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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 901~1000件・10 / 28ページ

  1. 追録1-No.895 松平信綱・稲葉正則連署状

    松平信綱と稲葉正則が島津光久へ、将軍が頭痛のため八朔に表へ出なかったと聞いて容体を伺う使者を遣わしたことに答え、すでに回復してたびたび表へ出て諸礼を受けているので安心するよう伝えた連署状。

  2. 追録1-No.896 松平信綱・稲葉正則連署状

    松平信綱と稲葉正則が島津光久へ、将軍の頭痛の様子を伺う使者に対し、先の書状で知らせたとおり機嫌よく回復し、たびたび表へ出て諸礼を受けているので安心するよう伝えた連署状。詳しくは使者が説明するとする。

  3. 追録1-No.897 松平信綱・稲葉正則連署状

    松平信綱と稲葉正則が島津光久へ、将軍の頭痛を案じて遣わした使者に対し、先の書状どおりすでに回復し、たびたび表へ出て諸礼を受けているので安心するよう重ねて伝えた連署状。

  4. 追録1-No.898 島津久通外四名家老連署達書

    島津久通ら家老五名が三司官へ、七月に八重山近辺で破損したオランダ船への対応を指示した達書。島民の救助・接待と拾得物の保管を評価し、残荷・船体・道具の保護、長崎への連絡、乗員・宰領の移送を命じ、今後も諸島で同様に遭難者を厚遇するよう求める。

  5. 追録1-No.899 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、領国見廻りのため中城王子尚貞が渡来し、無事に着岸したことを喜び、王子が旅中も無事であるため琉球でも大いに喜んでいるだろうと伝えた書状。

  6. 追録1-No.900 松平信綱・稲葉正則連署状

    松平信綱と稲葉正則が島津光久へ、同姓薩摩守の内室が病気療養のため湯治を願い出て暇を与えられ、光久が謝意を示す使者を遣わしたことを承知し、丁寧な礼を将軍へ上聞すると通知した連署状。

  7. 追録1-No.901 松平信綱・稲葉正則連署状

    稲葉正則・松平信綱が松平大隅守へ、公方が機嫌よく八月二十一日に表へ出御し、諸公の御目見があったことを喜んで使者を遣わした旨を承知したと伝える。国許の御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  8. 追録1-No.902 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、今回中城按司が渡来したが、自分は江戸に滞在していて対面できず残念であると述べ、目録どおり贈られた琉球産物への厚い謝意を伝えた書状。

  9. 追録1-No.903 松平信綱書状

    松平信綱が島津綱久へ、紀伊大納言が参府して翌二十八日に将軍と対面するため諸礼を行わないので、登城には及ばないと通知した書状。

  10. 追録1-No.904 光久御鷹ノ鶴拝領ス

    光久公御譜中に、同年十一月七日、御鷹が捉えた鶴一を拝賜し、執政が奉書で贈ったと記す。光久は使者を走らせて謝礼し、肴一種を献上した。

  11. 追録1-No.905 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平薩摩守へ、公方の機嫌を伺う使者について、ますます勇健なので安心するよう伝える。御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  12. 追録1-No.906 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、将軍御鷹の鶴を宿次で送るので、詳しくは息子薩摩守から伝えると通知した連署状。

  13. 追録1-No.907 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、将軍に少々咳気があると聞いて容体伺いの使者を遣わした件に答え、すでに全快してたびたび表へ出御し諸礼を受けているので安心するよう伝え、丁寧な気遣いを上聞すると通知した連署状。

  14. 追録1-No.908 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、将軍の咳気により去月五日の玄猪祝儀が延期されたため容体を案じたことを承知し、将軍は早くも全快して二十九日に祝儀を滞りなく済ませ、機嫌もよいので安心するよう伝えた連署状。

  15. 追録1-No.909 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、甚寒の節に公方の機嫌を伺う使者を遣わしたことを喜び、公方はますます勇健なので安心するよう伝える。御羽織五と御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。別紙の知らせも承知し、詳細は使者が述べるとする。

  16. 追録1-No.910 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、国許の蜜柑二箱と御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  17. 追録1-No.911 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の咳気が本復し、十月二十一日に表へ出御して諸公の御目見があったことを喜び、使者を遣わした旨を承知したと伝える。公方はますます勇健であり、御肴一種を献じた件を披露して一段の御仕合と返答する。

  18. 追録1-No.912 光久金山試掘ノ恩免ヲ得ル

    島津光久が領内の金気のある場所を試掘したいと願い、松平隠岐守定行と神尾備前守を通じて許可を求めたところ、明暦四年六月二十五日に認められ、串木野の芹ヶ野金山を開くに至ったと記す記事。

  19. 追録1-No.913 島津光久内意書

    光久公御譜中の仰出写二条。十二月十六日、島津図書(久通注)・町田勘解由(久則注)・鎌田源左衛門(政有注)に鷹を赦免し、場をさい原・柴原・谷山と定める。同月十七日、鷹野御免の衆に札三を渡し、首尾よく取り計らうよう命じ、但書で鷹犬まで免ずる。末尾十二月二十一日付で伊勢兵部が島津図書へ二条を伝える。

  20. 追録1-No.914 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、先頃将軍の御鷹の鶴を拝領した礼として、光久が使者を遣わし肴一種を献上した件を披露したと通知した連署状。

  21. 追録1-No.915 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいと伝える。同姓薩摩守が先頃御鷹の鴈を拝領した件を承知し、差し越した使者について入念の段は上聞すると返答する。

  22. 追録1-No.916 島津久通書状

    島津図書久通が鎌田蔵人へ、金山は出入りが多く節季には山中五千人ほどになるとの見込み、近国からの米の流入、山中米六十五匁・肥後肥前七十匁ほど、芹ケ野山と長野山下の金脈・入人の状況を報じる。島津大膳の喜入名跡・知行千五百石と屋敷、養父死後の扱い、弾正の下総養子・知行千七百石余と別給三十斛等を述べる。馬は…

  23. 追録1-No.917 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、陽春の慶事の尽きないことを祝い、公方の機嫌を伺う使者を遣わした旨を承知したと伝える。公方はますます勇健なので安心するよう告げ、御樽肴を献じた件を披露して一段の御仕合と返答し、詳しくは使者が述べるとする。

  24. 追録1-No.918 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、年頭の祝儀に使者を遣わして太刀一腰と御馬代黄金十両を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  25. 追録1-No.919 島津忠朝東郷一所ヲ領知ス

    島津忠朝が万治四年二月、命に応じて日置を差し出し、その後日置のうち五百石を与えられ、以後は東郷一所を領知したと記す記事。

  26. 追録1-No.920 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、先月十五日に禁裏と院中が炎上したと知って驚き、使者を遣わした光久の心遣いを承知し、将軍へ上聞すると通知した連署状。

  27. 追録1-No.921 光久参勤ス

    島津光久が万治四年三月三日に参勤のため出発し、日向国細島から乗船して大坂へ着き、四月二十五日に江戸へ到着した。家老島津中務久茂と島津筑前久頼が供奉し、上使・就任礼や献上品は明暦三年と同様だったと記す記事。

  28. 追録1-No.922 萬鶴(光久女)誕生

    『綱久公御譜中』は、寛文元年三月九日に女子萬鶴が家の女房を母として誕生し、のち家臣北郷宗次郎忠昭の室となったと記す記事。

  29. 追録1-No.923 寛文改元

    『綱貴公御譜中』が、万治四年四月二十五日に元号を寛文へ改めたと記す記事。

  30. 追録1-No.924 島津光久詩文

    光久が中山国王子尚氏朝周へ呈した詩序と二章の詩。王子が千里万頃を遠し難しとせず来訪した厚い礼を喜び、その容貌辞気と才能を国器・鳳毛・瑤林瓊樹に比して称賛する。光久自身が三月の述職の勤めに東行を急ぐため、浮萍・恨別鳥驚心・春燕秋鴻の恨などの句で別離を惜しみ、二章の詩を贈る。

  31. 追録1-No.925 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平大隅守へ、この春の江戸での火事で家屋多数が焼失したと聞いて驚き、一方で城内が無事だったことを珍重して使者を遣わした旨を承知したと返答する。入念の段は上聞すると伝える。

  32. 追録1-No.926 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、将軍が先月二十二日に隅田川筋へ鷹狩に出御して無事還御したことへの祝意を承知し、また参勤途上の光久が三日に伊予国弓削まで到着したとの報告を受け、将軍へ上聞すると通知した連署状。

  33. 追録1-No.927 市来家賀寄進状

    市来次十郎惟宗家賀が、病気平癒・息災延命・武運長久・諸願成就を願い、正宮へ鎧一領、甲一、籠手・佩楯一具を奉納した寄進状。

  34. 追録1-No.928 殉死・戦亡者名

    寛文元年を中心に、朝倉六兵衛・藤井四郎兵衛らの殉死、長谷場十郎兵衛純堯・山内七右衛門・関田次郎右衛門らの戦傷・死亡について、日付や主家関係を付して列挙した記事。

  35. 追録1-No.929 綱久帰国ス

    寛文元年四月二十九日、稲葉正則を上使として島津綱久に帰国許可と先例どおりの賜品が伝えられ、登城時には馬一匹も与えられた。綱久は五月四日に江戸を発ち、家老鎌田蔵人政直を伴って六月十九日に鹿児島へ入り、樺山長門忠則を江戸へ派遣して帰国許可を謝し、先例どおり献上したと記す記事。

  36. 追録1-No.930 島津綱久書状

    島津綱久が北郷次郎左衛門久定へ、海陸とも無事に前日着船したとの知らせを喜び、その祝儀として遠路使者と書状を寄せた心遣いに謝意を伝えた返書。

  37. 追録1-No.931 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、琉球布十巻・御肴一種・泡盛二壺を献じた件を披露し、入念の段は御喜色と知らせる。

  38. 追録1-No.932 寛文改元

    『光久公御譜中』が、万治四年四月二十五日に元号を寛文へ改めたと記す記事。

  39. 追録1-No.933 松平信綱外二名老中連署状

    松平信綱ら老中三名が島津光久へ、伝達すべき御用があるため、翌四日の日の出頃に家来一人を評定所へ差し越すよう命じた連署状。

  40. 追録1-No.934 千亀(光久女)誕生

    綱久公御譜中の同胞系図で、綱久と女子を横列に置き、男女十五人略とした後に千亀を掲げる。千亀は寛文元年七月八日生まれ、母は家の女房で、家臣伊勢兵部貞顕の室となったと記す。

  41. 追録1-No.935 島津久茂・島津久頼家老中連署達書

    島津久茂と島津久頼が鎌田政有ら五名へ、将軍の機嫌伺いの使者には岩元清左衛門を差し出すので国元から別に召し上げる必要はなく、冬の機嫌伺い使者は頃合いを見て命じ、時期は追って知らせると達した連署書。

  42. 追録1-No.936 妻木頼熊書状

    妻木彦右衛門頼熊が島津図書・鎌田蔵人へ、先年琉球国八重山の与那国で破損した阿蘭陀船荷物について、阿蘭陀人の帰帆時には積渡しが間に合わず、琉球人が八重山から薩摩へ運び、役人家来四人のうち琉球人二人が荷物を長崎まで護送した旨を報じる。無事着岸し、目録どおり請け取ったこと、琉球人への配慮と阿蘭陀人の残荷受…

  43. 追録1-No.937 島津久雄禁裡造営、後江戸ニ没ス

    寛文元年八月六日、将軍家が禁裏造営の助役を島津久雄に命じ、久雄は人夫を動員して翌寛文二年十一月五日に完成させた。その後、寛文三年十二月二日に江戸で三十一歳で没したと記す記事。

  44. 追録1-No.938 阿部忠秋書状

    阿部忠秋が島津光久へ、国元産の青毛の牧馬を献上した件を将軍へ披露し、丁重な心遣いを喜ばれたと通知した書状。

  45. 追録1-No.939 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津綱久へ、将軍が健勝であることを知らせ、綱久が暇を得て無事鹿児島へ到着したことを喜び、帰国礼の使者と樽一荷の献上を承知して将軍へ披露したと通知した連署状。

  46. 追録1-No.940 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津綱久へ、将軍の病状を案じた書状を受け、将軍は早く快復し七夕には表へ出て諸礼を受け、その後も健勝であるため安心するよう通知し、綱久の心遣いを将軍へ披露すると伝えた連署状。

  47. 追録1-No.941 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津綱久へ、将軍が少々病んだものの早く快復し、七夕には表へ出て諸礼を受けたことを綱久が喜んだ旨を承知し、その心遣いを将軍へ披露すると伝えた連署状。

  48. 追録1-No.942 北郷久精鳴弦蟇目ノ役ヲ勤ム

    『北郷作左衛門久精譜中』は、寛文元年八月十八日に江戸芝邸で島津綱久の男子が誕生した際、北郷久精が命を受けて鳴弦・蟇目の役を勤めたと記す。男子は後に島津兵庫久薫の猶子となり、兵庫久住と称した。

  49. 追録1-No.943 島津久住誕生

    兵庫忠朗一流系図は、久住(虎助・内匠・兵庫)が寛文元年八月十八日に江戸芝邸で誕生し、太守中将綱貴の弟であると記す。母は松平河内守定行女とし、定行に定頼カという校注がある。

  50. 追録1-No.944 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、端午の将軍内書を渡すため、翌日の四つ時頃に家来一人を江戸城へ差し越すよう命じた連署状。

  51. 追録1-No.945 於長(光久女)誕生

    綱久公御譜中の同胞系図は、綱久と女子を横列に置き、男女十六人とした後に於長を掲げる。於長は寛文元年八月二十七日生まれ、母は家臣有馬新左衛門純実の娘で、家臣島津図書久洪の室となったと記す。

  52. 追録1-No.946 井上正貞書状

    井上正貞が島津光久へ、将軍の病気を見舞う書状を受け、将軍は快復して七月十日に本丸へ移徙したと知らせ、光久の心遣いに謝意を述べた返書。

  53. 追録1-No.947 設楽貞政書状

    設楽貞政が島津光久へ、先月九日付の書状を受け、将軍が健勝で七月十日に本丸へ移徙したことを喜び、光久の心遣いに謝意を述べた返書。

  54. 追録1-No.948 鎌田政直外二名家老中連署書状

    町田久則・伊勢貞昭・鎌田政直の三名が阿谷屋親方へ、少将から宇治茶一壺・鰹節一匣・樽一荷を拝領するので、ありがたく頂戴するよう伝えた家老中連署書状。

  55. 追録1-No.949 鎌田政直外二名家老中連署書状

    町田久則・伊勢貞昭・鎌田政直の三名が饒波親雲上へ、少将から茶碗十、宇治茶一壺、鰹節一箱、樽一荷を拝領するので、ありがたく頂戴するよう伝えた家老中連署書状。

  56. 追録1-No.950 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平薩摩守へ、水戸中納言徳川頼房の死去を聞いて驚き、公方の様子を伺う使者を遣わした旨の書状を受けたと返答する。入念の段は上聞すると伝える。

  57. 追録1-No.951 島津光久覚書

    島津光久が、寛永十一年以来未決着の伊東氏との領分境「牛之峠」をめぐる経緯を整理した覚書。禁裏再建用材として日向領内の槻之河内・板屋之河内の材木を差し出そうとしたところ伊東家が境目裁定を求めたため、境界主張を損なわず公儀の用材命令へ対応する方法と、日向領からの材木召上げ免除の可否について酒井忠清の内意…

  58. 追録1-No.952 島津綱久書状

    島津綱久が琉球国司へ、当年の賀礼として使者と書状を送った旨を江戸で承知し、太平布二十疋・蕉布二十端・焼酎三壺の祝物を贈られたことを喜んだ返書。

  59. 追録1-No.953 島津綱久書状

    島津綱久が琉球国司へ、当年の賀礼として使者を派遣し、目録どおりの祝物を贈られたことを喜び、詳しくは使者が述べると伝えた返書。

  60. 追録1-No.954 松平信綱書状

    松平信綱が島津光久へ、翌二十八日に紀伊宰相徳川光貞との対顔があるため例月の御礼はなく、登城する必要はないと通知した書状。

  61. 追録1-No.955 酒井忠清外三名老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、重陽の将軍内書を渡すため、翌四日の四つ時頃に家来一人を江戸城へ差し越すよう命じた連署状。四名とも判はない。

  62. 追録1-No.956 酒井忠清外三名老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・松平信綱・酒井忠清が松平薩摩守へ、公方の機嫌がよいことを喜び、その様子を伺う使者を遣わした旨を承知したと伝える。公方はますます勇健なので安心するよう告げ、御肴一種を献じた件を披露して一段の御仕合と返答する。

  63. 追録1-No.957 島津久寛誕生

    系譜は、島津綱久の男子久寛が寛文元年十月二十日に誕生し、母は家の女房で、のち島津又六家の後嗣となったと記す。久寛には久當・松千代丸・權七・伊賀・縫殿・勘解由・将監の称が掲げられる。

  64. 追録1-No.958 稲葉正則書状

    稲葉正則が、国許の蜜柑二箱と御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  65. 追録1-No.959 徳川家綱御内書

    家綱黒印の御内書が薩摩少将へ、歳暮の嘉祥として小袖五が到来して喜ばしく思うと伝え、詳しくは酒井雅楽頭が述べるとする。

  66. 追録1-No.960 島津綱久吉書

    島津綱久が寛文二年元旦、長寿と泰平を祝う漢詩句と、『真の道』にかなう心を神が守るという和歌を記した吉書。

  67. 追録1-No.961 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、年始の祝儀に使者を通じ太刀一腰・御馬代黄金十両を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  68. 追録1-No.962 綱久参府ス

    島津綱久が寛文二年二月四日に領国を発ち、日向・細島を経て伊勢兵部貞昭を伴い、三月二十八日に江戸へ参府したのち登城して将軍に拝謁し、先例どおり進物を献じた記事。

  69. 追録1-No.963 光久国中金山ノ採掘ヲ許サル

    島津光久が寛文二年三月、以前から幕府へ願い出ていた領国内金山の採掘について、他国の者を入れて掘らせる許可を得た記事。

  70. 追録1-No.964 島津光久直書

    島津光久が島津図書久通へ、金山採掘に他国者を加える許可を得たため、無用な入来者で領内の人数が七、八千人以上に膨らみ風儀が乱れぬよう人数を統制し、金山奉行と相談して採掘を繁栄させる方策を整えるよう命じた直書。

  71. 追録1-No.965 光久継室平松氏ヲ娶ル

    島津光久が寛文二年三月十九日、江戸藩邸で平松中納言時量の娘を継室に迎えた記事。継室はのちに尼となり、圓和院と号した。

  72. 追録1-No.966 光久帰国ス

    光久公御譜中の記事。同年(前条から寛文二年)の四月十八日、上使が来て告げ、光久は「御給」百・白銀千枚・御馬一匹を拝戴する。五月二十五日に江戸を発し、驛路と渡海を経て七月十九日に鹿府へ到着し、家老島津中務久茂・島津筑前久頼が随行する。この折も種子島三郎次郎久時を東武へ派遣して賜暇の恩を謝し、羅紗五間・…

  73. 追録1-No.967 板倉重宗書状

    板倉重宗が島津光久へ、禁裏火災後の築地普請について入札と試し築地を命じたが悪天候で遅れていると報告し、落札額が定まり次第京都の家臣へ知らせること、費用は知行高に応じて割り付け別途の人夫は不要であることを伝えた書状。

  74. 追録1-No.968 徳川家綱御内書

    家綱黒印の御内書が薩摩少将へ、端午の佳祝として帷子・単物の数五が到来して喜ばしく思うと伝え、詳しくは酒井雅楽頭が述べるとする。薩摩少将には島津光久の傍注がある。

  75. 追録1-No.969 板倉重宗書状

    板倉重宗が松平大隅守へ、江戸で首尾よく暇を得て昨日伏見に着いたことを喜び、祝儀の太刀・馬代黄金一枚・帷子十の内単物二重に謝するが、普段から御上下等を辞退しているので返進すると伝える。禁裏築地の入札は未定で、決まれば当地に置く家臣へ知らせるとする。五月二十一日付。年次の朱書「寛文二年」に「寛文三年カ」…

  76. 追録1-No.970 伊勢弥兵衛口上覚

    伊勢弥兵衛が、島津光久の帰国に伴う通行手形について、京都から江戸までの道中で手形を要する者・不要な者、家臣や飛脚の扱い、手形発給・番所確認の手順を問い合わせ、関係役人の名と回答をまとめた口上覚。

  77. 追録1-No.971 本多忠相外三名幕府老中連署書状

    本多忠相ら四名が伊勢兵部へ、島津光久の二歳の息女とその母を国許へ引き移したいとの願いが許可されたため、その旨を光久へ伝えるよう命じた連署書状。

  78. 追録1-No.972 本多忠就ほか三名連署書状

    本多忠就・北条氏利・滝川利貞・伊沢政信が伊勢兵部へ、松平大隅守の二歳の息女とその母を国許へ引き移す願いを老中が上聞に達し、許可された旨を大隅守へ伝えるよう求めた連署書状。後続の番号なし編者注は、光久の第六女子萬鶴、第七女子千亀、第八女子於長を掲げる。

  79. 追録1-No.973 阿部忠秋・稲葉正則幕府老中連署状

    阿部忠秋と稲葉正則が島津光久の留守居へ、端午の将軍内書を渡すため、翌日四つ時ごろ留守居一人を江戸城へ出すよう命じた連署状。

  80. 追録1-No.974 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方が先月十日に安宅御船上覧のため深川筋へ渡御し、機嫌よく還御したことを喜んだ旨の書状を受けたと返答する。入念の段は上聞すると伝える。

  81. 追録1-No.975 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方機嫌伺いの使者について、残暑でも公方はますます勇健なので安心するよう伝える。琉球布・泡盛・御肴を献じた件は目録どおり披露して一段の御仕合とし、大隅守が先月十五日に大坂まで来た旨も承知したと答える。詳しくは使者が述べるとする。

  82. 追録1-No.976 島津光久書状

    少将光久が琉球国司へ、当年祝儀の使簡と、太平布五十疋・蕉布五十端・焼酎十甕の到来を喜び、詳しくは使者が述べると返答する。

  83. 追録1-No.977 島津綱久書状

    綱久が島津図書へ、伊勢兵部宛の書状を読み、来息又五郎(久竹の傍注)が伏見で患った際、医者と看病人を付けたことを承知したと伝える。礼として遠路使僧を遣わされ、樽肴も到来したことを喜び、詳しくは兵部が口頭で述べるとする。

  84. 追録1-No.978 酒井忠清・阿部忠秋幕府老中連署状

    阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の機嫌と先頃の帰国の暇についての喜びを承知したと返答する。帰国に際し差し越した種嶋三郎次郎による羅紗五間・御樽肴の献上を披露し、御前に使者を召し出し、入念の段は御喜色とする。詳しくは三郎次郎が述べるという。

  85. 追録1-No.979 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、空印(酒井忠勝の傍注)の死去を聞いて驚き、公方の様子を伺う使者を遣わした旨の書状を受けたと返答する。入念の段は上聞すると伝える。

  86. 追録1-No.980 羽地按司伺書答書

    羽地の口上覚と各条回答。琉球の田富高御前帳の写し、城火事の焼失・迷惑、假屋原口吉兵衛、鳩目銭の免除・城普請資金、材木用の荷船三艘、苦労米、百姓出米と労役、国上地方の城材木輸送等を問い、許可・不許可や具体的指図を付す。苦労米免除は鹿児島衆も過半受け取らないことから難しいとし、百姓出米の一節は免除を認め…

  87. 追録1-No.981 新納久詮副書

    新納久詮が三司官へ、羽地按司が申し上げた件について当地の家老らと相談し、各条の可否を記した返答書を羽地へ渡したので、その趣旨を承知するよう伝えた副書。

  88. 追録1-No.982 徳川家綱御内書

    家綱黒印の御内書が薩摩少将へ、重陽の祝儀として小袖五が到来して喜ばしく思うと伝え、詳しくは酒井雅楽頭が述べるとする。

  89. 追録1-No.983 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、増山弾正少弼(正利傍注)の死去を聞いて言葉もないという旨の書状を承知したと返答する。入念の段は上聞すると伝える。

  90. 追録1-No.984 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、別紙の書状を読み、中城王子が当国を見廻って前年無事に帰国したことを喜び、土産の品を目録どおり贈られたことへの礼を述べた書状。

  91. 追録1-No.985 島津久雄書状

    島津但馬守久雄が島津図書へ、少将からの書状を謹んで拝見し、機嫌のよいことを喜ぶ。禁中造営が近く完成し、久雄自身が急ぎ上洛すると聞いて遣わされた使者、ならびに琉焼酒二壺・蠟燭一箱・鰹節一箱を拝受したことに謝し、これらの旨の披露を依頼する。

  92. 追録1-No.986 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の様子を伺う使者について、公方はますます勇健なので安心するよう伝える。国許の御肴一種を献じた件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  93. 追録1-No.987 島津綱久書状

    侍従綱久が琉球国司へ、今年の嘉儀の書状を拝見し、示された懇意を重く受け止め、別録どおりの贈物を喜んだと返答する。今後の喜ばしい知らせを待つと結ぶ。

  94. 追録1-No.988 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、先に差し越した使者が御前に召し出され時服を賜ったことを重く思う旨を承知したと返答する。今回その礼として使者が到着したので、入念の段を各々相談して上聞に達したとする。

  95. 追録1-No.989 酒井忠清外三名幕府老中連署状

    酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、端午の将軍内書を渡すため、翌三日の四つ時ごろ家来一人を江戸城へ差し越すよう命じた連署状。酒井忠清は判なし。

  96. 追録1-No.990 島津綱久書状

    薩摩守綱久が、前年に中城按司が渡海して初めて対面できた幸いを述べ、旅中で何の風流もなかったことを残念とする。一方で、遠方まで使者を遣わし品々を贈られたことを喜ぶ。

  97. 追録1-No.991 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清ら老中三名が島津光久へ、将軍の御鷹が捕った鶴を贈るので、詳しくは子息の薩摩守島津綱久から伝えさせると通知した連署状。

  98. 追録1-No.992 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことを伝え、先頃上使を介して同姓薩摩守が御鷹之鴈を拝領したことへの謝意を承知したと返答する。礼として差し越した使者の入念の段は上聞するとする。

  99. 追録1-No.993 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    稲葉正則・阿部忠秋・酒井忠清が松平大隅守へ、公方の様子を伺う使者に答え、公方はますます勇健なので安心するよう伝える。御道服五と御肴一種を献じた件を披露し、入念の段は御喜色とする。参勤については別紙の定めを承知し、その定めのとおり四月中の参府がもっともだと返答し、詳しくは使者が述べるという。

  100. 追録1-No.994 酒井忠清外二名幕府老中連署状

    酒井忠清ら老中三名が島津光久へ、甲府宰相徳川綱重の婚礼が無事に済んだことを知らせる書状を受け、その心遣いをありがたく思い将軍へ披露すると伝えた連署状。