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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 801~900件・9 / 28ページ

  1. 追録1-No.795 酒井忠清外二名連署状

    酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、薩摩国の松材木・杉材・榑板を目録どおり献上したことを披露し、念の入った献上を将軍が喜んだと伝えた連署状。

  2. 追録1-No.796 島津綱久書状

    島津綱久が琉球国司へ、新年の慶賀として送られた書状と祝物が届いたことを喜び、後日の祝いの機会を期すと返礼した書状。

  3. 追録1-No.797 伊勢貞昭書状

    伊勢貞昭が鎌田蔵人へ、曹源院(光久夫人・伊勢氏との刊本注)の葬礼における位牌持は御子様のうちでもよいという内意だったが、自分に命じられたと伝える。この事情を適当な折に耳へ入れ、上聞に達するよう求める。

  4. 追録1-No.798 徳川家綱御内書

    徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠清が伝えるとした御内書。

  5. 追録1-No.799 酒井忠清外二名連署状

    酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、帰国暇の御礼使者が羅紗五間など二種を献上し、将軍が使者を召し出して喜んだこと、詳細は使者が説明すると伝えた連署状。

  6. 追録1-No.800 島津綱久書状

    島津綱久が琉球国司へ、新年の慶賀書を受領し、布五十疋・芭蕉布五十端・焼酎十甕が届いたことを喜び、詳しくは使者が説明すると返礼した書状。

  7. 追録1-No.801 酒井忠清外二名連署状

    酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、崇源院の遠忌法事に使者を立てて香奠を献じたこと、その供物を御影前に供え、将軍が喜んだと伝えた連署状。

  8. 追録1-No.802 酒井忠清外二名連署状

    酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、年号改元の通知を受けて重く受け止めた旨を了承し、その丁重な返答を将軍へ上聞すると伝えた連署状。

  9. 追録1-No.803 松平信綱・阿部忠秋連署状

    松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の機嫌伺いの使者に対して健勝であると答え、白砂糖二桶と国元の肴一種の献上を披露したところ将軍が喜んだと伝えた連署状。

  10. 追録1-No.804 島津忠辰誕生

    島津綱久の子女を略記し、忠辰について万治元年十月十四日誕生、母は家の女房で、喜入家を相続した旨を記す記事(異本注を付す)。

  11. 追録1-No.805 松平信綱・阿部忠秋連署状

    松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、崇源院の遠忌法事が無事に執行され、九月十五日の法事について通知を受けて重く受け止めた旨を了承し、その丁重な対応を将軍へ上聞すると伝えた連署状。

  12. 追録1-No.806 松平信綱・阿部忠秋連署状

    松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、帰国に際して差し越した使者が将軍に召し出され時服を拝領したこと、重ねて使者を送って謝意を示したことを了承し、将軍へ上聞すると伝えた連署状。

  13. 追録1-No.807 阿部忠秋書状

    阿部忠秋が松平大隅守へ、将軍の機嫌をうかがう使者を承知し、近頃の頭痛は日ごと快方に向かうので安心するよう伝える。御羽織五と御肴一種を献じた旨を披露して御喜色と答える。

  14. 追録1-No.808 松平信綱・阿部忠秋連署状

    松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、来年も例年の時期に参勤してよいかとの伺いを了承し、そのとおりで差し支えないと回答した連署状。

  15. 追録1-No.809 松平信綱・阿部忠秋連署状

    松平信綱・阿部忠秋が松平大隅守へ、例年どおり国元の蜜柑二箱と肴一種を献じたことを披露し、一段の御仕合と答える。

  16. 追録1-No.810 光久御鷹ノ鶴拝領ス

    光久公御譜中に、同年閏十二月十九日、御鷹が撃った鶴一を恩賜され、執政が奉書で伝えたと記す。使者を馳せて恩に謝し、肴一種を献上した。

  17. 追録1-No.811 酒井忠清外二名連署状

    酒井忠清ら幕府老中三名が島津光久へ、御鷹の鶴を拝領したので宿継ぎで送ること、詳しくは息子の薩摩守から伝えると知らせた連署状。

  18. 追録1-No.812 神尾元勝書状

    神尾元勝が松平大隅守へ、将軍は健勝と伝え、西尾藤兵衛を上使として同姓薩摩守が御鷹の雁を拝領した件と、礼使を差し上せたことを了承する。光久が当地で健康であることも重く受け止めたと述べる。

  19. 追録1-No.813 松平信綱・阿部忠秋連署状

    松平信綱・阿部忠秋が松平大隅守へ、将軍が健勝であることと、同姓薩摩守が御鷹の雁を拝領したことを重くありがたく受け止めた旨を了承する。御礼使と肴一種を披露したと答える。

  20. 追録1-No.814 松平信綱・阿部忠秋連署状

    松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の頭痛が治り、早く快復して表へ出御したと知らせ、安心するよう伝えた連署状。

  21. 追録1-No.815 徳川家綱御内書

    徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠清が伝えるとした御内書。

  22. 追録1-No.816 酒井忠清外三名連署状

    老中四名が松平大隅守へ、年頭の祝儀として使者を立て太刀一腰と御馬代黄金十両を献上した旨を披露し、一段の御仕合と答える。

  23. 追録1-No.817 島津光久吉書

    万治二年正月十一日付の島津光久御判を有する吉書を、本文を省略して収録した文書。

  24. 追録1-No.818 光久領国ノ経界ヲ正サシム

    島津光久が三家老の新納右衛門久詮・島津筑前久頼らに領国の境界を正すよう命じ、三名の花押を据えた条目で命令したと記す記事。

  25. 追録1-No.819 島津光久袖判條書

    島津光久が総高七十二万八千七百石余を前提に、領国内の公平な検地と知行配分、私心・贔屓の禁止、琉球国司領等の扱い、地頭所への配分、境目移住者と新開田の処置を定めた袖判条書。

  26. 追録1-No.820 酒井忠清外三名連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、将軍の機嫌伺いの使者と年始の礼が無事に済んだことを喜び、将軍が健勝であるので安心するよう伝えた連署状。

  27. 追録1-No.821 酒井忠清外三名連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、将軍が健勝であるとの知らせを喜んだ旨を了承し、重ねて使者を差し越した丁重な対応を将軍へ上聞すると伝えた連署状。

  28. 追録1-No.822 酒井忠清外三名連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、将軍が健勝で、旧臘七日に表へ出御し、その後山里丸へ移ったとの知らせを喜んだ旨を了承し、使者を差し越した丁重な対応を将軍へ上聞すると伝えた連署状。

  29. 追録1-No.823 酒井忠清外三名連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、耕作損亡の地域があるため旧冬に出された覚書どおり領国へ厳しく申し付けたとの報告を了承した連署状。

  30. 追録1-No.824 光久参勤ス

    島津光久が万治二年二月四日に鹿児島を出帆して参勤し、家老伊勢貞昭らを従えて西海路を進み、三月二十八日に江戸邸へ着き、翌日上使稲葉正則の慰問を受け、拝礼と献上を行った記事。

  31. 追録1-No.825 酒井忠清外三名連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、改年の慶賀を述べ、将軍健勝を伝え、祝儀の使者による樽肴の献上を将軍が喜んだこと、参勤について別紙の指示を承知したことを知らせた連署状。

  32. 追録1-No.826 酒井忠勝書状

    酒井忠勝が島津光久へ、改年慶賀の書状を受領し、将軍が健勝で先月十一日に御前髪を取る儀礼を終えたことを伝え、遠国ゆえ知らせが遅れると考えて報じた書状。

  33. 追録1-No.827 酒井忠清外三名連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、旧冬に御鷹の鶴を拝領したことへの礼として使者が肴一種を献上し、その丁重さを将軍が喜んだと伝えた連署状。

  34. 追録1-No.828 酒井忠清外三名連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、将軍の御前髪の儀礼と正月十五日の能を祝し、島津綱貴が登城したことを喜んだ旨を了承した連署状。

  35. 追録1-No.829 酒井忠清外三名連署状

    老中四名が松平大隅守へ、公方の御前髪の知らせを受け、祝儀の使者が太刀一腰・御馬代黄金十両を献じた旨を承知したと答える。その丁重さをこれから披露すると伝える。

  36. 追録1-No.830 阿部忠秋書状

    阿部忠秋が島津光久へ、翌四日の四時ごろ登城し、参勤の礼を申し上げるよう伝えた書状。

  37. 追録1-No.831 阿部忠秋書状

    阿部忠秋が島津光久へ、翌十五日は暇を与えられる者がいるため例月の礼はなく、登城する必要はないと伝えた書状。

  38. 追録1-No.832 綱久帰国ス

    島津綱久が万治二年四月十八日に将軍家綱から帰国の許可と先例どおりの恩賜を受け、登城して御馬も賜り、同月二十九日に江戸を発ち六月十五日に鹿児島へ着いた後、使者を江戸へ送り帰国の恩遇を謝した記事。

  39. 追録1-No.833 阿部忠秋書状

    阿部忠秋が島津光久へ、翌二十八日に勅使・院使へ暇が与えられるため例月の礼はなく、登城する必要はないと伝えた書状。

  40. 追録1-No.834 島津光久直書

    島津光久が島津久頼・新納久詮へ、国中の支配が近日中に決着するとの報告を喜び、仁太の件も入念に速やかに解決するよう申し付け、詳しくは鎌田蔵人が述べると伝えた直書。

  41. 追録1-No.835 徳川家綱御内書

    徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物計五領が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠清が伝えるとした御内書。

  42. 追録1-No.836 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、鹿毛の御馬一疋を献じた旨を披露し、御機嫌であったと知らせる。

  43. 追録1-No.837 酒井忠清外三名連署奉書

    酒井忠清ら幕府老中四名が島津光久へ、将軍の御前髪の祝儀として翌日に能が催されるので見物するよう上意があり、辰刻以前に登城するよう伝えた連署奉書。

  44. 追録1-No.838 島津久始(久明)誕生

    綱久と同じ同胞横列に久始(後の久明)を掲げる光久の子女系図記事。万治二年六月五日生、母は家の女房とし、虎松丸・虎之丞・大蔵等の通称を記す。兄八人は別家を継いだため、元禄十四年十月十四日に中将綱貴が久明を当家の二男に準じさせたとする。異本には同年十一月十一日国老任官等の補注がある。

  45. 追録1-No.839 大蔵久明一流系図

    大蔵久明一流系図の記事。久明の初名・通称を久始・虎松・虎之丞・式部・大蔵とし、十九代太守光久の十男と明記する。

  46. 追録1-No.840 松平信綱書状

    松平信綱が松平大隅守へ、唐桐と御肴一種を献じた旨を披露し、一段の御仕合と答える。

  47. 追録1-No.841 松平信綱書状

    松平信綱が松平大隅守へ、琉球布十巻・焼酎二壺と御肴一種を献じた旨を披露し、一段の御仕合と答える。

  48. 追録1-No.842 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が、御用を申し渡すため、翌朝六ツ半時分に評定所へ家来一人を差し越すよう命じた連署状。

  49. 追録1-No.843 松平信綱達書

    松平信綱が神尾備前守へ、松平薩摩守の息又三郎と島津但馬守の息又四郎について上聞に達し、機会の順に御目見するよう仰せが出たので本人らへ伝えるよう命じ、進物の書立を別紙で送った達書。

  50. 追録1-No.844 島津綱貴・同久英献上目録

    又三郎が御太刀・馬代黄金十両・時服二十を、又四郎が御太刀・銀馬代・時服三を進上すると列記し、以上で結ぶ目録。銀馬代の金額は不記。

  51. 追録1-No.845 綱貴、将軍に拝謁を許さる

    島津光久が孫の綱貴を将軍徳川家綱へ拝謁させたいとあらかじめ願い出て許可され、老中松平信綱から奉書が出された経緯を記す記事。

  52. 追録1-No.846 松平信綱達書

    松平信綱が神尾備前守へ、又三郎・又四郎の件が上聞に達し、機会の順に御目見するよう仰せが出たので本人らへ伝えるよう命じ、進物の書立を別紙で送った達書。No.843とほぼ同文だが、別番号の正文として収録される。

  53. 追録1-No.847 島津綱貴・同久英献上目録

    又三郎が御太刀・馬代黄金十両・時服二十を、又四郎が御太刀・銀馬代・時服三を進上すると列記した献上目録。No.844と同内容だが、別番号の正文として収録される。

  54. 追録1-No.848 寺地御免許証文并副書

    御支配所が鹿児島西田村の天神宮寺地について、国中の検地に際し前代以来の宮地・竿不入地との申出を認めて免許し、寺役・清掃を怠らず勤めるよう命じた証文。副書は文秀房の五仏堂建立、大乗院直末化、光久・綱久・綱貴・吉貴の参詣、綱久の詠歌を記し、本書が当時見えないと注記する。

  55. 追録1-No.849 綱貴、初めて家綱に謁す

    綱貴公譜中の記事。同年七月十一日に延久が登営し、太刀一腰・御馬代黄金十両・時服十二を献じて、大樹家綱公に初めて拝謁したとする。十一歳との注がある。

  56. 追録1-No.850 島津光久書状

    光久が琉球国司尚質へ、年始の祝儀の使者・書簡を受けたことに謝し、旧例に従い太平布五十疋・芭蕉布五十端・焼酎十甕を贈られたことを喜ぶ。詳細は使者が述べるとする。

  57. 追録1-No.851 島津光久条書

    島津光久が尊寿院政真へ、密法の直伝・付法相続、分国内の大乗院門徒の威儀と法度の統制、違反者の処罰、寺家後継者の選定と国家祈願・公儀用務を三条で命じ、僧正昇進の経緯も記した条書。

  58. 追録1-No.852 松平信綱外二名老中連署状

    松平信綱ら老中三名が島津光久へ、端午の御内書を渡すため、翌日の四ツ時分に家来一人を登城させるよう命じた連署状。

  59. 追録1-No.853 島津光久書状

    島津光久が西性院へ、安養院権僧正政真の上洛時の配慮と伝法印可・付法状授与に礼を述べ、分国内の末流諸寺へ御状を守らせるとし、御門跡への礼の取成しを頼んだ書状。

  60. 追録1-No.854 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、矢久嶋の鳩二を献じた旨を披露し、御喜色であったと知らせる。

  61. 追録1-No.855 徳川家綱御内書

    徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠清が伝えるとした御内書。

  62. 追録1-No.856 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清ら老中三名が島津光久へ、移徙の祝儀として翌日に能が催されるので見物するよう上意があり、卯后刻に登城するよう命じた連署状。

  63. 追録1-No.857 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、翌朔日に紀伊大納言徳川頼宣へ暇が与えられるため例月の御礼はなく、登城する必要はないと伝えた書状。

  64. 追録1-No.858 松平信綱書状

    松平信綱が島津光久へ、櫻嶋蜜柑二箱と干鯛一筥を献上したことを将軍へ披露し、たいへん喜ばしい結果であったと伝えた書状。

  65. 追録1-No.859 鹿府万治高帳

    万治二年の鹿府における島津家一門・家臣・諸役人らの高を、人別に石・斗・升単位で列挙し、各集団の人数と高を小計した高帳。吉野行司役分や庄屋層を含み、末尾で惣人数千百七拾八人・惣高四拾萬四千弐百四拾弐石八斗弐升と総括する。肩書・頭書・脇書・「殿」等には異筆注記があり、本文中に九行脱落の注記がある。

  66. 追録1-No.860 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津綱久へ、年頭の祝儀として使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を将軍に披露し、入念な進上を将軍が喜んだと伝えた連署状。編者は宛所の薩摩守を綱久とみて、綱久譜へ収めるべき可能性を注記する。

  67. 追録1-No.861 松平信綱外二名老中連署状

    松平信綱ら老中三名が島津光久へ、歳暮の御内書を渡すので、翌日の四ツ時に家来一人を登城させるよう通知した連署状。三名とも判はない。

  68. 追録1-No.862 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清ら老中三名が島津光久へ、翌二十八日は勅使饗応の能が催されるため例月の御礼はなく、登城する必要はないと通知した連署状。三名とも判はない。

  69. 追録1-No.863 綱久参府ス

    万治三年正月二十八日、島津綱久が参勤のため鹿児島を発ち、家老鎌田蔵人政直を従え、三月十八日に江戸へ到着した。その後登城して将軍に拝謁し、例に従って献物した記事。

  70. 追録1-No.864 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清ら老中三名が島津光久へ、翌朔日は日光・久能の御鏡を頂戴するため例月の御礼はなく、登城する必要はないと通知した連署状。三名とも判はない。

  71. 追録1-No.865 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、国許で焼いた皿五十と御肴一種を献上した件を将軍に披露し、たいへん喜ばしい結果であったと伝えた書状。

  72. 追録1-No.866 松平信綱書状

    松平信綱が島津光久へ、歳暮の御内書を渡すため、翌七日の四ツ時に家来一人を登城させるよう通知した書状。

  73. 追録1-No.867 有川某・三雲定直連署覚書

    松平大隅守家来の証人覚として、島津図書・島津安芸・島津兵庫・新納右衛門・北郷佐渡・町田勘解由らについて、家格、高、年齢、与力高、惣領または孫となる証人を列挙した。有川八右衛門と三雲定直は、子年・丑年の詰番と二人ずつ三替で相詰めること、定詰の証人はいないことを届けた。

  74. 追録1-No.868 光久帰国ス

    万治三年四月四日、島津光久が帰国の暇を賜り、松平信綱を上使として御服と白銀千枚等を受け、登城して謝し、将軍から馬一匹を賜った。四月十三日に江戸を発し、大坂から船で薩摩西岸へ向かい、五月二十八日に鹿児島城へ帰着した。家老伊勢兵部貞昭が供奉し、種子島三郎次郎久時を江戸へ遣わして羅紗五間・御樽肴を献上させ…

  75. 追録1-No.869 徳川家綱御内書

    徳川家綱が島津光久へ、端午の祝詞として帷子・単物計五点が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠清が述べるとした御内書。

  76. 追録1-No.870 伊勢貞衡書状

    伊勢貞衡が島津光久へ、幕府が古来の鎧と腹巻の仕立てを隠密に調べており、島津家に古物があれば二種とも詳細を書き上げて進上するよう求めた書状。将軍の上覧となる可能性にも触れ、鎌田蔵人・新納右衛門は覚えていないと伝える。

  77. 追録1-No.871 川上久運願書

    川上久運が町田勘解由・島津中務へ、川上家が代々仕え、上野騎射の術を伝え、吉野原に牧を開いて馬を養育してきた由緒を述べ、老齢で遠方からの出仕が難しいため、吉野・吉田の地を拝領して移住し、騎射・大追物の伝授を続けられるよう取り成しを願った口上書。

  78. 追録1-No.872 島津久茂・町田久則連署証文

    島津久茂と町田久則が、鹿児島吉野牧場の創設、吉野・吉田の適地への松・杉・檜の植栽、厩屋普請など馬の繁殖養育に尽くした功労を記し、先に中納言へ献上された土地等について今度上様から賜与する旨を証した連署証文。

  79. 追録1-No.873 堀田正信書状

    堀田正信が島津光久へ、江戸の静謐と将軍の機嫌を喜び、光久が暇を得て五月二十八日に国元へ無事到着したこと、老中へ使者を遣わしたことを承知したと返答した書状。

  80. 追録1-No.874 水野忠善書状

    水野忠善が島津光久へ、江戸の静謐と将軍の機嫌を喜び、光久が道中無事に五月二十八日国元へ到着したことを祝し、自身も無事であると返答した書状。

  81. 追録1-No.875 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、帰国に際する礼使と羅紗五間・御樽肴の献上を将軍へ披露し、使者が御前へ召し出され、入念な進上を将軍が喜んだと伝えた連署状。

  82. 追録1-No.876 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の様子を伺う使者に謝し、将軍が健勝なので安心するよう伝えたうえ、琉球布・泡盛・御肴一種の献上を目録どおり披露し、将軍が喜んだと通知した連署状。

  83. 追録1-No.877 琉球王子尚貞初メテ光久ニ謁ス

    万治三年七月十六日、中山王尚質の嫡子である中城王子尚貞が来て初めて島津光久に謁し、厚遇された。尚貞は鹿児島に二年余り滞在したのち、恩を謝して帰国した記事。

  84. 追録1-No.878 安部信盛書状

    安部信盛が島津光久へ、六月十八日酉の下刻に雷が青屋口の塩硝蔵へ落ち、御殿守・櫓・御殿が破損したこと、修復を松平若狭守・青山大膳亮・永井日向守に命じ、改めて調べても別条はなかったので安心するよう伝えた書状。

  85. 追録1-No.879 内藤忠興書状

    内藤忠興が松平大隅守へ、六月十八日夜、江戸城青屋口塩硝蔵に落雷し、矢倉・多門・加番衆小屋が大破し、土岐山城守・岩城伊予守にも被害があって、家来に死者・負傷者が多く出たと報告する。松平若狭守・青山大膳亮・永井日向守の三人が修復を命じられ、早速普請に着手したとし、破損箇所の見分は松平伊豆守に仰せ付けられ…

  86. 追録1-No.880 本多正貫書状

    本多正貫が島津光久へ、六月十八日の落雷による江戸城青屋口の塩硝蔵焼失、櫓・多門・石垣・番衆小屋等の破損と修復状況を報告した書状。修復担当三名、高木伊勢守と松平伊豆守の上使派遣、自身の勤番交替予定も伝える。

  87. 追録1-No.881 阿部忠秋・稲葉正則連署状

    稲葉正則・阿部忠秋が松平大隅守へ、公方の機嫌と、先頃同姓薩摩守が御鷹の梅首鴨を拝領した旨を承知したと伝える。そのため差し越した使者について、入念の段は上聞に達したと返答する。

  88. 追録1-No.882 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋・稲葉正則が島津光久へ、六月十八日に大坂の鉄砲薬蔵へ落雷して各所が破損したとの報告を受け、番衆が無事であったことを喜び、遣わされた使者の入念な対応を将軍へ伝えた連署状。

  89. 追録1-No.883 阿部忠秋書状

    阿部忠秋が島津光久へ、琉球布・焼酎一壺・御肴一種の献上を将軍へ披露し、たいへん喜ばしい結果であったと伝えた書状。

  90. 追録1-No.884 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋・稲葉正則が島津光久へ、八朔の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件を将軍へ披露し、たいへん喜ばしい結果であったと伝えた連署状。

  91. 追録1-No.885 本多忠相外三名連署書状

    本多忠相ら四名が島津綱久へ、綱久の奥方が病気のため熱海で湯治したいとの願いを老中へ申し上げたところ、入湯を許可されたので承知するよう伝えた連署書状。

  92. 追録1-No.886 酒井忠清外二名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の機嫌を伺う使者について、ますます勇健なので安心するよう伝える。白砂糖二桶と御肴一種を献じた旨を披露し、一段の御仕合と返答する。

  93. 追録1-No.887 松平定行書状

    松平定行が鎌田蔵人へ、島津綱久の奥方が八月十五日に湯治の暇を許され、二十一日に熱海へ向かったと聞いたため、道中無事に到着して入湯したか尋ねた書状。先に綱久と家老らから書状を受け、鎌田が無事に江戸へ在府していることも喜ぶ。

  94. 追録1-No.888 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋・稲葉正則が島津光久へ、帰国に際して遣わされた種子島三郎次郎が将軍に召し出され、時服と羽織を拝領したことへの礼使が到着したので、入念な謝意を将軍へ伝えたと通知した連署状。

  95. 追録1-No.889 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清・阿部忠秋・稲葉正則が島津光久へ、将軍が頭痛のため七月二十八日に表へ出なかったと聞いて容体を尋ねたことに答え、すでに回復してたびたび表へ出て諸礼を受けているので安心するよう伝えた連署状。

  96. 追録1-No.890 徳川家綱御内書

    徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五点が届いたことを喜び、詳しくは酒井忠清が述べるとした御内書。

  97. 追録1-No.891 島津綱久書状

    島津綱久が琉球国司へ、当年の祝いとして旧例どおり書状と祝物が届いたことを喜び、後便を期すと返答した書状。

  98. 追録1-No.892 真修院、息綱貴ニ書ヲ与フ

    万治三年秋、島津綱貴の母真修院が平素から病気であったため江戸へ赴き、伊豆国熱海の温泉で湯治した。九月十日、真修院が息子綱貴へ書状を与えた経緯を記す記事。

  99. 追録1-No.893 真修院(綱久夫人)消息

    熱海湯治中の真修院が息子又三郎へ、たびたび使者を遣わし、祝儀として樽肴を贈ってくれたことに謝意を示し、相手の息災を喜び、自身も無事なので安心するよう伝えた仮名消息。

  100. 追録1-No.894 酒井忠清外二名老中連署状

    酒井忠清・松平信綱・稲葉正則が島津光久へ、同姓薩摩守が上使を通じて将軍の御鷹の雲雀を拝領したことへの礼使が到着したので、入念な謝意を将軍へ伝えると通知した連署状。