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追録1の目録

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全2,718件中 601~700件・7 / 28ページ

  1. 追録1-No.595 献上物書立覚

    御即位に際し、三十万石以上の諸大名が差し上げる献上銀について、銀子三十枚・二十枚・十枚・五枚等の区分を列挙した書立覚。

  2. 追録1-No.596 某覚書

    禁裏・仙洞・新院・女院御所への太刀目録、女御方への目録と紙の二重折を定める即位祝儀の覚。辰刻に参内し、侍従以上の使者は布衣、そのほかは烏帽子・素袍とする。太刀目録は使者が直接渡し、馬代は家来を残して請取方へ渡す。欄外に吉良若狭守からの書出の写を上村長兵衛が受けた旨の注がある。末は明暦二年正月十九日。

  3. 追録1-No.597 御即位祝儀上り帳

    後光明天皇崩御後の後西院天皇即位に際し、光久が島津市正忠弘を京へ遣わし、禁裏・仙洞・新院・女院などへの太刀・白銀等の進上を記す。続く御太刀馬代上り帳は諸大名の石高、馬代の金銀枚数、取次の家来を位階等の区分で列記し、先年の進上覚、位階別返礼、光久使者自身の進上と一部返却も収める。末尾は清閑寺・野宮・小…

  4. 追録1-No.598 清閑寺共房書状

    清閑寺共房が島津光久へ、御即位祝儀の披露が無事に済んだことを祝い、私儀への太刀・馬代銀三枚・樽一荷・肴二種の贈答を過分として謝した書状。

  5. 追録1-No.599 中川忠幸書状

    中川忠幸が島津光久側へ、御即位祝儀は使者を通じて禁裏・院中へ前日に無事披露したこと、私方への樽二種の贈答を有難く思うことを伝え、詳細は島津市正から申し上げるとした書状。

  6. 追録1-No.600 青木義継書状

    青木義継が島津光久側へ、御即位が済んだことを受け、私方にも酒肴二種・両樽を島津市正が持参したことへの謝意を伝えた書状。

  7. 追録1-No.601 高木守久書状

    高木守久が松平大隅守側へ、使者の禁裏への即位祝儀の太刀・馬代進上と伝奏衆の披露を報じる。自身への諸白両樽・干鱈一箱・昆布一箱にも謝意を述べ、詳しくは市正から伝えるとする。

  8. 追録1-No.602 深津正貞書状

    深津正貞が島津光久側へ、去る二十三日の御即位が無事に済み、二十八日に使者が禁裏・院中・女御方へ目録どおり祝儀を差し上げたことを報じ、私方への肴二種・両樽にも謝意を述べた書状。

  9. 追録1-No.603 野々山兼綱書状

    野々山兼綱が島津光久側へ、使者による御即位祝儀が禁裏・院中で滞りなく済んだことを報じ、私方への二種・両樽の贈答を過分として謝した書状。

  10. 追録1-No.604 大岡忠吉書状

    大岡忠吉が島津光久側へ、御即位が済み、自分にも樽一荷・肴二種を懸けられたことへの謝意を述べ、二十八日に使者が禁裏・院中・女御方へ祝儀目録どおり差し上げたと報じた書状。

  11. 追録1-No.605 野宮定逸書状

    野宮定逸が光久へ、即位祝儀使者の上京と披露が無事済んだことを喜び、自分への太刀一腰・御馬一疋・両樽・二種の贈答に謝意を述べる。

  12. 追録1-No.606 坊城俊完書状

    小川坊城前大納言俊完が薩摩少将殿へ、院御所への即位祝儀の名代、馬・太刀進献が無事済んだ旨を伝える。自分への御馬・太刀・樽一荷・肴二種にも謝意を述べ、詳細は市正へ御礼を申し入れたとする。

  13. 追録1-No.607 牧野親成書状

    牧野親成が島津光久へ、即位祝儀の使者を迎え、先月二十三日に儀式が無事に済み、禁裏・院中への諸進物も滞りなく納まったことを報じ、詳細は島津市正から伝えるとした書状。

  14. 追録1-No.608 牧野親成書状

    牧野親成が島津光久側へ、御即位が無事に済んだ折の祝儀として、使者と太刀一腰・肴三種・両樽・馬代黄金十両を贈られたことを過分として謝した書状。

  15. 追録1-No.609 光久御鷹ノ雁拝領ス

    明暦二年二月十三日、家綱が能勢小十郎を上使として、御鷹が撃った雁両箇を光久へ下賜したと記す。

  16. 追録1-No.610 島津久茂・鎌田政有家老連署書状

    久茂・政有が国元役人五人へ、書状の受領と薩州様らの発足・祈祷、少将様の厄や虎寿の祈祷を求める。二月十三日には能勢小十郎を上使として御鷹の雁二羽を拝領したと報じる。太守の東目下向に備える供人数の配分・人夫馬、帰着翌日の礼使を指示し、上洛・留守の役人配置、金山に関する隠岐守滞在中の相談も伝える。

  17. 追録1-No.611 伊藤祐玄書状

    伊藤祐玄が島津家の役人らへ、鎌田筑後の御評定所関係文書について聞き及んだ上意を伝え、島津図書にも同様に相談すべき筋であるため、その旨を心得るよう求めた書状。

  18. 追録1-No.612 綱久参府ス

    明暦二年正月二十七日、島津綱久が薩摩を発って西海道を進み、三月十七日に江戸へ着き、のち登城して徳川家綱へ太刀一腰・綿百把・馬代黄金十両を献上したと記す記事。

  19. 追録1-No.613 江川満寛起請文前書

    江川満寛が、島津光久に万一のことがあれば二世まで供奉すること、祖父・父から三代にわたる奉公を継ぎ、知行高の多寡にかかわらず別心なく奉公することを神明に誓った起請文前書。

  20. 追録1-No.614 肥田木重盛起請文前書

    肥田木重盛が、島津光久に万一のことがあれば二世まで供奉すること、召し出しの有無にかかわらず調法者として忠節を尽くし、命令に背かないことを神明に誓った起請文前書。

  21. 追録1-No.615 有川貞乗起請文前書

    有川貞乗が、生涯にわたり忠誠を尽くし、主君から召し出された際は身命を惜しまず奉公し、悪事・縁者の不正を聞けば隠さず届け、御跡を慕うことを神明に誓った起請文前書。

  22. 追録1-No.616 川上久国書状

    川上久国が伊地知権左衛門へ、同家の書物を閲覧し、高麗で祖父勘解由が奉公したことや父左近将監久辰入道の記事を確認したが、不明点もあるため関係者に尋ね、御沙汰の通り取り扱うよう伝えた書状。

  23. 追録1-No.617 島津久茂・鎌田政有家老連署書状

    島津久茂・鎌田政有が国元の役人らへ、徳寿の誕生後の不調について医師嶋園斎に相談し、薬を服用して朝には快方へ向かったことを報じ、引き続き養生を頼んだ家老連署書状。

  24. 追録1-No.618 島津久茂・鎌田政有家老連署添書

    前書の添書として、政有・久茂が徳寿様の事情につき当地では内密に相談しているため、その意を心得るよう国元役人五人へ伝える。三月九日付。末注は徳寿が明暦二年正月九日生、六十日目に御天亡とする。

  25. 追録1-No.619 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋・松平信綱が島津光久へ、進上された硫黄を目録どおり将軍へ披露し、首尾よく納まったことを伝えた幕府老中連署状。

  26. 追録1-No.620 山崎正信書状

    山崎正信が島津家役人四人へ、大明勅使船の上下百八人が正月二十日に琉球へ着岸したことを使札で知ったと伝える。書物の写四つと唐兵乱の様子について、今回の使者の口上を一つずつ聞き、念を入れて早急に詳細を知らせるよう求める。

  27. 追録1-No.621 諏方杢右衛門(兼利カ)書状

    諏方杢右衛門(兼利か)が島津家の役人らへ、島津綱久が海陸とも無事に先月十七日参府したことを喜び、祝儀のため田尻八兵衛が召し登されたことを報じた書状。

  28. 追録1-No.622 島津久通・新納久詮家老連署書状

    島津久通・新納久詮が国元の役人へ、琉球・異国船をめぐる公儀の沙汰、改元後の取扱い、川元源八左衛門尉らの訴訟・証拠・処置について、江戸での協議経過と今後の対応を伝えた家老連署書状。

  29. 追録1-No.623 島津久通・鎌田政昭家老連署達書

    島津久通・鎌田政昭が、唐船の荷物を破損・盗取すること、悪党を組織して海賊行為を行うこと、異国船の来航時に物を盗むこと等を禁じ、役人に厳重な取締りと違反者の届出を命じた家老連署達書。

  30. 追録1-No.624 島津正長誕生

    明暦二年四月十九日、島津綱久の子・正長が誕生したこと、後の名乗りが松千代丸・又七郎・出雲で、母が家臣鎌田蔵人正勝の養嗣であったことを記す記事。

  31. 追録1-No.625 伺書覚

    大明を韃靼人が攻め帝皇を定め、琉球王に剃髪などへの服従を求めた場合にどう答えるかを伺う覚。琉球から大明へ通融する必要、薩摩守が独自に返答することの可否も論点とする。隆武皇帝が福州から退き、万一琉球や日本へ落ち来た場合の処置を仮定し、その旨を琉球へ予め内密に伝えることを求める。

  32. 追録1-No.626 光久帰国ス

    明暦二年四月二十六日、阿部忠秋が上使として恩詞を伝え、光久が時服百領・白銀千枚を拝領する。登城して謝意を述べた際、公が口ずから伝えて御馬一匹を賜ったと記す。閏四月十六日に江戸を辞し大坂・細島を経て六月八日に鹿児島へ帰着し、入来院石見重頼を江戸へ遣わして羅紗十間・樽肴を献じ謝礼した。

  33. 追録1-No.627 島津久茂・鎌田政有家老連署書状

    島津久茂・鎌田政有が国元の役人らへ、飛札が届いたこと、阿部忠秋が上使として来訪し、光久が時服・白銀等を拝領して喜んだことを報じ、御子様方にも知らせるよう求めた家老連署書状。

  34. 追録1-No.628 酒井忠清・松平信綱幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱が島津光久へ、御用があるため翌十三日の巳時分に登城するよう命じた幕府老中連署状。

  35. 追録1-No.629 島津綱久書状

    島津綱久が鎌田筑後へ、島津光久が無事に帰国へ出立し、赤松諸兵衛から届いた報せを喜んだことを述べ、今後も諸兵衛へ心を配るよう伝えた書状。

  36. 追録1-No.630 酒井忠清・松平信綱幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱が島津光久へ、将軍徳川家綱が十八日に表へ出御し、参勤衆・在府衆の目見が滞りなく済んだことを知らせ、使者にも詳しく述べさせるとした幕府老中連署状。

  37. 追録1-No.631 酒井忠清・松平信綱幕府老中連署状

    信綱・忠清が光久へ、忠秋は持病のため加判できないと断る。公方の勇健を知らせ、使者とともに献じた戻子・肩衣・肴一種を披露したこと、光久が先月二十七日に伏見まで来たとの報を了承したことを伝える。

  38. 追録1-No.632 鎌田政有書状

    政有が国元役人七人へ、金山再開の訴訟の進展、隠岐守・神尾備前守への謝礼と内密の取扱いを求める。再開後の両替座には、現在銀座に住み銀二、三千貫目ほどの資力を持つ糸屋十右衛門を用いて金小判を上げる案を伝える。糸屋の口上書を証人奉行へ渡したこと、島津大膳の願いが上聞して認められる見通し、国元から四人への参…

  39. 追録1-No.633 三雲定直覚書

    三雲定直が、有川八右衛門とともに証人奉行衆から呼出しを受け、島津大膳を証人とする件が願いどおり認められた旨を告げられ、薩摩守・大隅守および国元へ伝達するまでの経緯を記した覚書。

  40. 追録1-No.634 島津忠廣・鎌田政有家老連署書状

    島津忠廣・鎌田政有が国元の役人らへ、松平隠岐守・神尾備前守が老中へ長野金山再開の訴訟を取り次いだ経過と良好な応答を報告し、返書・謝礼の手配や関係者の病状を伝えた家老連署書状。

  41. 追録1-No.635 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元へ、島津光久の帰国途上の無事、公方の疱瘡快癒に伴う祝儀使者・進物・返礼、金銀や御内書の取扱い、長野金山訴訟への謝礼など、江戸で調整すべき諸案件を詳しく伝えた書状。

  42. 追録1-No.636 幕府長野金山再開ヲ許ス

    明暦二年六月二十六日、幕府が島津光久の訴えを受けて領内の長野金山を国中の人夫で再び掘ることを許し、九月朔日に島津久元が登城して将軍に謝礼を述べ、時服を拝領したことを記す記事。

  43. 追録1-No.637 切支丹禁制

    幕府奉行が、伴天連・切支丹宗門の者や海外渡航者の発見・申告、唐船等の入港時の厳重な検査、禁制品・関係者の隠匿禁止を命じ、申告者への褒賞と隠匿者への処罰を定めた切支丹禁制。

  44. 追録1-No.638 島津光久切支丹禁制副書

    島津光久が、幕府から下された伴天連・切支丹宗門取締りの符案を受け、領国内の者に禁制の趣旨を厳守し、常に油断なく見聞して申告し、褒貶の規定どおり取り扱うよう命じた副書。

  45. 追録1-No.639 鎌田政有書状

    政有が国元役人七人へ、前日昼に上使多賀左近が来訪し、薩州様(綱久との注)が御鷹の雲雀を拝領したと報じる。薩州からの書状で太守様(光久との注)へ知らせるので関係者も承知するよう述べ、近く軽使で御礼を上げること、国元からも書状を調えることを求める。

  46. 追録1-No.640 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    忠秋・信綱・忠清が光久へ、公方の機嫌が良く、五月三日に直御袖、五日に表へ出御して在府衆が御目見したとの報を喜ぶ書状を了承する。祝儀の使者を送った入念な対応を上聴し、御喜色であったと伝える。

  47. 追録1-No.641 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍徳川家綱が疱瘡後の五月十四日に初めて渡御し、十七日に紅葉山へ参詣して機嫌良好であることを伝え、見舞使者を差し越した光久の丁重さを嘉した幕府老中連署状。

  48. 追録1-No.642 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱が快復し、五月二十六日に酒井讃岐守下屋敷へ渡御したことへの祝意と使者派遣を受け、丁重な対応を嘉した幕府老中連署状。

  49. 追録1-No.643 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の機嫌が良いことを伝え、光久が暇を得て国元へ無事到着したことと、使者を通じて羅紗十間・樽肴を献じたことを受け、丁重な対応を嘉した幕府老中連署状。

  50. 追録1-No.644 島津久通金山再開ノ礼使トナル

    長野金山再開許可への謝礼使となった島津久通が、明暦二年七月二十二日に鹿児島を発ち、八月二十六日に江戸へ着き、神尾備前守や幕府老中へ謝意を伝え、九月朔日に黒書院で将軍家綱に拝謁して衣服を賜った経過を記す記事。

  51. 追録1-No.645 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元の役人らへ、島津光久の帰国、将軍の疱瘡快癒に伴う祝儀使者・進物・返礼、長野金山再開の謝礼使と関係者への挨拶など、江戸での諸手配を伝えた書状。

  52. 追録1-No.646 島津光久伺書

    島津光久が、福州で大船を建造しているとの風説と、韃靼側が琉球人の位官・衣服等を改めさせる可能性を報告し、琉球の困惑と日本の外聞への影響を懸念して、幕府の指図を求めた伺書。

  53. 追録1-No.647 松平定行書状

    定行が薩摩側役人六人へ、光久領国の金山について数年来の訴訟が今回早速まとまったことを喜ぶ。御礼使の鎌田左京を遣わしたことを承知し、この意向を光久へ伝えるよう求める。金山仕置は先におおよそ書付で伝えているので、その趣旨に従って急ぎ申し付けてほしいとする。

  54. 追録1-No.648 島津久岑(虎松・又六)系譜抄

    久四郎忠清一流の系図に久岑を掲げ、虎松・又六と記す。慶安三年八月九日生、母は救仁郷天神坊頼重の娘で、光久の四男と明記する。明暦二年八月十五日に光久が虎松へ佐志三千石の遺領を賜り、自ら加冠して又六と号させ、島津市正忠廣が理髪を務めた。寛文八年十二月十二日死去、十九歳。

  55. 追録1-No.649 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の疱瘡快癒を祝う書状と、六月十二日に賜った振舞への御礼として江戸の諸大名を代表して使者を出した旨を受け、丁重な対応を嘉した幕府老中連署状。

  56. 追録1-No.650 島津綱久書状

    綱久が琉球国司へ、去年夏に国元へ初めて入部した際の祝詞と、麗府の使者が届けた太刀一腰・馬一疋・土産の品々を目録どおり受用したことに謝意を述べる。

  57. 追録1-No.651 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    忠秋・信綱・忠清が光久へ、公方の機嫌が良いことを知らせる。金山を国中の人夫でまず二、三年掘る旨を命じられたことへの謝意使者を御前へ召し出し、織物十巻・肴一種の献上を披露して御喜色であったと伝える。

  58. 追録1-No.652 島津光久書状

    島津光久名義で、新年慶賀の書状と進物を受領したことを喜び、太平布五十疋・芭蕉布五十端・焼酎十壺の到来に満悦した旨を述べ、屋冨祖から詳述させるとした書状。

  59. 追録1-No.653 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、島津綱久が御鷹の雲雀を拝領したことへの祝意と使者派遣を受け、丁重な対応を嘉した幕府老中連署状。

  60. 追録1-No.654 北郷久加・新納久詮家老連署書状

    久加・久詮が国元役人四人へ、長崎の唐船唐人に対する切支丹宗門の訴人を尋問し、澳門の日本人子供に宗門と唐の学文を教えて唐人として日本へ渡す企てがあるとの情報を伝える。幕府の上意として、今後唐船は陸地につけず海上で船中を改め長崎へ送る取扱いを示す。松田七左衛門へ道具衆一人を添え、この指示を長崎奉行へ追っ…

  61. 追録1-No.655 島津光久書状

    光久が琉球国司へ、昨年の薩摩守の初入国を祝って使札、太刀一腰・御馬一疋と国の土産の方物を贈られたことへの喜びを述べ、詳細は使者の口達とする。

  62. 追録1-No.656 島津光久書状

    少将光久が琉球国司へ、去年の薩摩守の初入国を祝う使札と、太刀一腰・馬一疋・その国の土産方物を贈られたことに謝意を述べ、使者に口頭で伝えさせるとする。末注に前文書の案文とある。

  63. 追録1-No.657 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の様子をうかがう使者と氷砂糖二壺・肴一種の献上を受け、使者を御前へ召し出して丁重な対応を嘉した幕府老中連署状。

  64. 追録1-No.658 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、帰国に際して先に派遣した御礼使者が御前へ召し出され、時服を拝領したことを知らせ、丁重な対応を嘉した幕府老中連署状。

  65. 追録1-No.659 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元の役人らへ、長野金山の開始、祝儀使者と進物、幕府老中・関係者への挨拶、国元と江戸の人事・勤務、留守居衆や家中の病気など、多数の案件について照会・指示・報告を行った書状。

  66. 追録1-No.660 松平信綱・阿部忠秋幕府老中連署状

    松平信綱・阿部忠秋が松平大隅守へ、九条政所の逝去を承知し、言葉もないほどであるとの哀悼の意を伝えた幕府老中連署状。

  67. 追録1-No.661 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の様子をうかがう使者と道服五并びに国元の肴一種の献上を受け、丁重な対応を嘉した幕府老中連署状。

  68. 追録1-No.662 島津光久御鷹の鶴拝領記事

    幕府老中阿部忠秋が島津光久の留守居役へ、将軍から御鷹の鶴を光久に下賜する旨を伝えて薩摩へ送らせ、光久が新納久辰を派遣して御礼を申し上げ、肴一種を献上した記事。

  69. 追録1-No.663 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、御鷹の鶴を下賜するので、詳しいことは息子の薩摩守綱久から伝えると通知した幕府老中連署状。

  70. 追録1-No.664 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元の役人へ、当番老中阿部豊後守の呼出しに有川八右衛門が参り、御鷹之鶴拝領と告げられたと報じる。奉書を持たせ、堀新介を宰領に御道具の者二人を下向させる。祝儀の御書と礼使を遅滞なく差し上げ、途中も延引させないこと、鶴送御手形と礼使持参の取扱いを依頼する。

  71. 追録1-No.665 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元の役人へ、鶴拝領の奉書を持たせると伝える。有川八右衛門の話として、今回の御給は常と違い格別に重く、一番は小松中納言、二番は当方で、留守居衆が豊後守方へ詰めて順に呼び出され受けたことを報じる。今日御給の家書を持たせたと伝える。

  72. 追録1-No.666 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元役人六人へ、当日九ツ半時以に上使水野庄左衛門を通じ、薩州様(原注綱久)が御鷹の雁二を拝領したと報じる。橋口松浦介を報告使として差し上せ、隅州様からの礼使を求め、小荷駄位の随行人と国元からの騎馬を手配させる。別紙に拝領衆を書き付け、御衆への儀礼は松河州・神備前に相談するよう伝え、国元に人…

  73. 追録1-No.667 御鷹の雁拝領衆書立

    霜月十三日に御鷹の雁を拝領した薩州様ほか十一人と、各上使を組み合わせて記す別紙一覧。上段四人・下段七人で、末尾は合十壱人。雁の数量は二ツまたは壱ツと記す。薩州様の上使は水野庄左衛門。

  74. 追録1-No.668 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、清泰院の逝去を悼む旨の書状と使者を受け、丁重な弔意が将軍の耳にも達したと伝えた幕府老中連署状。

  75. 追録1-No.669 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、先に使者として出た島津図書が将軍の御前へ召し出され時服を拝領したことへの重ねての御礼使者を受け、その丁重さが将軍へ伝わったと答えた幕府老中連署状。

  76. 追録1-No.670 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元役人六人へ、神尾備前への返書、金山銀子の資金難と継続、雁拝領を祝った客衆への礼状、下屋敷からの遠方出仕の不便と上屋敷移動・修繕節約、虎寿の付人追加を相談する。歩行八人では不足し最低十人とし、翌年の薩州様下向は騎馬衆十二人から道中川越奉行二人・宿割奉行二人・物奉行一人を除いて南戸衆七人、…

  77. 追録1-No.671 見舞衆書立

    鴈拝領前の見舞衆と、振舞の日に膳の用意まで見舞った人々を列記する別紙。松平河内守らの二度、伊勢兵庫頭らの一度の見舞いを区別し、鈴木喜左衛門・長生院・嶋津但馬守・神尾備前守らも記す。国元から各人へ御礼状を送るよう求める。

  78. 追録1-No.672 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元役人六人へ、十三日に薩州様(原注綱久)が御鷹の雁を拝領したことと、同時に拝領した人々への饗応を報じる。物音への憚りがあったが松河州・神尾備前と相談し、一昨二十一日朝に上屋敷へ客を招いて首尾よく済ませた。伊地知紋右衛門を隅州様(光久注)への報告使として下し、見舞衆の別紙を送って国元から礼…

  79. 追録1-No.673 定府家中掟書

    島津光久の定府中に家中が守るべき法度として、屋敷内外の言動、衣服、飲酒・喧嘩、外出・旅行、贈答・貸借、奉公人の扱いなどを定め、違反者を処罰するとした掟書。

  80. 追録1-No.674 家老五名連署事書(江戸下屋敷減員)

    家老五名が鎌田源左衛門へ、江戸下屋敷の減員・節約を示す。騎馬二十人中四人、歩行四十七人中十五人を召し下し、幼小姓十一人中五人の前髪を取り、残る人員を薩州様の上下・留守等に配分する。奥南戸、酒部屋手代、小者、表方・奥方の支出も節約する。

  81. 追録1-No.675 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元役人六人へ、清泰院逝去に伴う悔状を上原小十郎に持たせて阿部豊後守へ差し出し、老中奉書と水戸・紀伊・尾張家からの返書を得たと報じる。奥方の若子平産祝儀中でも悔の遠慮は無用と伝え、神尾備前への返書も小十郎が持参する。十一月二十六日付。封面には明暦三年正月十日に上原小十郎が持ち下ったと記す。

  82. 追録1-No.676 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の機嫌がよいことを伝え、例年どおり国元の蜜柑一箱を献上したことを承知し、披露したと答えた幕府老中連署状。

  83. 追録1-No.677 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    老中三名が松平大隅守へ、将軍の機嫌がよく、先ごろ西丸下馬場へ初めて御成になり御馬を上覧した旨を伝えたことについて、その知らせを重く受け止めたとの返書を承知したと答える。

  84. 追録1-No.678 島津光久公帖

    島津光久が柴喜西堂へ、正興寺の住持職について先例どおり執務するよう命じた公帖。

  85. 追録1-No.679 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、今回御鷹之鶴を拝領したことへの謝意を記す書状を拝見し、礼使と肴一種の献上を受けて披露したと返答する。入念のことで喜色であると伝える。

  86. 追録1-No.680 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    老中三名が松平大隅守へ、同姓薩摩守が御鷹の雁を拝領した件について、ありがたく受け止めた旨を伝える使者と肴一種を献じたことを承知し、その趣を披露したと答える。

  87. 追録1-No.681 近衛基熙書状

    近衛基熙が島津光久へ、改年の祝儀として城中へ使者を送る機会に書状を送り、在府中の健康を祈り、自身の無事を伝え、調合した薫物一香合を贈った書状。

  88. 追録1-No.682 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、千代姫の平産を祝って光久が使者を差し越したことを承知し、その入念な対応を将軍へ披露したと答えた幕府老中連署状。

  89. 追録1-No.683 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、年頭祝儀として使者を立て、太刀一腰と御馬代黄金十両を献上したことを承知し、披露したと答えた幕府老中連署状。

  90. 追録1-No.684 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元の役人へ、鶴御礼使の新納四郎左衛門と雁御礼使の本田仲兵衛が臘月二十八日に登城し、首尾よく正月六日に江戸を出立したことを報じ、御奉書を送る。薩州様が初めて御鷹之雁を拝領したことへの隅州様の祝儀、二種・一荷の調達と御礼の御服の相談、年頭の御礼・御名代、松河内守の参府と御孫誕生の祝儀等を伝え…

  91. 追録1-No.685 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、年頭祝儀の使者、太刀一腰、御馬代黄金十両の献上を承知し、披露したと答えた幕府老中連署状。No.683と同日・同内容の別収録文書。

  92. 追録1-No.686 北郷久精家督相続

    北郷久精譜中の記事。明暦三年正月十二日、高命を奉じて家督を相続し、川内の高城地頭職に補された。父久加の病状に伴う愁訴によると記す。

  93. 追録1-No.687 島津久通・鎌田政昭家老連署証状

    島津久通・鎌田政昭が平田清右衛門尉へ、幕府による諸家系図収集に際し、光久の命で島津家系図を編纂・校訂して完成させた功を賞し、加増高百斛を与えた家老連署証状。

  94. 追録1-No.688 光久参勤途上ニ帰国ヲ許サル

    光久公御譜中に、明暦三年正月十九日の江戸新鷹匠町からの火災が強風で城本丸へ及び、光久の屋敷も池魚之災に罹ったと記す。同年二月一日に参勤のため鹿児島を出て日州を進んでいた光久へ、参勤は六月・七月頃まで延期し、既に出発していても城へ戻るよう奉書が届き、帰城した。

  95. 追録1-No.689 酒井忠清外二名幕府老中連署奉書

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、正月十九日の江戸大火で江戸城本丸と光久の屋敷が焼失したことを知らせ、将軍の無事を伝えた上で、参勤を六月・七月まで延期し、すでに出立していても帰国してよいと命じた幕府老中連署奉書。

  96. 追録1-No.690 鎌田政有書状

    鎌田政有が中務を含む国元役人七人へ、在国大名十二三人の留守居が召され、三雲太郎右衛門が西丸で参勤延期の意を聞いたと報じる。上屋敷焼失のため六月七月の参勤とし、奉書と火事に伴う口上書の写を送って騎馬をもって礼を申し上げることを伝える。兵部から城炎上をうかがう使者を出すことや、節々の機嫌伺いを留守居に伝…

  97. 追録1-No.691 甲斐庄正述書状

    甲斐庄喜右衛門正述が島津家の役人らへ、正月十八・十九日に江戸各所で相次いだ大火について、神田・日本橋・中橋・水戸邸・江戸城・諸大名屋敷などの延焼状況、光久屋敷や関係者の安否を詳しく報告した書状。

  98. 追録1-No.692 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元役人五人へ、大火後の公方の無事、日光関係の例年儀礼でも登城がないこと、火付警戒・捕縛、六月七月参勤に伴う六月の使者を報じる。借屋は一宿八九人で畳も不足し、機嫌伺いは小荷駄・歩行衆程度の使者を当地で騎馬に仕立てる。屋敷割・買添地五百両の相談、材木高騰と国元の長屋材調達、飯米二月、金山資金…

  99. 追録1-No.693 鎌田政有書状

    鎌田政有が国元役人六人へ、大火で衣類を失った評定所筆者の替人急召上、上屋敷・鍋島の買添屋敷の内証と図面不備を報じる。下屋敷の騎馬四人・歩行衆十五人の召下、南戸・小姓・酒部屋等の減員を伝え、金掘七八十人の召出には難色があり、金子三千五百両ほどを借りて屋敷用達は済んだとする。伊東源次・川野善兵衛の人事と…

  100. 追録1-No.694 久松勝成書状

    久松清左衛門勝成が島津家の役人らへ、江戸大火後の屋敷再建に用いる杉板・杉戸板などの材木について、調達先・品質・寸法・進上の可否を相談し、隠岐守方への飛脚と書状の取次ぎを求めた書状。