HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
新納久治
異名・検索語:新納久治/式部少輔/源八郎/竹翁元林居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:母方の春山に熊谷二と見える傍記があるため、姓の異同・注の意味を留保。本文の春山越中直定の娘という記載を採り、注を併記する。伊勢の諱は本文どおり貞豊とし、本条のみで他の名へ置き換えない。
DESCRIPTION
本文内容説明
新納忠朝の子で、母は春山越中直定の娘。天正15年2月3日生。源八郎、式部少輔を称した。元和5年7月21日に島津義弘が没すると、中納言は伊勢貞豊を使者に立て、戦場で忠節を尽くすよう説いて殉死を止めたが、久治は以前の約束を理由に応じず、同年8月23日、大乗院川原で殉死した。33歳。法名は竹翁元林居士。墓は福昌寺にあり、寛永9年に殉死者のため伊集院妙円寺へ建てられた石塔の第二番が久治の塔と記す。殉死に際して貞豊へ送った消息末尾の二首を掲げ、子の亀三郎へ与えた遺言書にも載るとする。主君との契り、月の跡を慕って西へ向かう心を詠んだ歌である。具体的な合戦での軍功は本条に記されない。
系譜・人物関係
父は新納忠朝、母は本文で春山越中直定の娘。春山に熊谷二と見える傍記があり異表記の関係を留保。子息亀三郎へ与えた遺言書に二首が載ると記される。伊勢貞豊は使者および消息の宛先であり、本条を独立人物紹介へ分割しない。
奉公・役職
源八郎、式部少輔。惟新公すなわち義弘に後世の供を約束したとする。中納言は伊勢貞豊を御使として、戦場で忠節を抽き奉公するようにとの趣旨を伝え殉死を止めたが、久治は以前の約諾を理由に応じなかった。中納言の名を本文にない名へ補わず記す。
軍役・事績
惟新公へ殉死するとき伊勢貞豊へ遣わした消息の末に二首を載せる。第一首は浅カラス契ナラスヤ君ニシモ後ノ世カケテ仕ヘヌル身ハ、第二首は澄ノホル月ノ跡ヲシタヒ行心ハ西ノ空トコソナレ。子息亀三郎へ与えた遺言書に載るとする。二首の趣旨を説明し、父忠朝の記事の約束や殉死の日付・場所と混同しない。具体的な合戦での軍功は無記載。
生没・法名等
天正15年2月3日生は朱注。元和5年7月21日に惟新公没、久治は同年8月23日大乗院川原で殉死、33歳。高解像度で廿三日を確認し従来十三日を訂正。法名竹翁元林居士、墓福昌寺ニアリという朱注。後寛永9年、殉死者のため伊集院妙円寺に石塔を立て、第二番地蔵塔が久治の塔と記す。福昌寺の墓と後設の妙円寺石塔を分け、改葬とは断定しない。出生地は無記載。
- 統合人物ID
- HP-0812
- 原人物ID群
- 02-032-03
- 氏・分類
- 新納久治
- 掲載巻頁
- 巻之二32頁
- 主題・活動
- 義弘奉仕・殉死制止と約束・消息二首・墓と石塔
- 人物関係要約
- 父は新納忠朝、母は本文で春山越中直定の娘。春山に熊谷二と見える傍記があり異表記の関係を留保。子息亀三郎へ与えた遺言書に二首が載ると記される。伊勢貞豊は使者および消息の宛先であり、本条を独立人物紹介へ分割しない。
- 検索キーワード
- 新納久治/式部少輔/源八郎/忠朝/春山越中直定/熊谷/天正十五年二月三日/義弘/惟新/元和五年/七月廿一日/八月廿三日/大乗院川原/殉死/三十三歳/竹翁元林居士/福昌寺/墓/寛永九年/伊集院妙円寺/第二番地蔵塔/伊勢貞豊/中納言/制止/約諾/消息/二首/亀三郎/遺言書
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常・AI各全1頁と原冊照合済み。没日8月23日へ訂正、系譜・制止と約束・法名・墓と石塔・二首と子の遺言書を確認。
- 公開判定根拠
- 義弘没後の制止記事と約束、没年月日場所年齢、法名・墓と石塔、消息二首の典拠を確認。母方の異注等を添えて本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 通常・AI各全1頁と原冊32頁下段を照合。〇新納式部少輔久治から御意殉死仕候まで本人の系譜・殉死・二首・制止記事が続く。父忠朝の棺の朱注と次の〇新納宅右衛門久永を含めない。二首、子息亀三郎、伊勢貞豊の記述は久治の経緯・典拠で独立紹介ではなく新番号不要。第1列右側の生年・母方傍記を回復、頁番号と余白を除き通常・AI全頁で確認。既存02-032-03/HP-0812維持。
- 判読保留
- 母方の春山に熊谷二と見える傍記があるため、姓の異同・注の意味を留保。本文の春山越中直定の娘という記載を採り、注を併記する。伊勢の諱は本文どおり貞豊とし、本条のみで他の名へ置き換えない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』