めた。本文地名の田有施を田布施として説明する。

軍役・事績

明応7年、日新公7歳の時、御母堂が忠澄を介して日新公を海蔵院頼僧法印に依頼し、日新公が登山して学問したという。従来の母を通じてという説明は仲介関係を逆にしていたため修正。本人の軍役は本条に記載なし。

生没・法名等

永禄2年己未、田布施で病死。本人の生年・没月日・享年・墓所は記載なし。号は魚隠斎。母堂の妙芳大姉等の注記を本人の法名へ転用しない。

統合人物ID
HP-0828
原人物ID群
02-024-05
氏・分類
新納忠澄
掲載巻頁
巻二:24~25
主題・活動
忠良後見・教育仲介・伊作田布施移住
人物関係要約
祖父駿河守是久は新納家四代忠治の二男、父伊勢守友義は是久の嫡子。忠澄は友義の二男、母三原氏。是久の娘が日新公母堂で、忠澄は忠良の母方親族。子孫新納五郎。
検索キーワード
新納忠澄/能登守/魚隠斎/又八/左衛門/右衛門/新納忠治/駿河守是久/伊勢守友義/三原氏/島津久逸/櫛間/伊作/善久/日新公/島津忠良/相模守幸久(本文表記)/田布施/田有施/後見/明応七年/七歳/海蔵院/頼僧法印(本文表記)/学問/永禄二年/己未/病死/新納五郎
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
全2頁と修復通常・AI各全頁を確認。魚隠斎へ校正、父祖系譜・移住・後見・教育仲介・病没を具体化。
公開判定根拠
本文の系譜、伊作田布施移住、忠良の後見と教育仲介、没年没地を確認。再嫁先・僧名の本文表記と母堂細注の留保を添えて出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
AI・通常各全2頁と原冊24~25頁を照合。忠澄見出しから初名・先祖・母、久逸の櫛間から伊作帰城と忠澄扈従、忠良母堂の再嫁・田布施移住、後見・教育手配、永禄2年田布施病死まで連続。1頁末帰城から2頁冒頭之節へつながる。〇は同人の関係・事績項目で新規採番不要。通常AI各2頁を修復照合し、1頁右の朱記を保持しつつ右上の前条注片を除外。2頁左の次条断片を除き、本文・母堂細注を保持。
判読保留
再嫁先は本文の島津相模守幸久、僧名は頼僧法印の表記を保持する。従来説明の運久などに本文を無注記で置換しない。/日新公母堂についての没日等の細注は一部の字形・省略年号を留保し、忠澄本人の没年・法名へ転用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』