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HP-0817巻二:25注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

新納休閑斎

異名・検索語:新納休閑斎/休閑斎/新納旅庵/旅庵/長住/天誉白蓮居士

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:同母兄の名は久に続く一字を確読保留。従来説明の久豊を確定名として引き継がず、原冊25頁の小注を参照できる形で公開する。

DESCRIPTION

本文内容説明

新納康久の三男。天文22年、加世田に生まれ、幼くして出家し長住と称した。永禄12年、17歳で上方へ赴き、遊行上人に従って諸国を巡歴し、17年目に肥後八代荘厳寺の住職となった。天正14年の岩屋城攻めで功を立て、翌年、八代で義久に謁し、還俗を命じられて刀大小・道服・新恩地を拝領。旅庵と改名し、高原・栗野・市来の地頭、義弘の家老を務めた。文禄3年10月、忠恒に従い名護屋から唐嶋へ渡り、12月に帰朝・上京して父子の意向を義久に伝え、帰国後は栗野に在番。慶長5年の関ヶ原敗軍後、鞍馬山で捕縛され、京都で近衛家を頼った。和談後の慶長7年10月25日、大坂で病没、50歳。帖佐願成寺に墓があり、法名は天誉白蓮居士。

系譜・人物関係

新納康久入道一珪の三男。同母兄の名は久に続く一字を留保。末尾は子孫新納源左衛門、二男家加治木ニアリと記す。二男の実名は補わない。

奉公・役職

幼少出家、初名長住。永禄12年17歳で遊行上人に従い諸国巡歴、17年目に八代荘厳寺住職。天正15年6月15日、八代に滞在する竜伯へ参候し還俗の上意、定光の刀・信国の脇指・道服・新恩地を拝領。旅庵と改名し高原・栗野・市来地頭、惟新の家老。

軍役・事績

天正14年7月岩屋城攻めに功。文禄3年10月13日忠恒供で名護屋発、同晦日唐嶋着、12月12日帰朝し直ちに上京、御父子様の旨趣を竜伯へ言上。帰国後栗野在番。慶長5年関ヶ原供、敗軍後鞍馬山で捕縛、京都で近衛を頼り滞在。上人に従った巡歴は17年目と読み、従来の満17年間という表現を避ける。

生没・法名等

天文22年加世田生。和談後、慶長7年壬寅10月25日、大坂で病死、50歳。墓所は帖佐願成寺、法名天誉白蓮居士。大坂の没地、鞍馬山の捕縛地、帖佐の墓所を区別する。

統合人物ID
HP-0817
原人物ID群
02-025-03
氏・分類
新納休閑斎
掲載巻頁
巻二:25
主題・活動
出家・巡歴・還俗・地頭・家老・軍役
人物関係要約
新納康久入道一珪の三男。同母兄の名は久に続く一字を留保。末尾は子孫新納源左衛門、二男家加治木ニアリと記す。二男の実名は補わない。
検索キーワード
新納休閑斎/旅庵/長住/新納康久/加世田/遊行上人/八代/荘厳寺/岩屋城/還俗/定光/信国/高原地頭/栗野地頭/市来地頭/島津義久/島津義弘/島津忠恒/名護屋/唐嶋/帰朝/関ヶ原/鞍馬山/捕縛/近衛/大坂/慶長七年/十月二十五日/五十歳/帖佐願成寺/天誉白蓮居士/新納源左衛門/加治木
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
全2頁と修復通常・AI各全頁を確認。出家巡歴・還俗・奉公・渡海帰朝・捕縛・病没・墓所法名と子孫注を整理。
公開判定根拠
本人の経歴を年代順に確認し、没地と捕縛地・墓所を区別。同母兄名の一字のみ留保を明記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
AI・通常各全2頁と原冊25頁上下段を照合。一新納休閑斎旅庵から下段の法名天誉白蓮居士、子孫新納源左衛門・二男家加治木ニアリまで一条。既存第2頁は末尾の士と子孫注一列が欠けており、通常・AI両版で回復。第1頁は前条の法名断片を除いて本人本文を保持。次の〇新納仲左衛門忠雄入道所印は別記事で、本対象へ混入させない。子孫注は関連記載で新IDを設けない。
判読保留
同母兄の名は久に続く一字を確読保留。従来説明の久豊を確定名として引き継がず、原冊25頁の小注を参照できる形で公開する。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』