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追録1の目録
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追録1-No.1781 島津久胤書状
島津久胤が琉球国司へ、四月二十五日に栗嶋へ漂着した異国船の乗員を保護・治療し、琉球船で伊江島へ送り返したことを報告し、使者から事情を聞くよう伝えた書状。
追録1-No.1782 島津久雄誕生・養子記事
忠将一流系図において、久雄が延宝八年九月二日に生まれ、嗣子のなかった島津久侶の養子となったこと、実父が島津光久でその二十男であったことを記す記事。
追録1-No.1783 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が島津綱貴へ、重陽の祝儀として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1784 新納久辰覚書
新納久辰が琉球の三司官へ、渡唐人の人数・身元を毎年報告させ、役人への贈答や不正取引を禁じ、交易品の購入手続を定め、毒薬を持ち渡らせず、船数などを記録して報告するよう命じた覚書。
追録1-No.1785 牧野成貞書状
牧野備後守成貞が松大隅守へ、公方の将軍宣下と任槐を祝う書状、ならびに老中への使者派遣を承知したと述べ、自身への配慮にも謝する。
追録1-No.1786 大久保忠朝書状
大久保加賀守忠朝が松平大隅守へ、将軍宣下・任槐への祝意と使者派遣を承知し、太刀・馬代黄金十両を贈られたことに謝する。ただし、どの方にも断っているので返進すると明記し、後便の対話を期す。
追録1-No.1787 太田資次書状
太田資次が島津光久へ、将軍宣下・任官を祝う書状を受け取った礼を述べ、光久からの祝儀の贈物を受納したことを伝えた書状。
追録1-No.1788 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、来書を受け取り国元が無事であることを伝え、青緞子一巻・綾子一巻を贈った書状。
追録1-No.1789 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、清への進貢使が北京へ無事到着して帰国したとの報告と贈物を受け取り喜び、詳しくは使者から伝えさせるとした書状。
追録1-No.1790 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、年頭の賀状と恒例の目録に掲げた贈物を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは使者から述べさせるとした書状。
追録1-No.1791 島津久胤外五名覚書
島津久胤らが新納又左衛門へ、改帳の旧帳との照合、相違箇所の別紙化、翌夏の渡唐に備えた帳面作成、渡海する従者の記録など、琉球・海外交易関係の帳簿と証文を整備するよう命じた覚書。
追録1-No.1792 藤野家調度文書進上目録
藤野家から進上した旗・刀剣・系図・命令書・古文書・画像など、家伝の調度・武具・文書類を列挙し、受渡しの経過を記録した目録。
追録1-No.1793 酒井忠明書状
酒井河内守忠明が松平大隅守へ、公方の機嫌を伝え、閏八月十二日・十三日・十五日の将軍宣下祝儀の礼が首尾よく済んだとの報告を承知し、老中への飛札も尤もと返答する。
追録1-No.1794 井上正貞書状
井上正貞が島津光久へ、将軍宣下・任官に伴う祝賀の書状と使者を受け、丁重な配慮への礼を述べた書状。
追録1-No.1795 島津光久書状
島津光久が中城王子へ、年頭の賀状と恒例の目録に掲げた贈物を受け取り喜んだことを伝えた書状。
追録1-No.1796 徳川家綱御内書
徳川家綱名義で島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは酒井雅楽頭から述べさせるとした御内書。編者は家綱が同年五月に薨去しているため年紀が疑わしいと補注する。
追録1-No.1797 島津久竹系譜抄
日置邑主久竹譜中に、諱・通称と正保四年の出生を掲げ、横目頭を勤めたことを記す。今改大目付は官職の注である。延宝八年、東郷の地に代えて日置邑を賜るよう願い、太守が許可したため東郷を献じ日置を領したとする。
追録1-No.1798 巡見使下向記事
将軍代替に伴い諸国へ巡見使が派遣されることとなり、幕府老中からの命令を受けた島津光久が、家老新納久了に巡見使下向への対応を担当させた記事。
追録1-No.1799 巡見使接待に関する幕府触書
幕府が諸国巡見使の通行に際し、使者・飛脚への音信物を禁じ、宿泊施設・茶屋を新造せず、道橋は従来どおり整備し、米・賄物を現地相場で供給し、領主・代官らが規定を遵守するよう命じた触書。
追録1-No.1800 新納喜右衛門(久行傍注)覚書
新納喜右衛門が有馬次兵衛・真壁親方へ、来年の江戸使者に備え、前年に指示した献上品を重ねて確認し、衣裳や道中乗掛・支度が粗略とならぬよう整えることを命じる。江戸の宿方とも事前相談し、当夏の名護按司上国についても出船が遅れ順風に間に合わなくならぬよう報告を求める。
追録1-No.1801 島津光久参勤記事
島津光久が二月十一日に鹿児島を発ち、平島から出帆して大坂・美濃路を経て四月十五日に江戸へ到着し、堀田正俊を上使として将軍の慰問を受け、献上品を贈った参勤行程を記す記事。
追録1-No.1802 頴娃久記、光久に従い参府す
頴娃久記が島津光久の江戸参府に随行し、その際に鎧一領、大小の刀、鑓一本を拝領したことを記す系譜記事。
追録1-No.1803 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは稲葉美濃守から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1804 起請文前書草案覚
島津光久が提出する起請文前書について、行数・文字配置、奉書紙と包紙、綱吉の名・署判、老中の宛書などの書式と、どの部分を薩摩側または将軍側で記すかを島津綱貴らと調整した覚書。
追録1-No.1805 島津光久、徳川綱吉へ起請文を献ず
島津光久が五月二十五日に徳川綱吉へ誠心を誓う起請文を献上したことを記し、その本文を次文書に掲げるとする記事。
追録1-No.1806 島津光久起請文前書
島津光久が徳川綱吉へ、将軍に忠勤し表裏の行為をせず、親類その他に幕府へ害意を抱く者があれば速やかに申し出て同心せず、公儀の法度と職務を守ることを神文に誓った起請文前書。
追録1-No.1807 島津綱貴帰国記事
島津綱貴が大久保忠朝を上使として帰国許可と前例どおりの拝領品を受け、将軍へ謝礼した後、七月二十八日に江戸を発ち、大坂から船路・陸路を経て八月十九日に鹿児島へ帰着した経過を記す記事。
追録1-No.1808 北郷忠昭、家老職に任ず
北郷忠昭が延宝九年八月十日に家老職へ任じられ、役料として三千石の采地を拝領したことを記す系譜記事。
追録1-No.1809 廻国上使三州巡見記事
幕府の廻国上使三名が薩摩・大隅・日向の三州を巡見し、藩が宿泊・案内・警固・接待を分担して国境から迎送した経過と、帰府後に島津光久が桜田邸で三使を饗応したことを記す記事。
追録1-No.1810 島津久竹覚書
島津久竹が、綱吉の将軍代替に際して光久が提出した神文の控えが国元にないため、高輪の右筆所にある前書・神名・付属覚書の控えを持ち帰り、同役に披見させて記録所へ渡すよう求めた覚書。
追録1-No.1811 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは稲葉美濃守から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1812 天和改元記事(光久公御譜中)
光久公御譜中に、延宝九年九月二十一日に年号を天和元年へ改めたと記す記事。編者は本文間で月日の異同があるとして疑義を付す。
追録1-No.1813 天和改元記事(綱貴公御譜中)
綱貴公御譜中に、延宝九年九月二十九日に年号を天和へ改めたと記す記事。
追録1-No.1814 島津久明、町田家の番代となる
島津光久の十男島津久明が、天和元年に光久の命を受けて町田家の番代となったことを記す系譜記事。
追録1-No.1815 天和改元記事(吉貴公御譜中)
吉貴公御譜中に、延宝九年九月二十九日、今上天皇の勅によって年号を天和へ改めたと記す記事。
追録1-No.1816 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、将軍代替の祝儀として名護按司を派遣するとの申し出を了承し、別録の贈物を受け取り喜んだことを伝えた書状。
追録1-No.1817 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、改暦の祝儀として送られた書状と別録の贈物を受け取り喜び、後日の機会を期すと伝えた書状。
追録1-No.1818 島津綱貴、犬追物を張行す
綱貴公御譜中に、天和元年十月十六日、家伝の犬追物を張行し、七歳の菊三郎丸が初めて射手に列して二の隅で犬五匹を射ち、綱貴が検見したと記す。同日、綱貴も二の隅で犬五匹を射ち、その際は新納久了が検見を勤める。
追録1-No.1819 犬追物手組
天和元年十月十六日の犬追物について、一番・二番の射手名、各人の二足・三足等の割当、侍従殿・検見・喚次などを掲げる手組表。一番は菊三郎殿を含み、二番は侍従殿を含む。正文在文庫・同文は吉貴公御譜中にもあるとの注を区別する。
追録1-No.1820 島津吉貴、初めて参府す
島津吉貴が天和元年十一月十八日に鹿児島を発って初めて江戸へ向かい、九州・大坂・伏見・東海道を経て天和二年正月九日に江戸芝邸へ到着した参府行程を記す記事。
追録1-No.1821 藤野久伴譲受文書目録
藤野久伴が藤野久助の死去後に請け取った安国寺申状、系図、八十七通の文書写本、古文書・歌書・仏書・伝授書などを、後年の覚えとして列挙した譲受文書目録。
追録1-No.1822 島津綱貴、琉球使者を伴い参府す(光久公御譜中)
島津綱貴が天和二年正月六日に鹿児島を発ち、中山王尚貞が将軍綱吉の就任を祝うため派遣した名護按司ら琉球使節を伴って参府し、江戸城での拝謁・献上、帰路までを取り計らった記事。
追録1-No.1823 島津綱貴、琉球使者を伴い参府す(綱貴公御譜中)
島津綱貴が天和二年正月六日に参府のため出国し、中山王尚貞の慶賀使名護按司らを伴って江戸へ赴き、将軍綱吉への拝謁・献上を取り計らった経過を記す記事。
追録1-No.1824 北郷忠昭、琉球使者を伴い参府す
北郷忠昭が天和二年正月九日、中山王尚貞の将軍就任慶賀使である名護王子を鹿児島城から江戸へ護送し、高輪の藩邸で勤仕したことを記す系譜記事。
追録1-No.1825 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が島津光久へ、端午の祝儀として帷子・単物数十を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは堀田筑前守から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1826 島津忠守、家老職に任ず
島津忠守が天和二年八月十七日に家老職へ任じられたことを記す系譜記事。
追録1-No.1827 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは堀田筑前守から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1828 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、改暦の祝儀として送られた書状と恒例の目録に掲げた贈物を受け取り喜び、後日の機会を期すと伝えた書状。
追録1-No.1829 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、年甫の祝詞として使者を派遣し、恒例の目録に掲げた贈物を送ったことへの謝意を述べ、詳しくは使者から伝えさせるとした書状。
追録1-No.1830 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、将軍代替を祝う名護王子の献上が無事に済み、暇乞いの際に拝領品を受けたことを報じ、国司からの別格の贈物にも謝意を述べた書状。
追録1-No.1831 唐買物方覚書
唐買物の代銀が年々増し、同じ値でも絹物などの品質が悪化しているため、唐の商情と輸入品を厳しく詮議し、大里按司を通じて琉球へ改善を申し渡すよう命じた覚書。
追録1-No.1832 徳川綱吉御内書
徳川綱吉が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十重を受け取り喜んだことを伝え、詳しくは堀田筑前守から述べさせるとした御内書。
追録1-No.1833 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、前年五月九日付の書状を読み、祝い事が無事に整ったとの報告を喜び、その祝儀として派遣された大里按司と目録どおりの贈物への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1834 島津光久参勤記事
島津光久が天和三年二月二十二日に鹿児島を発ち、平島・大坂を経て四月二十三日に江戸へ到着し、登城・献上を行った後、中山王尚貞の使者野嵩親方の来訪について幕府老中へ報告し、返命を得て使者を琉球へ帰した経過を記す記事。
追録1-No.1835 島津吉貴元服記事
吉貴公御譜中に、天和三年五月三日、九歳で江府高輪邸に元服し、又三郎忠竹と号したと記す。曾祖父中将光久が加冠して宝刀(和州包永)を授け、家臣島津図書久竹が理髪役を勤める。
追録1-No.1836 小者・中間衣服禁制
小者・中間について、絹布類の着用を禁じ、頭巾・帯・袖などにも華美な素材や装飾を用いないよう定めた衣服禁制。
追録1-No.1837 女性衣服等の着用禁制
女性の衣裳について、縫金紗衣服は持ち合わせの品であっても着用を禁じ、緞の紋所も無用とする覚書。下々もこの命令に背かず、立場に不相応な衣服を着ないよう申し付ける。
追録1-No.1838 島津綱貴帰国記事
島津綱貴が天和三年五月十三日に上使戸田忠昌から帰国許可と拝領品を受け、将軍へ謝礼した後、江戸から大坂・海路・日向を経て鹿児島へ帰着した行程を記す記事。
追録1-No.1839 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、改年の嘉慶として派遣された使者と旧例どおりの別録の贈物を受け取り喜び、詳しくは使者から伝えさせるとした書状。
追録1-No.1840 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、又三郎の江戸引越しが無事に済んだことを述べ、その祝儀として蒲添按司を介して贈られた目録どおりの品への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1841 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、前年冬の真修院死去に際して心中を推察し、使札を寄せた厚意への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1842 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、辰之口奥方の死去が不意のことであったとして悲嘆を推察し、心を込めた使札への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1843 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、同氏又三郎の母が死去したとの知らせを受け、心を込めた使簡への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1844 唐買物方覚書
琉球人が長崎で唐物を買う際、相場とかけ離れた高値や品質不良を避け、前年価格・他所の値段と比較し、買手と売手が相談して隠し事なく取引し、必要なら国元へ照会するよう命じた覚書。
追録1-No.1845 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、改暦の祝儀として送られた書状と別録の贈物を受け取り喜び、後日の機会を期すと伝えた書状。
追録1-No.1846 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、蘭室院の不幸に際して名嘉真親方を弔礼使として派遣した厚意に謝意を伝えた書状。
追録1-No.1847 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、将軍代替祝儀のため派遣された名護按司が参府して拝謁・拝領を受け、礼使の野嵩親方と別紙の贈物が到来したことへの謝意を伝えた書状。
追録1-No.1848 島津綱貴書状
島津綱貴が中城王子へ、年甫の祝儀として送られた書状と別紙の贈物を受け取ったことへの謝意を伝えた書状。
追録1-No.1849 島津綱貴書状
島津綱貴が中城王子へ、中将殿の高輪の息女の婚礼が無事に整ったことへの祝意と、目録どおりの贈物に対する謝意を伝えた書状。
追録1-No.1850 島津綱貴書状
島津綱貴が中城王子へ、真修院が前年冬に死去したことへの心中を推察し、寄せられた悔状への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1851 島津綱貴書状
島津綱貴が中城王子へ、蘭室院の不幸に際して寄せられた弔慰の書状への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1852 島津綱貴書状
島津綱貴が中城王子へ、養運院の不幸に際して寄せられた弔慰の言葉に謝意を示し、不意の出来事への心中を推察した書状。
追録1-No.1853 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、将軍代替祝儀のため上府した名護按司一行の拝謁・拝領と、礼使として薩摩へ渡った野嵩親方の献上品について幕府へ披露したことを述べ、別の贈物にも謝意を伝えた書状。
追録1-No.1854 清国冊封使琉球派遣記事
光久公御譜中に、清の康熙帝が尚貞を琉球国中山王に封じ、六月二十六日に正使汪楫・副使林麟焻が来琉し、八月十二日に勅書を奉じて登城、十一月二十四日に開帆したと記す。光久は命を下して平山忠知・肥後盛昌を大里按司・三司官へ派遣し、両人は十月二日に琉国へ着き、翌年七月十日に那覇で解纜、十八日に鹿府へ帰った。
追録1-No.1855 島津久輝外六名家老連署条書
島津久輝ら家老七名が大里按司・三司官へ、清国冊封使の来着に際し、派遣役の平山忠知・肥後盛昌と相談して儀礼を整え、勅使一行を丁重に扱う一方、清人の無秩序な外出を従来の掟どおり防ぐよう命じた条書。
追録1-No.1856 島津久芳誕生
島津久明の子・久芳が天和三年九月六日に誕生したことと、幼名・初名、兄弟、母が禰寝丹波清雄の娘であることを記す系譜記事。
追録1-No.1857 北郷忠昭覚書
北郷忠昭が、前年冬の指示を受けて江戸の諸留守居や御城坊主・右筆へ取扱いを照会し、各家とも同様の処理であることを確認して報告した覚書。
追録1-No.1858 島津徳鶴誕生
綱久公御譜中の系譜図に、綱久の妹徳鶴を掲げる。徳鶴は天和三年十月十六日誕生、母は家の女房で、家臣北郷作左衛門久嘉の後室となる。
追録1-No.1859 島津綱貴参府記事
綱貴公御譜中に、天和四年二月五日に鹿児島を発ち、家老島津中務久輝・島津甲斐久武らが従ったと記す。同十二日に日州細島で乗船し、十八日に発船、二十七日に大坂、晦日に伏見へ着き、三月三日に伏見を発って十一日に参府、十六日に登営して太刀一腰・綿百抱(把カとの注)・馬代黄金十両を献じ、綱吉に拝見した。
追録1-No.1860 貞享改元記事(光久公御譜)
光久公御譜中の記事として、天和四年二月二十一日に改元して貞享元年となったことを記す。
追録1-No.1861 貞享改元記事(綱貴公御譜)
綱貴公御譜中の記事として、天和四年四月に貞享へ改元したと記すが、編者は月日の異同があり疑わしいと注記する。
追録1-No.1862 貞享改元記事(吉貴公御譜)
吉貴公御譜中の記事として、天和四年甲子に貞享へ改元したことを記す。
追録1-No.1863 春山初狩記事
貞享元年正月十四日の春山初狩について、城下諸士の参加方法と、四年前の鹿児島下方大火後は六組を二分して三組ずつ登らせるようになり、この年は一番・二番・五番組が参加したことを記す記事。
追録1-No.1864 島津光久帰国記事
島津光久が貞享元年四月に帰国許可を受け、五月に江戸を発ち、大坂から海路を経て六月に鹿児島へ帰城した行程と、随行者・使者への拝領品を記す記事。
追録1-No.1865 島津久竹書状
島津久竹が林春常法眼へ、大隅守領内の郡名の文字違いについて菊池春湖を介して願い出たところ、古来の伝承どおりに認められたとして、取持ちへの謝意を伝えた書状。
追録1-No.1866 島津久輝外五名家老連署覚書
島津久輝ら家老六名が北郷忠昭へ、朱印改めに伴う領国郡名の文字違いが古来の伝承どおり訂正されたため、林春常へ島津久竹から礼状と琉球布を送ることを相談し、品選びを指示した覚書。
追録1-No.1867 卜部兼進神道裁許状
神祇管領卜部兼進が源光久朝臣に、木綿手襷を今後懸け用いることを裁許した神道裁許状。
追録1-No.1868 吉田兼連書状
吉田兼連が松平大隅守へ、伏見への無事到着を祝い、佐藤大和守から聞いた木綿手襷の裁許成立と、その祝儀として贈られた目録どおりの品への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1869 島津吉貴書状
島津吉貴が薩摩守へ、宇治から到来して口切りした茶一包と干鯛二枚を贈り、側近にも分けるよう伝えた書状。
追録1-No.1870 島津光久・藤原信秋神道祝詞
島津光久と大和守藤原信秋が、両社大明神をはじめ全国の神々へ、天下安全・四海平定・御家繁栄・万民安楽・国土豊饒・武運長久などを祈り、将来の規範として編んだ神道祝詞。
追録1-No.1871 宮城和庸書状
宮城和庸が木脇刑部左衛門へ、唐人六十六人を乗せた異国船が大隅守領の甑島手打浦へ漂着し、書類と人数を確認して警固付きで送られ、当津で受け取ったことを報告した書状。
追録1-No.1872 大久保忠朝書状
大久保忠朝が松平大隅守の留守居へ、翌朔日に帰国御礼の使者を四時過ぎに江戸城へ出仕させるよう命じた書状。
追録1-No.1873 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、改暦の嘉祥として送られた書状と別録の贈物を受け取り、厚意への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1874 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、前年渡来した清国冊封使による即位儀礼が滞りなく済み、使節が無事帰帆したことを喜び、祝詞の使者・豊見城按司と別録の贈物への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1875 島津綱貴書状
島津綱貴が中城王子へ、改年の嘉儀として送られた書状と別格の贈物を受け取り、厚意への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1876 島津綱貴書状
島津綱貴が琉球国司へ、又三郎が前年無事に元服して改名したことを祝い、祝儀の使者として派遣された伊喜屋武親方と品々の贈物への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1877 三司官起請文前書案紙
琉球の三司官が、領国内の人数改め、キリシタン宗門の禁制、日本人の無断居住・密かな渡海、逃亡者、手札、遊興・酒女などに関する条々を遵守し、偽りなく申し上げることを誓約した起請文前書の案紙。
追録1-No.1878 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、前年に大清国へ進貢使として渡海した小禄親雲上が北京から六月に無事帰帆したことを喜び、祝儀の使者として派遣された安里親方と別録の贈物への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1879 島津光久書状
島津光久が琉球国司へ、前年渡来した清国冊封使が同年四月二十八日に諸儀を終えて渡海し、明朝以来の衣冠を改めて清国の冠服を着用し、勅額を拝領したことを祝し、富名腰親方と濃筆などの贈物への謝意を伝えた書状。
追録1-No.1880 島津久竹外五名家老連署条書
島津久竹ら家老六名が大里按司・三司官へ、琉球国内の人数改めを基礎として、キリシタン宗門禁制、日本人の居住・密渡海、逃亡者、手札の発給・紛失・書替え、遊興や酒女などを厳格に管理するよう命じた連署条書。