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追録1の目録
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追録1-No.395 松平信綱・松平乗寿・阿部忠秋連署状
将軍宣下の祝儀に続く能興行が翌日に予定されたため、指定時刻に登城するよう島津光久へ通知した老中三名の連署状。
追録1-No.396 伊勢貞昭外二名連署達書
琉球から江戸へ参府した使者の帰国にあたり、進物・書簡、道中の取扱い、使者の交代や今後の参府方法について指示した達書。
追録1-No.397 島津久達系譜抄
綱久公譜中の久達の誕生・系譜記事。系図では綱久と久達を兄弟として示す。初名貞朝、虎三郎・市右衛門・内記・備後・豊前の呼称を挙げ、慶安四年十月十五日誕生、母は家の女房と記す。初め伊勢兵庫貞輝の養嗣となり、寛文十二年春に伊勢氏を去って家臣佐多丹波久利の後嗣となり、久達と改めた。
追録1-No.398 白尾国昌起請文前書
公儀への奉公で別心を持たず、虚偽・背信を行わず、子孫に至るまで忠勤することを天智霊社に誓った起請文前書。
追録1-No.399 新納忠清証状
坪村の年貢高・知行分について申理を認め、当毛から取納してよいことを証した新納忠清の証状。
追録1-No.400 松平信綱・松平乗寿・阿部忠秋連署状
光久父子の官位昇進が首尾よく整い、口宣・奉書を差し越したことへの礼状を受け、その意を了承した老中連署状。
追録1-No.401 島津綱久書状
当地騒動の報を受け鎌田蔵人方へ使者を差し越したこと、道中や到着後の取扱いについて配慮と報告を求めた島津綱久の書状。
追録1-No.402 島津光久・綱久官位昇進記事
島津光久が薩摩守から大隅守へ改めて左近衛権少将に転任し、嫡子又三郎久平が家綱から「綱」字と松平称号を受け綱久と名乗り、従四位下侍従に任じられた記事。
追録1-No.403 島津光久任左近衛権少将口宣案
上卿三条大納言のもと、蔵人左少弁藤原雅房が、従四位下侍従源光久を左近衛権少将に任ずる宣旨を伝えた口宣案。
追録1-No.404 島津光久任左近衛権少将宣旨
従四位下行侍従源朝臣光久を左近衛権少将に任じ、従前の官を兼ねることを命じた宣旨。
追録1-No.405 島津綱久、偏諱・松平称号・従四位下侍従拝受記事
島津綱久が家綱から「綱」の一字、松平薩摩守の称号と黒印を賜り、従四位下侍従に任じられた記事。
追録1-No.406 徳川家綱一字状
徳川家綱が自身の「綱」の一字を島津綱久へ与えた一字状。
追録1-No.407 徳川家綱松平称号授与状
徳川家綱が島津又三郎綱久へ、松平薩摩守を称することを許した称号授与状。
追録1-No.408 島津綱久叙従四位下口宣案
慶安四年十二月二十六日付の口宣案。上卿は鷲尾大納言で、蔵人右小弁藤原資熙が奉じ、従五位下源綱久を従四位下に叙する宣旨を伝える。
追録1-No.409 島津綱久叙従四位下位記
中務勝残去殺陳善閉邪愛荘達邦・武功累代等の由緒を掲げ、源朝臣綱久を従五位下から従四位下へ昇叙した位記。
追録1-No.410 島津綱久任侍従宣旨
朝廷が従四位下源朝臣綱久を侍従に任じ、従二位行権大納言藤原朝臣隆量が宣し、大外記兼掃部頭中原朝臣師定が奉じた宣旨。
追録1-No.411 島津綱久任侍従口宣案
慶安四年十二月二十六日付の口宣案。上卿は鷲尾大納言で、蔵人右小弁藤原資熙が奉じ、源綱久を侍従に任ずる宣旨を伝える。
追録1-No.412 島津光久・綱久官位昇進報告連署書状
前日の登城を経て、久平の元服が当日首尾よく整ったと国元へ報じる。光久は大隅守・少将となり、久平は御字を拝領して松平薩摩守綱久と称し侍従に任じられ、双方が腰物を拝領した。進上物の書立を別紙とし、年改め後にさらに諸慶を伝えるという四名連署書状。封面に十二月二十六日江戸発・翌年正月十三日持下の注がある。
追録1-No.413 島津綱久、家綱偏諱・松平称号・従四位下侍従叙任記事
将軍徳川家綱から『綱』の偏諱と松平称号を与えられ松平綱久と称し、侍従兼薩摩守・従四位下に叙任されたことを略系図に記す。
追録1-No.414 慶安五年、承応改元記事
慶安五年壬辰に年号を承応へ改めた旨を、綱久公譜中に記す。
追録1-No.415 徳川家綱年暮祝詞返書
徳川家綱が島津光久からの年暮祝詞と小袖十領の進上を喜び、委細は酒井雅楽頭が述べると答えた御内書。
追録1-No.416 町田久則、島津右馬頭奥方死去報告書状
嶋津右馬頭の奥方が正月六日から病み、亀庵法印の療治を受けたが、八日から疱瘡と見られ駿河玄勝とも相談したこと、祈念の験もなく十一日昼に他界したことを町田久則が報じる。別件として町田助太郎が落馬により遠行したとの飛札を得たと記す。
追録1-No.417 町田久則軍役人数・拝領品報告書状附別紙
江戸在勤の軍役・人員配置、拝領品や使者往来等を国元へ報じ、別紙に松平薩摩守家来の証人名と拝領品配分を列記した書状。
追録1-No.418 木脇民部左衛門起請文前書
召し寄せを受けた木脇民部左衛門が、奉公の忠実、秘密保持、他者との結託禁止などを誓約した起請文前書。
追録1-No.419 本田助之丞奉公由緒申状
本田助之丞が祖父以来の奉公、鹿児島・伏見・関ヶ原・京都等での働き、使者・在番・拝領や召移しの経緯を列挙し、由緒を申し立てた申状。
追録1-No.420 塩官長介翁次起請文前書
奉公上の忠実、秘密保持、他者との相談・結託禁止、召し出しへの随時応答を誓った塩官長介翁次の起請文前書。
追録1-No.421 琉球国司尚質、黄門十三年忌香奠進上書状
尚質が黄門様十三年忌の香奠として銀子十枚と焼酒二壺を霊前へ進上する旨を伝えた書状。
追録1-No.422 加久藤地頭仮屋関係者連署書状
加久藤からの使者・進上物、銀子の都合や帰国後の相談等について、地頭仮屋関係者が伊集院主膳へ報じた連署書状。
追録1-No.423 御香奠献上之覚
白銀二拾枚以下、石高に応じた香奠献上額を段階別に列挙し、四月二十三日に光久の使者が仏堂へ献上するよう定めた覚書。
追録1-No.424 島津光久内意書(覚)
光久の内意を箇条書きした覚。新御殿小書院での居所、家老や小番・大番の召列、随行者、鉄炮吟味・弓場の扱い、奥詰や御供の範囲を定める。国元での狩、獅子嶋でせこ十人ほどによる御狩、吉野の御馬追には行くが福山の御馬追は不用とする方針を記す。御指図外の一門御供を禁じ、伊集院長右衛門を来春上洛にも召列するという…
追録1-No.425 島津久頼外二名、男子誕生祝賀・飛脚連署書状
若御前に男子が誕生したとの知らせを受け、安産を祝賀し、早飛脚で報じる旨を島津久頼ら三名が国元関係者へ伝えた連署書状。
追録1-No.426 島津光久帰国許可・拝領記事
慶安五年四月二十八日、上使阿部豊後守忠秋が帰国の暇を伝え、光久は袷百領・白銀千枚・御馬一匹を賜る。五月五日に江戸を発し、六月十四日に薩府へ帰着した。後段は、家老島津筑前を介して川上将監久将を江戸へ遣わし、羅紗十間・樽肴を献じ謝恩したことを記す。
追録1-No.427 光久帰国日程・将軍拝領報告連署書状
光久の江戸発足が五月五日に定まったと飛札で知らせる。当日、帰国の暇を与えられ、例年どおり袷百・銀子千枚を拝領し、阿部豊後守が上使となったことを報じる。江戸発の日限を重ねて確認し、大坂まで来たら消息を伝える旨を述べる。封面に五月二十一日朝の飛脚持下という注がある。
追録1-No.428 琉球国司尚質、徳川家綱襲封祝賀書状
尚質が徳川家綱の将軍職継承を祝い、祝賀の使者を差し向け、詳しい祝意を伝えるよう依頼した書状。
追録1-No.429 徳川家綱端午祝儀返書
徳川家綱が島津光久から端午祝儀として帷子・単物数十を受け取ったことを喜び、委細を酒井雅楽頭に述べさせると答えた御内書。
追録1-No.430 琉球国司尚質、徳川家綱襲封賀使派遣記事
尚質が徳川家綱の将軍職継承を祝うため北谷按司を使節として薩府へ送り、光久が幕府執政へ伺い、翌年の参勤時に琉球使節を伴うよう命じられた記事。
追録1-No.431 琉球国司尚質、家綱襲封賀使派遣書状
尚質が徳川家綱の将軍職継承を祝し、北谷按司を祝賀使として派遣したので取り計らいを願う旨を島津光久へ伝えた書状。
追録1-No.432 琉球国司尚質、島津光久少将昇進祝賀書状
尚質が光久の羽林次将昇進を天下の美誉として祝い、御太刀一腰・御馬一疋を進上する旨を記す書状。今後の慶事を祈る。
追録1-No.433 松平乗寿・阿部忠秋将軍病状照会返書
家綱の頭痛を案じて遣わされた使者に対し、将軍は快癒して表へ出御し諸大名と対面しているので安心するよう答えた連署状。
追録1-No.434 島津久頼、虎松死去報告書状
江戸から虎松が急病となり養生の効なく死去したとの知らせが届いたことを、島津久頼が国元関係者へ報じた書状。
追録1-No.435 松平乗寿・阿部忠秋将軍快癒報告連署状
家綱の頭痛について光久が使者を送り見舞ったことに対し、将軍は速やかに快癒したので安心するよう答えた連署状。
追録1-No.436 鎌田政有、多賀左近来訪・拝領報告書状
前日昼に上使多賀左近が来訪し、薩州が御鷹の雲雀を拝領したことを鎌田政有が報じる。薩州から書状で太守へ伝えるので関係者にも知らせ、近く軽使で御礼を上げ、国元からも書状を調えるよう述べる。
追録1-No.437 松平信綱外二名、帰国・御礼使受領連署状
光久が無事に帰国したことを喜び、帰国暇への御礼使と羅紗十間・樽肴等の献上を受領した旨を伝えた幕府老中連署状。
追録1-No.438 松平信綱外二名、琉球使者・進物受領連署状
幕府老中三名が琉球からの使者を了承し、使者への御馳走や布二種・焼酎二壺等の進物を受領したことを光久へ伝えた連署状。
追録1-No.439 琉球、徳川家光薨去弔使派遣記事
尚質が家光の薨去を聞き、慶安五年夏に使者欣武(金武王子朝貞との注)を派遣して弔意を伝え、使者は薩府へ到着した。光久が江戸の執政に知らせ家綱の聴に達したところ、八月十日付の奉書で江戸へ赴くには及ばず琉球へ帰すよう指示されたという。
追録1-No.440 松平信綱外二名、琉球弔使帰国指示連署奉書
大猷院家光の薨去に伴い琉球から来た使者について、当代の参上には及ばず、事情を伝えて帰国させるよう命じた幕府老中連署奉書。
追録1-No.441 松平信綱外二名、祝儀使者・進物受領連署状
将軍家への祝詞と呉服等の進物を携えた使者について、書状・進物を受領したこと、定例との差異を承知したことを光久へ伝えた連署状。
追録1-No.442 老中四名、右大臣転任祝儀登城指示連署状
右大臣転任の祝儀として、翌八月二十二日に年始と同様の太刀目録を持参し、烏帽子・直垂で五半時に登城するよう命じる。細雨なら行い、大雨なら延期する旨を但書する。阿部忠秋・松平乗寿・松平信綱・酒井忠清の四名連署。
追録1-No.443 酒井忠清外三名、任官祝儀能見物登城指示連署状
任官祝儀として翌日に能が催されるため、辰刻に登城して見物するよう命じ、大雨時の扱いも付記した幕府老中連署状。
追録1-No.444 愛宕宮再興棟札・造営関係者名簿
島津光久・綱久の息災延命を願って愛宕宮精舎一宇を再興した旨の棟札と、本願・導師・奉行・絵師・大工その他多数の造営関係者を列記する。
追録1-No.445 島津光久、尚質昇進祝賀返書
光久が少将任官への祝意と、御太刀一腰・御馬一疋の贈物に謝意を伝える琉球国司への返書。厚意を喜び、詳しくは使者の口上に委ねる。
追録1-No.446 慶安から承応への改元記事
慶安五年九月二十八日に年号を慶安から承応元年へ改めたことを島津光久公御譜中に記す。
追録1-No.447 島津綱久公御譜承応改元記事
今上天皇の勅により慶安から承応へ改元されたことを、島津綱久公御譜中に記す。
追録1-No.448 島津光久、琉球弔使渡海慰労書状
前将軍家光薨去への弔使として金武が薩摩へ渡海した労をねぎらい、委細は家老から伝えるとした光久の書状。
追録1-No.449 酒井忠清、端午献上御内書拝領返書
端午祝儀の時服献上に対する将軍御内書を光久が拝領した旨を承知し、念の入った献上を上聞に達すると答えた書状。
追録1-No.450 徳川光義、家内平産祝儀礼状
尾張宰相徳川光義が家内の平産祝儀として光久から使者と書状を受け、遠路からの厚意に謝意を述べた礼状。
追録1-No.451 松平信綱外二名、琉球賀使来年参勤随行指示連署奉書
将軍代替わりを祝う琉球使節が薩摩へ到着したため、翌年の光久参勤時に同行させ、道中は従前どおり扱うよう命じた連署奉書。
追録1-No.452 松平信綱外二名、千代姫平産・若子誕生祝儀受領連署状
千代姫の平産と若子誕生を祝う光久の使者について、祝意を了承し、その懇切を将軍へ上聞すると答えた幕府老中連署状。
追録1-No.453 松平信綱外二名、琉球使者帰帆指示了承連署状
琉球使者を薩摩から帰帆させるよう先の奉書で命じた件について、光久が趣旨を了承したことと使者派遣を受け取った連署状。
追録1-No.454 松平信綱外二名、承応改元披露了承連署状
年号が慶安から承応へ改められたことを光久が祝して報告した書状を受け、丁寧な披露を将軍へ上聞すると答えた連署状。
追録1-No.455 新納久詮・鎌田政有、幕府急報・使者派遣相談連署状
江戸からの急報を受け、諸大名の登城や国元からの使者派遣、肝付半兵衛らの到着時期と使者の人選・日程を国元へ相談した連署状。
追録1-No.456 酒井忠清外二名、国元蜜柑献上披露連署状
薩摩国元から献上された蜜柑を将軍へ披露し、格別の御仕合であると光久へ伝えた幕府老中連署状。
追録1-No.457 松平信綱外二名、父子官位昇進御礼使了承連署状
光久父子の官位昇進に伴う口宣・奉書が首尾よく整ったことと、その御礼使派遣を了承して将軍へ上聞すると答えた連署状。
追録1-No.458 松平信綱外二名、琉球使随行参府時期指示連署奉書
翌年の参勤に琉球人を同行させる時期について、従前どおり四月に薩摩を発して参府するよう命じた幕府老中連署奉書。
追録1-No.459 松平信綱外二名、国元蜜柑献上披露連署状
薩摩国から差し上げられた蜜柑を将軍へ披露し、格別の御仕合であると光久へ伝えた幕府老中連署状。
追録1-No.460 伊藤祐忠、出水噯役辞退・家由緒申状
出水の国境実務を担う噯役への任命について力量不足を理由に辞退を願い、祖父以来の役勤、城取・在京・伏見等の奉公由緒を詳述した申状。
追録1-No.461 松平信綱外二名、年頭祝儀進物受領・将軍機嫌報告連署状
年頭祝儀の使者と肴三種・樽二荷の献上を受領し、将軍家綱が機嫌よく過ごしているので安心するよう伝えた幕府老中連署状。
追録1-No.462 松平信綱外二名、御鷹の鶴送付連署状
阿部忠秋・松平乗寿・松平信綱が松平大隅守へ、御鷹之鶴を拝領させるため宿次で送るので、詳細は息薩摩守から伝えると知らせる二月二十一日付連署状。
追録1-No.463 島津光久、御鷹の鶴拝領記事
光久公御譜中に、承応二年二月二十一日、御鷹之鶴一隻が給され、執政が奉書を添えて駅路で薩州へ送ったと記す。
追録1-No.464 新納久詮・鎌田政有、御鷹の鶴拝領・送付報告連署状
鎌田政有・新納久詮が国元の家老らへ、御供立の琉球衆の人数・早い派遣と宿の手配、浦之介を鶴に添えること、道具を江戸側に留めること等を依頼する。松平伊豆守の手紙で留守居一人を召され、今朝源左衛門・三雲太郎左衛門が伊豆守方へ参り、拝領の鶴・奉書・宿次手形を受け取り、和田浦之介を付けて送ると報じる。御当代で…
追録1-No.465 新納久詮・鎌田政有、御鷹鶴拝領者・御礼作法報告連署状
鎌田政有・新納久詮が、殿様を含め八人が今回御鷹之鶴を拝領したことを列記し、御礼使の先例、物頭・御兄弟衆等の使者の扱いを国元の家老らへ伝える。朝倉左衛門・多賀左近の肥後下向、隠州様の当秋在国も報告する。本文二月二十一日付、封面に承応二年三月七日和田浦之介持下の注がある。
追録1-No.466 松平信綱外二名、琉球使随行参府了承連署状
四月の参勤時に琉球人を同行して参府するよう命じた先の奉書について、光久の了承と使者派遣を受け取った幕府老中連署状。
追録1-No.467 酒井忠清外二名、将軍機嫌伺・肴献上受領連署状
将軍の機嫌を伺うため光久が使者を派遣したことに対し、将軍は健やかなので安心するよう伝え、肴一種の献上も受領した連署状。
追録1-No.468 松平信綱外二名、将軍御表御寝初祝賀使了承連署状
将軍の御表御寝初が二月三日に行われたことを光久が祝し、使者を派遣した旨を了承して上聞すると答えた連署状。
追録1-No.469 松平信綱外二名、琉球北谷王子病気・代使対応連署状
参勤に同行予定の琉球使者北谷王子が病気のため、同位の代使を急ぎ要請し、快癒すれば本人を伴うという光久の対応を了承した連署状。
追録1-No.470 松平信綱外二名、参勤供人数減員了承連署状
参勤時の従者人数を大猷院家光代の指示に従って減らす件について、光久が承知した旨を了承した幕府老中連署状。
追録1-No.471 島津光久参勤・琉球代使未到記事
琉球使者北谷按司が鹿児島で病み、代使を求めたが航路が遠く未到のため、光久は同伴できず四月十七日に出発した。六月二十一日江戸着、二十三日に松平乗寿の慰労を受け、二十五日登城して家綱へ太刀一腰・御馬代白銀五百枚・猩々皮十間・羅紗十間を献じ、その後御馬一疋も進めた。随行した家老貞昭も将軍に拝謁し、太刀・馬…
追録1-No.472 松平信綱外二名、御鷹鶴拝領御礼・肴献上受領連署状
御鷹の鶴拝領への御礼使と肴一種の献上を受け、将軍へ披露して格別の御仕合であると伝えた幕府老中連署状。
追録1-No.473 松平信綱外二名、大猷院三回忌法事・日光参詣指示連署状
大猷院家光の三回忌法事へ名代を遣わした件につき、参府時に暇を願って日光へ参詣するよう勧め、法事が無事済んだと伝えた連署状。
追録1-No.474 松平信綱外二名、大猷院三回忌軽罪人赦免連署奉書(御譜外記録)
大猷院三回忌に際して軽罪人を赦免するため、諸国の在々所々で趣旨に従い大科以外の者を放免するよう命じた連署奉書。
追録1-No.475 松平信綱外二名、大猷院三回忌軽罪人赦免連署奉書(光久公御譜)
大猷院三回忌に際し、諸国の在々所々で大科以外の軽罪人を放免するよう命じた連署奉書を光久公御譜中に収める。
追録1-No.476 松平信綱外二名、将軍機嫌・日光法事・参勤遅延了承連署状
将軍の機嫌が良好で日光法事も無事済んだと伝え、四月十七日に国元を発った光久が海上の無風で遅延した事情と使者派遣を了承した連署状。
追録1-No.477 松平信綱外二名、参勤御目見登城指示連署状
翌二十五日に参勤の御目見を行うため、四時過ぎに登城するよう光久へ命じた幕府老中連署状。
追録1-No.478 琉球使大坂・江戸間宿泊休憩所書立
琉球使が大坂から江戸まで通行する際の宿泊地と昼休地を、伏見・石部・関・四日市・熱田・赤坂・浜松・金谷・江尻・三島・小田原・藤沢等に定めた書立。
追録1-No.479 酒井忠清外三名、任官祝儀能見物登城指示連署奉書
任官祝儀として翌日に能が催されるため辰刻に登城して見物するよう命じ、大雨時の扱いも付記した幕府老中四名の連署奉書。
追録1-No.480 家中諸士法度(与頭覚悟・訴訟裁判条目)
与頭の心得として組中の野心不忠の早期通報、法度遵守と違反者処罰、吉利支旦宗・一向宗の糺明、喧嘩口事の和済と出後証文、内証人の停止、仮病などで奉公を避ける者の外城召移と処罰を定める。出陣・在江戸・狩の際の心得、連判の禁止、諸士・罪人の捕縛役、勘気者への見舞音信禁止、火事の上下方別出仕、訴訟内証の取扱い…
追録1-No.481 島津光久、北郷佐渡登城命令内意書
病気と作左衛門の証人役のため長く出仕していない北郷佐渡に、経験豊かな者が少ないとして、御礼日など折々に登城するよう命じた内意書。
追録1-No.482 島津光久詩文
島津光久が馬氏国頭王子正則に、宴席の管弦・歌舞と仙境のような歓楽を詠み、秋風に寄せて長寿を祝った漢詩。
追録1-No.483 光久琉使ヲ伴ヒ参府ス
中山王尚質の使者国頭按司正則が北谷按司の代使として来日し、伊集院源助久朝の監督で江戸・日光へ赴いた。光久は将軍家綱への拝謁、日光参詣、登城と暇付与を取り計らい、使節は十二月に薩摩へ帰着した。
追録1-No.484 公海(毘沙門堂門跡)書状
公海が島津光久へ、無事に登山したことを知らせ、琉球人参詣の労をねぎらった。留守居への用命を勧め、書信のしるしとして一箱を贈り、帰国時の面会を望んだ書状。
追録1-No.485 六角(広賢カ)書状
六角(広賢カ)が島津光久へ、琉球人の日光参詣・登山完了を受け、日光門跡が寒天の時分の労苦を思いやって甘干一箱を贈った旨を伝えた書状。
追録1-No.486 松平信綱・阿部忠秋連署状
松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、琉球人が十六日に日光参詣を無事終えて今市へ戻ったとの報告を了承し、光久の入念な取扱いを将軍へ上聞したと伝えた連署状。
追録1-No.487 酒井忠清外二名連署状
酒井忠清・松平信綱・阿部忠秋が島津光久へ、翌二十六日に琉球人へ暇を与えるため四時過ぎに伴って登城し、余興を披露できる役人も出すよう命じた連署状。
追録1-No.488 松平信綱・阿部忠秋連署状
幕府が中山王尚質へ、将軍家綱の継承を祝う遠来の使者と進物を嘉納し、使者の登城・拝謁が済んだため暇を与えて帰国させること、返礼品は目録どおり受領するよう伝えた返書。
追録1-No.489 島津光久詩文
光久が癸巳の秋の渡海・別離と老いを嘆く序に続け、秋の旅愁・月・故郷への思いと別離を詠む詩を梁氏鏡波里之子思五郎正次へ贈る。序に鯨浪、詩に馬蹄や秋の虫の声を詠み込む。末に承応二年癸巳孟冬下浣、光久撰書・御朱印を記す。
追録1-No.490 壱岐秀盛起請文前書
壱岐加賀右衛門秀盛が島津光久への終身奉公を誓い、光久に重大事があれば自らの余命を差し出して長命を祈る旨を、愛宕大権現・広利支尊天行者・金明童子へ誓願した起請文前書。
追録1-No.491 切支丹制札
将軍代替わりに際して切支丹宗門の禁制を更新し、伴天連・いるまん・同宿等の訴人への褒賞額と、隠匿時に五人組まで処罰する方針を掲げた制札。翌承応三年正月、島津光久が領内の諸士・百姓へ遵守を命じた。
追録1-No.492 光久御鷹ノ鶴拝領ス
光久公御譜中に、同年十一月十八日、御鷹が撃った鶴一隻を拝領し、斎藤佐源太が上使を務めたと記す。
追録1-No.493 伊勢貞昭外二名家老中連署書状
鎌田政有・新納久詮・伊勢貞昭が国元の島津図書・島津筑前・町田勘解由へ、北郷佐渡の留守居役、当地の殿様・奥方の無事、霜月十八日に上使斎藤佐源太を介して御鷹之鶴を拝領したことを伝える。奥方等への伝達を依頼し、来七日の催しや松平隠岐守の御家等への伝達にも触れる。書状は十二月四日付、封面は承応二年十二月二十…
追録1-No.494 喜入久洪寄進状
喜入久洪が武運長久・子孫繁昌・領内安全等を祈願し、正八幡宮へ国武銘の刀一振(二尺)と脇指一振(一尺)を奉納した寄進状。