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追録1の目録
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追録1-No.1185 北郷忠長、光久ノ参勤ニ供奉ス
北郷忠長の譜中記事。寛文七年三月、島津光久の江戸参勤に忠長が供奉し、旅家老の北郷次左衛門久伴も従ったこと、翌年四月六日に帰国したことを記す。
追録1-No.1186 板倉重矩書状
板倉重矩が島津光久へ、将軍が息災であること、様子を伺う使者と氷砂糖一壺・肴一種の献上を将軍へ披露したことを伝え、国元から参勤のため出発する旨も承知したと知らせた書状。
追録1-No.1187 光久、家光ノ遠忌ニ香奠ヲ進ス
島津光久の譜中記事。寛文七年四月二十日、日光山で営まれた徳川家光(大猷院)の十七年忌に、参勤途上の光久が使者を送り、香奠銀を奉納したことを記す。
追録1-No.1188 阿部忠秋外三名幕府老中連署状
幕府老中四名が島津光久へ、日光山で執行された徳川家光(大猷院)の遠忌法事に、使者を通じて献じた香奠が滞りなく奉納され、その旨を将軍へ報告したと伝えた連署状。
追録1-No.1189 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清が述べると伝えた御内書。
追録1-No.1190 久世広之書状
久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌がよい旨の祝意を承知し、上使を介した同氏薩摩守の御鷹之梅首鷄拝領への謝使について、入念の段を各々相談して上聞に達したと返答する。参勤は三月二十六日に国元を発ち、先月七日に出船したものの順風が続かず同二十七日に下関へ着いた旨を承知し、詳しくは使者が述べるという。
追録1-No.1191 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、将軍が息災であることを伝え、光久が五月十二日に大坂へ着岸し、海上の風雨で遅れたものの近日中に江戸へ参府するとの報告を承知して、上聞に達した旨を知らせた書状。
追録1-No.1192 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、将軍が前月二十日に東叡山の堂へ参詣して無事に還御したことと、日光山の法事が滞りなく済んだことへの慶意を承知し、そのため差し越した使者について入念であると伝えた書状。
追録1-No.1193 板倉重矩書状
板倉重矩が島津光久へ、翌朔日に紀伊宰相の家督相続の御礼があるため、例月の御目見えは行われず、登城する必要はないと通知した書状。
追録1-No.1194 浦廻巡見使領内ヲ巡視ス
同年六月七日からの幕府浦廻上使高林又兵衛貞義・向井八郎兵衛正興の領内巡行を記す。日向福島を経て志布志へ入り、光久は岩切六右衛門信吉・相良民部左衛門頼常を郷導、歩行十四人、船奉行鎌田五太夫政辰、殿役奉行谷山平左衛門忠宣が率いる荷担人馬等を手配する。内之浦・大泊・佐敷・小根占・高洲・垂水・桜島・福山・加…
追録1-No.1195 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、琉球布十巻・泡盛酒二壺・御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1196 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、鹿毛の馬を献上した件を土井能登守と相談して将軍へ披露したところ、喜ばれた旨を伝えた書状。
追録1-No.1197 稲葉正則外三名幕府老中連署状
幕府老中四名が島津光久へ、端午の御内書を渡すため、翌日の四時頃に家来一人を登城させるよう命じた連署状。
追録1-No.1198 伊東祐実書状
伊東祐実が島津光久へ、自身が六月十四日に参府し同月二十五日に将軍へ御目見えしたことを報告した書状。あわせて修理大夫(島津綱貴)が初めて暇を賜り帰国することを祝い、品二種・樽二つを贈る。
追録1-No.1199 綱久帰国ス
島津綱久の譜中記事。寛文七年七月朔日、久世広之を上使として帰国許可と家例どおりの品物を賜り、七月七日に江戸を発って家老島津久茂が供奉し、八月十六日に鹿児島城へ入ったことを記す。川上久処を江戸へ遣わし、帰国への謝礼と恒例の品を献上した。
追録1-No.1200 島津光久口上書
島津光久が北郷久加へ、又三郎に奉公し、その行跡をよく見守って気付いた点は遠慮なく申し上げること、近習の者に無作法がないよう厳しく申し付けること、下屋敷は島津中務が行ってきた仕置のとおり取り扱うことを命じた口上覚。
追録1-No.1201 島津光久覚書
島津光久が島津綱久へ、国中の仕置に習熟するため諸事を遠慮なく報告させ、処分を決める際は家老衆と重ねて相談し、私的な縁によるひいきを退け、諸士の奢り・遊山・無作法を抑えるよう戒めた覚書。
追録1-No.1202 島津光久覚書
島津光久が島津綱久に示した教訓覚。五節句と毎月の礼日に出座すること、学問・算勘・武芸を励行すること、大酒を避けること、指定先以外での振舞への出席を控えることを命じる。
追録1-No.1203 島津久通覚書
島津久通が、薩摩・大隅・日向の郡名や郡内の座数などについて、古来の名称、和名集、判物の表記に相違があることを列挙し、改称・表記統一の扱いは相談して決めるべきだと述べた覚書。今回の書出し担当者の誤りではないことも付記する。
追録1-No.1204 島津久通覚書
島津図書が豊臣譜の誤記を指摘する覚書二通。島津又七郎忠豊と島津又太郎忠辰を区別し、出水領主忠辰の父系・朱印と、義弘弟家久の子忠豊の佐土原領・朝鮮戦功・関ヶ原戦死・安芸久雄相続を挙げる。又七改易という誤記の訂正を弘文院へ求めるが、南浦文集等に基づき旧板で世間に流布したものは直せないとの事情があり、今後…
追録1-No.1205 上使領内ヲ巡見ス
寛文七年八月、諸国巡見使の岡野孫九郎・井上新右衛門・青山善兵衛が肥後から薩摩へ入り、新納久了らが出迎えて領内を案内した記事。巡見使は薩摩・大隅各地を巡り、光久が江戸にいたため綱久が南林寺で面会し、その後は国境を越えて伊東氏領へ入った。
追録1-No.1206 島津綱久書状
侍従綱久が琉球国司(尚質傍注)へ、五月十八日付の書状が届いたことを伝える。前年に娘の祝言が首尾よく済んだ旨を琉球へ知らせたところ、祝儀として羽地按司を遣わし、目録どおりの品を贈られた懇意に謝する。
追録1-No.1207 島津綱久書状
島津綱久が琉球国司尚質へ、当年の慶事について使者を差し越し、祝物を目録どおり贈られたことへの喜びと謝意を伝えた書状。
追録1-No.1208 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、種子島鉄砲十挺と肴一箱を将軍へ献上し、目録どおり披露したところ喜ばれた旨を伝えた書状。
追録1-No.1209 徳川義直書状
尾張大納言義直が松平薩摩守へ、右兵衛督(光友傍注)の所への輿入れについて、祝儀の使者と三種三荷を贈られたことを喜び、詳しくは後の便りの折に述べると返答する。
追録1-No.1210 徳川光義書状
徳川右兵衛督光義(光友傍注)が松平薩摩守御宿所へ、祝儀の使者と太刀・馬代黄金十両・小袖十を贈られたことを喜び、遠路の懇意に謝し、詳しくは島津中務方へ伝えると返答する。
追録1-No.1211 板倉重矩書状
板倉重矩が島津光久へ、翌朔日に尾張殿の婚礼御礼があるため、例月の御目見えはなく、登城に及ばないと通知した書状。
追録1-No.1212 島津光久書状
島津光久が琉球国司尚質へ、同姓薩摩守の息女の婚礼に際して使者と目録どおりの祝儀を贈られたことに謝意を述べ、詳しくは羽地按司へ伝えるとした書状。
追録1-No.1213 稲葉正則外三名幕府老中連署状
幕府老中四名が島津光久へ、重陽の御内書を渡すため、翌日の四時頃に家来一人を登城させるよう命じた連署状。
追録1-No.1214 禁制覚書
幕府が、空地への新規家屋建築、奉公人屋敷内の土地を商人へ貸すこと、御領・私領の百姓地や寺社領を借りて家を建てさせることを禁じた覚書。翌春に検使を派遣して改め、違反者を処罰すると定める。
追録1-No.1215 千代松(光久女)誕生
千代松の誕生を記す系譜記事。本文は寛文七年十一月二十二日生まれ、母は家中の女房で、家臣種子島弾正伊時の初妾であったと記す。目録は千代松を光久の娘とする一方、本文は『綱久公御譜中』の系譜配置であり、帰属に相違がある。
追録1-No.1216 板倉重矩書状
板倉重矩が松平大隅守へ、領国の蜜柑二箱と御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1217 島津忠広家老職ニ任ス
島津家久の四男である島津忠広が、寛文七年十二月十四日に家老職へ任じられたことを記す記事。
追録1-No.1218 島津綱貴叙位
寛文七年十二月二十五日、将軍徳川家綱が島津光久の嫡孫・又三郎延久を加冠し、松平修理大夫綱貴と名乗らせ、侍従・従四位下に叙任した記事。光久は綱貴を伴って登城し、太刀・綿二百把・馬代黄金十両を献上した。
追録1-No.1219 島津綱貴元服ス
寛文七年十二月二十五日、又三郎延久が登城し家綱の加冠を受け、綱の字・称号・花押を与えられて松平修理大夫綱貴と名乗り、侍従・従四位下に叙任され宝刀を賜る。綱貴も太刀・馬代白銀三百枚・時服二十を献じて謝し、御盃と将軍手ずからの七箸の佳肴を賜ったという家の旧式を記す。
追録1-No.1220 徳川家綱加冠状
徳川家綱が島津又三郎(綱貴)の加冠に際し、松平修理大夫を称するよう命じた加冠状。
追録1-No.1221 徳川家綱一字状
徳川家綱が松平修理大夫綱貴へ、『綱』の一字を与えた一字状。
追録1-No.1222 島津綱貴叙従四位下口宣案
上卿中山大納言実起の宣により、従五位下源綱貴を従四位下に叙すことを伝える口宣案。蔵人頭左中弁藤原光雄が奉じた。
追録1-No.1223 島津綱貴任侍従宣旨
権大納言正三位藤原朝臣英親が宣し、修理大夫従四位下源朝臣綱貴を侍従に任ずる勅命を伝えた宣旨。大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師定が奉じた。
追録1-No.1224 島津綱貴任侍従口宣案
上卿中山大納言実起の宣により、修理大夫源綱貴を侍従に任ずることを伝える口宣案。蔵人頭左中弁藤原光雄が奉じた。
追録1-No.1225 島津綱貴叙位
従五位下源朝臣綱貴を従四位下に叙す位記の抄録。本文は中務省の書式以下数行を省略すると記す。
追録1-No.1226 酒井忠清外五名幕府老中等連署状
板倉重矩・土屋数直・久世広之・稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が牧野佐渡守(親成傍注)へ、松平修理大夫が従四位下・侍従に任じられたため、口宣等の儀を伝奏衆へ申し入れて調えるよう命じる。
追録1-No.1227 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、歳暮の嘉祥として小袖十領が到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清が述べると伝えた御内書。
追録1-No.1228 島津久茂・鎌田政有家老連署書状
鎌田政有・島津久茂が家老らへ、若子の七夜祝儀が済み、松平隠岐守が『徳寿』と命名して来国俊脇指の折紙物を、島津少将が盛光の脇指を贈り、髪立は隠岐守奥方へ依頼したと報じた連署書状。
追録1-No.1229 近衛基熙書状
近衛基熙が松平大隅守へ、薩州嫡子と呼ばれる修理大夫(綱貴傍注)が前年冬に元服・昇進したことを喜び、嘉儀として三種三荷を贈られた懇意に謝する。
追録1-No.1230 稲葉正則外三名幕府老中連署状
板倉重矩ら幕府老中四名が島津光久へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日の四時頃に家来一人を登城させるよう命じた連署状。
追録1-No.1231 飛鳥井雅章書状
飛鳥井雅章が島津綱貴へ、昇進を祝い、蹴鞠門弟として願い出た紫組冠の着用を許し、免状と懸緒を送ると伝えた書状。
追録1-No.1232 飛鳥井雅章紫組冠免許状
飛鳥井雅章が薩摩侍従へ、蹴鞠の門弟であるため紫組冠懸を免許する。
追録1-No.1233 東福門院(?)女房奉書
東福門院の意向を綾小路が島津綱貴へ伝え、今回の任官を喜び、紗綾十巻・御樽・肴を進上したことを披露すると女院も喜んだと述べた女房奉書。
追録1-No.1234 板倉重矩書状
板倉重矩が松平大隅守へ、八重山嶋の蝙蝠と音呼二を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1235 綱久参府ス
寛文八年三月十六日、島津綱久が参勤のため国元を発ち、新納久了らを伴って五月三日に江戸へ到着し、十五日に登城して将軍徳川家綱へ拝謁し、例年どおりの品を献上した記事。
追録1-No.1236 光久帰国ス
寛文八年四月五日、島津光久が上使土屋数直から帰国許可を受け、時服百・白銀千枚・馬一匹等を拝領した。十八日に江戸を発ち六月十五日に鹿児島へ帰着し、島津忠興を謝使として江戸へ遣わして羅紗十間等を献上した記事。
追録1-No.1237 土屋数直書状
土屋数直が島津光久へ、種々の香と肴一種を献上し、目録どおり披露したところ、念入りな進上を将軍が喜んだと伝えた書状。
追録1-No.1238 東福門院女房奉書
東福門院方の右衛門佐が島津光久へ、書状の内容を女院へ詳しく申し上げるとともに、新院御所の疱瘡が軽く、その後も機嫌良好であることを伝えた女房奉書。
追録1-No.1239 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、端午の嘉儀として帷子・単物数十が到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清が述べると伝えた御内書。
追録1-No.1240 久世広之外三名幕府老中連署奉書
久世広之ら幕府老中四名が島津光久へ、鹿児島城居所の堀三か所と侍屋敷周囲の堀二か所について、提出された絵図どおりの意向を承知し、元のとおり普請するよう命じた連署奉書。
追録1-No.1241 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、甚暑の折にも公方は機嫌よく過ごしているので安心するよう伝える。琉球布十巻・泡盛酎二壺・御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1242 稲葉正則外三名幕府老中連署状
久世広之ら幕府老中四名が島津光久へ、将軍の機嫌と無事に帰国暇を得た旨の書状を受け、帰国御礼の使者が羅紗十間・御樽・肴を献上したことを披露し、使者が将軍御前へ召し出された詳細は本人から説明させると伝えた連署状。
追録1-No.1243 島津光久内意書
島津光久が、病気の琉球国司尚質王から中城王子への禅位・隠居願について、江戸の判断を伝えた口上覚。中城王子を名代として国政を担わせ、尚質王は養生し、即位は江戸へ伺ったうえで行うよう指示した。
追録1-No.1244 稲葉正則外三名幕府老中連署状
板倉重矩・土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、八朔の祝儀として太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1245 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、端午の祝儀に帷子等を献上して将軍の御内書を頂戴し、さらに使者へ時服を下されたとの報告を承知し、念入りな礼を老中間で相談して将軍へ伝えると答えた書状。
追録1-No.1246 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、居城の堀普請について以前の奉書の趣旨と相違なく進めたとの礼状を受け、使者も差し越されたので、その丁寧な対応を老中間で相談して将軍へ報告すると答えた書状。
追録1-No.1247 島津綱久書状
島津綱久が琉球国司尚質王へ、使僧を通じて贈られた太平布二十疋・蕉布二十端・焼酎三壺を喜び、今後の再会を期すと謝意を述べた書状。
追録1-No.1248 久世広之書状
久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌がよい旨を喜ぶ知らせを承知したと返答する。また、先頃上使を介して同氏薩摩守が御鷹之雲雀を拝領した件を承知し、入念の段は各々相談して上聞すると伝える。
追録1-No.1249 吉見宗左衛門起請文前書
吉見宗左衛門が、役目を命じられた折には何事にも疎意なく奉公すること、召し出され仕えた恩をありがたく思い、この上は来世の御供をして高恩に報いたいことを二条に記す。偽りならとの神文を続け、牛王神文は省略される。
追録1-No.1250 徳川家綱御内書
家綱黒印の御内書が薩摩少将へ、重陽の祝儀として小袖五が到来し喜ばしく思うと伝え、詳しくは酒井雅楽頭が述べるとする。
追録1-No.1251 木菴性瑫書状
黄檗僧木菴性瑫が島津綱久へ、以前からの厚意と俗外の交わりに謝意を示し、さらに禅海へ深く入り宗門を護持することを願うと述べ、秋の挨拶を添えた漢文書状。
追録1-No.1252 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、公方の様子を尋ねる使者に答え、公方はますます勇健なので安心するよう伝える。御肴一種を献じた件を各々相談して披露し、一段の御仕合と返答する。奥平大膳亮(昌能傍注)への仰出を承知した旨も別紙どおり了解する。
追録1-No.1253 北郷久我、光久ニ謁ス
寛文八年十月、島津光久の娘が北郷宗次郎忠昭へ嫁いだ祝賀のため北郷久我が武州へ赴き、島津綱久に拝謁して金一分を賜った。翌寛文九年二月八日、忠昭邸へ招かれた光久にも拝謁し、青銅百疋を賜った記事。
追録1-No.1254 土屋数直書状
土屋数直が島津光久へ、帰国時の御礼使者が将軍御前へ召し出され、時服等を下されたとの報告を承知し、その謝意を老中間で相談して将軍へ伝えると答えた書状。
追録1-No.1255 鶴千代(光久女)系譜抄
綱久公御譜中に、「男女二十六人」の記載と女子鶴千代を掲げ、鶴千代は寛文八年十月二十三日に出生し、母は家の女房で、家臣頴娃主膳久明へ嫁いだ後に離別したと記す系譜抄。
追録1-No.1256 光久御鷹ノ鶴拝領ス
光久公御譜中に、同年十一月四日、執政が奉書を送り、御鷹之鶴を拝領して駅路で薩府へ届けたと記す。光久は使者をもって恩賜に謝し、肴一種を献上した。
追録1-No.1257 稲葉正則外三名幕府老中連署状
久世広之ら幕府老中四名が島津光久へ、将軍徳川家綱の機嫌がよいので安心するよう伝え、御鷹の鶴を拝領させるため宿駅継ぎで差し越すと知らせた連署状。
追録1-No.1258 久世広之書状
久世広之が松平大隅守へ、公方の様子を尋ねる使者に答え、公方はますます勇健なので安心するよう伝える。御肴一種を献じた件を各々相談して披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1259 稲葉正則外三名幕府老中連署状
久世広之ら幕府老中四名が島津綱久へ、翌二十八日から東叡山で法事が始まり、例月の御礼が行われないため登城に及ばないと通知した連署状。
追録1-No.1260 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌がよい旨を重く思うという知らせを承知したと返答する。国元の蜜柑二箱と御肴一種を献じた件を各々相談して披露し、一段の御仕合と伝える。
追録1-No.1261 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、重陽祝儀の呉服献上に対して将軍の御内書を頂戴し、使者にも時服を下されたとの報告を承知し、その謝意を老中間で相談して将軍へ伝えると答えた書状。
追録1-No.1262 稲葉正則外二名幕府老中連署状
土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、公方の様子を尋ねる使者に答え、公方はますます勇健なので安心するよう伝える。御羽織五と御肴一種の献上を披露し、一段の御仕合とする。来年の参勤時分について別紙の趣を承知し、先年の仰出どおり三月下旬に発足して参上するよう伝える。
追録1-No.1263 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、先頃御鷹之鶴を宿次で拝領したことへの謝意を承知したと返答する。御礼使者と肴一種の献上を受け、相談して披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。
追録1-No.1264 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、先頃、上使を介して同氏薩摩守が御鷹之鴈を拝領したことが大隅守まで伝わった旨を承知したと返答する。入念の段は各々相談して上聞に達したと伝える。
追録1-No.1265 徳川家綱御内書
家綱黒印の御内書が薩摩少将へ、歳暮の嘉祥として小袖十が到来して喜ばしく思うと伝え、詳しくは酒井雅楽頭が述べるとする。
追録1-No.1266 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、公方は勇健で、先月十日に隅田川筋へ鷹狩に出て機嫌よく還御したことを重く思う旨を承知したと返答する。紙面の趣は各々相談して上聞に達したと伝える。
追録1-No.1267 稲葉正則外二名幕府老中連署状
土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件を披露し、入念の段は御喜色と伝える。
追録1-No.1268 土屋数直書状
土屋数直が島津光久へ、宝樹院の遠忌法事が前年冬に東叡山で首尾よく行われ、将軍徳川家綱も参詣したとの報告を承知し、その内容を老中間で相談して将軍へ伝えると答えた書状。
追録1-No.1269 神戸主税起請文前書
神戸主税が、主命を親子・親類・兄弟にも漏らさず、主人に悪心・不忠を抱く者を見聞きした場合は残さず報告し、私心なく奉公すること、自身への疑いはいつでも糺明してよいことを神仏に誓った起請文前書。
追録1-No.1270 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、宝樹院の遠忌法事が首尾よく執行され、極月二日に将軍徳川家綱が東叡山へ参詣して機嫌よく還御したとの報告を承知し、その内容を老中間で相談して将軍へ言上すると答えた書状。
追録1-No.1271 稲葉正則外二名幕府老中連署状
土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、陽春の慶賀を述べ、公方の機嫌がよく年始の儀式も首尾よく済むであろうという祝意を承知したと返答する。使者に公方は勇健なので安心するよう伝え、御樽肴の献上を披露し、一段の御仕合とする。
追録1-No.1272 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、島津綱貴の元服・任官、松平氏と将軍諱字の拝領、腰物拝領を祝い、金武按司を祝儀使者として派遣し、目録記載の品々を贈ったことを喜び、詳しくは使者が説明すると答えた書状。
追録1-No.1273 北郷久加後見役辞任記事
北郷久加が病気のため後見役を辞して許され、寛文九年二月十六日に江戸を発った記事。光久・綱久と両夫人から餞別を受け、綱久から肩衣袴を拝領し、三月十九日に平佐へ着いた。晩年は平佐などへ移居し、綱貴の参勤・帰国時には隈之城仮屋へ招かれて盛膳を献じ、長年の勤労を賞された。
追録1-No.1274 島津綱久書状
島津綱久が琉球国司へ、前年五月八日付書状を受け取り、綱貴の四位侍従任官、松平氏と将軍諱字、腰物の拝領を琉球へ知らせたところ、金武按司を通じて祝儀と目録記載の品々が贈られたことを喜び、厚意に謝した書状。
追録1-No.1275 島津綱久書状
島津綱久が中城按司尚貞へ、前年五月八日付書状を受け取り、綱貴の四位侍従任官、松平氏と将軍諱字、腰物の拝領を琉球へ知らせたところ、金武按司を通じて祝儀品が届いたことを喜び、厚意に謝した返書。
追録1-No.1276 島津綱久書状
島津綱久が琉球国司へ、前年五月八日付書状を受け取り、綱貴の四位侍従任官、松平氏と将軍諱字、腰物の拝領を琉球へ知らせたところ、金武按司を通じて祝儀と目録記載の品々が贈られたことを喜び、厚意に謝した御判付き書状。
追録1-No.1277 島津綱久書状
島津綱久が中城王子尚貞へ、前年五月八日付書状を受け取り、綱貴の四位侍従任官、松平氏と将軍諱字、腰物の拝領を琉球へ知らせたところ、金武按司を通じて祝儀品が届いたことを喜び、厚意に謝した御判付き返書。
追録1-No.1278 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、自身の元服、四位侍従任官、松平氏と将軍諱字、腰物の拝領を知らせたところ、金武按司を通じて目録記載の祝物が贈られたことを喜び、末永く受納すると謝した書状。
追録1-No.1279 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝であるとの報告を承知し、織田内記信久との屋敷替えが将軍の御前で認められたとの知らせと使者派遣を受け、老中間で相談して将軍へ報告すると答えた書状。
追録1-No.1280 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝であるとの報告と、先に命じられた三月下旬の国元出発・参府を承知した旨を受け、礼使派遣の丁寧さを老中間で相談して将軍へ言上すると答えた書状。
追録1-No.1281 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝で、正月二十日に東叡山の御堂へ参詣し機嫌よく還御したとの報告を承知し、その丁寧な知らせを老中間で相談して将軍へ言上すると答えた書状。
追録1-No.1282 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、公方の健勝と正月二十七日の隅田川筋鷹狩からの機嫌よい還御について、祝意を承知したと返答する。歳暮祝儀の呉服献上に対する御内書と使者への時服について謝意を承知し、別紙の趣にも触れ、紙面の趣は各々相談して上聞に達したと伝える。
追録1-No.1283 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、大坂川口・淀川筋の普請役を命じられたことを承知したとの報告を受け、その旨を了解し、丁寧な書面を老中一同が披見したと答えた書状。
追録1-No.1284 島津光久参勤記事
光久が寛文九年三月二十二日に鹿児島を発し日州路を取り、四月二十一日に細島津から乗船、五月七日に大坂、二十五日に江府へ着く。町田忠代・肝付兼方らが供奉し、諏方兼延・相良長清・喜入久甫が使役を担う。翌日稲葉正則が上使として慰労し、二十八日登城で太刀一腰・猩々皮十間・羅紗十間・御馬代白銀五千両を進献し、領…