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追録1の目録
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追録1-No.495 人別請取手形
伊地知主膳正に付けられた松坂金右衛門と家族三人が当地へ移ったため、新納加賀守方の人別帳から除くよう大口衆へ求め、切支丹宗門ではないことを保証した人別請取手形。
追録1-No.496 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、翌朔日に光久が『御鏡』を頂戴する件につき、例月の御礼がないため登城不要と伝えた連署状。
追録1-No.497 新納忠清へ殉死者名
承応三年二月十七日に新納忠清へ殉死した者として、丸田元心・山下慶右衛門・金丸宇右衛門・牧山清兵衛を掲げ、大口衆または忠清家臣である旨を注記する記事。
追録1-No.498 新納忠清死ス
大口士濱川小市丞の覚書により、新納加賀守忠清が承応三年二月十七日に死去し、寛永五年から承応三年まで二十七年間、大口地頭を務めたと記す記事。
追録1-No.499 新納久了達書
大口横目衆が、新納忠清死去後の地頭未定期間について、大口衆中へ当地の仕置に入念し、法度違反・喧嘩・地域の障害となる者があれば身分を問わず早急に届け出るよう命じた達書。
追録1-No.500 光久帰国ス
島津光久が承応三年四月十二日に帰国の暇を得て五月十日に江戸を発ち、鎌田政有を伴って六月二十八日に薩摩へ着いた。のち手川上野久運を江戸へ遣わして幕府へ謝礼の品を献じ、久運が拝領物を受けた経過を記す記事。
追録1-No.501 酒井忠清外三名老中連署状
酒井忠清ら老中四名が島津光久へ、前年の内裏炎上後の再建に際し、先例どおり諸大名へ築地普請を割り当て、五万石以上には日雇人足を課す方針を示し、板倉周防守と相談して実施するよう命じた連署状。
追録1-No.502 衆中召移引付
町田久則が、橋口七左衛門・長友主水・前田蔵人三人の禄高・屋敷を列記する。三人は新納加賀の大口地頭所で諏方采女が数年預かっていたが、今回大村地頭所へ召し移すので支配するよう、高奉行の高城喜左衛門・有馬治右衛門へ命じる。末に五月二十三日町田久則印、筑前・図書の印がある。
追録1-No.503 新納久詮・鎌田政有家老中連署書状
鎌田政有・新納久詮が国元家老へ、前日に公方の上使川勝丹波によって御鷹の雲雀を拝領したことを報告する。勝部長右衛門を少将のもとへ遣わし、国元でも披露すること、老中への御礼使者を手配することを伝える。雲雀を拝領した大名衆の書付を送って一覧に供する。
追録1-No.504 酒井忠隆室(綱久女)誕生
島津綱久の女子が承応三年七月十八日に生まれ、のち若狭小浜城主酒井忠隆の室となり、天和二年十二月十二日に江戸で二十九歳で没したことを記す記事。
追録1-No.505 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、八朔祝儀として使者を通じて献じた太刀一腰・馬代黄金十両を将軍へ披露し、満足されたと伝えた連署状。
追録1-No.506 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、日光の正遷宮が無事済んだとの報告と光久の慶賀使派遣を了承し、入念な対応を将軍へ上聞すると伝えた連署状。
追録1-No.507 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の機嫌伺いの使者を受けて健勝を知らせ、氷砂糖二壺と肴一箱の献上を披露して喜ばれたと伝えた連署状。
追録1-No.508 御鷹ノ雲雀拝領衆書立
御鷹の雲雀を拝領した諸侯を九日・十一日・十二日・十三日の日別に列記した書立。紀伊・尾張・水戸の徳川家、松平陸奥守、佐竹修理大夫らを掲げ、薩州様は十三日の欄にある。七月十四日付で、丹羽左京から宗彦満に宛てる。
追録1-No.509 琉球使家綱ニ謁ス
前年に中山王尚質の使者国頭按司が将軍家綱へ拝謁して恩恵を受けたため、尚質が謝使屋富祖を薩摩へ送った。幕府は屋富祖の江戸参府は不要とし、返答を持たせて琉球へ帰すよう光久へ命じた記事。
追録1-No.510 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、前年の国頭正則による将軍家綱への賀儀と無事帰帆を述べ、今回の謝使屋富祖の派遣に感謝し、その趣旨を将軍へ報告したことを伝えた書状。
追録1-No.511 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、光久の帰国後に遣わされた使者と羅紗十間・三種三荷の献上を披露し、使者を御前へ召して入念な対応を喜ばれたと報じた連署状。
追録1-No.512 酒井忠勝書状
酒井忠勝が島津光久へ、将軍家綱の健勝と光久の六月二十八日の無事帰国を伝え、帰国御礼の使者・羅紗ならびに三種二荷の献上が披露され、使者も将軍の御前へ召し出されたと報じた書状。併せて忠勝個人への祝儀は当時受け取らない旨を説明した。
追録1-No.513 神尾元勝書状
神尾元勝が島津光久側へ、川上上野が八月十九日に将軍へ拝謁し、進物が酒井忠清により披露されたこと、二十一日に松平信綱から暇を申し渡され帷子・単物を拝領したことを報じ、詳しくは川上本人が説明すると伝えた書状。末尾に同年の写として用向きの下命を請う短文を併収する。
追録1-No.514 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、先日その子薩摩守に上使から御鷹の雲雀が遣わされ、光久が恐縮している旨を承知したと伝え、謝意の使者を差し越した入念な対応を将軍へ上聞すると報じた連署状。
追録1-No.515 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五領が到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清が述べると伝えた御内書。
追録1-No.516 酒井忠清外二名老中連署奉書
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、後光明天皇の崩御に伴い赦免が行われるため、諸国の在々所々でも趣旨に従って罪人を放免し、この期間は大罪を除いて赦すべき者があれば処置するよう命じた老中連署奉書。
追録1-No.517 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が光久へ、紅葉山で先月十六日に正遷宮、翌十七日に将軍の参詣が無事行われたことへの賀意を了承する。使者を通じた樽肴の献上を披露し、一段の御仕合であったと伝える。
追録1-No.518 伊勢貞昭書状
伊勢貞昭が国元家老四人へ、御前様の御繁昌につき少将様から国府市郎左衛門を遣わし、書付どおり祝物を調えて披露したことを報じる。兄弟衆・一所衆・各相中の祝物も差し上げて喜ばれた。御姫様への祝物は国元の書立がなく相談して調え、高崎惣右衛門が詳細を取り扱う。隠岐守・河内守の奥方への祝物も調えた旨を付記する。
追録1-No.519 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、帰国時に遣わした使者が将軍の御前へ召し出され、時服を賜ったことへの礼状を受領し、その謝意で再び使者を差し越した入念な対応を将軍へ上聞すると伝えた連署状。
追録1-No.520 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の健勝を知らせ、光久の機嫌伺いに応じたこと、また息薩摩守の湯治の暇が許されたことへの謝意を了承し、その旨を将軍へ上聞すると伝えた連署状。
追録1-No.521 島津光久書状
島津光久が中山王へ、将軍家綱の継嗣祝儀のため渡来した国頭王子が江戸で将軍に召し出され歓待されたこと、復楽が上聴に達したこと、国頭王子を伴い日光山の御元祖の社廟へ参詣したことを報じ、王の厚い敬信を将軍が深く感じたと伝えた書状。
追録1-No.522 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が光久へ、紅葉山御宮の造営に伴う正遷宮が無事済み、参詣も終えたことへの賀意を了承する。使者を通じた樽肴の献上を披露した旨と、入念な対応を将軍へ上聞する予定を伝える。
追録1-No.523 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、後光明天皇崩御の知らせに接した深い悲嘆と、将軍の様子をうかがうため使者を差し越した入念な対応を了承し、その旨を上聞すると伝えた連署状。
追録1-No.524 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が光久へ、将軍は先月少々頭痛気であったが早速快然となり、その報を喜んで使者を差し越した旨を了承する。入念な対応を将軍へ高聴する予定と伝える。
追録1-No.525 島津久通外三名家老中連署返書覚書
島津家老四名が蓮金院の申し分へ答え、紀伊国内三十五石と薩摩国出水郡内百石の寺領寄附を示す旧証文二通を確認したうえ、寺の修営は寺領内で行うべきため通常の助成はしないが、先住以来の借銀の元銀五貫目は助成するとした覚書。今後は寺領収入内で人数・仏事を賄い新たな借銀をせず、島津家の祈祷と先祖の忌日供養を怠ら…
追録1-No.526 光久御鷹ノ鶴拝領ス
光久公御譜中に、同年十二月十二日、奉書により御鷹之鶴一が給され、駅路で薩州へ送られたと記す。光久は家臣佐多又四郎久孝を使者にして謝し、肴一種を献上した。
追録1-No.527 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、御鷹の鶴を遣わしたことを知らせ、詳しくは光久の息薩摩守から伝えるとした連署状。
追録1-No.528 伊勢貞昭書状
伊勢貞昭が国元家老らへ、御鷹之鶴を今晩戌の刻に松平伊豆様方で受け取り、木場鉄之介を宰領として送ることを報じる。鶴の到着を早く報告すること、奉書と宿次手形を送り手形は返送すること、御礼使は佐多又四郎が取成すること、年頭使者は別格にすることを求める。末ノ封面には十二月の日欠字と、承応四年正月朔日に木場鉄…
追録1-No.529 松平信綱・阿部忠秋連署宿次手形
御鷹の鶴を江戸から薩州鹿児島まで急度島津光久へ届けるよう命じた宿次手形の写。松平信綱・阿部忠秋の印判を据える。
追録1-No.530 某日記抄
某日記から、承応三年二月十七日に大口地頭新納加賀忠清が大口で六十歳で死去し、家来牧山清兵衛その他二、三人が殉死したことを抄出する。同年十二月に忠清の嫡孫新納次郎右衛門が大口地頭を命じられたことも記す。
追録1-No.531 酒井忠清外二名老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が光久へ、寒中も将軍は勇健であると知らせる。機嫌伺いの使者とともに献じた御羽織五・御肴一箱を披露し、一段の御仕合であったと伝える。
追録1-No.532 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十領が到来したことを喜び、詳しくは酒井忠清が述べると伝えた御内書。
追録1-No.533 明暦改元
綱久公御譜中の記事として、承応四年乙未に元号を明暦へ改めたことを記す。側注では綱貴公御譜にも同じ記載があるとする。
追録1-No.534 伊東祐昌書状
伊東祐昌が嶋津筑前守へ、寛永二十年十月の後光明天皇即位時に上京使者を務めた際、光久の意向により、嶋津の名字と諱の字を永く名乗ることを赦免された事情を回答した書状。
追録1-No.535 島津光久吉書
島津光久が年頭の吉書として、神社・仏閣の修理興行、農事の奨励、年貢など徴納国事の三件について、沙汰のとおり執行するよう命じた文書。
追録1-No.536 島津久通外三名家老中連署事書
島津家老四名が、京都吉田家へ申し立てる神職の他国往来、祀場の左右方の調整、川内新田八幡・正八幡などの祀場と供物、河川・用水、屋敷荒神の神木伐採等を列挙し、国中の川・井戸を活用して春の田植えを進め、耕作時期を延ばすことも求めた事書。
追録1-No.537 琉球国司尚質書状
琉球国司尚質が島津光久へ新春を賀し、太平布五十疋・蕉布五十端・焼酒十甕を使者に持たせて進上し、春中に重ねて祝意を述べたいと伝えた書状。
追録1-No.538 清閑寺共房書状
清閑寺共房が島津光久へ、新帝即位の祝儀使者が滞りなく役目を終えたと知らせ、共房個人への祝儀として太刀・馬代銀三枚・樽一荷・肴二種を受けたことに謝意を述べた書状。
追録1-No.539 中川忠幸書状
中川忠幸が島津光久へ、新帝即位の祝儀使者を上京させ、禁裏・院中での儀礼が前日に無事済んだと報じ、忠幸個人への肴二種・樽二つの贈答に謝意を述べ、詳しくは嶋津市正が伝えるとした書状。
追録1-No.540 青木義継書状
青木義継が島津光久へ、新帝即位に際する光久の祝儀と、義継個人へ肴二種・樽二つを贈られたことに謝意を述べた書状。
追録1-No.541 高木守久書状
高木守久が島津光久へ、新帝即位に際して光久の使者が禁裏へ登り、祝儀の太刀・馬代を献上して伝奏衆から披露され、首尾よく済んだと報じた書状。守久個人への諸白二樽・干鱈一箱・昆布一箱の贈答にも謝意を述べ、詳しくは嶋津市正が伝えるとした。
追録1-No.542 深津正貞書状
深津正貞が光久へ、去る二十三日に新帝即位が無事済み、二十八日に使者が禁裏・院中・女御方へ目録どおりの祝儀を作法に従って差し上げたと報じる。正貞個人への肴二種・両樽にも謝意を述べ、詳細は嶋津市正が伝えるとする。
追録1-No.543 野々山兼綱書状
野々山兼綱が島津光久へ、前日二十八日の吉辰に新帝即位の祝儀が無事済み、光久の使者も二種・両樽を贈ったことに謝意を述べた書状。
追録1-No.544 大岡忠吉書状
大岡忠吉が光久へ、去る二十三日の即位が無事済み、二十八日に使者が禁裏・院中・女御方へ目録どおり作法に従って祝儀を差し上げたことを報じる。忠吉個人への樽一荷・肴二種にも謝意を述べ、詳細は使者から伝えるとする。
追録1-No.545 野宮定逸書状
野宮定逸が光久へ、即位祝儀の使者が上京し無事披露を済ませたことを喜ぶ。定逸個人へ太刀一腰・御馬一疋・両樽・二種を贈られたことに謝意を述べる。
追録1-No.546 前谷宗春起請文前書
前谷宗春が島津光久へ別心なく奉公し、現世から来世まで供奉すること、身上について讒言を受けた場合は糺明を願うことを誓い、違背すれば牛王神文の罰を受けるとした起請文前書。
追録1-No.547 坊城俊完書状
小川坊城前大納言俊完が薩摩少将殿へ、即位祝儀の院御所への名代と馬・太刀進献が無事済んだ旨を伝える。続いて自分にも御馬・太刀・樽一荷・肴二種を贈られたことへの謝意を述べ、詳しくは市正に御礼を申し入れたとする。
追録1-No.548 牧野親成書状
牧野親成が島津光久へ、新帝即位の祝儀使者と書状を受け、先月二十三日の即位が無事済み、禁裏・院中への進物も納めたことを報じ、詳しくは嶋津市正が伝えるとした書状。
追録1-No.549 牧野親成書状
牧野親成が島津光久へ、新帝即位の祝儀使者が太刀一腰・肴三種・樽二つ・馬代黄金十両を贈ったことに謝意を述べた書状。
追録1-No.550 光久参勤ス
承応四年二月四日に島津光久が鹿児島を出発し、日向細島から船で大坂へ渡り、三月二十八日に江戸へ着いた。家老島津中務久茂が従い、将軍家へ例年どおり献上物を納めたと記す記事。
追録1-No.551 酒井忠清書状
酒井忠清が島津光久へ、前年の重陽祝儀として呉服を献上し、将軍の御内書を頂戴したこと、さらに使者が時服を賜ったことへの光久の謝意を受け取り、その入念な対応を将軍へ上聞すると伝えた書状。
追録1-No.552 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、年頭の使者と樽肴の献上を将軍へ披露し、喜ばしく思われたと伝え、詳しくは使者が述べるとした連署状。
追録1-No.553 卜部兼起答状
卜部兼起が照会に答え、氏瀬・諏方祭の禁足と氏子の礼儀、神職・代官による清浄、新田八幡の記場と氏子範囲、隈八幡近辺の田畠を守る水除を論じる。川内川筋での魚取りと水神敷地の取扱い、屋敷の荒神木を切る際の別所安鎮と毎月の祭、川・井への杭打ちや春耕の祭についても原則を示す。
追録1-No.554 卜部兼起答状句解
光久公御譜中の句解として、前条の氏瀬を龍神であろうと説明し、贖物による罪の償い、悪神をスサノヲノミコトの類とする解釈、社頭に書物などを納めて祈念する啓白、鎮札、毎月の祭を注解する。毎月の祭は各人の分限に従い油断なく行う意味とする。
追録1-No.555 伊東祐玄書状
伊東祐玄が五名の役人へ、鎌田筑後に関する評定所方文書の件が聞き届けられ、島津図書と同様に呉国方・宗体方の留役として万事を図書と相談させる扱いになったので、その旨心得るよう伝えた書状。
追録1-No.556 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、将軍の鷹で得た鶴を拝領した謝礼として使者と国元の肴一種を献上したことを将軍へ披露し、喜ばしく思われたと伝えた連署状。
追録1-No.557 酒井忠清書状
酒井忠清が島津光久へ、歳暮の祝儀として呉服を献上し、将軍の御内書を頂戴したことへの謝意を承知し、その丁寧な申し出を将軍へ上聞すると伝えた書状。
追録1-No.558 酒井忠清・松平信綱幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱が島津光久へ、将軍への御目見があるので四時過ぎに登城するよう通知した連署状。
追録1-No.559 綱久初入部ス
綱久は明暦元年四月十一日、家綱から初帰州の暇と時服五十を賜り、その後に登営して謝礼を述べた際、御馬一匹も賜った。二十三日に江戸を発ち、諏方兼利の監督で大坂から海路を経て五月二十七日に薩摩府へ入る。同日、相良主税長広を江戸へ遣わし、初帰州の礼として白綸子二十巻・干鯛一箱・樽一荷を献じた。
追録1-No.560 島津久頼・島津久茂家老連署書状
島津久頼・久茂が五名の役人へ、当日八つ半時に松平信綱が上使として来て島津綱久に帰国の暇が与えられたと知らせ、江戸出発日や東目・西目の旅程は決まり次第追って知らせると伝えた連署書状。
追録1-No.561 島津久茂書状
島津久茂が五名の役人へ、供立に入っていた伊地知六郎兵衛が江戸詰めへ振り替えられ、留守番が一人不足するため、六郎兵衛を早々に召し上げるよう命じた書状。封面注記は、同月十一日に綱久が帰国の暇を得たとの報が二十六日夜に薩摩へ届いたと記す。
追録1-No.562 島津光久内意書
光久の内意として帰国後の行動を条々に示す覚で、綱久・光久両御譜に収録と注記する。渡海・五節供対面・道筋・番功六人ずつ四交替、外出時の供を定める。少人数の狩は百姓を痛めないよう求め、釣りの供舟一、二艘、諸士の乗馬を見る際の馬出し、雉子の鳥屋待と射手一、二人を指示する。吉野の鹿狩は無用として谷山・春山で…
追録1-No.563 酒井忠清外二名幕府老中連署奉書
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、同年八月に朝鮮信使が来朝するため、風波で難航して領内の浦へ着岸した場合は、綱・碇・水・薪などを滞りなく用意するよう命じた連署奉書。
追録1-No.564 島津久茂書状
島津久茂が五名の役人へ、自身に弓に関する役目が仰せ付けられた件を報告し、同日暁七つ頃に御姫が誕生したので祝儀を申し上げ、伊東祐玄を使者として派遣したと伝えた書状。
追録1-No.565 明暦改元
承応四年四月二十二日、年号を承応から明暦へ改めたと記す記事。
追録1-No.566 島津光久内意書
光久の内意を記す覚。新御殿未成なら小書院を使うこと、家老や城の小番・大番からの召列、随行、狩、鉄炮吟味・弓場、納戸・奥詰・代官等を指示する。四月十一日および十九日晩の御意を含み、獅子嶋では勢子十人ほどの狩、吉野の御馬追へは出向き福山の御馬追は無用とする。指図外の一門の供を禁じ、伊集院長右衛門の召列と…
追録1-No.567 島津久雄誕生
光久の子女を並べた同胞横列で、綱久を先頭に女子三人・男子四人を略し久雄を掲げる。久雄は明暦元年六月二十三日生、母は津留筑右衛門正将の娘で、島津又助忠清の後嗣となる。異本の注は室を肝付伴兵衛兼屋の娘とする。
追録1-No.568 島津久茂・島津久頼家老連署書状
久頼・久茂が役人五人へ、相良主税は役目を終えて暇を得たが供の者が多く病んだため盆過ぎまで出立を延ばすこと、大窪市左衛門の到着を報じる。前日に上使下曽根三十郎を介して雲雀を拝領したとも伝え、その旨を機会に綱久へ申し上げるよう求める。
追録1-No.569 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、当日は将軍への御目見がなく、登城にも及ばないと通知した連署状。
追録1-No.570 河野通周起請文前書
河野通周が光久へ、召し出された恩を忘れず来世まで奉公することを誓う。御前方の秘密の意向を他言せず、自分について損聞があれば糾明を願う。また野心不忠の者を聞き及んだときは心底を残さず言上する。末に牛王起請文略とある。
追録1-No.571 島津久茂書状
久茂が国元役人五人へ、綱久から太守光久への書状一通を送る。国元の静謐を察し当地も無事と報じる。綱久が鳥を拝領した礼使として三原九兵衛が到着したが、芝の姫の疱瘡により登城を遠慮したため、今月朔日の綱久登城に合わせ九兵衛も出して奉書が出たという。
追録1-No.572 於虎誕生(光久の子女系譜)
綱久公御譜に収められた光久の子女の同胞横列に於虎を掲げる。明暦元年八月九日生、母は新納佐左衛門忠頼の娘で、於虎は島津又十郎忠興の室となる。
追録1-No.573 島津光久書状
光久が琉球国司へ、延久の元服に際する書簡を披閲し、祝儀として贈られた御太刀一腰・馬一疋と国の方物を目録どおり受納して喜んだ旨を伝える。
追録1-No.574 島津延久(綱貴)書状
又三郎延久(綱貴との注)が琉球国司へ、自身の元服を祝う使札を受け、御太刀一腰・馬一疋と国の方物を目録どおり受納して喜んだ旨を伝える。
追録1-No.575 島津久茂書状
久茂が国元役人五人へ、綱久の雲雀拝領への御礼のため、少将光久から奈須五左衛門を遣わしたことを報じる。十九日の登城は無事済み、二十一日に阿部忠秋の宿で奉書を渡され、五左衛門が持参するので上覧に供するよう求める。口状等をどのように伝えられたかは詳らかでないとする。
追録1-No.576 源太起請文前書
御笠持源太が光久に対し、光久が万々年を過ごした後の自然の時には後生まで供をしたいので、その旨を聞き置いてほしいと誓う起請文前書。牛王神文略とあり、明暦元年乙未八月吉日付。
追録1-No.577 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、紅葉山の大猷院霊廟造営について使者を遣わした趣旨を承知し、その丁寧な申し出を聞き届けたと伝えた連署状。
追録1-No.578 島津久頼・島津久茂家老連署書状
島津久頼・久茂が五名の役人へ、綱久の御機嫌や江戸での対面・進物、船荷と琉球・阿波方面の取扱い、役人の召出し・処分、翌年の江戸参府など複数案件の経過と指示を詳しく伝えた連署書状。
追録1-No.579 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が光久へ、明夜の御玄猪に伴い朔日の御目見はなく、登城に及ばないと知らせる。九月二十九日付の老中連署状。
追録1-No.580 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、翌日に朝鮮信使が礼を申し上げるため、衣冠の装束を着け、辰刻に登城するよう通知した連署状。
追録1-No.581 満尾貞信書状
満尾貞信が伊地知権左衛門へ二度の書状に返答し、法事の準備、出家衆六人と相伴の者などに触れる。文禄元年の高麗での戦い、負傷と戦死、伊作・阿多・肝付・伊集院・蒲生での祖先や旧家臣の奉公・召移の来歴を記憶に基づき詳述する。隈元金兵衛が蒲生の別当となったが今はその跡がないとも伝える。
追録1-No.582 光久熱海へ湯治ス
島津光久が江戸滞在中に病を養うため、明暦元年十一月に幕府へ暇を願い、相模国熱海温泉で湯治したと記す記事。
追録1-No.583 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が光久へ、公方の勇健を知らせ、献上された御肴一種を披露して喜ばれたと伝える。また光久が暇を得て熱海へ入湯し相応の状態であることを喜び、その件も上聴するとする。
追録1-No.584 酒井忠清外二名幕府老中連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、湯治が効を奏して当日入湯したいとの申し出を了承し、熱海にゆっくり滞在するよう伝えた連署状。
追録1-No.585 島津久茂・鎌田政有家老連署口上
島津久茂・鎌田政有が国元家老へ、中村城之介を歳暮祝儀の使者として召し下したこと、光久の熱海湯治中の対面や供回り、川越新左衛門ら使者の取扱い、江戸・国元間の連絡について口上形式で伝えた文書。
追録1-No.586 島津久通・新納久詮家老連署書状
久通・久詮が国元役人四人へ、阿部忠秋邸で江戸在住大名の留守居を集め、在国大名の留守居として久詮も召し出された経過を報じる。オランダ船に関する覚書を渡され、国元大名への奉書は忠秋・対馬守の意向によるとする。従来の南蛮宗門法度を周知し、オランダ人が伴天連などを乗せて来た疑いがあればよく改めるよう求め、早…
追録1-No.587 徳川家綱御内書
徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝詞と小袖十領の進上を喜び、詳しくは酒井忠清が伝えるとした御内書。
追録1-No.588 鎌田政昭証状
鎌田政昭が藤野久右衛門へ、家伝文書八十七通のうち四十三通が正文の写し、四十四通が写本・案文の写しであること、原本を島津光久へ献上して三十斛の新恩を受け、未済借財も家老評議で銀二貫目余を与えられ弁済したことを証し、後世の亀鑑として原本どおり写したと記した証状。
追録1-No.589 島津久通・新納久詮家老連署書状
島津久通・新納久詮が相良権兵衛へ、金山酒之座の者たちが国元から到着したこと、長期滞留への不満と帰国希望、佐渡守への照会、江戸・京都方面での処置や御座への伺いについて報告・指示した連署書状。
追録1-No.590 島津久通・新納久詮家老連署書状
島津久通・新納久詮が相良権兵衛へ、同日暁寅刻に芝御前が男子を無事出産し、産後も母子ともに機嫌よく、光久の慶びも格別であると急報した連署書状。
追録1-No.591 島津忠廣後西天皇即位賀使トナル
明暦二年正月九日、島津忠廣が後西天皇即位の賀使として上洛し、同月二十八日に装束を整えて参内し、御太刀目録を献上したと記す記事。
追録1-No.592 島津久茂・鎌田政有家老連署書状
島津久茂・鎌田政有が国元の役人らへ、島津光久の若子の七夜祝儀が無事に済み、松平右京大夫から名を徳寿と付けられて来国俊の脇指を贈られ、髪立ても同家奥方へ頼んだことを報じた家老連署書状。
追録1-No.593 島津久茂・鎌田政有家老連署禁制
島津久茂・鎌田政有が、公儀から禁止された華美な装束について、からぼうし・毛巾着・だんだら筋の衣類・付帯・毛の袋等を列挙し、違反者は召し捕って公儀目付衆へ披露するよう定めた家老連署禁制。
追録1-No.594 島津久茂・鎌田政有家老連署掟書
島津久茂・鎌田政有が、衣服・遊興・芝居・遊女・酒宴・賭博・喧嘩・火事時の振舞い・武家奉公人の取扱い等について、奢侈と風紀の乱れを禁じ、違反の通報と処罰を命じた家老連署掟書。