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追録1の目録
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追録1-No.695 鎌田政有書状
鎌田政有が国元の役人らへ、江戸大火で富士見御蔵の御腰物・御茶入・葉茶壺などの宝物が多く焼失し呂宋壺一つが残ったとの風聞、島津家上屋敷の被災状況、家臣・門中の死者や相果てた者について報告した書状。
追録1-No.696 円満院宮常尊書状
円満院宮常尊が島津光久へ、江戸で火事が起きたと聞き、光久の無事を見舞った書状。
追録1-No.697 松平定行書状
松平定行が島津光久へ、正月十八・十九日の江戸大火で大名・小名屋敷の多くと光久の上屋敷が焼失したことを承知し、光久の無事を喜び、参勤延期の間の心安と次回の面会を伝えた見舞書状。
追録1-No.698 甲斐庄正述書状
甲斐庄喜右衛門正述が島津家の役人らへ、正月十九日付の奉書が届いたこと、江戸大火後も光久らが無事であると聞いて安堵したこと、屋敷焼失のため十分に用務を果たせない事情と、先に差し出した使者・書状について報告した書状。
追録1-No.699 松平定行書状
松平定行が松平大隅守へ、金山御赦免の祝儀の砂金百両に礼を述べる。旧冬に許された金掘七八十人と請役を神尾備前方の使者に伝えた経緯、初尾の砂金を公方・老中へ進上すべきことを記す。他国が金子千両ほど進上した先例はあるが、現時点で金が出ていなければ百両二百両も困難であり、神尾備前・村尾三右と相談して江戸の首…
追録1-No.700 聖護院宮道晃書状
聖護院宮道晃が島津光久へ、光久の居所が類焼したと聞いて驚き、見舞いのため飛札を送った書状。
追録1-No.701 照高院宮道寛書状
照高院宮道寛が島津光久へ、江戸の火事で光久の私宅が焼失したと聞いて驚き、見舞いのため飛札を送った書状。
追録1-No.702 酒井忠清外二名幕府老中連署状
老中三名が松平大隅守へ、将軍の当春の機嫌をうかがう使者を承知し、将軍はますます勇健と伝える。あわせて三種二荷を献上した旨を披露したと答える。
追録1-No.703 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、先月十九日の江戸城本丸炎上を光久が驚き、将軍が西丸へ移って健勝であることを喜んで使者を送った旨を承知し、その入念な対応を将軍へ伝えると答えた幕府老中連署状。
追録1-No.704 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の健勝を喜ぶ書状・使者・進物を承知して披露し、光久が加治木まで帰着したとの報告を受け、先の奉書どおり帰国するのがよいと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.705 鎌田政有書状
鎌田政有が国元の役人らへ、江戸城内に異常がないこと、奏者番衆の任命、火災後の長屋・屋敷再建に用いる瓦・板・道具の手配、関係者への書状取次ぎについて報告・指示した書状。
追録1-No.706 光久、領内金山産出の黄金を献ず
光久が、前年に拝領した金山一所から掘り出した黄金五百両を使者によって家綱へ献上し、御肴一種も添え、老中が奉書で報じたとする譜中記事。
追録1-No.707 酒井忠清外二名幕府老中連署状
老中三名が松平大隅守へ、その領分の金山を開いて以来初めて掘り出した金五百両と御肴一種を献上した趣を披露したと答える。
追録1-No.708 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、江戸の島津家屋敷が類焼したため参勤を延期する旨の奉書を受け取ったとの礼状と使者を承知し、その入念な対応を伝えると答えた幕府老中連署状。
追録1-No.709 松平定行書状
松平定行が島津家の役人五人へ、旧冬に薬用として求めた羊四匹の手配に礼を述べつつ、野牛のように見えて不審なので詳細を知らせるよう求める。大隅守からの火災見舞書に謝し、参勤が六月七月へ延びたことを喜ぶ。大名の屋敷普請が本格化する前に囲いの長屋を早く準備し、国元の長屋を船で運ぶことや、今後の材木不足に備え…
追録1-No.710 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、江戸城本丸の造営を今年は延期し、家臣屋敷は軽い仮普請とすること、献上物を三年間減らすことを承知したとの礼状・使者を受け、その趣旨を伝えると答えた幕府老中連署状。
追録1-No.711 鎌田政有書状
鎌田政有が国元の役人らへ、江戸・京都からの使者と書状、朝廷・将軍家関係の挨拶や法事、江戸城・大名屋敷の再建材木、火災後の道具・紙類の調達、関係者への取次ぎと帰国予定などを報告・指示した書状。
追録1-No.712 島津久茂書状
島津久茂が国元役人六人へ、江戸到着時に女房衆の馬・乗物を三手に分け、女房衆九人を芝屋敷へ遣わしたことを伝える。自分の親子は三日着、五日に但馬守方で手配が整ったと報じ、大坂・伏見の道中と桑名からの屋形船三艘の馳走、手樽一荷に触れる。娘の持病の頭痛で二三日道中が滞り、田町屋敷で療治しているとする。
追録1-No.713 島津久茂書状
久茂が国元役人六人へ、御弓の勤めを命じられ、鎌田源左衛門へ伝えるよう下命されたことを知らせる。若御前様が今暁七ツ頃に姫を出産し親子とも無事であることを祝い、伊東元右衛門に祝儀の口上を託したとする。本文日付は卯月十六日で、封面に五月二日の注がある。
追録1-No.714 於亀(光久第五女)誕生
光久の子女を並べた同胞系図に於亀を掲げ、明暦三年四月十九日生とする。母は島津又十郎忠興の室と同じ母で、新納忠頼の娘との注があり、於亀は入来院隼人重香の室となる。編者は前の十六日付書状に今暁姫誕生とあることと十九日の記載の相違を指摘する。
追録1-No.715 家光七年忌ノ法会修セラル
四月十六日から二十日まで東叡山で家光の七年忌法会が営まれ、光久が家臣桂外記忠守を使者として、香奠銀三十枚を尊霊の前に献じたとする。
追録1-No.716 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、東叡山で営まれた大猷院家光の七年忌法会に香奠を献じたことを承知し、御影前へ供えたと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.717 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の機嫌を尋ねる使者と国産の肴一種を受け、その趣旨を披露したと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.718 島津久茂書状
久茂が国元役人六人へ、伊角に節約の意を伝えて返詞をさせること、伏見院息女の城中輿入、大猷院七年忌法事と将軍の正忌参詣を報じる。在国大名の機嫌伺使者の頻度を相談し、薩州様の誕生に伴う血忌と法事参詣の差合いを伝える。類火した伊角への縮緬等、太守の実名がなく名乗のみの書状への注意、久世息女への祝儀、老中取…
追録1-No.719 島津綱久書状
綱久が中山王へ、去年の官位昇進を祝う芳翰と太刀一腰・馬一疋を贈られたことに厚く礼を述べ、詳しくは使者に説明させるとする。
追録1-No.720 島津久茂書状
久茂が国元役人六人へ、借金の才覚、国元からの召連人員節約、定めた賦以外の支給抑制を求める。狭い上屋敷の返地・移転、鍋島の屋敷と新網町の二千両交換案などを相談し、高値のため旧買入額を基にする案も比較する。目黒不動近所の石河太兵衛屋敷三百両案は、公方の御鷹野の場所で茶屋・長屋の造作が難しいか調べる。吉田…
追録1-No.721 島津久茂書状
久茂が国元役人六人へ、神尾備前守・矢部藤九郎の書状を取り次ぐ。東叡山で十六日から二十日まで営まれた大猷院七年忌法事には桂外記を使者とし、香奠として隅州様から銀三十枚、薩州様から五枚を献じ、首尾よく受納され奉書が出たと報じる。外記の帰国と口頭説明を伝え、末注に六月十一日桂外記持下とある。
追録1-No.722 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物五つが到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清から述べさせるとした御内書。
追録1-No.723 久松勝成書状
久松勝成が国元役人五人へ、江戸へ送られた村尾舎人の書状を拝見し、公儀へ進上する材木の手配を求める。檜・欅が国元にないため、杉障子板や前年にも進上したせり板を五百枚ほど、松の大引物や角物を寸尺目録により二千本から三千本でも準備する案を示す。欅の材木が国元にあれば、御門六、七か所の分を進上するよう求める…
追録1-No.724 久松勝成書状(覚)
久松勝成が、公儀への進上材として松木・せり板等の寸法と数量、江戸での受取り・奉行への引渡しを箇条書きにし、国元役人へ手配を求めた覚書。
追録1-No.725 島津久茂書状
島津中務久茂が国元の役人へ、当地の上々の機嫌がよいこと、昨日公方から薩州様へ上使石河弥左衛門を介して御鷹之鴨五が給されたと報じる。松平美作守・下野守も同時に鴨を拝領し、親側から軽い礼使を送る件を留守居衆で相談しているという。本文五月十四日、封面六月朔日飛脚持下。
追録1-No.726 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の機嫌を尋ねる使者と白砂糖二桶・肴一種を受け、進物を披露したと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.727 島津忠顕誕生
明暦三年六月五日、島津綱久の子・忠顕が玉利九兵衛の娘を母として誕生し、後に忠智・幸寿丸・権十郎・市右衛門・筑後と称し、家臣島津又助忠清の後嗣となったことを記す記事。
追録1-No.728 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状
酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、四月に東叡山で営まれた大猷院家光の遠忌法事に参堂したことを承知し、使者の趣旨も聞いたと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.729 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状
酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、将軍家綱の機嫌を尋ねる使者と琉球布・焼酎・肴一種を受け、目録どおり披露したと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.730 光久江戸城修復ノ材木ヲ進献ス
光久公譜中の記事。明暦三年、江戸城修復に用いる材木の目録を高城経営が執政へ願い、同年七月朔日の奉書で認められたとする。そのため翌年に杉戸・大坂(板カの刊本注)・樟板・松挽物を進献したと記す。
追録1-No.731 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状
酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、公儀の用に供するため献じた材木を目録どおり受領し、その趣旨を披露したと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.732 鈴木長常木取覚
鈴木長常が神尾備前へ、長さ八尺の材木二本について各々の太さを示し、この寸法で木取りすれば御用に立つと伝えた覚。
追録1-No.733 島津久茂書状
島津久茂が国元の役人らへ、将軍家綱の機嫌を聞く使者と書状の取次ぎ、島津光久への礼使・使者の手配、在府家臣の配置と留守居について報告・指示した書状。
追録1-No.734 島津久茂書状
島津久茂が国元の役人らへ、備州の古老・留守居らの召寄せと処置、公儀へ進上する材木の寸法・図面・書付、役人や大工の手配について照会し、早急な返答を求めた書状。
追録1-No.735 島津久通書状
島津久通が鎌田筑後へ、軽い使者と判形を三人分用意し、急ぎ参着させるよう求める。川内大小路・久見崎から長崎への移動と、阿蘭陀船が入り二十七人いるとの風聞を記すが、偽りの可能性も留保する。相良主税・三原伝左衛門らとの相談、入津の見届け、道具衆五六人と槕取の警固手配を求める。
追録1-No.736 島津光久袖判掟書
島津光久が、郡代役の引継ぎと奉行への届出、新田・水廻り等の検地、村落の犯罪処理、百姓や寺社家の隠居・隠住、給地や役負担の不正を禁じ、違反を沙汰するよう定めた袖判掟書。
追録1-No.737 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状
老中二名が松平大隅守へ、先ごろ上使によって息の薩摩守(原注綱久)が御鷹の梅首鷄を拝領した件を伝える。大隅守からの礼使と国の肴一種を受け、披露したと答える。
追録1-No.738 島津久茂書状
島津久茂が国元の役人らへ、公儀進上用材木の寸法・数量と木取り、江戸屋敷の人員・女房衆、普請、井戸と水の確保、番・留守居の配置について報告・指示した書状。
追録1-No.739 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状
酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、八朔の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代黄金十両を献じたことを披露したと答えた幕府老中連署状。
追録1-No.740 島津久茂書状
島津久茂が国元の役人らへ、石川・坂井・永井各氏の書状を取り次ぎ、将軍への挨拶、江戸屋敷の女房衆・奉公人の召寄せ、家臣の出仕・留守居と人員配置について指示した書状。
追録1-No.741 島津久茂書状
久茂が国元役人四人へ、八朔礼使鎌田太郎右衛門と奉書、神尾備前からの公方輿入の書状を伝える。上屋敷の地形を三尺ほど引き下げる指示について、大工の見積りでは馬場より一尺または五六寸低くなって排水が難しく、一尺七八寸掘るとどこも水が出ると報じ、改めて確認を求める。在取への返答と中屋敷作事にも触れ、高値のた…
追録1-No.742 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状
老中二名が松平大隅守へ、先ごろ上使によって同姓薩摩守が御鷹の雲雀を拝領した件を伝え、御礼として差し出された使者と肴一種を披露したと答える。
追録1-No.743 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署奉書
酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、参勤の希望を将軍へ上聞した結果、勝手次第に当年中に参府してよいとの命が出たことを伝えた幕府老中連署奉書。
追録1-No.744 児玉家次起請文前書
児玉家次が島津光久へ、私心なく奉公し、命令に背かず、主君や家中のためにならない事を知れば隠さず申し上げることを誓った起請文前書。
追録1-No.745 松平定行書状
松平定行が島津光久へ、参府延期と休息を勧め、江戸屋敷普請や公儀進上用の杉戸・板・引物、国元からの輸送、金山での産金について相談・助言した書状。
追録1-No.746 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五つが到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清から述べさせるとした御内書。
追録1-No.747 島津久通外六名連署定書
島津久通らが、運賃船への私荷積載、琉球からの女性連行、武具・商品売買、船頭・水主の祝儀や酒宴、帆・木綿等の不正、琉球と領内間の無断往来を禁じた船舶取締定書。
追録1-No.748 島津久通外六名連署掟書
島津久通らが、南蛮船・唐船・異国人への対応、漂着船と荷物、琉球往来、在番衆、船頭・水主・乗客、武具・貨物・女性、密売買・私渡海・不正運賃等を詳細に禁じ、違反時の届出と処罰を定めた連署掟書。
追録1-No.749 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、改暦の佳瑞を祝う使札と太平布五十疋・蕉布五十端・焼酎十壺が届いたことを喜び、詳しい返礼は後日にすると答えた書状。
追録1-No.750 修理用材進上物覚
御火事後の修理に進上する銅・漆・錫・石材・鉄・材木について、担当先別の数量・価格・寸法を列挙した進上物覚。
追録1-No.751 島津久茂書状
久茂が国元役人七人へ、鎌田左京の気色は変わらず草臥れていると報じる。稲葉美濃守家老役就任の祝儀使者を、御供衆の騎馬または小荷駄衆から早急に差し遣わすよう求める。紀伊宰相光貞と伏見院姫安宮の縁組を祝う井の家の使者も稲葉方への使者で取り計らい、留守居に相談する意を伝える。十月二日付。封面には十月十三日に…
追録1-No.752 島津久茂書状
島津久茂が国元の役人らへ、安藤右京の病気が本復したため八日から再び出仕すること、祝意を伝える飛札と御書を取り次ぐよう求めた書状。
追録1-No.753 島津久茂書状
島津久茂が国元の役人らへ、九条政所の帰京と将軍への内密な伺いに関する事情を伝え、後日の礼儀を怠らないよう指示した書状。
追録1-No.754 光久参勤ス
光久公譜中の記事。十月六日に居城を発し薩摩西岸から乗船して大坂を経由、十二月十日に江府へ到着し、新納久詮・鎌田政昭らが供した。上使松平信綱が迎え、翌十一日登城で太刀一腰・馬一匹(黄金四十両注)・時服十二を献上したと記す。例年の進上物として太刀一腰、馬代銀百両、猩々皮十間、羅紗十間を挙げるが、当年は江…
追録1-No.755 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状
酒井忠清・阿部忠秋が島津光久へ、前年に長崎へ来着した唐船と琉球へ渡す冠船をめぐる風聞について、前年から当秋まで着岸していない旨の報告を了承した幕府老中連署状。
追録1-No.756 御条書抜(犬追物・貸馬、衣装、役人規律)
挿入された御条書抜。十八条は犬追物用務で上る福屋助左衛門につき、江戸在府の伊賀守側で馬を貸し、国元から主従八人を馬を立てず上らせる指示である。原注は正保二年ならん・酉十月十五日。十九条は慶安三年ならん・寅三月十五日の衣装節約、二十条は役人の賄賂・進物受取禁止、年一度の神文と遠方勤務の沙汰を記す。
追録1-No.757 島津光久袖判達書
島津光久が家老衆と御物所奉行へ、新規帳面の制定や御物所の品物を奉行・役人へ渡す場合は合議し、私的に変更せず、前例と長期的な運用を踏まえて決定するよう達した袖判書。
追録1-No.758 萩原三郎右衛門外二名書状
萩原三郎右衛門らが、阿久根への便船、村内の人員配置、切支丹宗門関係者の吟味・身柄、長崎役所への報告、使者の取扱いについて詳細を伝えた書状。
追録1-No.759 有吉英安外三名連署書状
有吉英安らが国元の役人へ、黒川与兵衛らへの御状、長崎での宗門関係者の捕縛、関係者の所在と処置、幕府・長崎側の意向について報告した連署書状。
追録1-No.760 有吉英安外三名連署書状
有吉英安らが国元の役人へ、光久の飛札、船の出航と荷物取上げ、関係者の召寄せ・聞取り、処置を了承したことを報告し、相違なく実施するよう求めた連署書状。
追録1-No.761 島津久茂書状
島津久茂が国元の役人らへ、上原小十郎の到着、琉球人七人を乗せた安海船の長崎来航と幕府への礼使、江戸屋敷普請・参勤・書院の取付けについて報告・指示した書状。
追録1-No.762 酒井忠清外二名連署状
酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、前年長崎へ来た琉球人七人の引渡しと使者派遣を了承し、参勤のため国元を発つ予定も承知したと伝えた連署状。
追録1-No.763 鎌田政有書状
鎌田政有が国元の役人らへ、光久が将軍から鶴を拝領したこと、その祝儀の御書進上と返礼使者・留守居衆の手配を急ぐよう伝えた書状。
追録1-No.764 鎌田政有書状
鎌田政有が国元の役人六人へ、鶴拝領の奉書を持たせると伝える。有川八右衛門の話として、今回の御給は平常と違い格別に重く、一番は小松中納言、二番は当方で、留守居衆が豊後守方で順に呼び出されて受けたと報じる。御給の家書を添える。十一月十一日付。封面には明暦三年十一月十一日の書状を同月十六日朝に堀新介が持ち…
追録1-No.765 酒井忠清外二名連署状
酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、将軍の機嫌と光久の健康を寿ぎ、参勤途上で悪天候が続き十一月二十一日に長州下関へ着船したとの報告を了承した連署状。
追録1-No.766 酒井忠清外二名連署状
酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、前月二十六日に諸大名が登城した能興行の際、綱久の見物について申し出た趣旨を了承した連署状。
追録1-No.767 阿多忠栄へ殉死者名
明暦三年十二月四日、阿多内膳忠栄の家臣内田平右衛門が殉死したことを記す記事。
追録1-No.768 島津久茂外二名連署状
久茂・鎌田政昭・新納久詮が国元役人五人へ、光久が十日に参府し、一昨日に上屋敷で松平信綱の上使を受け、昨日には隅州様・薩州様が登城して礼を済ませたと報じる。近所の酒井忠清を通じ側の取合いや金山拝領などの相談が首尾よく進み、御前・御子にも伝えるよう求める。封面には翌正月八日の飛脚到来等の注がある。
追録1-No.769 島津光久吉書
島津光久が明暦四年正月元日に、嘉辰・長寿・不老を祝う漢詩句と、真の道にかなえば神が守るとの和歌を記した吉書。
追録1-No.770 春日神社再興棟札写
前年の不意の火災で春日社が焼失したが神体は無事であったため、社殿を再興し、大乗院覚山を導師として還宮したことを記す棟札写。
追録1-No.771 酒井忠清外二名連署状
酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、歳暮の将軍内書を渡すため、翌六日四時頃に家来一人を登城させるよう通知した連署状。
追録1-No.772 万治改元
明暦四年を万治元年と改元したことを記し、島津綱久譜には同年七月二十三日改元とある旨を注記した記事。
追録1-No.773 松平定行書状
松平定行が鎌田蔵人へ、島津綱久夫人が先月二十二日頃から疱瘡を患ったが軽症と聞き安堵したこと、油断なく養生させるよう伝え、後日祝儀を申すとした書状。
追録1-No.774 松平定頼書状
松平定頼が鎌田蔵人へ、島津綱久夫人が先月二十日頃から発熱・頭痛を呈し、二十三日頃から疱瘡が現れたが軽症と聞いて安堵し、養生を専一にするよう伝えた書状。
追録1-No.775 松平定頼書状
松平定頼が鎌田蔵人へ、島津綱久夫人の疱瘡が出揃い容体・食事とも良好で、内田玄勝も薬服用は不要と述べたとの報告を喜び、引き続き養生を求めた書状。
追録1-No.776 松平定行書状
松平定行が鎌田蔵人へ、先月二十三日の訪問と報知に謝し、島津綱久夫人の疱瘡を案じつつ、軽症と聞いたので早い平癒を期待し、続報を待つとした書状。
追録1-No.777 松平定頼書状
松平定頼が鎌田蔵人へ、綱久からの使札を受け、夫人の疱瘡が出揃い容体・食事とも良く、内田玄勝が薬は不要と述べたとの報告を喜び、使者を帰すと伝えた書状。
追録1-No.778 松平定行書状
松平定行が鎌田蔵人へ、使者からの報告と二月二日付の飛札を五日に受け、島津綱久夫人の疱瘡が軽く快方に向かうとの知らせを喜び、吉報を待つとした書状。
追録1-No.779 松平定行書状
松平定行が鎌田蔵人へ、疱瘡医への連絡と養生の指図を求め、綱久夫人の疱瘡が二十四日までに出揃い数も少なく軽症であるとの報告を喜んだ書状。
追録1-No.780 松平定頼書状
松平定頼が鎌田蔵人へ、島津綱久夫人の疱瘡が軽く気分も良いとの相次ぐ報告を喜び、近日中の酒湯と平癒を期待し、鎌田の労をねぎらって養生を頼んだ書状。
追録1-No.781 松平定頼書状
松平定頼が鎌田蔵人へ、薩摩守奥方が疱瘡から早く平癒し酒湯を済ませたとの知らせを喜ぶ。祝いとして薩摩守へ使者を送り、一種・両樽を届けたと伝える。また大隅守(光久注)が四日に国元を立ち、近くこちらへ渡海する見込みを記す。
追録1-No.782 島津久茂外二名連署書状
島津久茂・鎌田政昭・新納久詮が国元の役人へ、隅州様等の封続祈祷の申付けに礼を述べ、その件を披露したと報じる。正月十日付書状を拝見し、大守様の無事と御鷹之鶴拝領への祝意を伝える。喜入摂津の疱瘡が軽いとの知らせも披露し、皆が機嫌よいという。
追録1-No.783 島津六七誕生
六七という女子が明暦四年三月二十四日に生まれ、万治二年七月十五日に夭折したことを記し、母は前項と同じと注記した記事。
追録1-No.784 綱貴元服ス
綱貴公譜中の記事。明暦四年四月六日に元服して又三郎延久と号し、時に九歳との注がある。祖父少将光久が加冠して宝刀一腰を授け、島津又八郎久薫が理髪を務めたと記す。
追録1-No.785 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、端午の節句の祝儀として帷子・単物計五点が到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清が伝えるとした御内書。
追録1-No.786 酒井忠清外三名連署奉書
酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、翌日の能を見物するよう上意があったので、その趣旨を承知して辰刻以前に登城するよう通知した連署奉書。
追録1-No.787 酒井忠清外三名連署状
酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、伝えるべき御用があるため、翌二十三日の指定時刻に家来一人を久世大和守宅へ差し越すよう通知した連署状。
追録1-No.788 島津綱久書状
島津綱久が伊勢兵部へ、母が三月十六日頃から重い病状で食事も取れず衰弱しているため、現地の神社で祈祷・立願し、脇差一腰を霧島へ寄進して誠を尽くすよう命じた書状。
追録1-No.789 光久帰国ス
島津光久が明暦四年六月に江戸で帰国許可を受け、家老新納久詮を伴って大坂から船で長州赤間関を経て七月二十七日に鹿児島へ帰着したこと、夫人が六月十一日に江戸で没し曹源院と号したことを記す記事。
追録1-No.790 鎌田政昭覚書
鎌田政昭が新納右衛門へ、苦労銀の賦課方法と、身上が行き詰まった平田九郎左衛門・鎌田勘兵衛の各三十石の知行を公儀が買い取り、代銀返済後に返す処置を記した覚書。
追録1-No.791 島津久茂・島津久頼連署書状
島津久茂・久頼が国元の役人へ、将軍の機嫌伺いの使者には岩元清左衛門を出す予定なので国元から召し上げる必要はなく、冬の機嫌伺い使者は時期を見て命じるよう伝えた連署書状。
追録1-No.792 松平定行書状
松平定行が鎌田蔵人へ、島津綱久から使者を通じて母儀の遺物として天鵞絨十巻入り一箱を贈られたことに礼を述べ、綱久本人にも書状を送ったと伝えた書状。
追録1-No.793 万治改元
島津綱貴譜に、同年七月二十三日または二十八日に万治へ改元したとあることを記す記事。
追録1-No.794 酒井忠清外二名連署状
老中三名が松平大隅守へ、八朔の祝儀として使者を立て太刀一腰と御馬代黄金十両を献上した旨を披露し、一段の御仕合と答える。