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追録1の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,718件中 1601~1700件・17 / 28ページ

  1. 追録1-No.1585 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の勇健を喜ぶ旨と、前年冬に隅田川筋へ鷹狩に出御し機嫌よく還御したとの既通知に忝いと述べた書面を承知し、諸老中と相談して高聞に及べたと返答する。

  2. 追録1-No.1586 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、官位昇進を祝い、中城王子が病死したため遠境から贈答品と弔意が届いたことを悦び、後慶を期すと伝えた書状。

  3. 追録1-No.1587 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、旧冬の御鷹之鶴拝領への謝意を承知したと返答する。御礼使の入来院隼人が御肴一種を献上したことを相談して披露し、御前に召し出され、入念のことで喜色であると伝える。詳しくは使者が説明するという。

  4. 追録1-No.1588 大久保教勝書状

    大久保教勝が島津光久へ、年頭の祝意と将軍の健勝を伝え、旧冬の御鷹の鶴拝領の礼使入来院隼人に時服・羽織を下賜したことなどを回答した書状。

  5. 追録1-No.1589 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、参勤の時期について同年四月に領国を発足するよう命じられた旨を回答した書状。

  6. 追録1-No.1590 久世広之書状

    久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意を承知し、前年冬に上使を通じ同氏薩摩守が御鷹之鴈を拝領した件で、礼使を遣わした入念の段を諸老中と相談して言上したと返答する。雁の数量は不記。

  7. 追録1-No.1591 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、歳暮の将軍御内書を渡すので、翌日の四時に家来一人を江戸城へ差し越すよう通知した書状。

  8. 追録1-No.1592 久世広之書状

    久世広之が松平大隅守へ、新年の慶事を祝い、年始の諸礼が済み、公方の機嫌もよいので安心するよう伝える。使者を通じた御樽肴の献上を諸老中と相談して披露し、一段の御仕合と返答する。

  9. 追録1-No.1593 松平忠親書状

    松平忠親が島津光久へ、先月十九日に島津綱貴の婚礼が首尾よく済んだと聞き、光久の喜びを推察して祝意を述べた書状。

  10. 追録1-No.1594 松平頼純書状

    松平頼純が島津光久へ、島津綱貴の婚礼が首尾よく済んだと聞き、光久の喜びを察して祝意を述べた書状。

  11. 追録1-No.1595 松平忠継書状

    松平忠継が島津光久へ、先月十九日に島津綱貴の婚礼が首尾よく済んだと聞き、光久の満足を推察して祝意を述べた書状。

  12. 追録1-No.1596 伊達宗利書状

    伊達宗利が島津光久へ、島津綱貴の婚礼が首尾よく済んだと自ら聞き、光久の満足を察して祝意を述べた書状。

  13. 追録1-No.1597 松平直富書状

    松平直富が島津光久へ、先月十九日に島津綱貴の婚礼が首尾よく済んだと聞き、光久の満足を推察して祝意を述べた書状。

  14. 追録1-No.1598 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌と、正月二十日の東叡山・十四日の増上寺参詣を知らせた件への謝意・祝意を承知し、書面どおり諸老中と相談して高聞に及べたと返答する。

  15. 追録1-No.1599 阿部正能書状

    阿部正能が松平大隅守へ、公方の機嫌を尋ねる使者と宛人の勇健を承知し、氷砂糖一壺・御肴一種の献上を諸老中と相談して披露したところ、一段の御仕合と返答する。

  16. 追録1-No.1600 光久参勤ノ途病ニ臥ス

    島津光久が江戸参勤の途中で瘧疾に罹り、伏見に留まって京都から医師を招き療養したこと、幕府の指示に従い快復後にゆっくり進んで九月四日に江戸へ着き、将軍から上使土屋数直を遣わされた経緯を記す譜中記事。

  17. 追録1-No.1601 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌がよいとの謝意を承知したと返答する。旧冬の御鷹之鶴拝領に伴う使者が御前に召し出され、時服を下賜されて重畳との趣旨を受け、相談して上聞に達したと伝える。本書に島津綱貴の実名は記さない。

  18. 追録1-No.1602 光久、家光ノ二十五年忌ニ香典

    徳川家光の二十五年忌法会に際し、島津光久が仁礼興三左衛門景林を使者として、銀二十枚の香奠を東叡山の尊霊前へ奉献した記事。

  19. 追録1-No.1603 稲葉正則外二名連署書状

    稲葉正則・久世広之・土屋数直が島津光久へ、徳川家光二十五年忌法事に使者を立てて香奠を献じ、東叡山へ首尾よく奉納されたことを伝えた連署書状。

  20. 追録1-No.1604 稲葉正則外三名連署書状

    稲葉正則・久世広之・土屋数直・板倉重矩が島津光久へ、徳川家光二十五年忌法事に使者を立てて香奠を献じ、日光山へ首尾よく奉納され、その旨を将軍へ報告したと伝えた連署書状。

  21. 追録1-No.1605 島津久治・島津忠守連署起請文前書

    島津久治と島津忠守が島津光久へ、伝授された馬上の術について、他見・他言せず、人前で実演しないことを神文に誓った連署起請文前書。

  22. 追録1-No.1606 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、光久が麻疹を患ったものの快復したことを承知して喜んだ旨を答えた書状。

  23. 追録1-No.1607 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意を承知し、同氏薩摩守の婚姻が整った件の礼を首尾よく申し上げた旨を受け、使者派遣を入念として諸老中と相談し高聞に及べたと返答する。

  24. 追録1-No.1608 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物が多数届いたことを喜び、詳細は酒井雅楽頭から伝えるとした御内書。

  25. 追録1-No.1609 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、徳川家光二十五年忌の法事が無事に済み、将軍徳川家綱も四月二十日に参詣して機嫌よく還御したことを伝えた書状。

  26. 追録1-No.1610 島津光久書状

    島津光久が新納又左衛門へ、論山をめぐり翌月十四日に相手方の百姓と立会いがあるため油断なく準備するよう命じ、自身は参府して対談する予定だったが病気で滞在しているので、家老からの指示も受けて適切に処理するよう求めた書状。

  27. 追録1-No.1611 久世広之書状

    久世広之が島津光久へ、阿部豊後守忠秋の死去は言葉を失うほどであり、将軍の様子を伺うため使者を差し越した光久の厚い哀惜を承知したと答えた書状。

  28. 追録1-No.1612 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意を承知し、先日上使を通じ同氏薩摩守が御鷹之梅首雞を拝領した件の礼使派遣を入念とし、諸老中と相談して高聞に及べたと返答する。

  29. 追録1-No.1613 稲葉正則外二名連署奉書

    稲葉正則・久世広之・土屋数直が島津光久へ、参勤で伏見まで来たところ船中から病気となり、永井尚庸が京都から医師を招いて療養させているとの報告を受け、暑い時節なので油断なく療養を専一にするよう将軍の上意を伝えた連署奉書。

  30. 追録1-No.1614 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、琉球布十巻・御肴一種・泡盛酒二壺を献上した件を目録どおり披露し、入念の段が喜ばれたと返答する。

  31. 追録1-No.1615 永井尚庸口上覚書

    永井伊賀守尚庸が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、飛脚からの知らせを受け、参勤途中の病気のため医者を呼び寄せ療養している旨を老中から高聞に達したと述べる。そのため差し越された上意の趣旨の奉書を持参する旨を記す口上覚書。

  32. 追録1-No.1616 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、国元出船後の逆風と長い船中滞在、病気、大坂着岸後の伏見療養、永井尚庸による京都医師の招請という経緯を承知し、快復まで滞在して療養するよう伝えた書状。

  33. 追録1-No.1617 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、船中で発病し伏見で療養していることを将軍へ報告し、療養を命じる奉書を受けた礼として使者を差し越した件を承知したと答えた書状。

  34. 追録1-No.1618 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、病気快復後も滞留して養生するよう命じた奉書の趣旨を承知し、快復を聞いて喜び、老中らで将軍へ言上すると答えた書状。

  35. 追録1-No.1619 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意と、先日上使を通じ同氏薩摩守が御鷹之雲雀を拝領した件の報告を承知し、諸老中と相談して言上したと返答する。雲雀数は不記。

  36. 追録1-No.1620 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、年賀の使札と目録どおりの贈り物が届いたことを喜び、詳細は使者から述べさせると伝えた書状。

  37. 追録1-No.1621 島津光久書状

    中将光久が琉球国司へ、二月十一日付書状で無事を知ったことを喜び、見事な唐絵二幅・獅子香炉一を贈られたことに謝する。毎度の入念に喜び、詳細は別紙で伝えると記す。

  38. 追録1-No.1622 稲葉正則外二名連署書状

    土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、八朔祝儀として太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合と返答する。三名の連署であり、本条には使者の記載はない。

  39. 追録1-No.1623 徳川家綱御内書

    将軍徳川家綱が島津光久へ、重陽祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳細は酒井雅楽頭から伝えるとした御内書。

  40. 追録1-No.1624 島津吉貴誕生

    島津吉貴が延宝三年九月十七日に鹿児島で誕生し、幼名・通称と後の位階・官職、母が二階堂氏であることを記す譜中記事。

  41. 追録1-No.1625 島津忠守、吉貴誕生ノ産弓ヲ勤

    島津忠守が、延宝三年九月十七日の島津吉貴誕生に際して産弓を勤め、翌年九月五日から御物座に勤務して政務を習ったことを記す譜中記事。

  42. 追録1-No.1626 伊野波親方外二名連署口上

    伊野波親方・久志親方・座喜味親方が諏方采女へ、琉球在番所で保管する石火矢・異風棒火矢・鉄砲が損傷したため、旧品を返上して代替品を下付するよう求め、過去の渡唐船用鉄砲の取扱いも説明した連署口上。

  43. 追録1-No.1627 相良頼安申渡書

    相良頼安が諏方采女へ、琉球側が申し出た鉄砲・棒火矢の返納・代替について、在番所保管品や渡唐船用火器の数量・状態を吟味し、支給・交換方法を伝えた申渡書。

  44. 追録1-No.1628 棒火矢鉄砲書上

    伊野波親方・久志親方・座喜味親方の覚書。呉風二丁、棒火矢一丁、二十匁鉄砲八丁、十匁鉄砲四丁を列記する。二十匁八丁のうち五丁、十匁四丁のうち三丁は当夏差し上げ、残る三丁・一丁は重ねて下されることを求める。末に、このうち石火矢代の鉄砲を御奉行所の保管分から当夏差し上げたと記す。

  45. 追録1-No.1629 諏訪兼延覚書

    伊野波親方らが諏方采女へ、異風棒火矢・二十匁鉄砲・十匁鉄砲の訴願を相良頼安を通じて披露し、朱書で示された返答を書付の写しとして送った覚書。

  46. 追録1-No.1630 島津光久条書

    島津光久が島津綱貴へ、国政では善悪と道理を見極め、能力ある家老・役人を任用し、私情やえこひいきを避け、家老らの報告を踏まえて合議で処理するよう命じた条書。

  47. 追録1-No.1631 島津光久条書

    島津光久が島津綱貴へ、召し抱える者の善悪を見極め、近習や奥向きだけに偏らず知行・扶持に応じて役を任せ、口論や秘密の漏洩を避け、私意を抑えて家老との合議を重んじるよう命じた条書。

  48. 追録1-No.1632 島津忠広・新納久了連署書状

    島津忠広と新納久了が伊地知権左衛門へ、子が男女いずれでも御台所で養育し、乳母と女房を付け、養育・仕置の担当者や取次を定めることなどを、島津光久の意向として急ぎ申し達するよう命じた連署書状。

  49. 追録1-No.1633 島津忠広・新納久了連署書状

    新納久了・島津忠広が御台所役の伊地知権左衛門へ、出産を控える子について、男子でも女子でも台所で養育し、乳一人と女房衆を付け、中将光久方の幼少の子と同様に養育する旨を伝える。中将の子分として万事を軽く扱わず、両殿の意向として詳細を早急に報告するよう求める。

  50. 追録1-No.1634 島津綱貴帰国ス

    島津綱貴が延宝三年九月二十六日に江戸を発ち、上使稲葉正則から餞別を受け、船・陸路で諸所を経て同年十一月十日に鹿児島へ帰着するまでの行程と贈答を記した記事。

  51. 追録1-No.1635 島津光久直書

    島津光久が伊地知権左衛門へ、二之丸に置く女房衆と懐妊中の源太夫妹に関し、出産後の乳母・養育者・取次・女房の配置や子の養育方法を定め、関係者へ申し渡すよう命じた直書。

  52. 追録1-No.1636 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、馬一疋の献上を土井能登守と相談して披露し、結構な仕合せであると伝えた書状。

  53. 追録1-No.1637 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、重陽の将軍御内書を渡すので、翌二十一日に家来一人を江戸城へ差し越すよう通知した書状。

  54. 追録1-No.1638 光久塔沢ニ湯治ス

    島津光久が長期の病後もなお残る症状を治すため、幕府へ願い出て相州箱根塔沢の温泉で湯治したことを記す譜中記事。

  55. 追録1-No.1639 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久へ、将軍の健勝を伝え、再度湯治のため箱根塔沢へ向かうとの報せを承知して喜び、養生に努めるよう述べ、老中らで将軍へ言上すると答えた書状。

  56. 追録1-No.1640 久世広之書状

    久世広之が松平大隅守へ、公方の機嫌伺い使者と宛人の勇健を承知し、枝柿一箱・其地の御肴一種の献上を諸老中と相談して披露したところ、一段の御仕合と返答する。

  57. 追録1-No.1641 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久へ、去月二十五日の京都火災で皇居・本院御殿・新院仮殿が焼失したことに驚いたが、禁裏と二条城は無事だったと伝えた書状。

  58. 追録1-No.1642 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌伺い使者と宛人の勇健を承知し、御肴一種の献上を諸老中と相談して披露したところ、一段の御仕合と返答する。

  59. 追録1-No.1643 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌への祝意を承知し、領国の蜜柑二箱・御肴一種の献上を諸老中と相談して披露したところ、一段の御仕合と返答する。

  60. 追録1-No.1644 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、湯元から帰府したことに伴う砂糖漬一壺・鰹節一箱の献上を披露し、一段の御仕合と返答する。

  61. 追録1-No.1645 日州論山一件

    日向国諸県郡庄内と伊東氏領那珂郡飫肥との山境をめぐる争論について、由緒書・双方の申立書・境界絵図関係書状をまとめた一件の親記事。

  62. 追録1-No.1645-1 日州論山一件由緒書

    日向国諸県郡庄内と那珂郡飫肥の境にある梶山・板屋・赤石河内周辺について、古くからの領有・河川・山境、寛永年間以降の境界争論と裁許、関係文書の成立経緯を説明した由緒書。

  63. 追録1-No.1645-2 日州論山一件庄内側申立書

    島津氏側が、庄内と飫肥の郡境について、古来の山境・川筋・梶山村の利用実態と過去の境界取決めを挙げ、相手方が新たに主張する境筋を認めず、従来の境界を維持するよう求めた申立書。

  64. 追録1-No.1645-3 日州論山一件反論書

    日州庄内・飫肥間の境界について、相手方の申立てと古文書・絵図・境筋の由緒を逐条検討し、赤石川・梶山・板屋河内等の利用実態や過去の裁許を根拠に、自方の境界主張を述べた反論書。

  65. 追録1-No.1645-4 島津久兼・島津久元・島津久輝連署書状

    島津久兼・久元・久輝が新納久了と伊東出雲らへ、庄内論山の儀について前年の絵図と今回の修正絵図を照合し、相違箇所を改めた絵図・書付を添えて差し出すので、境界絵図として用いるよう伝えた連署書状。

  66. 追録1-No.1646 杉浦正綱・大久保教勝連署書状

    杉浦正綱・大久保教勝が島津光久へ、庄内論山について提出された絵図や百姓の証言を吟味し、利害関係のない者を交えて双方を調べ、奉行所で評定して結論を急ぎ報告するよう指示した連署書状。

  67. 追録1-No.1647 島津久元外二名連署書状

    島津久元ら三名が新納久了らへ、梶山側の者を立ち会わせて論山の絵図を作成し、評定所へ出す証人を選定して津曲清兵衛に同道させ、早急に上方へ派遣した経緯と、現地事情を十分聴取して取り計らうよう伝えた連署書状。

  68. 追録1-No.1648 論山証人書上

    論山の評定に出すため、梶山・庄内側から上方へ赴く証人を二組に分け、論山の由緒を知る者として弥七左衛門・越右衛門・八左衛門・万兵衛・大右衛門・助兵衛・権右衛門らを列挙した書上。

  69. 追録1-No.1649 飫肥論山日帳

    正保元年以降の庄内・飫肥間の論山について、双方の絵図の相違、証人・古来の由緒、江戸評定所への出訴、現地検分要求、諸郡境との比較、書付提出までの経緯を記した日帳写。

  70. 追録1-No.1650 論山覚書

    庄内論山について、六月十四日の評定場出頭以降、双方の証人召喚・申分聴取・書付受領を重ねたが決着しなかったため、久世広之らの仲介で双方が合意して帰国するまでの経過を記した覚書。

  71. 追録1-No.1651 新納久了覚書

    新納久了が論山裁許後の処置について、伝聞だけの者を証人にせず領主・古老から確かな由緒を聴取すること、双方の申分や書物を吟味し、将来再び争論にならないよう境界処理を慎重に進めることを指示した覚書。

  72. 追録1-No.1652 種子島久時書状(朱書部分)

    種子島久時の書状に対し、右の返答を朱書で申し達したことと十一月六日の日付だけを抜き出した短い朱書部分。

  73. 追録1-No.1653 裁許絵図裏書

    日向国那珂郡北河内村と諸県郡梶山村の山境争論について、山形と絵図により糺明し、わにの塚・城ヶ尾・牛ノ峠から南方の塚までの境を記して、絵図の墨筋と加印判を双方に下し、将来の違失を禁じる裏書の留め。

  74. 追録1-No.1654 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、新製の皿二箱・琉球煎海鼠一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  75. 追録1-No.1655 久世広之書状

    久世広之が松平大隅守へ、琉球青貝の器物一対と御肴一種を献上した件を披露し、一段の御仕合と返答する。

  76. 追録1-No.1656 土屋数直書状

    土屋数直が島津光久の留守居へ、歳暮の将軍御内書を渡すので、翌五日の四時分に留守居一名を登城させるよう通知した書状。

  77. 追録1-No.1657 島津綱貴書状

    島津綱貴が琉球国司へ、自身の官位昇進を祝う書状と贈物を受け取り大いに喜んだことを謝し、中城王子の上国と目録どおりの贈物にも礼を述べた書状。

  78. 追録1-No.1658 島津久竹外二名家老連署条書

    島津久竹・久元・町田忠代が琉球三司官へ、阿蘭陀人との商売・長崎奉行所への対応、唐船来着時の標識と処置、水主・船の運用、異国船や境目での非常時に薩摩へ急報し指示を受けることなどを命じた連署条書。

  79. 追録1-No.1659 島津久馮条書

    島津久馮が、切支丹宗門の厳禁と改宗者監視、婚姻・奉公人・宿泊人等の取締り、訴訟・治安、鹿児島での鉄砲・弓・兵法稽古、城内外の警固、家中子弟の学問などについて定めた家中統制条書。

  80. 追録1-No.1660 島津久馮達書

    島津久馮が大口を境目の要地として、鹿児島から置く役人、法度・訴訟、旅人・通行人と宿泊、近国との交渉、鹿児島への急報、武器・城内外の警備、首尾・作法を徹底するよう命じた達書。

  81. 追録1-No.1661 土屋数直書状

    土屋数直が松平大隅守へ、薩州で新製した皿五箱と御肴一種の献上を披露し、一段の御仕合と返答する。

  82. 追録1-No.1662 島津光久帰国記事

    島津光久が延宝四年四月二十一日に帰国の暇を得たのち、江戸を発して大坂を経由し、七月に鹿児島へ帰着するまでの行程、随行者、献上・拝領、時服等を記した帰国記事。

  83. 追録1-No.1663 久世広之書状

    久世広之が松平大隅守へ、御香具三箱・御肴一種の献上を目録どおり披露し、入念の段が喜ばれたと返答する。

  84. 追録1-No.1664 徳川家綱御内書

    徳川家綱が島津綱貴へ、端午の祝儀として帷子・単物合わせて十領を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。

  85. 追録1-No.1665 島津綱貴参府記事

    島津綱貴が延宝四年五月二十五日に参府・登城して将軍へ述職し、家老・使役らが拝謁したのち、六月から七月に江戸近辺を巡り、能見物や献上・拝領にあずかった経過を記した記事。

  86. 追録1-No.1666 相良頼喬書状

    相良頼喬が島津光久へ、光久と将軍の健勝を喜び、湯治先を二日に発ったと聞いたので暑中の道中無事を祈るとともに、先に種子島左近を通じて伝えた件が届いたことにも触れた書状。

  87. 追録1-No.1667 稲葉正則書状

    稲葉正則が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、琉球布十巻・御肴一種・泡盛二壺の献上を諸老中と相談して披露したところ、一段の御仕合と返答する。

  88. 追録1-No.1668 土屋数直書状

    土屋数直が島津綱貴へ、参勤の御礼のため翌十一日四時分に登城するよう通知した書状。

  89. 追録1-No.1669 於鶴(光久女)織田信盛縁組記事

    延宝四年七月、島津光久の娘於鶴を織田左衛門信盛の後室とする縁組が、将軍家の高聴と許可を得て成立し、執政から奉書が出されたことを記した記事。

  90. 追録1-No.1670 松平頼元書状

    松平頼元が島津光久へ、光久の息女の縁組が首尾よく仰せ付けられたことを祝し、目出度く喜ばしいと述べた書状。

  91. 追録1-No.1671 有馬永純書状

    有馬周防守永純が松大隅守へ、息女と織田左門殿の縁組が首尾よく仰せ出されたことを喜び、祝意を述べる。

  92. 追録1-No.1672 松平忠房書状

    松平忠房が島津光久へ、光久の息女の縁組が首尾よく仰せ付けられたことを目出度いと祝った書状。

  93. 追録1-No.1673 松平光長書状

    松平光長が島津光久へ、光久の息女の縁辺が仰せ付けられたことを喜び祝った書状。編者注は対象を光久第十一女於鶴(織田信盛夫人)とする。

  94. 追録1-No.1674 島津光久書状

    島津光久が琉球国司へ、同氏薩摩守(島津綱貴)の婚礼成立を祝う使者と、太刀一腰・馬一疋ほか別録の贈物を受け取ったことに謝し、詳細は伊江按司から述べさせるとした書状。

  95. 追録1-No.1675 田村宗良書状

    田村隠岐守宗良が松平大隅守へ、息女と織田左門殿の縁組が仰せ出された旨を承知し、大慶を推察して祝意を述べる。

  96. 追録1-No.1676 松平綱通書状

    松平綱通が島津光久へ、光久の息女の縁組が仰せ付けられたことを承知し、大慶であろうと祝意を述べた書状。

  97. 追録1-No.1677 松平直矩書状

    松平大和守直矩が松平大隅守へ、息女と織田左門殿の縁組が首尾よく仰せ付けられたことを喜び、祝意を述べる。

  98. 追録1-No.1678 島津久邦礼使参府記事

    島津久邦が延宝四年八月四日、島津光久の帰国御礼使として江戸へ赴き、九月十五日に登城して将軍へ拝謁したことを記す記事。

  99. 追録1-No.1679 島津忠高死去・久寿家督代記事

    島津忠高が延宝四年八月十一日に江戸で死去する際、幼い子万吉(久寿)のため叔父島津主膳の嫡子を家督代として遺領を相続させたいと願い、祖父島津光久が使者を立てて許可を請うた経緯と忠高の略歴を記した記事。

  100. 追録1-No.1680 稲葉正則外二名幕府老中連署状

    土屋数直・久世広之・稲葉正則が松平大隅守へ、八朔祝儀として太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合と返答する。旧喜ばれたを原御仕合へ改め、補年表記を保持する。