← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 2001~2100件・21 / 28ページ

  1. 追録1-No.1980 島津光久達書

    島津光久が島津久寿へ、佐土原騒動に関する家老・家臣の証言、松木三郎五郎・村上三太夫らの嫌疑、黒貫寺隠居の風説を精査し、関係者を召喚・留置して偏りなく吟味し、家中を安定させるよう条々に命じた達書。

  2. 追録1-No.1981 相良長清外二名連署書状

    中神内蔵丞・村田為左衛門経景・相良主税長清が椛山主馬らへ、御用を命じられ翌二十五日に赴くと伝える。式部少輔と島津右京が同座して各人に命令を申し伝えるよう指示されたが、右京は当分遠所にいるので、こちらから参るよう望まれた場合には面会できると知らせる。

  3. 追録1-No.1982 椛山久孝外二名連署書状

    浅山高重・宇宿久運・椛山久孝が相良主税・村田為左衛門・中神内蔵丞へ、御用のため今日こちらへ来るとの知らせを承知し、式部少輔・右京と自分たちへ命令を伝える件を受けたと返答する。遠所の右京のためにもこちらへ来て念を入れる意向を承知し、右京へ伝えたと述べ、対面時の相談を期す。

  4. 追録1-No.1983 島津久也書状

    島津久也が相良長清へ、村田経景・中神内蔵が来着し、光久の命令を島津久寿へ伝える予定であること、近辺にいる者や逃亡者の処置、使者の取扱いについて自身の考えを述べた書状。

  5. 追録1-No.1984 相良長清外二名連署達書

    相良長清・村田経景・中神内蔵が仁礼覚左衛門・高橋左門へ、村上三太夫らを高岡で伊集院宮内へ引き渡し、籠輿に乗せて天候に応じ海路または陸路で福山方面へ送るよう命じた連署達書。

  6. 追録1-No.1985 喜入久亮、家老職ニ任ス

    喜入久亮が貞享三年七月二十五日に家老職へ任じられたことを記す譜中記事。

  7. 追録1-No.1986 某書状

    氏名不詳の使者らが鹿児島方へ、佐土原で光久の命令を久寿・久也らに伝え、村上三太夫を松木三郎五郎宅から引き渡させようとしたところ、籠居・発砲・放火に至り、死傷者・捕縛者が出た経過を報告した書状の写し。

  8. 追録1-No.1987 島津久寿書状

    島津久寿が島津図書らへ、光久の使者から命令を受け、罪科を申し付ける村上三太夫を松木三郎五郎宅から引き渡させようとしたが拒まれ、籠居者が発砲・放火して死傷・捕縛に至った経過を報告した書状。

  9. 追録1-No.1988 島津久也書状

    島津右京久也が島津図書方へ、光久からの使者が式部少輔方へ命令を伝えたが、村上三太夫は松木三郎五郎宅へ籠もっていたと報告する。前二十五日夜から退出を求めても三郎五郎とともに拒み、二十六日朝から門を閉じたため、申下刻に籠居側の男女三十余人を残らず討ち果たして落着したと記す。三郎五郎宅は自ら火を掛けて焼失…

  10. 追録1-No.1989 相良長清外二名連署書状

    相良長清・村田経景・中神内蔵が新納又左衛門方へ、村上三太夫・松木三郎五郎・森清兵衛らが説得に応じず、押し掛けたところ内から発砲し、自宅に放火したため、三人および籠居者を捕らえた顛末を報告した連署書状。

  11. 追録1-No.1990 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、将軍の健勝と、酒井忠挙が父忠清の遺跡を相違なく継ぎ継目の礼を済ませたとの知らせを承知し、差し越された使者の件を関係者と相談して上聞に達する旨を答えた書状。

  12. 追録1-No.1991 島津久寿書状

    島津久寿が島津図書へ、病気の島津右京を人手不足の佐土原へ戻して仕置を担当させるとの命令を伝え、右京が承知したこと、松木三郎五郎に関する処置の指示を承知したことを報告した書状。

  13. 追録1-No.1992 島津久寿覚書

    島津久寿が、松木三郎五郎の件について、父左門が知らなかったと申し立てていても重科であるとして、厳重な処置を命じるよう求めた覚書。

  14. 追録1-No.1993 島津久寿請書

    島津久寿が島津図書へ、光久の使者三名から受けた口上書に対し、家督と家中の仕置、病気の島津右京、松木一族・村上三太夫らの処置、役人任用、家中取締り、母の居所などの各条に逐一答え、今後も光久の指図を仰ぐ旨を述べた請書。

  15. 追録1-No.1994 島津久寿口上覚

    島津久寿が島津図書へ、村上三太夫らの不届を受けて松木三郎五郎宅へ使者を送り、籠居・発砲・放火に至った処置と、関係者の吟味・処罰、家中への影響、今後の指図を仰ぐ事項を条々に記した口上覚。

  16. 追録1-No.1995 討手々負并死人書付

    松木三郎五郎宅の討手について、物頭・普請奉行・引纏人数・左門役儀の者、討ち果たされた者、戦死・負傷した討手、焼死者、三太夫の妻子・三郎五郎の母ら関係家族、焼失家屋を列挙した書付。

  17. 追録1-No.1996 討手々負并死人書付

    七月二十六日の松木三郎五郎宅討入りについて、負傷者とその後の死亡者、討ち捨てた三十四人、灰燼内外で確認した者、三太夫らの妻子・奉公人、七月二十八日に斬罪とした十二人を列挙した書付。

  18. 追録1-No.1997 新納久了書状

    新納久了が相良長清ら三使者へ、村上三太夫らが松木三郎五郎宅に籠居したとの報告と、三人を討ち果たしたとの続報を受領したこと、大久保忠朝への既往の伺いも踏まえ、光久への報告と今後の処置について詳しい返答を求めた書状。

  19. 追録1-No.1998 島津久竹外四名家老連署書状

    島津久竹ら家老五名が種子島蔵人・肝付主殿へ、佐土原家中の不穏を受け三使者を派遣し、村上三太夫らが松木三郎五郎宅に籠居して発砲したため討手を差し向け、屋敷焼失・死傷者発生に至った経過を知らせ、口外を慎むよう求めた連署書状。

  20. 追録1-No.1999 島津光久書状

    島津光久が大久保加賀守へ、久寿家中の村上三太夫と松木左門一類の不届を処置するため召し寄せたが、三太夫が松木三郎五郎宅に籠居して応じず、七月二十六日に討ち果たしたことを報告し、処置の了承を求めた書状。

  21. 追録1-No.2000 島津久寿書状

    島津久寿が肝付主殿へ、家中の松木三郎五郎・村上三太夫に不届があり七月二十六日に討ち果たしたこと、幕府への言上もあり得るため宇宿伝左衛門・能勢惣左衛門を差し上せたことを伝え、光久へ披露して指図を仰ぐよう求めた書状。

  22. 追録1-No.2001 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守の留守居へ、端午の将軍御内書を渡すため、翌日四つ時に留守居一人を江戸城へ参上させるよう通知した書状。

  23. 追録1-No.2002 宮城監物書状

    宮城監物が木脇刑部左衛門へ、大隅守領内の西長目に漂着した安南船の唐人五十八人が警固付きで廻送され、人数に相違なく受け取り、警固役を帰したこと、唐人差出帳面も受領したことを報告した書状。

  24. 追録1-No.2003 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、年始の祝儀として書状と目録記載の贈物を受け取ったことを喜び、後日の慶事を期す旨を答えた書状。

  25. 追録1-No.2004 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、下屋敷の新宅が完成して前年九月六日に移徙した祝いとして、使者の具志頭親方と目録どおりの祝物を受け取り、喜んだ旨を答えた書状。

  26. 追録1-No.2005 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、前年に又三郎が無事に将軍へ御目見したことへの祝儀として、使者の城名城親方と目録どおりの贈物を受け取り、喜んだ旨を答えた書状。

  27. 追録1-No.2006 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、改年の祝詞として書状と目録どおりの贈物を受け取ったことを喜び、後日の慶事を期す旨を答えた書状。

  28. 追録1-No.2007 島津綱貴書状

    侍従綱貴が中城王子へ、去夏に又三郎が首尾よく御目見した件に喜びを示し、その祝儀として別録の品が到来したことを欣然と受け、後喜を期すと返答する。

  29. 追録1-No.2008 大久保忠朝外二名幕府老中連署状

    大久保忠朝・戸田忠昌・阿部正武が松平大隅守へ、八朔の祝儀として献上された太刀一腰と馬代黄金十両を将軍へ披露した旨を通知した連署状。

  30. 追録1-No.2009 宮城監物書状

    宮城監物が島津図書・中務・大学・新納又左衛門へ、去る六日に家来方へ届いた使札を拝見したと返答する。佐土原の島津式部少輔家来を討ち果たした際の手負・死人の人数書付を送り、一見し、市来治左具に伝えて念を入れたという旨を承知したと述べる。

  31. 追録1-No.2010 大久保忠朝外三名幕府老中連署奉書

    牧野成貞・戸田忠昌・阿部正武・大久保忠朝が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、切支丹宗門は長年取り調べ、近年は沙汰がないが、不審な宗門の者が出たと聞けば一層油断なく吟味するよう命じる。また長崎表は大切な場所なので、万一常と異なる異国船などが来れば早速長崎奉行へ相談するよう求め、両条を常々心掛けるよう指示…

  32. 追録1-No.2011 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、将軍の機嫌を伺いたいとの意向を承知し、差し越された使者へ将軍健勝を伝え、献上された肴一種を関係者と相談して披露した旨を答えた書状。

  33. 追録1-No.2012 島津綱貴口上書

    島津綱貴が使者伊勢貞以を通じ、島津久寿の在所佐土原で家来同士の出入があったことを承知し、大隅守からも使者による報告があるはずだが遠国ゆえ遅れるとして、先に事情を伝えた口上書。

  34. 追録1-No.2013 伊勢貞以覚書

    伊勢貞以が、大久保加賀守からの返事として、島津久寿家来の出入について使者の口上を承知したこと、大隅守からの使者を待つので直ちに重ねて報告する必要はなく、詳報到着後に改めて届ける旨を記した覚書。

  35. 追録1-No.2014 島津光久口上書

    島津光久が、久寿の在所仕置を相談する使者を派遣した際、家来村上三太夫と松木左門一類が不届のため仕置を妨げ、三太夫が松木三郎五郎宅に籠居して命令に従わず、七月二十六日に討ち果たした経過を説明した口上書。

  36. 追録1-No.2015 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、島津式部少輔家来の者に不届きがあり討ち取った旨の報告を承知し、差し越された使者から示された書面を関係者一同が一覧したと答えた書状。

  37. 追録1-No.2016 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守留守居へ、大隅守の帰国御礼使者である桂外記を翌朝五時以前に江戸城へ出仕させ、外記自身の御礼も申し上げるよう伝達を命じた書状。

  38. 追録1-No.2017 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守留守居へ、桂外記を翌五日の四時に江戸城へ出仕させるよう伝達を命じた書状。

  39. 追録1-No.2018 大久保忠朝外二名幕府老中連署状

    大久保忠朝・戸田忠昌・阿部正武が松平大隅守へ、将軍の健勝を喜ぶ旨と、暇を賜った際の白銀・時服・馬の拝領への謝意を承知し、帰国御礼使者が目録どおり献上したところ、使者が将軍御前へ召し出され喜ばれたと通知した連署状。

  40. 追録1-No.2019 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平大隅守へ、公方の御能への祝意と、その節に同氏薩摩守が拝見を許されたことへの謝意を承知し、各人で相談して首尾よく披露したと返答する。

  41. 追録1-No.2020 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、重陽の祝儀として小袖五領が到来したことを喜び、委細は阿部豊後守正武から伝えるとした御内書。

  42. 追録1-No.2021 評定所達書

    評定所が新納近江へ、馬の筋を延べることは前年に公儀が禁じ、その後も二度申し渡したと記す。国の馬は他国でも見知っているため、万一拵馬が他領へ出て処置を受ければ御難題になるとして、拵馬をしないよう堅く命じる旨を伝える。徹底が緩ければ当人、事情によって主人まで処罰すると、琉球方へ申し渡すよう指示する。

  43. 追録1-No.2022 島津光久公帖

    島津光久が不門西堂へ、正興寺住持職を先例に従って執務するよう命じた帖。

  44. 追録1-No.2023 家老副状

    島津家家老が不門西堂へ、法燈派で出世した同人が大龍寺住持として当地へ下向するに当たり五山派へ改めたことを踏まえ、先例により正興寺住持職西堂相当の公文を給付するので頂戴するよう伝えた副状。

  45. 追録1-No.2024 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、今歳の嘉儀として使者と書簡を差し越し、恒例に準じ別録どおりの贈物を贈られたことを喜び、委細は使者が述べると答えた書状。

  46. 追録1-No.2025 島津光久書状

    中将光久が琉球国司へ、又三郎が首尾よく御目見したことへの祝意を承知し、祝詞として坡名城親方を差し越して目録どおり贈物を送られたことを欣然と受け、後喜を期すと返答する。

  47. 追録1-No.2026 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、先方が変わりなく平穏であることを喜び、こちらも無事なので安心するよう伝え、毛天鵞二巻と石斛鉢三の贈物に謝意を表した書状。

  48. 追録1-No.2027 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、松平日向守が病気療養の甲斐なく死去したとの報告と使者派遣を承知し、書面の内容を関係者と相談して言上したと答えた書状。

  49. 追録1-No.2028 評定所達書副状

    川村少左衛門が三司官衆へ、馬筋を延べる件は当春に御書付をもって申し渡され、このたび薩州様から重ねて念を入れて申し渡されたため、評定所の御書付写一通を差し越すと伝える。この取次は新納近江の差図によると述べる。

  50. 追録1-No.2029 島津光久伺書

    島津光久が幕府へ、佐土原で逆意を企てた松木三郎五郎・村上三太夫を討った後、松木左門とその二男・三男も悪意の中心人物の親兄弟であるとして、島津久寿が三人に切腹を命じたいと申し出た件に同意し、処置の内意を伺った文書。

  51. 追録1-No.2030 伊勢貞以口上書

    伊勢貞以が、大久保忠朝から松木左門と二男・三男の処置について直接相談を受け、三郎五郎・村上三太夫の佐土原での逆意を踏まえ切腹を命じる内意を承知し、当面は三人を従来どおり拘置して中将へ伝えるよう求められた経過を記した口上覚書。

  52. 追録1-No.2031 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、使者を通じた将軍の機嫌伺いに対し将軍は健勝なので安心するよう伝え、献上された肴一種を関係者と相談して披露したと答えた書状。

  53. 追録1-No.2032 大久保忠朝外二名幕府老中連署奉書

    大久保忠朝・戸田忠昌・阿部正武が松平大隅守へ、将軍の健勝を喜ぶ旨を承知し、使者を通じて伺われた参勤時期について、来年四月中に参府するよう命じられたと通知した連署奉書。

  54. 追録1-No.2033 川口宗恒書状

    川口宗恒が木脇刑部左衛門へ、大隅守家老から先に連絡のあった大泊崎漂着の福州船一艘について、人数等を改めて相違がなかったため警固を添えて送られ、当湊で着船・受領したと報告した書状。

  55. 追録1-No.2034 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守留守居へ、重陽の御内書を渡すため、翌日五半時に留守居一人を江戸城へ出すよう命じた書状。

  56. 追録1-No.2035 阿部正武書状

    阿部豊後守正武が松平大隅守へ、寒中に使者を通じて伺われた公方の機嫌について、勇健なので安心するよう返答する。御羽織五と御肴一種の献上を各人で相談して首尾よく披露したと伝える。

  57. 追録1-No.2036 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、清国への謝恩使者池城親方が北京から無事帰帆したことを喜び、池城を通じて目録どおりの贈物を受けた厚意に謝し、後日の便りを期した書状。

  58. 追録1-No.2037 綱貴、琉球渡金高覚書ヲ受ク

    貞享三年十二月十五日、島津綱貴が登城し、幕府老中が列座する場で、薩摩・大隅から琉球へ渡す金高を制限する覚書一通を与えられた記事。

  59. 追録1-No.2038 琉球渡金高制限覚書

    幕府が島津綱貴へ、薩摩・大隅両国から琉球へ行う年々の商売について、今後の金高を二千両までに限り、それを超える金銀や琉球で不要な品、調達を妨げる品を送らないよう定めた覚書。

  60. 追録1-No.2039 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、将軍の健勝を喜ぶ旨を承知し、献上された地蜜柑二箱と肴一種を関係者と相談して首尾よく披露したと答えた書状。

  61. 追録1-No.2040 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、将軍が品川御殿へ出御し機嫌よく還御したことを喜ぶ旨を承知し、書面の趣旨を関係者と相談して言上したと答えた書状。

  62. 追録1-No.2041 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、歳暮の祝儀として小袖五重が到来したことを喜び、委細は松平日向守から伝えるとした御内書。

  63. 追録1-No.2042 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの謝意を承知したと返答する。旧冬に同氏薩摩守へ上使を介して御鷹之雁が下された件について、書状の趣旨を相談して上聞へ達したと伝える。

  64. 追録1-No.2043 某覚書

    日光御門主からの仰せとして、高巌院殿は将軍と対面せず養子契約もなかったため養母ではなく嫡母とし、桂昌院を重く扱い、服忌は通常の実母より縁の程度を半減して定めることを、京都の禁中方の例も照会した上で示した覚書。

  65. 追録1-No.2044 大久保忠朝書状

    大久保加賀守忠朝が松平大隅守へ、陽春の慶賀と、公方の機嫌がよく年始の規式も済むはずとの祝意を承知し、安否伺いの使者に勇健を返答する。二種・双樽の献上を各人で相談して首尾よく披露したと伝える。追書では、日光御門主からの指示を下々も守るよう伝える。

  66. 追録1-No.2045 光久参勤ス

    島津光久が貞享四年二月十日に鹿児島を発ち、家老島津久輝・久寛らを伴って伏見・大坂を経由し江戸へ参勤した経過を記す記事。病気のため直ちに朝宗の礼を行えず、五月二十五日に登城して将軍へ拝謁し方物を献上した。

  67. 追録1-No.2046 島津久儔誕生

    周防久儔一流系図に、久儔が貞享四年二月十三日に武州江戸芝邸で誕生し、母は江田五兵衛国重入道道用の女で、綱貴の二男であると記す。初名忠英、久通・久陳、幼名虎徳丸、三郎五郎・又八郎・周防の呼称を掲げ、享保十四年十月三日卒、法名無涯性海の注を付す。

  68. 追録1-No.2047 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、薩摩・大隅・琉球へ今後渡す商売金高についての照会を承知し、旧幕府老中へ相談して得た回答を、差し越された使者へ書面どおり示したと答えた書状。

  69. 追録1-No.2048 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、将軍の健勝と正月八日の東叡山仏殿参詣を喜ぶ旨を承知し、書面の趣旨を関係者と相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  70. 追録1-No.2049 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、将軍の健勝と正月二十日の叡山御堂参詣を喜ぶ旨を承知し、書面の趣旨を関係者と相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  71. 追録1-No.2050 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、将軍の健勝と正月二十四日の増上寺仏殿参詣を喜ぶ旨を承知し、書面の趣旨を関係者と相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  72. 追録1-No.2051 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、将軍の健勝と先頃の小石川御殿への出御を喜ぶ旨を承知し、その意向を詳しく将軍へ伝えたと答えた書状。

  73. 追録1-No.2052 龍眼植場坪付

    佐多伊坐敷村内の龍眼植場について、下屋敷・大豆武・高武等の区画寸法を記し、平田清右衛門が御物座から証文を受け、後年の植場替えに備えて記録した坪付目録。

  74. 追録1-No.2053 徳川綱吉御内書

    徳川綱吉が薩摩中将へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が到来したことを喜び、委細は大久保加賀守忠朝から伝えるとした御内書。

  75. 追録1-No.2054 島津久竹書状

    島津久竹が野村勘兵衛・調所藤内左衛門へ、薩州様に男子が誕生し、二階堂十郎右衛門が養育を命じられ、二階堂虎徳と命名されたことを伝え、その健勝を祝して祝儀を申し上げるよう求めた書状。

  76. 追録1-No.2055 島津久元書状

    島津久元が野村勘兵衛・調所藤内左衛門へ、薩州様に男子が誕生し二階堂虎徳と命名されたことを伝え、その健勝を祝して祝儀を申し上げるよう求めた書状。

  77. 追録1-No.2056 北郷忠香、虎徳丸誕生奉賀使トナル

    北郷忠香が、島津綱貴の二男虎徳丸の江戸誕生を祝う使者として江戸へ赴き、六月二十八日に芝屋敷で綱貴へ拝謁して白銀一枚を拝領した記事。

  78. 追録1-No.2057 登城令書

    翌二十五日五時過ぎに江戸城へ出るよう、松平大隅守家来の島津縫殿へ命じた登城令書。

  79. 追録1-No.2058 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、翌二十五日五時過ぎに登城して参勤の御礼を申し上げるよう命じた書状。

  80. 追録1-No.2059 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、献上された馬二疋について稲垣安芸守と相談し、首尾よく披露したと答えた書状。

  81. 追録1-No.2060 阿部正武書状

    阿部正武が松平大隅守へ、琉球布十巻・泡盛酒二壺などの献上品を首尾よく披露したと答えた書状。

  82. 追録1-No.2061 中山直守・戸田直武連署書状

    中山直守・戸田直武が松平大隅守へ、相渡す書物があるため翌日に家来一人を中山丹波守宅へ差し向けるよう求めた連署書状。

  83. 追録1-No.2062 綱貴、綱吉ニ家督ヲ礼謝ス

    病気と高齢で歩行が不自由となった島津光久が隠居を願い、嫡孫綱貴が家督を相続した後、綱貴らが登城し、綱吉へ家督相続を礼謝して太刀・品物を献上した経緯を記す記事。

  84. 追録1-No.2063 島津光久願書

    島津光久が老中三名へ、長年の筋気で歩行が不自由となり、七十二歳にもなったため隠居し、同名薩摩守綱貴へ家督を相続させたいと願い出た願書。

  85. 追録1-No.2064 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、用向きがあるため翌二十七日四時に同姓薩摩守を伴って登城するよう命じた書状。

  86. 追録1-No.2065 老中書状副状

    老中書状に添えた口上覚で、松平大隅守が持病で不快ならば、島津式部少輔久寿を名代として差し出してよいと伝えた副状。

  87. 追録1-No.2066 島津光久願書

    島津光久が老中三名へ、長年の筋気で歩行が不自由となり、七十二歳にもなったため隠居し、同名薩摩守綱貴へ家督を相続させたいと願い出た願書の別収録。

  88. 追録1-No.2067 伊地知重興書状

    伊地知八右衛門重興が是枝治部右衛門・新納仲左衛門へ、五月十六日付状を受けた礼を述べ、虎徳誕生の祝儀について葉瑞孫六が江戸に登り、使者の役目が首尾よく済んだことを喜ぶ。内匠の御子方と又八も堅固である旨を喜び、自身は現在大坂にいると伝える。

  89. 追録1-No.2068 中山直守・戸田直武連署書状

    中山直守・戸田直武が松平大隅守へ、相渡す書物があるため翌日に家来一人を中山丹波守宅へ差し向けるよう求めた連署書状の別収録。

  90. 追録1-No.2069 老中書状副状

    松平大隅守が持病で不快ならば、島津式部少輔久寿を名代として差し出してよいと伝える老中書状副状の別収録。

  91. 追録1-No.2070 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、用向きがあるため翌二十七日四時に同姓薩摩守を伴って登城するよう命じた書状の別収録。

  92. 追録1-No.2071 綱貴家督相続次第

    綱貴公御譜中に、貞享四年七月二十七日、綱貴が登営し、忠朝・忠昌・正武の列座下で、光久の願いによる隠居と、薩隅・日向諸県郡および琉球を綱貴へ継がせる命令を受けたと記す。同年八月七日に家督相続の礼として綱吉へ太刀一腰・帷子五十・馬代白銀千枚を献じ、御台所へは肴一種・縮緬五十巻・白銀五十枚を別に献上する。…

  93. 追録1-No.2072 島津久房系譜抄

    光久の十七男求馬久房の譜中に、貞享四年七月二十七日、光久が隠居して下屋敷へ移る時、命により久房も供をして移ったと記す。

  94. 追録1-No.2073 大久保忠朝外二名連署状

    大久保忠朝・阿部正武・戸田忠昌が松平大隅守へ、端午の御内書を渡すため翌三日四時以前に家来一人を江戸城へ差し向けるよう命じた連署状。

  95. 追録1-No.2074 大久保忠朝外二名連署状

    大久保忠朝・阿部正武・戸田忠昌が松平大隅守へ、翌七日の松平薩摩守の家督御礼に際し、病気で登城できなければ使者に進物を持たせ四時以前に差し出すよう命じた連署状。

  96. 追録1-No.2075 島津久寛、綱貴ニ従ヒ登営ス

    八月七日の島津綱貴による柳営での家督御礼に、家老四人の一人として島津久寛が随従し、将軍へ太刀・銀馬代・時服を献上した記事。

  97. 追録1-No.2076 島津忠守外三名連署覚書

    琉球勝連の沖にある島へ漂着した異国船について、船の規模・乗組員・武器・漂着事情を問い、琉球への曳航、勝連での監視、船具・貨物の保全、私取引防止などの対応を報告した四名連署覚書。

  98. 追録1-No.2077 大久保忠朝書状

    大久保忠朝が松平大隅守へ、翌二十五日四時以前に登城し、隠居の御礼を申し上げるよう命じた書状。

  99. 追録1-No.2078 島津光久書状

    島津光久が中城王子へ、年例の賀詞と贈物目録を受け取り喜んだと返答し、今後の慶事を期した書状。

  100. 追録1-No.2079 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、年始の賀詞と贈物目録を受け取り、厚意を喜んだと返答した書状。