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追録1の目録
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追録1-No.1 新納忠清廻状
新納忠清が、金山外垣の縄結いと朽木の取り替えを二十日までに修理するよう各地の役人へ命じた廻状。定番衆の指図に従い、普請衆が欠けないよう主人を付けて堅固に施工し、鹿児島からの検分にも備えるよう求める。
追録1-No.2 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮が、若君の元服に備えて能役者らを早急に召し寄せること、職務不履行の大寺喜左衛門に代えて海江田仲左衛門尉を秋目地頭に任じること、知行高に応じた乗馬・小荷駄の奉公基準を伝えた連署書状。
追録1-No.3 松平信綱外二名連署奉書
松平信綱・阿部重次・阿部忠秋が島津光久へ、若君の着袴始の祝儀として翌日に催される能を見物するよう、将軍の上意を伝えた連署奉書。
追録1-No.4 島津光久書状
島津光久が、異国船来航時の通報・取締りを定めた書状。筑前福岡・長崎・島原・伊予へ速やかに注進し、琉球を経由する船を含めて乗員の上陸や勝手な交易を許さず、長崎へ回航させるための人数・兵船・水食料を手配するよう命じる。
追録1-No.5 島津光久書状
島津光久が島津久慶へ、異国の大型船が来着した場合は出帆を急がせず、船の由来・乗員・積荷を取り調べて直ちに注進し、長崎等との連絡を取りながら上陸・交易を統制するよう命じた書状。
追録1-No.6 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部重次・阿部忠秋が島津光久へ、薩摩領内の浦へ中国船が来着した際の処置を指示した連署書状。乗員を上陸させず積荷の売買・陸揚げを禁じ、必要な扶助を与えつつ長崎へ回航し、関係地へ通報するよう命じる。
追録1-No.7 切支丹禁制由来
島津義弘・家久・光久の時代における切支丹禁制の由来と展開を記す記事。宣教師・異国船・長崎貿易をめぐる出来事、改宗や取締り、領内外への通報、九州諸侯との連携、禁制奉書の伝達などを年代順に叙述する。
追録1-No.8 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮が、新納久詮の持継役を島津久通が加判役として相続すること、兵庫頭殿仮屋・客屋・蔵長屋と屋敷図の割当てを伝える。さらに領内で生まれた子を殺すことを従前から禁じているのに密かに行う者があるとして、与頭等に調査させ、知行取・百姓町人それぞれの科料を定めて厳禁する。
追録1-No.9 島津久慶外二名連署条書
島津久慶・川上久国・島津久通が都城衆中・殿役奉行へ、異国船発見時の飛脚・通報・取調べを定めた条書。報告を遅延させず、乗員・船の動静を把握し、疑わしい者を仮置きして関係役人へ引き渡すことなどを命じる。
追録1-No.10 島津久慶外二名連署条書
島津久慶・川上久国・島津久通らが諏方杢右衛門尉・三司官・金武王子へ、呉国船が来航して日本への訴訟を求める場合の通訳・注進・長崎への送付を命じる。回航できない時の船の管理、日本への商船渡海希望、船の鉄鉋、上陸取水と夜間帰船を細かく規定する。商買や呉国人の道具取得、みだりな見物を禁じ、逗留訴訟は早飛脚で…
追録1-No.11 島津久賀へ殉死者名
島津久賀に殉死した家臣の名を掲げる記事。正保元年三月二十七日条に中村茂吉らを記し、鮫島少左衛門など殉死者の名・年齢等を列記する。
追録1-No.12 喜入忠続、相良頼屋へ殉死者
喜入忠続・相良頼屋に関わる殉死者を列記する記事。三月二十八日に篠原平左衛門宗次・田代助左衛門、十二月二日に山之内伊右衛門を記し、いずれも殉死とする。
追録1-No.13 喜入忠続死去
『喜入忠続譜中』。喜入忠続が正保二年三月十八日に没し、享年七十五、法号を快覧忠慶としたことを記す。
追録1-No.14 島津久通外二名連署廻状
鹿籠廻文留所収の島津久慶・川上久国・島津久通連署廻状。長崎へ出る衆への飯米の追算用と、呉国船の番衆へ廻状の写しを置くことを指示する。唐船が湊へ入り逗留すれば厳重に番を付け昼夜を問わず注進させ、唐人が出ようとする時は功者衆二人を長崎へ直行させる。鹿児島への注進の返事前に出発されれば現地の越度となるとし…
追録1-No.15 島津久通家督、家老トナル
『図書頭久通譜中』。江戸からの書簡により島津久通の家督相続と加判役就任が伝えられ、久通はいったん継目・加判役を辞退したが、父祖以来の職掌を継ぐよう諭されて家老となった経緯を記す。
追録1-No.16 松平定行書状
松平定行が水野甚左衛門・遠山三郎左衛門を使者に遣わし、書状を受けた礼と長崎呉国船処置後の帰国を伝える。江戸で薩摩殿と相談し、舟が薩摩へ着岸すれば薩摩守の指示に従うよう申し入れ済みであるという。薩摩守の在府中、領国に呉国船が来航した場合は宛先側で万事注意して処置し、早く知らせるよう求める。
追録1-No.17 川上久慶犬追物検見ヲ勤ム
正保二年四月七日、太守島津光久が武州江都芝の宅地で犬追物を行い、大老と旗下の貴士を招いて一日の見物に備え、芳安が検見を務めたと記す。川上久慶譜中の記事で、詳細は別記とする。
追録1-No.18 光久、家綱元服祝賀ノタメ登営
正保二年四月二十三日、竹千代が白書院で元服加冠し、正二位大納言に叙任され家綱と称した。二十六日、島津光久と嫡嗣又三郎久平が諸侯と登城して祝い、御太刀・馬代・猩猩皮二十間を献じた。二十九日には任官の慶宴として大広間で猿楽があり、光久も招かれて登営した。
追録1-No.19 徳川家綱元服加冠次第
竹千代の元服儀礼の次第。白書院で井伊掃部が加冠、保科肥後が理髪を務め、烏帽子などの持役も記す。従三位大納言への叙任から正二位大納言となること、禁中の位記、紅葉山社参と黒書院の三献を述べる。太刀・御鞍置馬・銀子三百枚・縮弐十等の進物と、加冠・理髪担当者への品、若君への馬の進上、脇指・腰物の返礼、御宮へ…
追録1-No.20 新納忠清差出忠元軍労覚
新納忠清が父祖・新納忠元の軍功をまとめて提出した覚書。忠元が島津氏に属して以来、吉田・大口・湯之浦・水俣・高城・豊後など各地の籠城・合戦・追討・降伏交渉に従事した経歴、負傷・知行・召状等を年代順に詳述する。
追録1-No.21 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮が、去る四月二十三日に若君が大納言となった祝いとして、この日御両殿様が登城し、若君へ御馬代と猩々皮二十間を進上したと報告する。来る二十八・二十九日に城で能があるため、それを見物してからの帰国を見込み、暇にもなお時間がかかると伝える。
追録1-No.22 松平信綱外二名幕府老中連署奉書
大納言任官の祝儀として翌日に能が催されるため、城中へ参上して見物するよう命じた幕府老中三名の連署奉書。
追録1-No.23 阿部重次奉書
阿部重次が島津光久へ、翌十七日の紅葉山社参にあたり、四時以前に参上するよう命じた奉書。
追録1-No.24 比志島範友・土持綱辰連署書状
比志島範友・土持綱辰が、京都・大坂での交替勤務、江戸への申上げ、丹波守・大坂町奉行との取次や役儀の処置について連絡した連署書状。
追録1-No.25 松平定行書状
松平定行が島津光久の江戸での無事と留守国元を見舞い、使者派遣・帰国、琉球からの使節と大明関係の応接などについて連絡した書状。
追録1-No.26 琉球国司尚質書状
琉球国司尚質が島津光久の書翰と拝領品に謝し、将軍家への祝賀使節が江戸から帰帆したこと、江府での饗応と恩遇への感謝を述べた書状。
追録1-No.27 松平信綱外二名幕府老中連署奉書
鹿児島城海手の石垣破損に伴う築出し(高三間半・長五百間程)と南方の船入堀の埋立てについて、提出絵図どおり普請することを認めた幕府老中連署奉書。
追録1-No.28 北郷久加・新納久詮連署書状
鹿児島城浜側の築出しと南林寺後方の川堀普請について、公儀へ提出した絵図の写しを送り、普請が許可されたことを伝えた連署書状。
追録1-No.29 水野元吉書状
水野元吉が使者と国元からの進物への謝意を述べ、その後見廻りを申し上げず無音となったことを詫び、面会の折に改めて礼を申したいと伝えた書状。
追録1-No.30 島津忠長誕生
『綱久公御譜中』。島津綱久の子忠長が正保二年六月三日に誕生し、のち太守島津光久の命で北郷久定の遺跡を継ぎ、北郷を称した経緯を記す。
追録1-No.31 島津光久条書
島津光久の条書の写し。御暇の処置、長崎へ行く際の上使への給応、切支丹宗門改の扱いを箇条書きにする。宗門改については長崎奉行衆と高力摂津守に問い合わせたうえで、嶋津弾正(久慶)へ伝えるよう指示する。末尾は七月十三日。正保二年八月十二日に本田新右衛門尉が持ち下った条書の写しという付記がある。
追録1-No.32 島津光久書状
島津光久が長崎への上使下向と国許家老の対応、難風で損傷した船と使者の処置について、高力摂津守に連絡・照会した案文。
追録1-No.33 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮が、長崎への使者派遣、上使への対応、礼状・御案紙の送付、入念な処置を山田民部少輔に伝えた連署書状。
追録1-No.34 島津久通外三名連署達書
八重山島・都之島の島果木・桑木を私に伐採・搬出せず、船での持出しも禁じ、違反を厳しく取り締まるよう命じた島津家老四名の連署達書。
追録1-No.35 徳川家光御内書
徳川家光が重陽の祝詞として小袖五領を受け取ったことを喜び、酒井讃岐守から詳しく伝えるとした御内書。
追録1-No.36 幕府法度
天下の禁制として、火事場への参集、刀の寸法、衣服の色・織物、髪形などを規制した幕府法度。違反者の取締りを命じる。
追録1-No.37 島津光久書状
島津光久が長崎へ人を派遣するにあたり、切支丹宗門が露見した場合を含め油断なく見立て、宗旨・法度に関する相談と報告を行うよう命じた書状。
追録1-No.38 琉球使節行列次第
琉球使節の行列・供揃を図式で示す。国頭按司の乗物、琉球衆三十人の乗馬、琉球供衆、薩摩側の案内・警固に関わる諸役、与力小荷駄衆、道具衆等の配置と人名を複数段に列記する。
追録1-No.39 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮が、十月四日に津田平右衛門尉が上使として来て鷹の獲物の鶴を拝領したことを、目出度いと伝える。さらに、犬追物稽古はますます律儀に古法を守るよう仰せ出されたとして、宛先側に心得を求める連署書状。
追録1-No.40 島津光久条書
島津光久の『御条書書抜』。寺社領、諸役人の善悪と任免、代官・町奉行、百姓移替、知行・諸役、町在の課役・治安など、藩政運営の原則を多数の条項で定める。
追録1-No.41 新納忠秀、郷横目を巡監す
島津光久が北郷久加を物奉行として諸役を総督させ、新納忠秀らに郡郷横目の配置・巡察を行わせた記事。十月十五日の措置と十二月の横目任命を記す。
追録1-No.42 島津光久直書
島津光久が北郷久加に対し、新たに諸役人の主執を命じたので、役人の身分に遠慮せず吟味・差引きを厳正に行うよう指示した直書。
追録1-No.43 異国船警固覚書
外国使節・異国船の来航時に備え、九州に配置する大名、長崎奉行・近隣役人の連絡、差図を受けて差し出す人数など、警固態勢を確認した覚書。
追録1-No.44 平山久守家系由緒
豊州家豊前守久守譜中の記事。久賀の命により、対馬守久清の出自、朝鮮渡海から関ヶ原までの義弘への奉公、右馬頭久武の戦死後に久清を後継とした経緯を述べる。島津氏の支流ではなく平山を称する者も多く、姓氏の同異を知る者は少ないとして、その疑義を裁定した左近将監久守の証書と久清の記を掲げる。
追録1-No.45 島津久守証状
島津久守が平山対馬入道へ出した正保二年十一月二日の証状。季久以下、忠康が平山を号した家系と、五代右馬頭久武が永禄二年四月十八日に日向松山城で戦死し、久次らも肝付方に殺され無嗣となった経緯を記す。義弘が松本主殿助に平山を継がせたこと、久賀が由来を問わせたことを述べ、現在平山を称していても忠康の子孫では…
追録1-No.46 平山氏譜
対馬守久清の系譜について、石清水八幡神領の伝承、熊野権現・平山城との関係、久賀・久武を経て島津氏の支流となる由緒を記した家譜。
追録1-No.47 島津久治誕生
忠将一流系図に、玄蕃頭忠紀の子・久治(初名久憲、万千代丸、美作、玄蕃)が誕生したことと、母が桂山城守忠能の娘であることを記す。
追録1-No.48 島津久通参府す
島津久通が参府を命じられ、鹿児島を発って江戸へ到着し、島津光久・久平の家督相続を祝賀して刀を献上したのち、江戸の宅地警衛を命じられた記事。
追録1-No.49 北郷久加帰国す
北郷久加が暇を賜って帰国し、御物奉行として諸役を総括する命と御条書を受け、北郷吉左衛門忠郷を伴って下向した記事。
追録1-No.50 島津久章系譜抄
忠将一流系図から島津久章の父母・兄弟、元和二年の出生、祖母の遺跡相続を記し、正保二年十二月十一日の遠流命と谷山清泉寺での刃傷・誅戮に至る経緯を載せる系譜抄。
追録1-No.51 島津久通書状
島津久通が、島津大和守の流罪と家来らの処罰について、旧臣が刺傷されるなどの事情を述べ、関係者への寛大な処置を新納右衛門尉に願った書状。
追録1-No.52 新納忠清書状
新納忠清が、大和守関係の者に遭遇して負傷者が出た件につき、事情聴取と処置、関係者の養生・赦免の取次を求めた書状。
追録1-No.53 徳川家光御内書
徳川家光が歳暮の祝儀として小袖五重を受領したことを喜び、酒井讃岐守からも伝達させる旨を島津光久に告げた御内書。
追録1-No.54 金武朝貞書状
金武朝貞が島津光久への年頭祝礼として焦布十端と焼酎一甕を進上し、御披露を願った書状。
追録1-No.55 北郷久加外二名連署条書
異国船・南蛮人への警戒、八重山近海での対応、密貿易や人身売買、黒木・桑木伐採、長期逗留、琉球への武器売却などを禁じ、違反者の処罰を定めた連署条書。
追録1-No.56 松平信綱・阿部重次・阿部忠秋連署奉書
中国・四国諸大名の帰国と九州警固の交替にあたり、異国船来航時の通報・人数動員、長崎奉行との相談などを島津光久に命じた老中連署奉書。
追録1-No.57 春山直紀起請文前書
春山直紀が、奉公に忠実であること、他家へ奉公せず、主君への讒言・不調法を避け、二代の奉公に背かないことを誓った起請文前書。
追録1-No.58 松平信綱・阿部重次連署奉書
異国船渡海の際、島津領内では油断なく万事堅固に対処し、前年二月の奉書の趣旨どおり処置するよう命じた老中連署奉書。
追録1-No.59 島津久通外二名連署書状
琉球からの返書、伊地知志摩守の下向、伊東家使者への返答、山絵図、琉球船の難風漂着、火災への対応など複数案件を国許家老へ伝えた三名連署書状。
追録1-No.60 島津久雄外二名連署起請文前書
三名が主君への奉公と御相博の儀に背かず、他家へ奉公せず、讒言や不忠を行わないことを誓った連署起請文前書。
追録1-No.61 橋口住倫起請文前書
橋口住倫が、両殿への忠勤、親族兄弟に偏らない公平な奉公、沙汰の秘密保持などを誓った起請文前書。
追録1-No.62 島津光久書状
前年の使者派遣と江戸での首尾、鹿児島への渡海、奉書の回送、金武・国頭の帰帆時の通達について述べ、諸郷の民へ趣旨を周知するよう求めた書状。
追録1-No.63 島津光久書状
島津光久が嶋津弾正大弼久慶へ、異国船の件は従前の方針により相談衆を置いて細かく相談し、少しも油断しないよう命じる。何事も急速に注進し、時日を移さず尽力して十分に検討・処置することが肝要と伝える。
追録1-No.64 島津光久、犬追物を張行す
島津光久が鎌倉以来の弓馬故実である犬追物を芝の邸で催し、幕府執政・旗本・諸大名が高覧した記事。射手・役人・来客を列記する。
追録1-No.65 犬追物手組并客人名簿
正保三年四月七日の犬追物手組。初日一番・二番と四角外囲の次第、各人に付す足数、検見・喚次・日記・幣・射手奉行等の諸役を列記する。続いて同日御客人衆を掲げ、その合計を七十七人と記し、見廻衆や欠席・日光行・隠居者の注記も付す。
追録1-No.66 新納忠清書状
新納忠清が、和泉守の鹿児島行きを承知し、万事怠りないよう依頼する。伊主膳正の煩気が早く快復したことを喜ぶ。馬関田との境出入は鹿児島奉行所から指示を得て処置したが、今後難しくならないよう行司衆にも堅く申し渡し、重ねて相談するよう求める。宛先は川野与右衛門・西田和泉守・白坂大炊左衛門。
追録1-No.67 加久藤衆連署書状
加久藤の地境・絵図、平田監物らの境目検分、銀・商人・船の扱いなど複数案件について、裁定と指示を求めた連署書状。
追録1-No.68 島津久慶・頴娃久政連署廻状
江戸奉行衆から届いた奉書を早飛脚で転送したので、その写しの趣旨どおり油断なく処置するよう伝えた連署廻状。
追録1-No.69 島津光久、帰国の暇を賜る
島津光久が阿部忠秋から帰国の暇と銀二十枚・御袷などを受け、大納言徳川家綱からも賜物を受領し、四月二十六日に江戸を発って木曽路経由で帰国した記事。
追録1-No.70 島津久通外二名連署書状
島津光久が阿部忠秋から帰国許可と銀・御袷を受け、帰国準備を進めることを国許へ知らせ、御油断なく対応するよう求めた三名連署書状。
追録1-No.71 加久藤衆連署書状
加久藤噯所案文。伊地知・川野・西田・白坂の四人が新納刑部へ、菱刈衆が加州様の奉行で出水の大狩に召し集められ、前朝大口を出立したと聞いたが、地元では事情が不明だと伝える。地境の件なので様子を知らせ、地元衆も参加する場合は事前に注進してほしいと頼み、留主不在時の準備を案じる。追而書では商買に行く者一人を…
追録1-No.72 加久藤衆連署書状
加久藤噯所案文。四人が伊主膳正へ、出水での大狩に伴い加州様が人数を召し集め、前朝出立したことを承知したと返答する。地元衆も加わる場合には事前の注進を頼み、今朝刑部様へ飛札し、求厂にも一人を派遣したと伝える。今回の狩の様子を詳しく聞いた時や帰宅時には知らせてほしいと依頼する。
追録1-No.73 加久藤衆連署書状
加久藤噯所案文。二人が飯野御噯衆中へ、江戸で今月七日に犬追物が行われ、無事だったとの消息を伝える。別件として、出水の大狩に伴い加州様が菱刈の人数を召し集めて前日に出立し、伊主膳正も大口に逗留しているという。様子が不明なため鹿児島の新納刑部へ内証の飛脚を出し、その帰還は明日か明後日の見込みで、新情報が…
追録1-No.74 高力忠房書状
出水付近へ流れ着いた船について、近辺の浦々・木陰まで探索し、乗員・荷物を保全して通報するよう求めた書状。
追録1-No.75 鈴木重成書状
異国船らしい小船一艘の漂着情報を受け、天草島中を捜索させ、出合った場合の乗員・船の扱いと報告を指示した書状。
追録1-No.76 幕府制札并家老添書
薩摩国の村へ異国船が漂着した場合、乗員を上陸させず船内に留め、近隣に知らせて人数を集め、宗門・曲事・荷物を調査し、江戸へ注進する手順を示した制札・添書。
追録1-No.77 島津久通・新納久詮連署書状
出水関係者の召出し、流罪・死罪・葬送、虚偽の申立て、御預人の処置など複数の刑事案件について国許家老へ指示した連署書状。
追録1-No.78 阿部重次書状
阿部重次が、島津光久の江戸出発時の書状を拝見したと返礼する。公方の機嫌は良いものの、まだ表へしばしば出御しないため、様子を見るため平田監物方を残したという光久側の配慮を受け、ますます快然であるので安心するよう伝える。詳しくは後の便りで述べると結ぶ。
追録1-No.79 島津光久帰国す
島津光久が六月に薩摩西津へ着き、同月六日に鹿児島城へ帰着して島津左近久守へ謝礼を述べた記事。
追録1-No.80 松平信綱外二名連署奉書
琉球と明国の糸・商品交易について、明国内の兵乱後も従来どおり取引を存続できるかを調査し、琉球側の事情を詳しく報告するよう命じた老中連署奉書。
追録1-No.81 島津久通・新納久詮連署書状
島津光久の帰国、将軍からの時服・官位、江戸城での召出し、諸大夫の登城、装束・儀式などについて国許へ報告した連署書状。
追録1-No.82 松平信綱外二名連署状
異国船が領岸近くに現れた場合、前年の通達どおり油断なく警戒・対処するよう島津光久に命じた老中三名の連署状。
追録1-No.83 松平信綱外二名連署状
島津光久の帰国後の機嫌を尋ね、帰国儀礼に伴う拝領、糸二十巻や使者・楽人への下賜について伝えた老中三名の連署状。
追録1-No.84 島津久通・新納久詮連署書状
伊東佐兵衛らの処置、飛脚の拘禁、女性・家族の扱い、死者の葬送、家屋検分、訴訟・家臣処分など多数の案件を国許へ指示した連署書状。
追録1-No.85 長岡武部少輔書状
江戸への飛札、肥後守の出立、長崎への上使派遣、江戸からの帰途・到着見込みなどを国許家老へ知らせた書状。
追録1-No.86 島津久慶書状
島津久慶が土持権助・北郷蔵人へ、庄内を北郷に与えた年号、祁堂院・伊集院・北郷の領有の推移、牛之峠山境争論の発端と元和・寛永期の経緯を問い、都之城での談合や伊東側の伐木、かつての山内分与の指示も確認する。今回の国絵図に伴う伊東家老側の使者と江戸への照会、北郷領有後の牛之峠方面からの異論の有無についても…
追録1-No.87 島津久通・新納久詮連署書状
使者・飛脚、出水の案件、大明使者の来航、船への米供給、琉球からの唐人木購入、家臣処分などを国許へ指示した連署書状。
追録1-No.88 おかち起請文前書
おかちの天満霊社起請文前書。殿様のそばへ召し仕えられて以来、厚い恩に報い難いとして、せめて自身は後世のお供を申し上げるという志に偽りがないことを起請する。末尾に牛王神文略と正保三年丙戌八月十四日、おかちの署名がある。
追録1-No.89 島津久通・新納久詮連署書状
国絵図の提出、奈須・椎葉山や肥後との境界、絵図清書、図田帳、絵師・人員、江戸への進達など、国絵図作成の実務を国許へ指示した連署書状。
追録1-No.90 松平信綱外二名連署状
松平信綱・阿部重次・阿部忠秋が松平薩摩守への返書で、使者の派遣と琉球酒二壺・鰹節一箱の献上を受けたことを述べ、後の機会に披露すると伝える。公方は近ごろ瘧病だったが、しばしば灸治を行い今月は発作がなく、引き続き快然なので安心するよう知らせる。詳しくは使者が説明するという。
追録1-No.91 松平信綱外二名連署状
将軍の瘧疾が快方に向かい本復して御事を行っている旨を知らせ、見舞いへの返礼を述べた老中三名の連署状。
追録1-No.92 松平乗寿書状
島津光久の進上品を受領し、将軍の機嫌と冬の上洛・移動に関する意向、砂糖一箱などの贈答を伝えた書状。
追録1-No.93 島津綱久書状
島津久慶からの書状と動物の献上に謝し、満足したことと今後も同様に取り計らうよう求めた島津綱久の書状。
追録1-No.94 島津久通・新納久詮連署書状
大明兵乱・異国船への対応、船・米穀、使者・奉書、諸家の出仕、家臣の帰国など多数の案件を国許へ報告・指示した連署書状。
追録1-No.95 松平信綱外二名連署状
将軍が瘧疾から重ねて快復し、本復後の政務に復したことを島津光久へ知らせた老中三名の連署状。
追録1-No.96 松平信綱外二名連署状
松平信綱・阿部重次・阿部忠秋が、島津光久から公方の不例を案じる使者が来たことに返答する。公方は引き続き機嫌が良く、近ごろ鷹狩にも出御しているので安心するよう伝え、光久のたびたびの配慮を上聴に達したと知らせる。詳しくは使者が説明するという。
追録1-No.97 松平信綱外二名連署状
島津光久から新田八幡宮の祈祷に伴う献上品を受け、将軍の機嫌が増して本復したことを知らせた老中三名の連署状。
追録1-No.98 松平信綱外二名連署奉書
大明兵乱により平戸へ来た者から事情を聞き、長崎への入港・福州での落城など海外情勢を調査して報告するよう命じた老中連署奉書。
追録1-No.99 唐人合戦の覚
福州を拠点とする唐王・達人の軍事情勢、捕虜・船・武器、言語や行動、帰還の可否など、唐人から聞き取った大明兵乱関係の覚書。
追録1-No.100 異国船警固覚書
外国使節・異国船来航時に鍋島信濃守・松平右衛門佐らを九州へ配置し、高力摂津守・長崎奉行と連携して人数を動員・警固する体制を記した覚書。