HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納久親
異名・検索語:新納久親/二右衛門/活叟了決居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:役職は本文に御荷内役と見え、荷に物カの傍記、続く朱注に今之御納戸奉行ナリとある。表記を単純に御納戸役へ統一せず、本文と朱注の関係を示す。
DESCRIPTION
本文内容説明
慶長8年生。新納忠秀の子で、母は合志伊勢守の娘。父が肥後の軍から奪い来て妻としたと記す。二右衛門を称し、家久・光久の代に小番を勤め、御納戸関係の役と山奉行を務めた。正保3年12月10日、市来備後家尚と川辺の宝福寺へ赴き、遠島を命じられた島津大和守久章に家老衆の指示に従うよう説得した。久章は初め拒んだが納得し、別の使者から正式命令を受けて清泉寺へ移った。久親は宝福寺に残っていた久章の家来三次を清泉寺へ連れて行く途中、背後から斬りつけられた。振り返って三次を討ち、帰宅したものの傷がもとで同月24日に44歳で没した。法名は活叟了決居士。没地の地名・墓所は記されない。
系譜・人物関係
新納忠秀の子。慶長8年生、母は合志伊勢守の娘で、父忠秀が肥後の軍から奪い来て妻としたと本条に記す。忠秀名に初宮内少輔の小注が付く。末尾朱注は子孫新納仁兵衛也という関連追記で、仁兵衛を久親の実子と断定しない。
奉公・役職
本文は家久公・光久公御代小番相勤。従来の義久を家久へ訂正。御荷内役(荷に物カ傍記)、山奉行トナルの朱注と今之御納戸奉行ナリの追記を分けて保持。久親自身の通称は二右衛門。父名忠秀を旧秀から訂正。
軍役・事績
正保3年、川辺宝福寺寺領で遠島を命じられた島津大和守久章について、家老衆の下知に背く可能性があるとして12月10日、久親と市来備後家尚を宝福寺へ差し越した。久章は初め拒否したが説得に納得。その後、伊東仁右衛門祐昌・高崎宗右衛門能延が使者となり遠島命令を伝え、久章は清泉寺へ移り一宿。宝福寺に残る家来三次を久親が清泉寺へ連れて行く途中、三次が背後から斬り付け、久親は振り返って討ち果たし帰宅。説得の使役と正式伝達の使者を混同しない。軍役・戦場での戦死の記事ではない。
生没・法名等
正保3年12月24日、傷がもとで死去、44歳。本文の同廿四日を24日と読み、旧24日は維持する。帰宅後の死去と記すが没地の固有地名は無記載。朱注法名活叟了決居士。墓所・出生地は記されない。
- 統合人物ID
- HP-0813
- 原人物ID群
- 02-032-01
- 氏・分類
- 新納久親
- 掲載巻頁
- 巻之二32頁
- 主題・活動
- 小番・山奉行・遠島受諾説得・襲撃後の傷病死
- 人物関係要約
- 新納忠秀の子。慶長8年生、母は合志伊勢守の娘で、父忠秀が肥後の軍から奪い来て妻としたと本条に記す。忠秀名に初宮内少輔の小注が付く。末尾朱注は子孫新納仁兵衛也という関連追記で、仁兵衛を久親の実子と断定しない。
- 検索キーワード
- 新納久親/二右衛門/忠秀/合志伊勢守/慶長八年/家久/光久/小番/御荷内役/御物内役/御納戸奉行/山奉行/正保三年/十二月十日/川辺/宝福寺/清泉寺/島津大和守久章/遠島/市来備後家尚/伊東仁右衛門祐昌/高崎宗右衛門能延/三次/襲撃/傷/十二月廿四日/四十四歳/活叟了決居士/新納仁兵衛
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全1頁と原冊照合済み。父忠秀・家久奉仕に訂正し、正保3年の使役と別使者、負傷後の死去・44歳・法名を確認。
- 公開判定根拠
- 系譜・小番奉仕・遠島受諾の説得・襲撃への反撃・傷による没年齢を確認。役職表記と朱注を注記して本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 通常・AI各全1頁と原冊32頁上段を照合。〇新納二右衛門久親から法名・子孫新納仁兵衛也の朱注閉じ括弧まで一条。前の忠秀条末尾320石と、次の一新納式部少輔忠朝を含めない。旧PDF左端に次条の細片が見えるため余白・左端を調整。第1候補は子孫朱注の左端が狭く不採用、第2候補の通常・AI全頁で細注保持を確認。既存02-032-01/HP-0813維持、新番号不要。
- 判読保留
- 役職は本文に御荷内役と見え、荷に物カの傍記、続く朱注に今之御納戸奉行ナリとある。表記を単純に御納戸役へ統一せず、本文と朱注の関係を示す。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』