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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 1501~1600件・16 / 28ページ

  1. 追録1-No.1485 島津久房・松鶴誕生

    綱久公御譜中の系図に、綱久の弟久房と妹松鶴を掲げる。久房は延宝元年四月十日生、母は家の女房で、千代徳丸・主馬・求馬と称し、異本には隠居昌栄とある。松鶴は同年十一月十九日生、母は家の女房で、家臣島津主水久輔の室となる。

  2. 追録1-No.1486 稲葉正則外三名幕府老中連署状

    稲葉正則ら老中四名が島津光久へ、島津綱久が死去したとの報告が将軍に伝わり、言葉に尽くせないことと思し召しており、光久の心中も推察していると弔意を伝えた連署状。

  3. 追録1-No.1487 稲葉正則外三名幕府老中連署手形

    江戸から薩摩鹿児島の松平大隅守・同修理大夫方へ状箱一箱を急送するため、道中の継立担当者に遅滞なく継ぎ送るよう命じた、老中四名の連署手形。

  4. 追録1-No.1488 片桐貞昌書状

    片桐貞昌が島津光久へ、島津綱久が死去したとの知らせを受け、言葉に尽くせないことと思い、光久の心中を推察すると弔意を伝えた書状。

  5. 追録1-No.1489 稲葉信通書状

    稲葉信通が島津光久へ、同姓の島津綱久が病気から回復せず死去したとの江戸からの知らせに驚き、光久の心中を察して弔問の使者を送ったと伝えた書状。

  6. 追録1-No.1490 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、保科肥後守の死去を知らせる書状を拝見したこと、光久が使者を派遣して様子を伺わせたことを承知し、その深い哀惜について関係者と相談して上聞に達したと伝えた書状。

  7. 追録1-No.1491 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝で、正月二十日に東叡山の堂、同二十四日に増上寺仏殿へ参詣して機嫌よく帰ったとの報告を了承し、書面の内容を関係者と相談して上聞に達したと伝えた書状。

  8. 追録1-No.1492 久世広之書状

    久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知し、領国の龍眼肉一壺と御肴一種の献上を各々相談して披露し、一段の御仕合と返答する。

  9. 追録1-No.1493 谷村勘八起請文前書

    谷村勘八が、命じられた金山方の奉公を疎かにせず、御為に不都合なことを知れば偏りなく言上し、当分は横目役であることを口外しないと誓う。町中で藩の利益となる情報、キリシタン・一向宗・野心不忠の者を知れば直ちに報告し、前々の起請文に従い、悪心を企む者に同心しないとする。末尾は牛王神文略、三月吉日、谷村勘八…

  10. 追録1-No.1494 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、同族の薩摩守島津綱久が死去した際に将軍から懇切な奉書と上意を受けたことへの礼使を光久が派遣した旨を了承し、その丁重さを関係者と相談して上聞に達したと伝えた書状。

  11. 追録1-No.1495 島津忠守、家老代を勤む

    島津市正忠廣の子助之丞忠守の譜は、寛文十三年四月に家老代となり、光久の述職の駕に従ったと記す。

  12. 追録1-No.1496 島津久房誕生

    島津久房が延宝元年四月十日に濱田勘左衛門純昌の娘を母として生まれ、島津頼母久記と同母で島津光久の十七男であったこと、延宝七年に綱貴の加冠で主馬久房と改名し、兄久始が理髪を務め、翌年に光久の命で求馬と改名して衣服の紋を賜ったことを記す系譜記事。

  13. 追録1-No.1497 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝であること、光久が様子を伺う使者を差し越したことを了承し、氷砂糖一壺と肴一箱の献上を披露したところ喜ばれたと伝えた書状。

  14. 追録1-No.1498 光久参勤す

    島津光久が寛文十三年四月十六日に鹿児島を発して日向高岡へ至り、病気で滞留後、五月二十八日に細島を出船し、大坂を経て六月二十八日に江戸へ着いたこと、島津忠守らが供奉し、翌日に稲葉正則が将軍の言葉を伝え、七月三日に光久が家綱へ拝謁して恒例品と馬一匹を献じたことを記す記事。

  15. 追録1-No.1499 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が到来したことを喜んで一覧し、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせると伝えた御内書。

  16. 追録1-No.1500 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、前年歳暮の祝儀として呉服を献上した際に将軍の御内書を頂戴し、使者にも時服を下されたことへの光久の礼状を拝見し、その内容を関係者と相談して上聞に達すると伝えた書状。

  17. 追録1-No.1501 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝であるため安心するよう伝え、琉球布十巻・肴一種・泡盛二壺の献上を披露したところ、その丁重さを喜ばれたと知らせた書状。

  18. 追録1-No.1502 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍が健勝との報告を了承し、光久が四月十六日に国元を発ったものの長雨で川を渡れず、持病も起こって日向高岡に滞留して養生し、快復と天候回復により近く乗船するとの届出を、関係者と相談して上聞に達したと伝えた書状。

  19. 追録1-No.1503 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍徳川家綱が先日少し腹中を患ったが早く快復し、その後も機嫌よくたびたび表へ出ているので安心するよう伝え、光久の見舞いを上聞に達したと知らせた書状。

  20. 追録1-No.1504 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、道中で禁中方の炎上を知って驚いたとの書状を拝見し、御所方は安泰で二条城にも別条がないことを伝え、光久が使者を派遣した丁重さを関係者と相談して上聞に達したと知らせた書状。

  21. 追録1-No.1505 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、板倉内膳正の死去は言葉に尽くせないことであり、光久が様子を伺う使者を派遣したことを了承し、その深い哀惜と丁重さを関係者と相談して上聞に達したと伝えた書状。

  22. 追録1-No.1506 綱貴、白銀・時服・御馬を賜る

    綱貴公御譜は、同年七月十八日に家綱が上使久世大和守広之を桜田邸へ遣わして告げ、綱貴に白銀五百枚・時服五十を賜ったと記す。綱貴は謹んで拝受し、その後登営して恩恵に謝し、さらに御馬一匹を賜る。

  23. 追録1-No.1507 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、御馬一疋で毛色は栗毛の献上について、土井能登守と相談して披露し、一段の御仕合と返答する。

  24. 追録1-No.1508 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、今年の嘉祥を知らせる使者の書簡を披見し、吉慶を祝い、旧例に準じた太平布五十疋・練芭蕉五十端・焼酎十甕を贈られた懇意を喜び、詳しくは使者に述べさせると伝えた書状。

  25. 追録1-No.1509 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、当年の嘉慶にあたり書状と目録どおりの贈物を受け、その丁重さを喜び、後の喜ばしい機会を期すと伝えた書状。

  26. 追録1-No.1510 綱貴帰国す

    綱貴は同年八月十六日に江戸を発ち、家老町田忠代・使役平山忠知・鎌田政辰らと東海道を下る。勢州関で腹痛のため滞留療養し、九月四日に伏見、十六日に大坂から出船、十月十四日に出水脇元、十九日に船間島を経て二十二日に鹿城へ入る。禰寝孫左衛門清賢を帰国礼使として東都へ遣わし、白綸子二十巻・干鯛一箱・するめ(原…

  27. 追録1-No.1511 新納久了書状

    新納久了が琉球の三親方へ、楷船および宮古・八重山船を薩摩へ差し上せる件について、在番奉行から照会があっても従来どおりで差し支えず、近年は御用物が多いため必要なら二艘を増して差し上せる覚悟をするよう伝えた書状。

  28. 追録1-No.1512 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五つが到来したことを喜んで一覧し、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせると伝えた御内書。

  29. 追録1-No.1513 延宝改元

    島津綱貴公御譜中に、寛文十三年九月二十一日、年号が延宝元年へ改められたことを記す記事。

  30. 追録1-No.1514 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、重陽の御内書を相渡すので翌日四時頃に家来一人を江戸城へ差し越すよう伝えた書状。

  31. 追録1-No.1515 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、領内の龍眼肉一壺と御肴一種の献上を披露し、一段の御仕合と返答する。

  32. 追録1-No.1516 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、領国の蜜柑二箱と御肴一種の献上を披露し、一段の御仕合と返答する。

  33. 追録1-No.1517 酒井忠清外三名幕府老中連署状

    酒井忠清ら幕府老中四名が永井伊賀守へ、松平大隅守島津光久を従四位下少将から従四位上中将へ昇進させるため、口宣等を伝奏衆へ申し入れて整えるよう命じた連署状。

  34. 追録1-No.1518 光久叙任

    延宝元年十二月二十八日、島津光久が従四位下少将から従四位上左近衛権中将へ転任し、幕府執政が奉書で伝奏へ告げ、光久が口宣案を頂戴したことを記す記事。

  35. 追録1-No.1519 島津光久叙従四位上口宣案

    上卿大炊御門大納言経光のもと、従四位下源朝臣光久を従四位上に叙することを、蔵人頭左近衛権中将藤原公量が奉った口宣案。

  36. 追録1-No.1520 島津光久左近衛権中将転任口宣

    上卿大炊御門大納言経光のもと、左近衛権少将源朝臣光久を左近衛権中将へ転任させることを、蔵人頭左近衛権中将藤原公量が奉った口宣。

  37. 追録1-No.1521 島津光久左近衛権中将転任宣旨

    従四位上行左近衛権少将源朝臣光久を左近衛権中将へ転任させる旨を、藤原経光の命を受けて大外記兼掃部頭源師定が奉った宣旨。

  38. 追録1-No.1522 島津光久叙従四位上位記

    天皇が中務好勇令和・積功顕徳等の叙位文言により、従四位下源朝臣光久を従四位上に叙し、関係官人が署した位記。

  39. 追録1-No.1523 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十が到来したことを喜び、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせると伝えた御内書。

  40. 追録1-No.1524 永井尚庸書状

    永井尚庸が松平大隅守へ、改年を祝い、公方の機嫌がよいことへの祝意を承知する。旧臘に従四位上中将を命じられたことを喜び、差し越された口宣・宣旨の奉書を受け取って伝奏衆へ申し入れ、出来次第使者へ渡すと伝える。末段で祝儀の太刀・馬代黄金十両・時服十に忝いと記すが、贈主は原句に明記されない。

  41. 追録1-No.1525 口宣・宣旨・位記等目録

    島津光久の従四位上中将叙任に伴う口宣・宣旨・位記等の文書と、上卿・職事・法印・女院御所・禁裏など関係先への包物・官物を、位階・役職・担当者別に列挙した目録。

  42. 追録1-No.1526 官物請取状

    島津光久の中将就任に伴う禁裏・法皇御所・女院御所・内侍所ほかへの官物について、太刀・黄金・銀子・杉原などの品目と数量を列挙し、関係者が受け取ったことを証した請取状。

  43. 追録1-No.1527 島津光久中将成官物目録

    島津光久が中将となった際に、禁裏・法皇・女院・内侍所その他へ差し出した太刀・黄金・銀子・杉原・綿・小袖等の官物を、関係先別に列挙した目録。

  44. 追録1-No.1528 宮物之覚

    島津光久の中将就任に伴い、禁裏・法皇御所・女院御所・内侍所・兵部卿局などへ渡す太刀・黄金・銀子・杉原等の官物を関係先別に記した覚書。

  45. 追録1-No.1529 稲葉正則外二名幕府老中連署状

    稲葉正則ら幕府老中三名が島津光久へ、歳暮の御内書を渡すので翌日四時頃に家来一人を江戸城へ差し越すよう命じた連署状。

  46. 追録1-No.1530 前田直勝書状

    前田直勝が島津光久へ、前年冬の任官と今回の口宣頂戴を祝い、使者の登城に際して太刀一腰・馬代黄金十両を贈られたことへ礼を述べた書状。

  47. 追録1-No.1531 東福門院女房奉書

    あや小路せんしが薩摩中将へ、女院御所への官位祝儀として、わた百かん・御樽さかなを目録どおり進上したことを披露し、めでたく思し召す旨を伝える女房奉書。東福門院の比定は旧標題に由来し、本文自体は女院御所様と記す。

  48. 追録1-No.1532 近衛基熙書状

    近衛基熙が島津光久へ、改暦の嘉瑞と前年末の昇進を祝い、両樽・肴三種の贈物への礼を述べた書状。

  49. 追録1-No.1533 平松時量書状

    平松時量が松平大隅守へ、新年の祝儀として両樽二種を贈られたことに謝し、前年末の昇進については先日短札で祝ったと述べる。愚子も喜んでいる旨に続き、新院使として追って参府するので、その折に対面して謝意を伝えると記す。二種の具体品目は不記。

  50. 追録1-No.1534 服部貞常書状

    服部貞常が島津光久へ、前年冬の任官を祝い、小袖三・太刀・馬代を贈られたことへの礼を述べ、今後も厚意を願った書状。

  51. 追録1-No.1535 日野弘資・中院通茂同文書状二通

    左中将転任の御礼使者について、中院前大納言と日野前大納言の同文書状二通を掲げる。各書状は薩摩中将宛で、禁裏・院中への目録どおりの献上が喜ばれたことを伝え、自分側への祝儀の太刀・馬・時服等の領給にも謝する。通茂・弘資は各署名の傍注。

  52. 追録1-No.1536 久保勝周書状

    久保和泉守勝周が松平大隅守へ、前年末に官位を命じられたことを喜び、祝儀のため女院へ使者が目録どおり献上した件を申し上げ、満悦に思し召したと伝える。続いて自身への太刀・馬代・時服三にも謝する。

  53. 追録1-No.1537 石谷成清書状

    石谷成清が島津光久へ、任官の儀が確定したことを祝い、太刀・馬代・小袖三を贈られたことへの礼を述べた書状。

  54. 追録1-No.1538 築田直次書状

    直次が松平大隅守へ、前年末の官位叙任を喜び、女院御所への使者による目録どおりの祝儀献上が喜ばれたことを伝える。続いて自身への太刀・馬代白銀・小袖三の贈物に謝する。

  55. 追録1-No.1539 亀松(綱久妹)誕生・婚姻注記

    綱久公御譜中の系図に、綱久の妹亀松が延宝二年二月十七日に誕生し、母は家の女房で、家臣島津源次郎忠伴の室となることを記す。

  56. 追録1-No.1540 稲葉正則外二名連署状

    稲葉正則・久世広之・土屋数直が島津光久へ、翌二十八日は暇を受ける者や御目見の者があるため例月の御礼を行わず、登城に及ばないと通知した老中連署状。

  57. 追録1-No.1541 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、各種の御番具足と御着一種の献上品を目録どおり披露し、格別に受け取られた旨を伝えた書状。

  58. 追録1-No.1542 綱貴参府ス

    綱貴は延宝二年四月六日に参勤のため鹿府を発ち、家老新納又左衛門久了、使役諏方仲左衛門兼時・平山次郎右衛門忠知らを伴う。十二日京泊、二十八日大坂、五月三日伏見へ至り、先に江府を発って伏見に滞在していた祖父中将光久に会う。七日伏見を発ち、東海道を経て二十一日江府へ到着、二十六日に将軍家綱へ拝謁して太刀一…

  59. 追録1-No.1543 北郷忠昭、綱貴ノ参府ニ供奉ス

    北郷宗次郎忠昭譜中に、延宝二年四月六日、忠昭が綱貴の参勤に供奉し、御番頭を勤め、久我がこれに従ったと記す。久我譜中にはないとの注を伴う。

  60. 追録1-No.1544 光久帰国ス

    島津光久が延宝二年四月八日に久世広之を上使として帰国の暇を受け、同十八日に江戸を出発した後、伏見で参勤途上の綱貴と会い、病気と風待ちによる滞留を経て七月十三日に鹿児島へ帰着した記事。

  61. 追録1-No.1545 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十が届いたことを喜び、詳細は酒井雅楽頭から伝えるとした御内書。

  62. 追録1-No.1546 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍の機嫌がよいので安心するよう伝え、琉球布十巻・泡盛酒二壺・御着一種の献上品を披露した旨を通知した書状。

  63. 追録1-No.1547 島津光久書状

    島津光久が新納又左衛門へ、伏見で申し渡した屋敷調達を野中市兵衛と相談して進めるよう命じるとともに、帰国航海中の難風、出水脇本への着岸後に負った怪我、鹿児島帰着と快復の見込みを報告し、縁辺交渉などについて指示した書状。

  64. 追録1-No.1548 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が島津光久へ、無事を喜び、当地の町屋敷に置かれていた福屋助左衛門に代えて村田為左衛門を上らせた件について、書面の趣旨を承知したと答えた書状。

  65. 追録1-No.1549 久世広之外二名連署状

    阿部正能・土屋数直・久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌と、首尾よく暇を得て国元へ到着した旨を承知したことを伝える。帰国礼の使者による羅紗十間・御樽肴の献上を披露し、使者が御前へ召し出され、入念の段が喜ばれたと報じる。今回は目録を再確認していない。

  66. 追録1-No.1550 島津光久内意書

    島津光久が、後室の急死を悼むとともに、北郷家の跡職は島津市右衛門へ命じてあるので、役人・家中は諸事を怠らず堅固に勤めるよう、相良主税を通じて申し渡した内意書。

  67. 追録1-No.1551 島津忠高書状

    島津忠高が島津市正へ、光久からの書状を受け、光久が帰国の暇を得て六月二日に出水脇本へ着いたことを祝い、船中で持病が出たものの同地で保養して快方へ向かい、ほどなく鹿児島城へ着く見込みだと述べた書状。

  68. 追録1-No.1552 稲葉正則外三名連署状

    阿部正能・土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、八朔の祝儀として使者を通じ太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  69. 追録1-No.1553 阿部正能書状

    阿部正能が島津光久へ、本理院の死去は言葉に尽くせないと述べ、将軍の機嫌を尋ねるため使者を差し越したとの光久の書面を承知し、諸老中と相談して言上すると答えた書状。

  70. 追録1-No.1554 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、当年の慶事に際して丁重な書状と目録どおりの贈物を受けたことを喜び、後日の慶事を期すと述べた書状。

  71. 追録1-No.1555 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、自身が薩摩守に任じられたことへの祝詞使者と、太刀一腰・馬一疋・方物を目録どおり贈られた厚意に謝意を述べた書状。

  72. 追録1-No.1556 仙石久俊書状

    仙石久俊が島津光久へ、六月二十五日付の書状を江戸で拝見し、京都屋敷留守居の福屋助左衛門に代えて村田伊左衛門を上らせたこと、用事があれば相談するようとの意向を承知したと答えた書状。

  73. 追録1-No.1557 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、端午祝儀の帷子献上に対して将軍の御内書を頂戴し、さらに使者へ時服が下されたことへの光久の謝意を承知し、諸老中と相談して将軍へ伝えると答えた書状。

  74. 追録1-No.1558 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳細は酒井雅楽頭から伝えるとした御内書。

  75. 追録1-No.1559 稲葉正則外二名連署状

    阿部正能・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、前年に琉球から大清へ貢納船を遣わし使者が北京へ赴いた後、兵乱で北京往還の通路がなくなった件を返答する。北京にいる琉球使者が福州へ移ることは難しく、福州に残る琉球人らが帰帆する可能性がある旨を区別して記す。兵乱の風聞を伝える琉球の口上書と、上将軍・布政司書簡…

  76. 追録1-No.1560 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、将軍が健勝であることを伝え、機嫌伺いの使者と御着一種の献上を諸老中で披露し、格別に受け取られた旨を回答した書状。

  77. 追録1-No.1561 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意を承知し、上使を通じ同氏薩摩守が御鷹之雲雀を拝領した件で、礼の使者を遣わした入念の段を諸老中と相談し、上聞に及べたと返答する。雲雀の数量は不記。

  78. 追録1-No.1562 島津久馮書状

    島津久馮が具志頭親方・池城親方へ、清から八重山・西表方面に到着した琉球船について、暴風による遅延、乗員・積荷・船具の点検、禁制品や不審者の有無、島役人による取締りと帰帆の手配などを詳しく報告した書状。

  79. 追録1-No.1563 阿部正能書状

    阿部正能が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意を承知し、帰国礼の使者が御前へ召し出され時服等を下されたことへの謝意を受け、書面どおり諸老中と相談して高聞に及べたと返答する。

  80. 追録1-No.1564 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、八月十七日の大風で田畑・民家などが損失した件について、別紙の被害内容を承知し、諸老中で一覧したと回答した書状。

  81. 追録1-No.1565 光久御鷹ノ鶴拝領ス

    光久公御譜中に、同年十一月二十三日、奉書により居城で御鷹之鶴を拝領し、家臣入来院隼人重香を東武へ派遣して謝礼し、御肴一種を献上したと記す。重香は将軍家に拝謁し、時服・羽織を拝領した。延宝二年は関連同日奉書による補いとして区別する。

  82. 追録1-No.1566 稲葉正則外三名連署状

    稲葉正則・久世広之・土屋数直・阿部正能が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、将軍御鷹の鶴を拝領させるため宿次で差し越すと通知した老中連署状。

  83. 追録1-No.1567 土屋数直書状

    土屋但馬が松平大隅守殿留守居中へ、御鷹之鶴を大隅守が拝領し引き渡すため、留守居一人が直ちに私宅へ来るよう求める十一月二十三日付書状。

  84. 追録1-No.1568 稲葉正則外三名連署奉書

    稲葉正則・久世広之・土屋数直・阿部正能が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、参勤時期を尋ねた使者の件について、来年四月中に参府するよう命じられたと通知した老中連署奉書。

  85. 追録1-No.1569 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意と宛人の勇健を承知し、御肴一種の献上を諸老中と相談して披露したところ、一段の御仕合と返答する。

  86. 追録1-No.1570 阿部正能書状

    阿部正能が島津光久へ、将軍に軽い咳気があったものの早く快復し、諸礼も滞りなく行われたので安心するよう伝えた書状。

  87. 追録1-No.1571 阿部正能書状

    阿部正能が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、領国産の蜜柑二箱と御着一種の献上を承知し、諸老中で披露して格別に受け取られた旨を回答した書状。

  88. 追録1-No.1572 阿部正能書状

    阿部正能が島津光久へ、寒中も将軍が健勝であることを伝え、道服五・御着一種の献上を披露して喜ばれた旨を回答した書状。

  89. 追録1-No.1573 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十領が届いたことを喜び、詳細は酒井雅楽頭から伝えるとした御内書。

  90. 追録1-No.1574 阿部正能書状

    阿部正能が島津光久へ、将軍に軽い咳気があったが早く快復して健勝であるため安心するよう述べ、光久の見舞いの趣旨を諸老中で相談して将軍へ伝えると答えた書状。

  91. 追録1-No.1575 島津光久書状

    光久が老中久世大和守へ、領内の転び切支丹の親類・縁者改帳の判形について大久保右京亮へ申し入れたところ、家来の判形で差し上げるよう渡辺大隅守・青木遠江守へ仰せ渡された旨を承知したと伝える。右京亮から詳しく聞き、別段の取持ちへの礼を述べる。

  92. 追録1-No.1576 久世広之書状

    久世大和守が松平大隅守へ、先月二十五日の書状による領内の転び切支丹の親類・縁者改帳について、大久保右京亮に照会した件を承知したと返答する。家来の判形とするのがよい旨は渡辺大隅守・青木遠江守に伝え、書面の趣旨にも留意する。判形の件は両人の奉行衆へ申し達したと記す。

  93. 追録1-No.1577 島津光久書状

    島津光久が大久保教勝へ、領内の切支丹宗門転び者の親類・縁者改帳の判形方法を問い合わせ、巡見使渡辺大隅守・青木遠江守にも承知させるので指示を求めた書状。

  94. 追録1-No.1578 大久保教勝書状

    大久保右京亮教勝が松平大隅守へ、先月十日・十五日の書状を受け、年頭礼使への配慮に謝する。領内の転び切支丹の親類・縁者改帳は、今後家来の判形で差し上げるよう久世大和守から渡辺大隅守・青木遠江守へ仰せ渡されたこと、改帳は新納又左衛門の判形で相済んだことを喜ぶ。

  95. 追録1-No.1579 島津光久書状

    光久が杉浦内蔵丞へ、領内の転び切支丹の親類・縁者改帳を家来の判形で差し上げるよう定まり、久世大和守から渡辺大隅守・青木遠江守へ伝えられたことを承知したと述べる。杉浦の取り持ちに謝意を申し入れる。

  96. 追録1-No.1580 杉浦正昭書状

    杉浦正昭が松平大隅守へ、十一月十一日・十五日の二通を拝見し、公方の機嫌と宛人の勇健を喜び、年頭礼使による太刀の差上げに謝する。領内の転び切支丹の親類・縁者改帳を家来の判形で提出するよう久世大和守から渡辺大隅守・青木遠江守に伝えられたことを、宛人が喜んだ旨を承知したと返答する。

  97. 追録1-No.1581 島津久通死去

    島津久通が延宝二年十二月晦日に病死し、享年七十一、法名を沽水院徳源道智大居士としたことを記す譜中記事。

  98. 追録1-No.1582 島津光久吉書

    島津光久の延宝三年正月十一日の吉書について、原文を省略し、延宝五年・同七年・天和三年・貞享二年にも同様の先例があることを記した記事。

  99. 追録1-No.1583 稲葉正則外三名連署書状

    阿部正能・土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、年頭祝儀として使者を通じ太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、入念の段が喜ばれたと返答する。

  100. 追録1-No.1584 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、重陽祝儀の際に呉服を献上して将軍の御内書を頂戴し、使者にも綿を下賜されたことを承知し、老中らで将軍へ言上すると答えた書状。