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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 1301~1400件・14 / 28ページ

  1. 追録1-No.1285 北郷忠長参勤随従記事

    北郷忠長の譜は、寛文九年五月の光久の江戸行きに忠長と家老北郷次左衛門久伴が従ったと記す。参勤月には光久譜は九年三月とあり誤りかという傍注がある。続く翌年五月二十八日の将軍家綱への拝謁・献上は主語が省略されており、太刀一腰・馬代銀一枚・帷子一・熨斗目一・綿子一を献じたとする。同十年十一月十二日に江戸で…

  2. 追録1-No.1286 島津綱久帰国記事

    島津綱久が寛文九年四月二十一日に上使土屋数直から帰国許可と家例どおりの恩賜を受け、五月八日に江戸を発った記事。家老新納又左衛門久了が従い、大坂を出帆して六月二十八日に薩摩へ着船、七月朔日に鹿児島へ入り、帰国許可の厚恩に礼を述べて先例どおりの品を献じた。

  3. 追録1-No.1287 島津光久袖判条書

    島津光久が北郷忠長へ、代々の忠節を守ること、旅人往来への配慮、弓馬・学問、北郷家の作法維持、伊集院左京・弟子丸六郎兵衛との相談、知行・金銀米銭の勘定、年貢収納、借金の回避、分限を越えた華美・数寄普請の禁止などを命じた袖判条書。

  4. 追録1-No.1288 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知し、様子を尋ねる使者に公方はますます勇健なので安心するよう伝える。氷砂糖一壺と御肴一種の献上を各々相談して披露し、一段の御仕合とする。参勤のため先月中に国元を発足する旨も承知したと返答する。

  5. 追録1-No.1289 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の勇健と先月十日に品川筋へ鷹狩に出て機嫌よく還御したことへの恐悦の意を承知したと返答する。入念の段は各々相談して上聞に達したと伝える。

  6. 追録1-No.1290 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、同族の薩摩守島津綱久が上使から帰国許可を受けたとの報告を承知したと答えた。また光久が国元出発後、悪天候で出船が遅れ、去る朔日に備後鞆まで進んだとの知らせを受け、その丁寧な報告を老中間で相談して将軍へ言上すると述べた書状。

  7. 追録1-No.1291 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、端午の御内書を渡すので、翌日の四時頃に家来一人を登城させるよう伝えた書状。

  8. 追録1-No.1292 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、琉球布十巻・御肴一種・泡盛酒二壺の献上を披露し、一段の御仕合と返答する。

  9. 追録1-No.1293 島津光久書状

    島津光久が中城按司へ、年始の祝儀として使書が届いたことを喜び、恒例どおり目録記載の品々を受け取って欣然としたこと、詳しくは使者が述べると答えた書状。

  10. 追録1-No.1294 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城按司へ、この年の祝儀として芳書が届いたことを喜び、目録どおりの贈り物を受け取ったことを謝し、後日の慶事を待つと答えた書状。

  11. 追録1-No.1295 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が薩摩少将へ、重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭が述べると伝えた黒印付き御内書。

  12. 追録1-No.1296 島津綱久書状

    島津綱久が中城按司へ、この年の祝儀として丁重な書状が届いたことを喜び、預かった特別な贈り物を目録に表して示したこと、後日の慶事を待つと答えた書状。

  13. 追録1-No.1297 安千代(光久女)系譜抄

    島津光久の男女二十七人目の女子安千代について、寛文九年九月十日に生まれ、母は家の女房であり、のちに家臣肝付帯刀兼柄の室となったことを記す系譜抄。

  14. 追録1-No.1298 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、御馬一疋の献上について土井能登守と相談し、目録のとおり披露して一段の御仕合と返答する。土井能登守には利房の傍注がある。

  15. 追録1-No.1299 土屋数直書状

    土屋数直が薩摩守へ、将軍徳川家綱が健勝であるとの報告を承知した。また国元へ到着した際に派遣した使者へ時服が下されたとの知らせを受け、その丁寧な報告を老中間で相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  16. 追録1-No.1300 稲葉正則・土屋数直連署状

    稲葉正則・土屋数直が島津光久へ、重陽の御内書を渡すので、翌日の四時頃に家来一人を登城させるよう伝えた連署状。

  17. 追録1-No.1301 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、桜島蜜柑二箱と御肴一種の献上を披露し、一段の御仕合と返答する。

  18. 追録1-No.1302 島津綱貴筆跡(万葉集・山部赤人)

    綱貴公御譜中に、「和歌のうらにしをみちくれハかたを渡/あしへをさして田鶴鳴きわたる」の歌を「綱貴書」として収める。寛文九年戊酉十二月日と年記を付す。

  19. 追録1-No.1303 尚貞、琉球国司を相続

    琉球国司尚質王が寛文八年十一月十七日に琉球で没したため、島津光久は子の尚貞が琉球国司を継いだと聞き、使節を派遣して太刀一腰・馬代黄金十両・肴三種・樽二荷を贈り、相続を祝賀した記事。

  20. 追録1-No.1304 島津光久書状

    光久が琉球国司尚貞へ、昨歳に幕府へ伺った即位が申請どおり認められ、従前の規定により国を安堵されたことを祝い、太刀一腰・馬代黄金十両・三種二荷を進覧し、詳しくは使者が述べると伝える。

  21. 追録1-No.1305 島津綱久書状

    侍従綱久が琉球国司へ、継目が首尾よく済んだことを喜び、太刀一腰・馬代黄金十両を祝儀として進覧し、後喜の節を待つと伝える。

  22. 追録1-No.1306 島津綱貴書状

    侍従綱貴が琉球国司へ、継目が首尾よく済んだことを喜び、太刀一腰・馬代黄金十両を祝儀として進覧し、後喜の節を待つと伝える。

  23. 追録1-No.1307 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、国許の龍眼肉一壺と御肴一種の献上を披露し、珍しく思し召して御喜色であったと伝える。

  24. 追録1-No.1308 島津綱久書状

    侍従綱久が琉球國へ、継目の件を少将殿が伺ったところ相違なく仰せ出されたことを喜び、太刀一腰・馬代黄金十両・二種・両樽を祝儀として進覧すると伝える。

  25. 追録1-No.1309 稲葉正則・久世広之・土屋数直連署状

    土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、歳暮の御内書を渡すので、明日四時分に家来一人を御城へ差し越すよう伝える。

  26. 追録1-No.1310 袈裟千代(光久女)系譜抄

    島津綱久の男女二十八人目の女子袈裟千代について、寛文十年三月二日に生まれ、母は家の女房であり、のちに家臣種子島弾正伊時の室となったことを記す系譜抄。

  27. 追録1-No.1311 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、大官香・寿帯香・聚仙香・香餅と御肴一種の献上を目録どおり披露し、一段の御仕合と返答する。

  28. 追録1-No.1312 林鵞峰書状

    弘文院春斎(林鵞峰)が嶋津図書久通へ、今回の下向をねぎらい、二冊と遠方から取り寄せられた古証文を一覧したと伝える。先年送られた家記にある貴久以来の事績を今度の御書物へ書き入れたという。出雲殿(久竹の傍注)からの音信への返書送付を頼み、追而書では東鑑の件について面上で説明するため仔細を省くとする。

  29. 追録1-No.1313 島津綱久参府

    島津綱久が寛文十年三月二十二日に国元を出発し、海路と東海道を経て江戸へ参府した記事。遠州浜松で帰国途上の父光久に会い、五月六日に江戸へ着き、同月十日に登城して将軍に拝謁したのち、六月十日に江戸を発って帰国した。

  30. 追録1-No.1314 島津久通・町田忠代連署条書

    町田忠代・島津久通が岡元千右衛門へ、高輪奥方の一年分の使用を八木九千俵(一俵三斗五升入)で調え、奥家老定役・相役が協議するよう定める。奥方常住・女房衆の賄い、酒肴・故実・炭薪・灯火、正月・五節供と一門中の祝物をこの内で賄い、表方は合力しない。奥家老役に十人之騎馬を賦し扶持米五十石を九千俵の内から出し…

  31. 追録1-No.1315 島津光久帰国

    島津光久が寛文十年四月十五日に帰国許可を受け、同月二十五日に江戸を発ち、町田忠代・肝付兼方らを使役として六月三日に薩州出水脇本へ帰着し、同月十一日に鹿児島へ入ったことを記す帰国記事。

  32. 追録1-No.1316 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が薩摩少将へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が届いたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠清が述べると伝えた黒印付き御内書。

  33. 追録1-No.1317 琉球国司尚貞起請文

    琉球国司尚貞が、先代国司の跡職を継ぐことを認められた恩を生涯忘れず、琉球安泰は薩摩の厚恩によるとして忠節を誓った起請文。子孫へ誓約を伝え、背反者は嫡子孫でも国法により処罰し、秘密なく届け出ると誓っている。

  34. 追録1-No.1318 琉球国司尚貞書状

    琉球国司尚貞が幕府老中へ、先代国司の跡職を命じられた厚恩に謝し、薩摩藩主への忠節を尽くす旨の霊社神文を黒葛原周右衛門尉に託して提出したので、披露を願うと伝えた書状。

  35. 追録1-No.1319 島津綱貴帰国

    将軍徳川家綱が寛文十年五月十五日に島津綱貴を召して初入国の暇を与え、綱貴が六月十日に江戸を発ち、東海道・大坂・西海を経て七月二十五日に鹿児島へ入った記事。到着後は島津久寧を江戸へ遣わし、将軍への献上と帰国許可への謝礼を行った。

  36. 追録1-No.1320 松平頼常書状

    松平頼常が島津光久へ、同族の薩摩守島津綱久が参府の礼を無事に申し上げ、さらに修理大夫島津綱貴が前日に国元への暇を拝領したことを祝い、満足しているだろうと伝えた書状。

  37. 追録1-No.1321 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方は機嫌よく健勝なので安心するよう伝え、琉球布十巻・御肴一種・泡盛酒二壺の献上を披露し、一段の御仕合と返答する。

  38. 追録1-No.1322 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍徳川家綱の健勝を喜ぶ旨を了承し、修理大夫島津綱貴が無事に帰国の暇と拝領品を受けたとの報告、ならびにその礼使派遣について、老中間で相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  39. 追録1-No.1323 琉球国司尚貞、襲封を謝す

    寛文十年八月朔日、琉球国司尚貞の使者名護按司が来訪し、尚貞の襲封に対する恩を謝し、修理大夫島津綱貴にも拝謁した記事。

  40. 追録1-No.1324 稲葉正則・久世広之・土屋数直連署状

    土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、八朔の祝儀として太刀一腰・御馬代黄金十両を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  41. 追録1-No.1325 土井利房書状

    土井利房が島津光久へ、帰国の暇を得て海陸とも無事に六月十一日に国元へ着いたことを祝い、老中への礼使派遣を承知したと答えた。また贈られた琉球布一箱二十疋と干鯛一箱への謝意を伝えた書状。

  42. 追録1-No.1326 雨宮正種書状

    雨宮正種が島津光久へ、光久が国元で無事にいるとの知らせを喜び、京都町の屋敷の留守居を高橋権左衛門から五代少左衛門へ交替させるので、以後の用事は五代と相談するようにとの通知を承知したと答えた書状。

  43. 追録1-No.1327 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、島津外記が願いどおり将軍への御目見を無事に済ませ、礼を申し上げたとの報告を承知し、その礼使派遣について老中間で相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  44. 追録1-No.1328 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、同氏修理大夫綱貴が内願どおり暇を得て時服・御馬を拝領した旨を承知したと返答する。礼の使者を差し越した入念の段は、各々相談して上聞に達したと伝える。編者は綱貴が五月十五日に初めて帰国の暇を賜った記事からこの年であろうと注す。

  45. 追録1-No.1329 佐竹義隆書状

    佐竹義隆が島津光久へ、将軍が健勝であることを喜び、光久が帰国の暇を得て道中無事に六月十一日に国元へ着いたことを祝い、老中への礼使派遣を承知したと答えた書状。

  46. 追録1-No.1330 島津久通覚書

    島津久通が、日本通鑑編纂に際して林春斎に示した島津家関係記事の訂正意見を記した覚書。源頼朝から薩摩・大隅・日向を与えられたとの家伝、太平記にみえる鎌倉で新田義貞方へ降参した島津四郎の比定、朝鮮で軍振るわず改易された島津又太郎を豊臣譜が島津又七郎とした誤りの三点について、誤記が通鑑に残れば島津家の悪名…

  47. 追録1-No.1331 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、端午祝儀として帷子などを献上し、将軍徳川家綱の御内書を頂戴したうえ、使者にも時服が下されたことについて、光久の謝意を了承し、老中一同で相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  48. 追録1-No.1332 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久の留守居へ、帰国御礼の使者佐多丹波に進物を持参させ、翌二十八日の四時以前に登城するよう申し渡せと命じた書状。

  49. 追録1-No.1333 稲葉正則・久世広之・土屋数直連署状

    土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意と、首尾よく暇を得たことへの謝意を承知する。帰国御礼の使者佐多丹波が羅紗十間と御樽肴を献じた件を披露し、使者は御前へ召し出され、入念の段は御喜色であったと知らせる。詳しくは丹波が述べるとする。

  50. 追録1-No.1334 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、将軍が健勝であることを喜ぶ旨を了承し、上使からの鷹狩の雲雀を同族の薩摩守島津綱久が拝領した件について、光久の申し入れどおり老中一同で相談して将軍へ言上したと答えた書状。

  51. 追録1-No.1335 島津久通外六名連署条書

    光久譜所収の島津久通ら七名連署条書は桂杢之介へ、江戸からの流人を一か所一人ずつ地頭に預け監護するよう定める。常時側で召し使わず、外向きの召使い、下人・妻子、近郷への自由往来を禁じ、逃亡させないよう保護する。主人の下知に従わず気任せに振る舞う場合は捕縛し、火付・盗み・喧嘩・坊入りを企てる場合も捕らえる…

  52. 追録1-No.1336 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳細は酒井雅楽頭忠清が述べると伝えた御内書。

  53. 追録1-No.1337 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、同姓修理大夫綱貴が先頃初めて暇を得て国許へ到着した旨を承知したと返答する。その礼の御肴一種を各々相談して披露し、一段の御仕合と伝える。編者は綱貴が五月に初めて帰国の暇を得て六月に江戸を発ち七月五日に入国したと注す。

  54. 追録1-No.1338 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、先代国司の跡職継承を祝うため名護按司を遣わし、目録どおり多数の祝品を贈った厚意に謝し、後日の慶事を期すと答えた書状。

  55. 追録1-No.1339 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、先代国司の跡職を安堵されたことを祝し、継目の祝儀として目録どおり贈られた品々への謝意を伝え、詳細は名護按司が説明するとした書状。

  56. 追録1-No.1340 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、自身の婚礼が無事に整ったことを祝って讃谷山按司を遣わし、数々の祝品を贈った厚意に謝した書状。

  57. 追録1-No.1341 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、当年の賀状と目録どおりの贈品を受けた厚意に謝した書状。

  58. 追録1-No.1342 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、将軍徳川家綱の健勝を喜ぶ旨と、なお詳しく様子をうかがうため使者を遣わしたことを了承し、将軍はますます健勝なので安心するよう答えた。また献上された肴一種を老中一同で披露したところ、将軍が喜んだと知らせた書状。

  59. 追録1-No.1343 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝で、七月二十日に東叡山の御堂へ参詣したとの知らせを了承し、その祝意を老中一同で相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  60. 追録1-No.1344 島津久富佐土原に復帰す

    寛文十年初冬、久英が光久へ、叔父久富は厳親久雄の代から鹿児島で奉仕しており謝意を尽くせないと述べ、久英自身の助力となるよう佐土原へ戻すことを願う。光久は十月十六日に願いを許し、久富は翌寛文十一年初夏に鹿児島を辞して佐土原へ帰る。

  61. 追録1-No.1345 安部信之書状

    安部信之が島津光久へ、八月二十三日の激しい風雨で城内各所が破損したものの重大な支障はなく、川口からの高潮により船蔵・船手衆の屋敷・町屋・橋などが破損したと報告し、見舞いへの謝意を伝えた書状。

  62. 追録1-No.1346 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝で、七月二十四日に増上寺の仏殿へ参詣して無事に還御したとの知らせを了承し、その祝意を老中一同で相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  63. 追録1-No.1347 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝で、紅葉山御宮の修理完成に伴う正遷宮のため八月十七日に参詣したとの知らせを了承し、その祝意を老中一同で相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  64. 追録1-No.1348 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久の留守居へ、重陽の御内書を渡すので、翌日の四時ごろ留守居二人が登城するよう命じた書状。

  65. 追録1-No.1349 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、紅葉山御堂の修理が完成し、八月二十日に将軍徳川家綱が参詣して無事に還御したとの知らせを了承し、その祝意を老中一同で相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  66. 追録1-No.1350 光久、御鷹の鶴を拝領す

    寛文十年十一月三日、島津光久が将軍の御鷹で捕らえた鶴を拝領し、老中奉書とともに宿継ぎで薩摩へ届けられたため、使者を急派して謝意を述べ、肴一種を献上した記事。

  67. 追録1-No.1351 稲葉正則・久世広之・土屋数直連署状

    稲葉正則・久世広之・土屋数直が島津光久へ、将軍徳川家綱は健勝なので安心するよう伝え、御鷹で捕らえた鶴を光久へ拝領させるため宿継ぎで送ったと知らせた老中連署状。

  68. 追録1-No.1352 久世広之書状

    久世大和守が松平大隅守殿留守居中へ、御鷹之鶴を受け取るため、留守居一人が「今七時分」に私宅へ来るよう指示する。

  69. 追録1-No.1353 稲葉正則・久世広之・土屋数直連署奉書

    土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、公方の健勝を伝える。琉球使者が当夏その国まで着岸したこと、来年の参府は先年の四月末・五月初めの発足と同じ時節とするか、同姓修理大夫の参勤時分をどうするかという照会を上聞に達したとする。修理大夫は先だって参府し、大隅守は来年五月中に国元を発足する際、琉球人を…

  70. 追録1-No.1354 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知し、様子を尋ねる件にはますます勇健なので安心するよう返答する。御肴一種の献上を各々相談して披露し、一段の御仕合と伝える。先に差し越した使者が御前へ召し出され、時服等を下賜された件への別紙の謝意も承知したとする。

  71. 追録1-No.1355 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知し、領国の蜜柑二箱と御肴一種の献上を各々相談して披露し、一段の御仕合と返答する。

  72. 追録1-No.1356 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、同族の修理大夫島津綱貴が帰国の暇を得て国元へ到着した際、帰国御礼に派遣した使者が将軍の御前へ召し出され、時服も下賜されたことへの光久の謝意を了承し、老中一同で相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  73. 追録1-No.1357 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、重陽祝儀として御服を献上し、将軍徳川家綱の御内書を頂戴したうえ、使者にも時服が下されたことへの謝意を了承し、その内容を老中一同で相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  74. 追録1-No.1358 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意と厳寒の折に様子をうかがう使者を遣わした旨を承知し、公方はますます勇健なので安心するよう伝える。御道服五と御肴一種の献上を各々相談して披露し、一段の御仕合とする。

  75. 追録1-No.1359 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十領が届いたことを喜び、詳細は酒井雅楽頭忠清が述べると伝えた御内書。

  76. 追録1-No.1360 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、先ごろ御鷹の鶴を宿継ぎで国元において拝領したとの報告を了承し、その礼使が献上した肴一種を老中一同で披露したところ、格別に良い取り計らいとなったと知らせた書状。

  77. 追録1-No.1361 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、上使から同族の薩摩守島津綱久が将軍の御鷹で捕らえた雁を拝領したとの知らせを受けたという光久の報告を了承し、その内容を老中一同で相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  78. 追録1-No.1362 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝で、先ごろ鷹狩のため隅田川筋へ出御し、無事に還御したとの知らせを了承し、その祝意を老中一同で相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  79. 追録1-No.1363 島津光久吉書

    寛文十一年正月十一日の島津光久の吉書が文庫三番箱六巻に収められていたが、編者が原文を省略した短い記事。

  80. 追録1-No.1364 稲葉正則外三名老中連署状

    稲葉正則・久世広之・土屋数直・板倉重矩が島津光久へ、年頭祝儀の使者を立てて太刀一腰と馬代黄金十両を献上し、披露したところ将軍が喜んだと知らせた老中連署状。

  81. 追録1-No.1365 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、参勤時期について先の奉書の内容を了承し、そのため使者を派遣したことも承知したとして、使者の用向きを老中一同で相談し将軍へ言上すると答えた書状。

  82. 追録1-No.1366 島津光久仰出

    島津光久が、島津外記の跡目を島津権十郎に継がせるよう命じた仰出。庄内の事情が未解決であるため当面の措置とし、後見人を選んで政務を改めさせる一方、代々忠節を尽くした北郷家の血筋が断絶するのは本意でないので、後日適任者を選んで血統を立てる可能性があることも承知させるよう命じた。

  83. 追録1-No.1367 久世広之書状

    久世広之が島津光久の留守居へ、申し渡す用件があるので、翌十三日の卯刻過ぎに留守居一人が久世の私宅へ来るよう命じた書状。

  84. 追録1-No.1368 島津光久仰出

    島津光久が、庄内の跡職を島津権十郎へ継がせ、島津帯刀を後見に任じるよう命じた仰出。庄内では近年家政が乱れ、祖母の指図のもとで統治が緩み、領内が衰微し若者も登用されず役人が不足したとして、帯刀に責任をもって改革させ、従来と変わらない場合は帯刀の落度とすると厳命した。

  85. 追録1-No.1369 島津久記、元服す

    寛文十一年二月二十日、幼名千代徳の島津久記が元服し、島津綱貴が自ら加冠して源七久記と名乗らせ、脇刀一腰を与えた。島津権十郎久顕が理髪を務めた記事。

  86. 追録1-No.1370 久世広之外二名幕府老中連署状

    久世広之・土屋数直・板倉重矩が島津光久へ、陽春を祝い、将軍徳川家綱が健勝で年始の儀式も滞りなく済んだので安心するよう伝えた。また将軍の様子を尋ねる使者の派遣と樽肴の献上を披露したところ、将軍が喜んだと知らせた老中連署状。

  87. 追録1-No.1371 板倉重矩書状

    板倉重矩が島津光久へ、紀伊大納言徳川頼宣の死去は言葉に尽くせない出来事だとし、これにより将軍徳川家綱の様子をうかがうため光久が使者を派遣した配慮を了承し、その旨を老中一同で相談して将軍へ言上したと答えた書状。

  88. 追録1-No.1372 保科正之書状

    保科正之が島津光久へ、紀伊大納言徳川頼宣の死去についての書状を受け取り、自分たちも同様に深く悼んでいるとして礼を述べた書状。

  89. 追録1-No.1373 島津綱貴参府

    寛文十一年二月二十六日、島津綱貴が家老島津久通、守役島津久邦らを伴って参勤に出発し、日向路・細島・大坂・東海道を経て五月四日に江戸へ着いた。同月十日に登城して将軍徳川家綱に拝謁した記事。

  90. 追録1-No.1374 桂久澄、家光の年回法事に代参

    番頭桂久澄が寛文十一年三月に江戸へ赴き、島津光久の命によって日光山で行われた前将軍徳川家光(大猷院)の年回法事へ代参し、翌年五月に薩摩へ帰った記事。

  91. 追録1-No.1375 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝で、二月朔日の増上寺仏殿および同二日の東叡山御堂への参詣から機嫌よく還御したとの知らせを光久が喜んだ旨を了承し、その書状の内容を老中一同で相談して将軍へ伝えたと答えた書状。

  92. 追録1-No.1376 久世広之書状

    久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知し、なお様子をうかがう使者を派遣した件には公方はますます勇健なので安心するよう伝える。氷砂糖一壺と御肴一種の献上を各々相談して披露し、一段の御仕合とする。

  93. 追録1-No.1377 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、歳暮祝儀に呉服を献上して将軍徳川家綱の御内書を頂戴し、さらに使者へ絹衣が下賜されたことへの重ねての謝意を了承し、その書状の内容を老中一同で相談して将軍へ言上すると答えた書状。

  94. 追録1-No.1378 稲葉正則外三名幕府老中連署状

    稲葉正則・久世広之・土屋数直・板倉重矩が島津光久へ、大猷院徳川家光の遠忌法事に使者を遣わして香奠を献上し、日光山で無事に奉納されたと知らせ、その旨を将軍徳川家綱へ伝えた老中連署状。

  95. 追録1-No.1379 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が届いたことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭忠清が述べると伝えた墨印付き御内書。

  96. 追録1-No.1380 島津光久、琉球礼使を伴い参勤

    寛文十一年五月二十八日、島津光久が参勤のため鹿児島城を出発し、中山王尚貞の謝礼使である金武按司を伴った。六月五日に川内京泊津から出船し、同月二十六日に大坂へ着いてしばらく滞在した記事。

  97. 追録1-No.1381 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久の留守居へ、端午の御内書を渡すので、翌十三日の四時ごろ留守居一人が登城するよう命じた書状。

  98. 追録1-No.1382 島津綱久書状

    島津綱久が肝付弾正へ、相手方の関係者が今月三日に死去したとの知らせを受け、まことに痛ましく、自分も同じく深く哀悼していると伝えた書状。

  99. 追録1-No.1383 安智軒書状

    安智軒が松平薩摩守へ、伏見へ昨日到着した際の飛札と焼酎一壺・琉球雑用器への謝意を述べ、首尾よく暇を得て帰国することを祝う。次男内匠(久住の傍注)が、大隅殿の御定によって家来の島津又八郎の養子となり、今回国許へ同道するとの知らせを承知し、江戸の一門も無事だと伝える。詳しくは書状で申し達するとする。

  100. 追録1-No.1384 島津綱久帰国

    寛文十一年五月十四日、島津綱久が帰国の暇と例年どおりの拝領品を受け、六月三日に次男内匠を伴って江戸を発った。大坂・播州絵島を経て、参勤途上の父光久と対面し、七月に薩摩へ帰着したのち、仁礼平吉を江戸へ派遣して献上品を届け、帰国許可を謝した記事。