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HP-0900巻1:22注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

石原助兵衛尉

異名・検索語:石原助兵衛尉/助兵衛尉

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:上下の具数は横画がかすれているため確読を留保し、旧二具を確定値として採用しない。合口脇に左文字也と見える小注がある。/細注冒頭の兵庫頭忠朗に続く関係者表現と、足のどの部位かを含む字句の一部は留保。呪詛・殺害の証の話は本書の説明・伝承であって別史料で裏付けた事実とは扱わない。寛陽公を光久と同一視しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

石原助兵衛尉は帖佐に居住し、寛永2年に加治木へ召され、山伏陽春坊を九寸五分の合口で刺殺した。褒賞として家老三原備中守の取次で信国の腰物一腰と上下を拝領。陽春坊の親族による敵討ちの風聞から鹿児島へ移され、屋敷を与えられた。物奉行として江戸にも詰め、のち光久公の御伽衆となり側近く仕えた。子孫に石原助左衛門を挙げる。細注は、陽春坊が寛陽公を呪詛したとして拘禁されていたと説明し、殺害の証として足に文字を彫ったとの伝承も載せる。生没年・法名は不記載。上下の具数と細注の関係者・字句の一部は留保する。

系譜・人物関係

子孫に石原助左衛門。本人の父母・出自の記載はなく、帖佐居住を出身地と断定しない。褒賞取次の家老は三原備中守で、助兵衛尉本人の役職ではない。

奉公・役職

帖佐居住。寛永2年に加治木へ召される。家老三原備中守の取次で信国の腰物一腰と上下を拝領。陽春坊親族の敵討ち風聞により鹿児島へ移され屋敷を給される。物奉行として江戸にも相詰め、のち光久公御伽衆となり近侍。上下の具数と過世之後の指示対象は断定しない。

軍役・事績

九寸五分の合口で山伏陽春坊を刺殺。合口には左文字也と見える小注。丸印以下の細注は寛陽公への呪詛、関係者とともに鹿児島中村の間で二重虎落に押込められた事情、殺害の証として足に文字を彫ったという伝承を述べ国賊伝参照とする。本人記事と細注の伝承を区別。旧寛陽公=島津光久の同一視を外す。

生没・法名等

本人の生没年・没地・法名・墓所は記載なし。寛永2年は陽春坊を討った年で本人の没年ではない。過世之後という記載も本人が死去した後の御伽衆就任と解釈しない。

統合人物ID
HP-0900
原人物ID群
01-022-02
氏・分類
石原
掲載巻頁
巻1:22
主題・活動
陽春坊討伐・褒賞・物奉行・御伽衆
人物関係要約
子孫に石原助左衛門。本人の父母・出自の記載はなく、帖佐居住を出身地と断定しない。褒賞取次の家老は三原備中守で、助兵衛尉本人の役職ではない。
検索キーワード
石原助兵衛尉/帖佐/寛永二年/加治木/山伏/陽春坊/九寸五分/合口/左文字/三原備中守/信国/腰物/上下/敵討/鹿児島/屋敷/物奉行/江戸/光久公/御伽衆/石原助左衛門/寛陽公/国賊伝
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI・通常各全1頁と原冊主文・細注を確認。褒賞具数と細注の一部字句を留保し、経歴と伝承を区別。
公開判定根拠
陽春坊殺害から褒賞・移住・物奉行・御伽衆の経歴を確認。寛陽公の誤同定を外し、細字等の留保を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
現用AI・通常各全1頁を原冊22頁上段の主文・細注と照合。一石原助兵衛尉から寛永二年の陽春坊殺害、褒賞、鹿児島移住、物奉行と光久公御伽衆、子孫石原助左衛門、丸印陽春坊事以下の事情・伝承・国賊伝参照までが関連一記事。陽春坊の細注は本人の奉公記事の補足で、独立新人物見出しではない。前項石原佐渡の子孫伝承を含まず、全本文と細注を確認。PDF維持、境界修復・新規採番不要。
判読保留
上下の具数は横画がかすれているため確読を留保し、旧二具を確定値として採用しない。合口脇に左文字也と見える小注がある。/細注冒頭の兵庫頭忠朗に続く関係者表現と、足のどの部位かを含む字句の一部は留保。呪詛・殺害の証の話は本書の説明・伝承であって別史料で裏付けた事実とは扱わない。寛陽公を光久と同一視しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』