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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 2401~2500件・25 / 28ページ

  1. 追録1-No.2380 北郷久嘉、年頭使者として登営

    北郷久嘉が島津綱貴の年頭使者として登城し、大久保忠朝を通じて太刀・馬代を献上して白銀一枚を拝領したこと、のち高輪邸でも島津光久へ太刀・銀馬代などを献上したことを記す記事。

  2. 追録1-No.2381 綱貴、琉球王子尚益を招宴

    島津綱貴が佐鋪王子尚益を城へ招き、饗応を設け、舞や音楽・謡曲で慰労したことを記す記事。

  3. 追録1-No.2382 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、御勝方と鳥居播磨守との婚礼が滞りなく整ったことについて、使者と目録品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  4. 追録1-No.2383 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、御勝方と鳥居播磨守との婚礼が滞りなく整ったことについて、北谷按司を使者として目録品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  5. 追録1-No.2384 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、前年夏に妹の婚礼が滞りなく整ったことへの祝詞として、目録品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  6. 追録1-No.2385-1 綱貴、尚益に諸品を贈る

    島津綱貴が禰寝孫左衛門清雄を琉球仮亭へ遣わし、佐鋪王子尚益に馬・宇治茶・白銀五百両・蠟燭・奉書・銅・干鯛・昆布などを贈ったことを記す記事。

  7. 追録1-No.2385-2 綱貴参勤行程

    島津綱貴が参勤のため国を発ち、大隅国肝付郡を巡視したのち、家老・番頭・用人らを従えて細島津から船出し、大坂を経て伏見へ到着した行程を記す記事。

  8. 追録1-No.2385-3 川上久寛らを琉球在番奉行とする

    川上右京久寛を琉球在番奉行に任じ、岩切仁右衛門ら四人を副役として琉球へ派遣し、四年間在番したのち元禄九年夏に帰任したことを記す記事。

  9. 追録1-No.2386 肝付久兼条書

    肝付久兼が琉球在番の川上久寛へ、領内や琉球に漂着した唐船・阿蘭陀船を長崎へ送る際、質人や日本人の乗船を原則禁じ、必要時は付衆・横目を乗せ、人数・書物を改め、警固船・挽船を付けるよう命じた条書。

  10. 追録1-No.2387 綱貴参府

    島津綱貴が参勤途上で伏見を発し、四月二日に江戸へ参府し、上使阿部正武の来訪後、十二日に登営して将軍徳川綱吉に参観し、先例どおり献上したことを記す記事。

  11. 追録1-No.2388 光久帰国

    島津光久が元禄六年三月二十七日に帰国の許可を受け、島津綱貴の登城と恒例の拝領を経て、四月十三日に江戸を発ったこと、久寛・經景・景治らを伴って鹿児島へ着き、使者を走らせて謝礼し方物を献上したことを記す記事。

  12. 追録1-No.2389 島津氏家臣御目見願

    島津綱貴の参勤御礼に際し、供として召し連れた佐多豊前と家老禰寝孫左衛門について、前年と同様に将軍への御目見を許されるよう願い出た文書。両人の知行高・系譜と、禰寝孫左衛門の過去の御目見も記す。

  13. 追録1-No.2390 島津綱貴書状

    島津綱貴が高林彌市郎へ、領内の船を江戸へ差し越す際、今後は家来から届け出させるため印鑑を差し出しておくので、よろしく取り計らってほしいと依頼した書状。

  14. 追録1-No.2391 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司尚貞へ、改年の祝儀として恒例どおり書状と目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  15. 追録1-No.2392 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司尚貞へ、前年に愛寿丸が出生したことへの祝儀として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  16. 追録1-No.2393 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司尚貞へ、琉球が平安であるとの便りを喜び、自身も無事であると伝え、堆朱料紙箱・硯箱・赤苧布三端の贈答に謝意を述べた返書。

  17. 追録1-No.2394 島津綱貴書状

    綱貴が中城王子へ、暦甫の祝詞として書状と佳例どおりの目録品を贈られた厚意を喜び、謝意を述べる。

  18. 追録1-No.2395 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、前年に愛寿丸が出生したことへの祝詞として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  19. 追録1-No.2396 島津吉貴書状

    吉貴が琉球国司尚貞へ、当歳の慶事として国司から使翰と目録どおりの品々を届けられたことを喜び、入念の厚意に謝する。

  20. 追録1-No.2397 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司尚貞へ、前年に愛寿丸が出生したとの知らせに対し、祝詞と目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  21. 追録1-No.2398 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、前年に愛寿丸が出生したことへの祝詞として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  22. 追録1-No.2399 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、当年の嘉儀として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  23. 追録1-No.2400 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、愛寿丸出生の知らせに対し、祝詞として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  24. 追録1-No.2401 島津光久書状

    光久が琉球国司へ、当年祝儀の使翰と佳例どおりの目録品を贈られた厚情を喜び、謝意を述べる。詳しくは使者が説明するので書面では詳述しないと結ぶ。

  25. 追録1-No.2402 島津光久書状

    島津光久が中城王子へ、当年の賀事として恒例どおり目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  26. 追録1-No.2403 島津光久書状

    光久が琉球国司へ、薩摩守の妹(御勝)の婚礼が首尾よく済んだことへの祝儀として使者と目録品を贈られた厚意に謝する。

  27. 追録1-No.2404 綱貴、琉球王子尚益に諸品を贈る

    綱貴公御譜中に、九月四日、島津助之丞忠守を琉球仮屋へ遣わし、鮮魚一折・樽一荷・宇治茶一壺・金屏風一双・中蠟五百挺・白羽二重十疋を王子尚益に贈り、王子に帰州の告を賜ったと記す。

  28. 追録1-No.2405 島津久竹外七名連署申渡書

    島津久竹ら八名が新納近江へ、日本への渡海を禁じられた書籍が唐船から持ち込まれないよう、長崎で禁書・邪宗門書などを選別し、疑わしい書籍は別置きして三司官らに吟味させ、琉球渡唐船にも携行させないよう申し渡した文書。

  29. 追録1-No.2406-1 国遣座申渡書(枝番1)

    御国遣座が渡唐船の出帆前について、船体・道具・荷造りを早く整え、武器・船員・役人・荷物を帳面と照合して封印し、密航者や禁制品を取り締まり、遅滞なく安全に出帆させるよう定めた申渡書。

  30. 追録1-No.2406-2 国遣座申渡書(枝番2)

    御国遣座が新納近江へ、渡唐船の帰帆時に、港への速やかな入津、在番役人による乗員・積荷・帳簿の照合、抜荷・私売・禁制品の防止、荷物の蔵入れ、帰国者の管理、琉球内での取引統制などを徹底するよう定めた申渡書。

  31. 追録1-No.2407 尚益、琉球へ帰国

    綱貴公御譜中に、十月二日、佐鋪王子尚益が鹿府で出船して琉球へ帰るにあたり、先例により蓑刈次郎兵衛重興を王子に添えて護送したと記す。

  32. 追録1-No.2408 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、当歳の慶事として使者と目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  33. 追録1-No.2409 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、当年の嘉儀として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  34. 追録1-No.2410 大久保忠朝外三名連署状

    大久保忠朝ら老中四名が松平修理大夫へ、翌十五日の例月御礼はないため登城に及ばないと通知した連署状。

  35. 追録1-No.2411 山岡景助・宮城和澄連署書状

    山岡景助・宮城和澄が木脇刑部左衛門へ、南京を出帆した唐船一艘が乗員四十九人を載せ、甑島手打浦へ漂着したため、人数と書付を確認して警固を付けて長崎へ送り、同日入港して受け取ったと報告した連署書状。

  36. 追録1-No.2412 島津綱貴条書

    島津綱貴が松平修理大夫へ、島津家が代々続き当代は特に繁栄していることを踏まえ、家の長久を第一として領国や家中を公平に治め、家督方と混同せず職務を慎重に行うよう諭した条書。

  37. 追録1-No.2413 島津綱貴袖判条書

    綱貴が平田新左衛門へ、修理大夫に部屋料高三万石を分けたので、所帯全般を減らすよう命じる。公界向の出費が多く、領国が遠いため物の調達にも不便であるので、江戸詰を継続し倹約を心掛け、三万石に応じて奥方の所帯・扶持等を調えるよう求める。高差分上は家督方と混雑せぬよう役人にも申し付け、調整を厳守させる。

  38. 追録1-No.2414 大久保忠朝外三名連署状

    大久保忠朝ら老中四名が松平修理大夫へ、翌二十八日五時に登城し、婚姻が済んだことへの御礼を申し上げるよう通知した連署状。

  39. 追録1-No.2415 北郷資名系譜抄

    北郷資名の系譜記事として、島津吉貴の婚姻に際する使者役、江戸への往来、芝御館で島津綱貴・吉貴に拝謁して白銀を拝領したことなどを記す。

  40. 追録1-No.2416 吉貴婚姻

    島津吉貴が桑名城主松平越中守定重の娘と婚姻し、江戸高輪邸で大礼を行い、婚姻の奉書を受けて登営し、将軍徳川綱吉へ礼謝したことを記す記事。

  41. 追録1-No.2417 綱貴帰国を願い、光久の病を問う

    島津綱貴が帰国の暇を受けたのち、国元の島津光久が重病との報を受け、帰国時期を調整しながら医師の派遣と病状報告を求め、自らも江戸を発って帰国した経過を記す記事。幕医立花隆庵らの診療・処方も記す。

  42. 追録1-No.2418 戸田忠昌書状

    戸田忠昌が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいことを伝え、先日の牧野備後守邸への御成を喜ぶ旨の書状を承知したと返答する。紙面の趣旨を各人で相談して言上したと伝える。

  43. 追録1-No.2419 光久逝去

    島津光久が元禄七年十一月二十九日に七十九歳で逝去し、寛陽院殿と追号されたことを記す記事。

  44. 追録1-No.2420 年代記記事

    桜島池田氏蔵年代記から、元禄七年七月二十六日に太守が立花隆庵と同船して桜島へ渡海し、踊りや大太鼓などを命じたことを記す記事。

  45. 追録1-No.2421 幕医隆庵、光久を診療して帰府

    幕医立花隆庵が島津光久を診療して湯薬を処方し、病勢が次第に回復したのち、島津綱貴から白銀五百枚などを贈られ、家臣の護送を受けて九州・中国路を経て江戸へ帰ったことを記す記事。

  46. 追録1-No.2422 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、佐敷王子が鹿児島から無事帰着したとの知らせを喜び、識名親方を使者として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  47. 追録1-No.2423 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、当歳の慶事として使者と目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  48. 追録1-No.2424 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、前年秋の結納と当年四月の婚礼が整ったことへの祝詞として、羽地按司を使者に太刀一腰・馬一疋などを贈られたことに謝意を述べた返書。

  49. 追録1-No.2425 島津吉貴書状

    島津吉貴が琉球国司へ、当年高輪屋敷へ移徙したことへの祝儀として目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  50. 追録1-No.2426 島津吉貴書状

    吉貴が中城王子へ、佐敷王子が前年鹿児島へ渡海し、万端首尾よく国元へ帰着したとの知らせを喜ぶ。国司が識名親方を遣わし目録品を贈った厚意に謝し、後音を期す。

  51. 追録1-No.2427 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、高輪屋敷への移徙を祝って目録記載の品を贈られたことに謝意を述べ、後便を期すと伝えた返書。

  52. 追録1-No.2428 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、当年の嘉儀に際して書状と目録記載の品を贈られたことに謝意を述べ、後便を期すと伝えた返書。

  53. 追録1-No.2429 島津吉貴書状

    島津吉貴が中城王子へ、前年秋の結納と当年四月の婚礼が整ったことへの祝儀として、琉球国司から使者と目録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  54. 追録1-No.2430 大久保忠朝外三名連署状

    大久保忠朝・阿部正武・戸田忠昌・土屋政直が松平修理大夫(島津吉貴)へ、御用があるため翌七日四時に登城するよう命じた連署状。

  55. 追録1-No.2431 大久保忠朝外三名連署状

    大久保忠朝・阿部正武・戸田忠昌・土屋政直が松平修理大夫(島津吉貴)へ、翌十五日は例月の御礼がないため登城に及ばないと通知した連署状。

  56. 追録1-No.2432 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、当年の祝儀として使者と先例どおりの目録記載品を贈られた厚意に謝し、詳しくは使者が述べると伝えた書状。

  57. 追録1-No.2433 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、琉球が平穏であるとの知らせを喜び、自身も無事であると伝え、紗一疋・羅一疋の贈答に謝意を述べた返書。

  58. 追録1-No.2434 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、島津吉貴の婚礼が無事整ったことを喜び、羽地按司を通じて太刀・馬代ほか目録記載品を贈られた祝儀に謝意を述べた返書。

  59. 追録1-No.2435 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、島津吉貴が高輪新宅へ移徙したことへの祝儀として太刀・馬代ほか目録記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  60. 追録1-No.2436 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、前年に清へ渡った進貢使が任務を終えて当夏無事帰帆したとの知らせを喜び、その祝礼使者と別録記載の品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  61. 追録1-No.2437 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、佐敷王子が前年に渡海し無事帰国したことを喜び、滞在中にたびたび対面して品々を贈った礼として祝礼使者と目録記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  62. 追録1-No.2438 島津光久書状

    島津光久が中城王子へ、当年の嘉慶に際し、書状と恒例どおりの目録記載品を贈られたことに謝意を述べ、後便を期すと伝えた返書。

  63. 追録1-No.2439 島津光久書状

    光久が中城王子へ、佐敷王子が去年渡海し、去冬に無事帰帆したとの知らせを喜ぶ。滞在中にゆっくり対面して品々を贈ったことへの謝礼として、目録品を贈られた厚意に謝する。

  64. 追録1-No.2440 島津光久書状

    島津光久が佐敷王子へ、島津吉貴の婚礼が無事整ったことを喜び、その祝儀として別録記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  65. 追録1-No.2441 島津光久書状

    島津光久が佐敷王子へ、島津吉貴が高輪新宅へ移徙したことを喜び、祝儀として目録記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  66. 追録1-No.2442 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、当年の慶事に際し、使者と先例に準じた品々を贈られた厚意に謝し、後便を期すと伝えた書状。

  67. 追録1-No.2443 島津綱貴書状

    綱貴が琉球国司へ、佐敷王子が去年渡海し無事帰帆したことを喜ぶ。当地逗留中の対面や音問等への謝礼として使者と目録品を贈られた厚意に謝する。

  68. 追録1-No.2444 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、島津吉貴の新宅完成と高輪屋敷への移徙を知らせ、それに対する祝儀として太刀・馬代ほか目録記載品を贈られた厚意に謝した返書。

  69. 追録1-No.2445 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、島津吉貴の婚礼が無事整ったことを喜び、羽地按司を通じて太刀・馬ほか目録記載品を贈られた祝儀に謝意を述べた返書。

  70. 追録1-No.2446 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、前年に進貢のため清へ渡った田場親雲上が任務を終えて無事帰帆したことを喜び、田場を通じて別紙記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  71. 追録1-No.2447 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、琉球が平安であるとの知らせを喜び、自身も無事であると伝え、紗一疋・羅一疋の贈答に謝意を述べた返書。

  72. 追録1-No.2448 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、改年の祝詞と先例どおりの別録記載品を贈られたことに謝意を述べ、後便を期すと伝えた返書。

  73. 追録1-No.2449 島津綱貴書状

    綱貴が中城王子へ、佐敷王子が去年渡海して対面できたことを喜び、滞在中に使者で音問したこと、当地から首尾よく帰帆したことへの謝礼として別録品を贈られた厚意に謝する。

  74. 追録1-No.2450 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、島津吉貴が高輪新宅へ移徙したことへの嘉儀として目録記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  75. 追録1-No.2451 島津綱貴書状

    島津綱貴が中城王子へ、島津吉貴の婚礼が無事整ったことを喜び、祝詞と太刀・馬代ほか目録記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  76. 追録1-No.2452 島津久当外四名家老連署達書

    島津久当ら家老五名が川上右京へ、宮古島沖に漂着した唐船と唐人五名の船体修補・帰帆、長崎・江戸への報告経過を伝え、今後は異国船漂着時に人数・国籍・事情と唐人書付を速やかに提出するよう北谷按司・三司官へ徹底させ、久米島へ漂着した唐船板は焼却するよう命じた連署達書。

  77. 追録1-No.2453 島津綱貴書状

    島津綱貴が佐敷王子へ、島津吉貴が高輪新宅へ移徙したことへの祝儀として目録記載品を贈られたことに謝意を述べた返書。

  78. 追録1-No.2454-1 幕医隆庵、在国病臥中の光久を診療

    島津光久の不眠・食欲不振が続いたため、江戸にいた島津綱貴が幕府年寄へ幕医派遣を願い、法眼立花隆庵が江戸を発って鹿児島へ赴き、光久を診察して湯薬を処方した経過を記す記事。

  79. 追録1-No.2454-2 光久病没

    幕医の診療後も島津光久の病状は次第に悪化し、元禄七年十一月二十九日申刻に七十九歳で死去して、寛陽院殿泰雲慈温大居士と追号されたことを記す記事。

  80. 追録1-No.2454-3 光久葬儀・追悼記事

    島津光久の遺体を十二月朔日黄昏に福昌寺へ移し、十九日に客殿へ安棺して法筵を営む。綱貴の祭文・哀悼、葬礼の供奉者と役割を記し、葬馬二匹とその担当者を挙げる。綱貴が神主を持って棺前に列し、福昌寺壽山和尚の下炬文を経て火葬し、諸宗七百五十人が読経する。二十一日に綱貴が葬地で燼骨を収め、その後の中陰法会、一…

  81. 追録1-No.2455 島津綱貴達書

    島津綱貴が、光久への厚恩を理由に殉死してはならず、公儀の法度に従い、家族や家中を乱さないよう命じた達書。

  82. 追録1-No.2456 家老衆伺書

    家老衆が島津綱貴へ、光久の死去に伴う殉死禁止令を伝達するにあたり、契諾者の確認、召集範囲・席次、立会役、達書の読み聞かせ方など具体的な執行手順を伺った書付。

  83. 追録1-No.2457 島津綱貴達書

    島津綱貴が佐多豊前へ、光久への殉死を申し出た者の人数書付を一覧の者へ見せ、殉死禁止の趣旨を速やかに申し渡すよう命じた達書。

  84. 追録1-No.2458 島津綱貴達書

    島津綱貴が佐多豊前へ、殉死禁止の別紙を申し渡す際、佐多豊前・島津縫殿・伊集院遠江が列座し、契諾者を一人ずつ召し出して右筆に達書を読ませるよう命じた達書。

  85. 追録1-No.2459 殉死契諾人数書立

    島津光久の死去に際して殉死を申し出た者を列挙し、肥田木正右衛門・白尾金左衛門らの名を記すとともに、末尾の三名については殉死の神文がなかったと注記した人数書立。

  86. 追録1-No.2460 伊集院久照入日記

    伊集院久照が、光久死去後の殉死申出者に関する人数書付、殉死禁止の達書、神文三通、箱・帳面の保管と引渡しなど、一連の文書と事務処理の経過を記した入日記。

  87. 追録1-No.2461 島津久当外四名家老連署達書

    島津久当ら家老五名が川上右京へ、新納近江に渡した二通の申渡書を送り、琉球へ漂着した唐人の扱いと琉球での新銭鋳造について法度に従わせ、従来の在番衆のように風聞を報告しないことがないよう申し渡すよう命じた連署達書。

  88. 追録1-No.2462 平田宗正外四名家老連署申渡書

    平田宗正・肝付主殿・種子島久時・喜入久亮・島津継殿が新納近江へ、漂着唐船の者を逃がして進貢船で本国へ送るという扱いは、大清の禁法に背くだけでなく当国の仕置も守らぬことになるので、逃走させず抱え置くよう命じる。大清の指示や進貢船による送還、必要に応じた公儀への相談を検討し、朝鮮漂着者送還の先例も示す。…

  89. 追録1-No.2463 島津久当外四名家老連署申渡書

    島津久当ら家老五名が新納近江へ、琉球の銭不足を理由とする新銭一万貫鋳造の願いについて、異国との銭遣い・銅銀流出に関わる公儀の法度に触れるため許可せず、既存の銭を用いて処理するよう命じた連署申渡書。

  90. 追録1-No.2464 島津久当外四名家老連署申渡書

    島津久当ら家老五名が新納近江へ、琉球での新銭一万貫鋳造は銅銀の国外流出や密貿易につながり公儀の法度に反するため許可せず、既存の寛永銭を用いて差し支えを処理するよう命じた連署申渡書。

  91. 追録1-No.2465 孝子褒賞記事

    河辺郡加世田郷大浦村の市兵衛・次郎兵衛・志摩右衛門は、母を養い助け合って暮らした。兄市兵衛の病死後、二弟が母と兄の遺児を養い、志摩右衛門は母を馬に載せ自ら轡を取って鹿府へ赴き、寺院を訪れて亡兄を弔い母の願いを満たした。元禄七年十月二十日、綱貴が母と兄弟を召し、二子の孝順を賞して青銅三千疋と耕田十斛の…

  92. 追録1-No.2466 年貢諸役免許郡座証文

    郡座役人が加世田郷衆中へ、光久が次郎兵衛・志摩右衛門兄弟の孝行を賞したことを受け、作職高二十五石三斗余のうち十五石三斗余について年貢・諸役を子孫まで永く免除するよう命じた証文。

  93. 追録1-No.2467 島津光久死去

    島津光久の病が元禄七年冬に再発して回復せず、十一月二十九日に死去したこと、綱貴が光久から家督を譲られた関係により父に準じる服忌を受けたことを記す記事。

  94. 追録1-No.2468 赤松則茂公辺使者日記

    赤松則茂が、光久の病状悪化を幕府へ届け、京都から医師を招くため、大久保忠朝・土屋政直らへ使者派遣・医師選定・道中・療治・食事の扱いを重ねて伺った経過を記した公辺使者日記。

  95. 追録1-No.2469 赤松則茂覚書

    赤松則茂が、国元使者遠矢金兵衛から光久の病状・死去に関する報告を受け、幕府への届出、使者の応接、弔問・登城・服忌、関係書付の提出方法などを大久保忠朝・土屋政直らへ伺った経過を記した覚書。

  96. 追録1-No.2470 林信篤覚書

    林大学頭信篤が十二月二十日、光久の死去に伴う服忌を回答する。綱貴は嫡孫として祖父の家督を承けたので実父母と同じ五十日の忌・十三月の服を受け、修理大夫吉貴は曾祖父に対する二十日の忌・九十日の服を受ける。忌の日数は過ぎていると承知し、一日も遠慮していないなら九十日を積もる残日数を受けるとする。

  97. 追録1-No.2471 島津光久父母書

    島津光久の父を島津家久、養母を島津義久(龍伯)の娘、実母を島津忠清の娘と記し、光久が前月二十九日夜七時に死去したことを付記した父母書。

  98. 追録1-No.2472 使者口上覚

    使者が近藤吉左衛門宅で、光久が十一月二十九日に死去したこと、太守からの書状を届けたこと、幕府への届出について指図を求めることなどを申し述べた口上覚。

  99. 追録1-No.2473 阿多六太夫口上覚

    阿多六太夫が、光久死去後の幕府への届出と弔問、上使・使者の応接、綱貴らの服忌、父母・祖父母関係を示す書付の提出などについて、幕府役人へ伺い指示を受けた経過を記した口上覚。

  100. 追録1-No.2474 上使、光久ノ死ヲ弔フ

    元禄七年十二月二十三日、光久の訃報が幕府へ達し、上使松平志摩守重頼が弔問に訪れて、賻銀五百枚を贈ったことを記す記事。