HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納忠誠
異名・検索語:新納忠誠/新納越後守忠誠/越後守/十郎/治部少輔/称阿
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:祖先忠泰・忠親の高城地頭に付く地域名の小注は三呉院・三院等に見え、字形・表記異同を統一しない。大慈寺で久顕の霊を崇めた神号は江臨大明神と読めるが、細字の確定は留保する。
DESCRIPTION
本文内容説明
十郎三郎忠堯の子で、母は大道壱岐守忠勝の娘。朱注に永正7年生と記す。初め十郎・治部少輔、のち越後守と称した。本家二代実久の二男久顕の後裔で、忠誠の代に初めて島津貴久へ奉仕したという。本文は、久顕が志布志を去って肝付・豊後佐伯へ移った経緯や、祖先忠泰の還俗、忠親の志布志での戦死、孝久の横川での戦死を系譜の由緒として記す。これらは忠誠本人の事績ではない。永禄6年9月3日に鹿児島で没し、54歳。法名は称阿。本人の具体的な軍役や地頭職、墓所は本条に記されない。
系譜・人物関係
本家二代実久の二男悪四郎久顕の後裔。久顕―忠泰―忠親―孝久―十郎三郎忠堯―忠誠と叙述する。母は大道壱岐守忠勝女。久吉が他腹のため大崎を家号とした由緒も記す。子孫新納十郎は御直元服の小番とする頭注で、忠誠本人の役目とはしない。
奉公・役職
見出し越後守、初十郎治部少輔の傍記。忠誠代初テ貴久公ヘ奉仕と記す。本人の地頭職は記されない。高城地頭・十三歳還俗・新恩地六十町・兵部大輔越後守の経歴は祖先忠泰の小注。御直元服之小番は子孫新納十郎の頭注である。
軍役・事績
久顕は志布志を去り肝付へ退き、外舅を頼り豊後佐伯に移住し生涯を終えたと記す。後に家嫡忠臣の代に大慈寺でその霊を崇める。久顕の嫡子忠泰は出家していたが佐伯から志布志大慈寺に移り、元久の厳命で十三歳で還俗、十郎忠泰と称し、後に兵部大輔越後守となる。新恩地六十町と高城地頭を記す。忠親は志布志で戦死、孝久は横川で討死と小注する。いずれも忠誠の先祖の事績。忠誠本人の具体的軍役は本条に記載なし。
生没・法名等
朱注に永正七年生・母大道壱岐守忠勝女。主文は永禄六年九月三日麑府ニ卒ス年五十四。没日を旧十二日から三日へ訂正。麑府は鹿児島として説明。朱注法名称阿を確認し旧法名字形保留は解消。本人墓所は記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0830
- 原人物ID群
- 02-031-02
- 氏・分類
- 新納忠誠
- 掲載巻頁
- 巻二:31
- 主題・活動
- 貴久奉仕・実久流系譜・鹿児島没
- 人物関係要約
- 本家二代実久の二男悪四郎久顕の後裔。久顕―忠泰―忠親―孝久―十郎三郎忠堯―忠誠と叙述する。母は大道壱岐守忠勝女。久吉が他腹のため大崎を家号とした由緒も記す。子孫新納十郎は御直元服の小番とする頭注で、忠誠本人の役目とはしない。
- 検索キーワード
- 新納忠誠/越後守/十郎/治部少輔/実久/悪四郎久顕/久吉/大崎/忠泰/忠親/孝久/十郎三郎忠堯/大道壱岐守忠勝/島津貴久/志布志/肝付/豊後佐伯/大慈寺/元久/高城地頭/祖先/横川/永正七年/永禄六年九月三日/五十四歳/麑府/鹿児島/称阿
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全1頁と原冊照合済み。父母・初称・貴久奉仕・9月3日没・称阿を確認、祖先の軍歴等を分離。
- 公開判定根拠
- 本人の父母・通称・奉公先・没日没地・法名を確認。系譜小注の地名・神号の字体は注記して本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 通常・AI各全1頁と原冊31頁上段を照合。忠誠の見出し・初称・子孫注から実久流系譜、忠誠の生母・奉公・没日・称阿まで一条。久顕・忠泰・忠親・孝久・忠堯の記事は系譜の連続で独立見出しではない。右端初称注の余白を回復し、隣の忠佐・久徳を含めず修復通常・AI各全頁を確認。既存02-031-02/HP-0830維持、新番号不要。
- 判読保留
- 祖先忠泰・忠親の高城地頭に付く地域名の小注は三呉院・三院等に見え、字形・表記異同を統一しない。大慈寺で久顕の霊を崇めた神号は江臨大明神と読めるが、細字の確定は留保する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』