ARCHIVE DIRECTORY
追録1の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
全2,718件中 1701~1800件・18 / 28ページ
追録1-No.1681 三枝守真書状
三枝守真が島津光久方へ、島津飛騨守忠高の死去を聞き、まことに残念であるとして、弔意を大隅守へ伝えるよう肝付弁に依頼した書状。
追録1-No.1682 松平綱利書状
松平綱利が島津光久へ、同氏島津飛騨守忠高の死去を聞いて哀惜し、弔意を述べた書状。
追録1-No.1683 稲葉正則外二名幕府老中連署奉書
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、琉球に来着した福州方面の使者が軍用硫黄を求めた件について、使者書翰三通と中山王の意見書を受理し、硫黄を渡すよう中山王へ返書することを命じた連署奉書。
追録1-No.1684 稲葉正則外二名幕府老中連署奉書
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、琉球来着の使者による軍用硫黄所望と書翰・中山王意見書の提出を受け、硫黄を渡し中山王へ返書するよう重ねて命じた同件の連署奉書。
追録1-No.1685 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津綱貴へ、重陽の祝儀として小袖五領を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1686 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、中城王子が初めて渡海して長く滞在した間に十分な馳走はできなかったものの、たびたび対面できたことを喜び、無事帰着の報と謝礼使の越来親方および贈物に謝意を述べた書状。
追録1-No.1687 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、島津綱貴が参勤の御礼をした際、将軍が光久の病状を懇ろに尋ねたとの上意が伝えられ、光久が恐縮した旨を承知したと返答した書状。
追録1-No.1688 稲葉正則外二名幕府老中連署状
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、帰国後の礼使として島津豊前と羅紗十間・樽を差し越した件を将軍へ披露したところ、使者が召し出され、入念な勤めを喜ばれたと伝えた連署状。
追録1-No.1689 牛込勝定書状
牛込忠左衛門勝定が松平大隅守方へ、琉球中山への福州上将軍による硫黄所望の件で、先に家来へ内意を伝えた旨を記す。琉球への硫黄渡海を一刻も早く取り計らうよう江戸へ申し上げたところ、昨夜宿次で奉書が届いたので、直ちに進達すると知らせる。
追録1-No.1690 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意と、先日上使を通じ同氏薩摩守が御鷹之雲雀を拝領したとの報告を承知し、書面どおり諸老中と相談して高聞に及べたと返答する。
追録1-No.1691 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、息女の縁組が願いどおり御前で相済んだことへの謝意を承知し、その礼として使者を通じ白鳥一を献上した件を諸老中と相談して披露し、一段の御仕合と返答する。旧白鳥一羽の羽を除き、白鳥の原称を保持して現代種や生体・食品別は確定しない。
追録1-No.1692 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、島津新八郎の御目見について島津綱貴の願いどおり将軍の前で許可され、七月二十八日に首尾よく御礼を申し上げた旨を承知したと返答した書状。
追録1-No.1693 織田貞置書状
織田貞置が島津光久へ、光久が息災であることを喜び、光久息女の縁組が願いどおり仰せ出されて大慶であろうと察し、老中へ使者を出したことはもっともで、自身も格別にめでたいと祝った書状。
追録1-No.1694 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、御台様の不例を聞いて機嫌伺いの使札を差し越したものの、御逝去のため将軍の上聞には達しなかったと知らせ、入念な配慮に謝意を示した書状。
追録1-No.1695 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、御台様の逝去について弔意を述べた光久の使者が来たため、その意向を関係者へ伝えたと返答した書状。
追録1-No.1696 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、島津綱久の不慮の死を悼んだ琉球側が弔問のため亀山親方を差し越したことに謝意を述べた書状。
追録1-No.1697 島津光久書状(常照院弔慰への謝意)
少将光久が琉球国司へ、常照院の死去について使者真栄里親雲上を通じ弔札を寄せたことに謝し、哀惜を推察すると述べる。
追録1-No.1698 土屋数直書状
土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌を尋ねる使者を承知し、公方は勇健なので安心するよう伝え、入念の段を諸老中と相談して言上したと返答する。
追録1-No.1699 島津久寿、惟久の家督代となる記事
島津忠高が死去し、嫡子万吉が幼少であったため、叔父島津主膳の嫡子又吉久寿を家督代として忠高の遺領を相続させ、万吉が十五歳になれば遺領を譲るという忠高の臨終願いが、島津光久の請願により幕府から許可されたことを記す記事。
追録1-No.1700 稲葉正則外二名幕府老中連署状
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、島津忠高の遺領を、実子万吉が幼少の間は島津主膳の子又吉久寿に相続させ、万吉が十五歳になれば違いなく譲るという臨終願いをそのまま認め、使者を差し越した入念な対応も将軍へ伝えるとした連署状。
追録1-No.1701 土屋数直書状
土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌を尋ねる使者を承知し、公方は勇健なので安心するよう伝える。御肴一種の献上を諸老中と相談して披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1702 土屋数直書状
土屋数直が松平大隅守へ、高厳院殿の法事に際して使者を通じ御香奠を献上した件と、東叡山奉納の件について、諸老中と相談して言上すると返答する。
追録1-No.1703 久世広之書状
久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、領国の龍眼肉一壺・御肴一種の献上を諸老中と相談して披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1704 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、先頃増上寺で火災があったものの御仏殿は無事であったことを光久が喜んだ旨を承知したと返答した書状。
追録1-No.1705 島津光久御鷹の鶴拝領記事
光久公御譜中に、同年十一月二十二日、奉書により御鷹が捕らえた鶴一雙を賜り、駅次で贈ったと記す。使者をもって謝し、御肴一種を献上した。使者への下賜は例のごとしという。
追録1-No.1706 稲葉正則外二名幕府老中連署状
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、将軍の機嫌がよいことを伝え、将軍の鷹が捕えた鶴を光久が拝領するため宿次で差し越すと知らせた連署状。
追録1-No.1707 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、将軍の機嫌がよく、光久の使者による機嫌伺いに対して健勝なので安心するよう伝え、御香一種の献上も披露して喜ばれたと返答した書状。
追録1-No.1708 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、将軍の機嫌がよいことを伝え、光久が帰国時の御礼として差し越した使者が将軍に召し出され、時服を下賜された旨を承知したと返答した書状。
追録1-No.1709 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、将軍の機嫌がよいことを伝え、光久が蜜柑二箱と御香一種を献上した件を関係者で相談して披露し、よい仕合せであったと返答した書状。
追録1-No.1710 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、寒気にも公方が勇健であると伝え、御羽織五・御肴一種の献上を諸老中と相談して披露し、入念の段が喜ばれたと返答する。
追録1-No.1711 島津久竹外五名家老連署寄進状
島津久竹ら家老が恵燈院へ、高百斛を泰清院の菩提料として寄進し、その所務によって諸事を調えるよう命じた連署寄進状。
追録1-No.1712 稲葉正則外二名幕府老中連署奉書
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、参勤時期を使者により伺った件について、将軍の指示として翌年七月に中国の領国を出発し参府するよう命じた連署奉書。
追録1-No.1713 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1714 稲葉正則外二名幕府老中連署状
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、年頭の祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を披露し、喜ばれたと伝えた連署状。
追録1-No.1715 土屋数直書状
土屋数直が松平大隅守へ、公方の勇健を伝え、前年冬の隅田川筋鷹狩御成と機嫌よい還御を知らせた件への謝意・祝意を承知し、諸老中と相談して言上したと返答する。
追録1-No.1716 土屋数直書状
土屋数直が松平大隅守へ、島津又吉が飛騨守の遺領を相違なく拝領したとの報告を承知し、使者派遣の入念の段を諸老中と相談して高聞に及べたと返答する。
追録1-No.1717 稲葉正則書状
稲葉正則が松平大隅守へ、前年重陽祝儀の呉服献上に御内書を頂戴し、使者にも時服を下されたことへの謝意を承知し、諸老中と相談して言上すると返答する。
追録1-No.1718 稲葉正則外二名幕府老中連署状
土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、旧冬の御鷹之鶴宿次拝領への謝意を承知したと返答する。礼使と御肴一種献上の趣旨を披露し、御前に召し出され、入念のことで喜色であると伝える。
追録1-No.1719 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、前年冬に東叡山で宝樹院殿の遠忌法事が首尾よく執行され、将軍が参詣して機嫌よく還御した旨を光久が承知したことについて返答した書状。
追録1-No.1720 久世広之書状
久世広之が松平大隅守へ、新春の慶賀は限りなく、年始の諸規式は首尾よく済み、公方の機嫌もよいので安心するよう伝える。使者を通じた御樽肴の献上を諸老中と相談して披露し、一段の御仕合と返答する。
追録1-No.1721 石丸定次書状
石丸定次が島津光久へ、前年十二月二十七日に法皇御所から出火して女院御所へ燃え移り、両御所が焼失したものの早く鎮火したことを知らせ、光久の丁重な見舞いに謝意を述べた書状。
追録1-No.1722 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、前年十二月に御曲輪内で失火があったものの早く消し止めたとの報告を光久が承知したことについて返答した書状。
追録1-No.1723 久世広之書状
久世広之が島津光久へ、将軍の機嫌がよいことを伝え、参勤時期について先の奉書どおり承知したとの光久の返答を受け、使者を差し越した丁重な対応に謝意を示した書状。
追録1-No.1724 稲葉正則書状
稲葉正則が島津光久へ、将軍の機嫌がよいことを伝え、正月二十日に東叡山御堂、同二十四日に増上寺御仏殿へ参詣し、機嫌よく還御した旨を光久が承知したことについて返答した書状。
追録1-No.1725 上杉長之書状
上杉長之が島津光久へ、法皇・女院両御所の火災に際して上使を命じられ上京し、任務を首尾よく勤めたことを報告し、光久が早くから心配して知らせを寄せたことに謝意を述べた書状。
追録1-No.1726 稲葉正則外二名幕府老中連署奉書
稲葉正則ら老中三名が島津光久へ、薩摩鹿児島居城の乾方の門が破損したため、新規に建て直したいとの願いについて、提出絵図のとおり普請を命じてよいと許可した連署奉書。
追録1-No.1727 評定所達書
諸士相互の振舞を二汁二菜・引菜三色・吸物二つ・取肴三種の範囲に限り、檜物・折敷・台・盆を禁じる覚書写。近年猥りになっているため、先年の命令を守るよう求める。上洛衆への振舞・諸進物も親子兄弟以外は一切禁じ、与中へ厳しく申し渡す。
追録1-No.1728 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1729 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、福州上将軍の使者陳応昌らによる硫黄所望について幕府へ伺い、奉書で許可されたため、陳応昌が前年十一月二十四日に無事帰帆したことを喜び、御礼使の辺名知親雲上と贈物に謝意を述べた書状。
追録1-No.1730 島津光久書状
島津光久が中城按司へ、年始の祝儀として慣例の目録どおり贈物を受け取ったことに謝意を述べ、後日の喜びを期すとした書状。
追録1-No.1731 岡本千右衛門・徳永善左衛門連署起請文前書
岡本千右衛門と徳永善左衛門が、奉公に疎意なく勤め、親子兄弟にも隠密を漏らさず、納殿役人として奥方・蔵方のためよく留意して勤め、私曲を一切しないと誓う三条の起請文前書。
追録1-No.1732 島津光久参勤記事
島津光久が延宝五年六月晦日に鹿児島城を発し、出水・大坂・美濃路を経て九月四日に江戸へ到着し、家老・使役らが随従し、翌日に稲葉正則を上使として迎えた参勤行程を記す記事。
追録1-No.1733 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、年始の祝儀として慣例の目録どおり贈物を受け取り喜んだことを伝え、詳細は使者に述べさせるとした書状。
追録1-No.1734 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五領を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1735 島津綱貴帰国暇拝領記事
綱貴公御譜中に、延宝五年九月二十八日、上使土屋数直を通じて綱貴へ告があり、恩賜の品は先規どおりと記す。告の内容と品目は原文で省略されている。
追録1-No.1736 島津綱貴帰国記事
島津綱貴が延宝五年十月十三日に江戸を発ち、家老島津久馮らを従えて伏見・大坂・海路・日向細島を経て十一月十六日に鹿児島へ帰着し、帰国御礼の献上を行い、使者入来院重治が時服を賜った経過を記す記事。
追録1-No.1737 評定所達書
評定所が、歳暮・年頭の互いの祝物、定めた衣類以外の着用、金具を用いた車輪等、祝言と無関係な人見舞、鬼火など従来禁じられた行為を改めて停止し、違反者を支配方へ申し渡すよう命じた達書。
追録1-No.1738 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1739 島津忠広系譜抄
市正忠広譜中に、忠広が初め御屋地の養子となり豊州家の二男家として一家を立てた後、延宝六年二月十六日に光久の命で豊州家を辞し宗室の庶流へ復帰して、平兵庫忠朗の次弟として三男家に準じ一家を立てたと記す。延宝七年四月六日に家老職を辞し、元禄十六年八月三日に死去する。
追録1-No.1740 鹿児島下町出火記事
延宝六年四月四日夜四時、鹿児島下町で火災が起こり、明け方までに焼け残りなく下町が焼失したことを記す記事。
追録1-No.1741 島津光久帰国記事
島津光久が延宝六年四月七日に上使土屋数直から帰国命令と下賜品を受け、五月二十一日に江戸を発し、伏見・海路を経て鹿児島へ帰着し、帰国御礼の献上を行った経過を記す記事。
追録1-No.1742 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1743 島津綱貴参府記事
島津綱貴が延宝六年五月二十一日に参勤のため鹿児島を発ち、新納久了らを従え、久見崎から出船して伏見を経て江戸へ向かい、七月十一日に将軍家綱に関する記事へ続く参府行程を記す記事。
追録1-No.1744 東福門院崩御記事
延宝六年六月十五日に東福門院が崩御し、七月十八日に島津光久が使者野村右衛門綱昌を泉涌寺の尊霊前へ遣わし、御香奠として白銀三十枚を献上したことを記す記事。
追録1-No.1745 徳川光貞書状
徳川光貞が島津光久へ、東福門院の墓所へ使札を差し入れた光久の丁重な配慮に謝意を述べた書状。
追録1-No.1746 喜入久亮礼使参府記事
島津光久が延宝六年七月十七日に帰国すると、喜入久亮がその礼使として江戸へ赴き、将軍徳川家綱に拝謁して衣服を拝領したことを記す記事。
追録1-No.1747 島津忠智賀使参府記事
島津忠智が延宝六年八月十六日、将軍家の子誕生を賀する使者として江戸へ赴き、与力伊集院久明と家老川上久隆が従い、翌七年八月五日に帰国したことを記す記事。
追録1-No.1748 島津綱貴書状
島津綱貴が中城王子へ、年頭祝儀の芳札と二種の贈物を受け取り、慶事が重なり喜ばしいとして謝意を伝えた書状。
追録1-No.1749 松平定直書状
松平定直が島津光久へ、海陸を無事に進み先月十六日に国元へ到着して休息していることを喜び、領内渡海時の礼使や贈答への謝意を述べた書状。
追録1-No.1750 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1751 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、年頭祝儀の使書と恒例の目録に掲げた贈物を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは使者に述べさせるとした書状。
追録1-No.1752 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、二月十三日付書状で琉球の平穏と、清国の兵乱で長く滞在していた進貢使名嘉真親雲上が太平回復後の前年八月に帰帆したとの報告を承知し、贈物にも謝意を示した書状。
追録1-No.1753 松平義行書状
松平義行が島津光久へ、甲府宰相の逝去に際して丁重な書状を受けたことへの謝意を述べた書状。
追録1-No.1754 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1755 徳永善左衛門外二名連署起請文
川上瀬兵衛・岡本仙右衛門・徳永善左衛門が、主家への無二の奉公、悪事・風聞の速やかな上申、主人への中傷や仲介への批判の禁止、親子・夫婦間を損なう言動や食事をめぐる不正の禁止、代々の禁制遵守を誓った連署起請文。
追録1-No.1756 島津久邦鶴拝領礼使記事
豊州家豊後久邦譜中に、久邦が延宝七年正月元日、鶴拝領の御礼使として武城へ参り、二月十五日に将軍家へ拝謁したと記す。元禄四年四月二十五日の死去も記載する。
追録1-No.1757 島津久胤外五名連署証状
島津久胤ら六名が、御自分家の知行相続と女性の跡目、久四郎家からの名字相続に関する系図と関係者の年齢を掲げ、その由緒と相続方針を証した連署証状。
追録1-No.1758 島津久当系譜抄
島津久当の系統について、久四郎忠清から続く一流の系図を掲げ、出生・母方、光久の命による家筋の位置付けなどを記す系譜抄。
追録1-No.1759 島津光久参勤記事
光久は延宝七年四月十八日に参勤のため発ち、家老島津新八久馮、種子島久時、仁礼景治・大山綱道・相良長清らが従う。五月六日に久見で解纜し、六月二十一日に大坂、七月二十六日に江戸へ到着する。翌二十七日は上使大久保忠朝から台命による労いを受ける。光久は宿痾のため自ら登営せず、八月三日に島津甲斐久武を通じ、太…
追録1-No.1760 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津綱貴へ、端午の祝儀として帷子・単物数十を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1761 島津綱貴帰国記事
島津綱貴が延宝七年八月六日に帰国許可と下賜品を受け、十三日に江戸を発ち、大坂から出帆後に風雨で高城郡水引平島へ寄り、九月十五日に鹿児島へ到着し、久寧を礼使として江戸へ遣わして献上した経過を記す記事。
追録1-No.1762 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、年頭祝儀の使書と恒例の目録に掲げた贈物を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは使者に述べさせるとした書状。
追録1-No.1763 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、年頭祝儀の芳翰と恒例の太平布二十疋・蕉布二十端・焼酎三壺を受け取り喜んだことを伝えた書状。
追録1-No.1764 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津綱貴へ、重陽の礼節として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1765 北郷久加得度記事
北郷久加譜中に、延宝七年十月一日に綱貴へ願い出て剃髪し松雲と名乗り、長興山紹太寺の鉄牛和尚の禅関に入り、見之和尚の語録も参照したと記す。和歌・射術・剣術等を学び兵法を伝え、老後は法華経を総計六千部読誦し、父の追福と孫子の栄えを願った。
追録1-No.1766 於松(島津久洪女)誕生記事
島津久洪と島津光久の娘との間に延宝七年十月十日に生まれた於松が、島津綱貴の養女となって島津惟久へ嫁ぎ、惟久没後は諦観院と称し、延享二年八月九日に江戸三田館で六十七歳で死去したことを記す記事。
追録1-No.1767 園田成芳覚書
島津綱久が在国時には風雨にかかわらず毎年関狩を催したこと、正月十二日の強い西風の日の登城・帰城時刻、春山初狩に近方の外城衆や在郷の当地衆が例年どおり参加したことを記す覚書。
追録1-No.1768 池田某覚書
延宝八年正月十二日酉刻に鹿児島で火災が起こり、下級武士の家・町人屋・北部の屋敷などが焼失し、火元の田尻八兵衛を含む死者が百人余りに及んだことを記す覚書。
追録1-No.1769 延宝八年城下出火後の初狩参加覚
雑抄に、四年前の申年正月十二日の初狩日に鹿児島下方で大火があり、以後は城下諸士が一様に初狩へ登ることをやめ、六組を二つに分けて三組ずつ登らせたと記す。当年は一番組・二番組・五番組で、貞享元年の注を伴う。
追録1-No.1770 延宝八年田尻火事記事
雑抄に、延宝八年正月十一日、田尻八兵衛の失火により家屋八百四十九軒が類焼し、死者五十四人となり、田尻火事と呼んだと記す。当日は春山の関狩で組中が留主の許しを得て総出したため鎮火できなかったという。光久の代のこととの注を伴う。
追録1-No.1771 島津綱貴参府記事
島津綱貴が延宝八年四月十四日に参勤のため鹿児島を発ち、町田忠貞らを従えて大坂・伏見を経て江戸へ入り、将軍家へ献上し、のちに御太刀・銀・時服などを拝領した行程を記す記事。
追録1-No.1772 衣服・振舞等禁制
島津光久・綱貴が、身分に応じた衣服・織物・金糸等の制限、婚礼・振舞・贈答の簡素化、奉公人や女性の振舞、親族・客人との交際、旅先からの土産や進物などを規制し、倹約と身分秩序の徹底を命じた禁制。
追録1-No.1773 島津光久帰国記事
島津光久が鹿児島城下大火の報を受けて帰国暇を与えられ、延宝八年四月八日に江戸を発って美濃路・伏見・大坂・赤間関を経て帰国し、江戸・京都の関係者へ礼使と献上品を送った経過を記す記事。
追録1-No.1774 評定所達書
評定所が新納久了へ、鹿児島城下の前代未聞の大火を受けて諸事を簡略にし、相互の音信・贈答を停止し、琉球からの進上物以外は少量でも進物を無用とするよう申し渡した達書。
追録1-No.1775 島津久連誕生記事
島津忠朗一流の系図において、久連が延宝八年三月九日に生まれ、母が穎娃左京久甫の娘であったことを記す記事。
追録1-No.1776 島津久茂・亀千代誕生記事
綱久公御譜中の系譜図に、綱久の弟久茂と妹亀千代を掲げる。久茂は後に久倫と称し、源七・権七・備中の称があり、延宝八年九月二日誕生、母は家の女房で、家臣島津壱岐久佑の養嗣となる。亀千代は同年十二月十七日誕生、母は家の女房で、三歳で夭亡する。
追録1-No.1777 徳川家綱法事・綱吉代替礼記事
島津光久・綱貴が、徳川家綱の中陰法事へ香奠を献じ、徳川綱吉の本丸移転・将軍代替礼・正二位内大臣兼征夷大将軍等への任官を祝って使者と献上品を送った経過を記す記事。
追録1-No.1778 島津綱貴将軍代替献上記事
綱貴公御譜中に、同年七月二十二日の将軍綱吉の代替拝礼で太刀一腰・馬代黄金十両を献じ、同日、御台所へするめ(鰑)一匣・白銀五枚を別に献上したと記す。
追録1-No.1779 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、改暦の嘉事に伴う芳翰と恒例の目録に掲げた贈物を受け取り喜んだことを伝えた書状。
追録1-No.1780 島津菊次郎誕生記事
島津綱貴の次男菊次郎が延宝八年八月二十一日に生まれ、天和元年六月二十三日に死去したことを記す記事。